骨喰丸が笑う日 第二十三回

骨喰丸が笑う日 第23回 森 雅裕

 その日はチーク林に囲まれた野営地に天幕を張り、パパイヤの味噌汁に感激した。ほとんど雑草と塩だけで食いつないできた兵たちには至福の食事であった。

 翌日、戸板所長の手配でウントーへ向かうトラックに便乗できた。直線なら東南へ四十キロだが、山間を縫う自動車道は六十キロにもなろう。荷台には囚人部隊の他に身なりのいい輜重兵が四人乗っていた。

「臭えなあ」

 彼らは露骨に顔をしかめた。

「肥溜めにでも落ちたのか、あんたら」

「血腥い女もいるようだ。このあたりの女は生理も派手なのか」

 アーシャは血痕で黒ずんだ防暑衣だが、これは負傷でも生理でもなく、ヒルの所業だ。密林にも山道にも巨大なヒルが多く、木の上からも足元の落葉の中からも現れて人に食いつく。血を吸って大きくなると破裂する。そのために衣服を血に染めている者も少なくない。

 バクと三文がおもむろに防暑衣を脱いだ。ぼろぼろのその服を手に立ち上がり、嘲笑する輜重兵の中でも目立つ二人に迫った。

「おい。動くな。近づくな、コラ」

 嘲笑が恫喝に変わったが、かまわずに汚れきった服を彼らの頭にかぶせた。輜重兵は悲鳴をあげてのたうち回った。

「うげっ。ごふっ。ぐわあっっっ。げええええええっ」

 バクと三文は鬼のような形相で笑った。

「へへへ。たっぷり吸え。これが最前線の匂いだ。ただし、服に吐くなよ」

 輜重兵の仲間が「やめろ」とバク、三文に飛びかかり、たちまち荷台は修羅場と化した。なにぶんにも囚徒兵は栄養失調で疲弊している。形勢不利であるが、八七橋は彼らよりも五右衛門の様子を見ていた。喧嘩にも参加せず、苦悶の表情を浮かべ、腹を押さえている。

 トラックが停車し、

「何をしているかっ」

 運転手の伍長が荷台を覗き込むのと同時に五右衛門は飛び降りて、物陰へ走った。

 この騒ぎの中で寝ていた綿貫が身を起こした。

「兵隊どもと一緒だとうるさくてかなわん。俺は少将閣下だぞ。お前ら皆蹴り落として、この車は俺の専用車にしてもいいんだぞ。そうしないのは、敵機に襲われた時にお前らを盾にするためだ。おい、運転手。さっさと動かせ」

 トラックが動き出す寸前に五右衛門が飛び込んできた。綿貫は冷たく睨んだ。

「おい。腹下しは赤痢じゃなかろうな」

「ビルマ栗のせいですよ」

 五右衛門は荷台の外へ身を乗り出し、盛大に嘔吐もした。ピンレブで狂喜して食ったものはすべて絞り出してしまった。それを見て、綿貫はさらに顔をしかめた。

「エメチンの副作用じゃないのか」

「乗り物に酔ったんです」

 五右衛門はあくまでもシラを切ったが、囚人部隊がピンレブで入手した薬品の中にエメチンがあり、五右衛門がこっそりそれを飲んでいることを八七橋は知っている。これは抗原虫薬で、アメーバ赤痢の特効薬だが、吐き気を催させる。

「俺に近づくな。息もするな。こっち見るな」

 綿貫はハエを追い払うように両手を大袈裟に振った。

「そんな病原菌野郎が汽車に乗るつもりか。迷惑な話だ」

 綿貫が逃げるように荷台の隅にへばりつくと、輜重兵たちも顔をしかめて五右衛門から距離をとった。

 走行中は携帯円匙(シャベル)に排便して外へ放ったり、ついには荷台から尻を突き出し、垂れ流し状態となった。もはや五右衛門の罹患は決定的であった。

 

 陽が傾き始めた頃、原始的な光景にようやく人工的なものが現れたが、いたるところ破壊されていた。それがウントーの町だ。それでも、ここには「文明」があった。さほど大きくはないが、駅前という人間の生活空間がある。ただ、周辺にあふれているのは敗残兵だ。ほとんどが骸骨のような傷病兵で顔の区別もつかず、その顔色も皮膚病で緑色だった。

 イギリス機の空襲の合間を縫って、物売りがカゴを担いで歩き回り、路上で料理をしている現地人もいる。マンゴー売りの少年が寄ってくるのを振り払い、八七橋は駅舎へ向かった。

 ピンレブの戸板所長が書いた光機関の命令書を鉄道連隊の士官に出したが、ちらりと一瞥しただけだった。

「アメーバ赤痢の兵がいるだろう」

 車の同乗者が報告したらしい。 

「そいつは療養所に置いていけ。汽車はスシ詰めだ。他の兵に感染させるわけにいかない」

「兵たちと相談してみるよ」

「汽車は今夜出る。空襲の合間を縫って、わずかな本数が走っているだけだから、次はいつになるか、わからんぞ」

 八七橋にしても五右衛門を乗せてやりたいのはヤマヤマだが、他の者に感染させるわけにはいかない。特に綿貫を守るのは八七橋の任務である。

 駅舎を出ると、マンゴー売りの少年が煙草を吸っていた。日本兵がそれに目をつけ、

「おい。興亜じゃねぇか。なんでガキが日本の煙草を吸ってるんだよ。寄こせ」

 少年を囲んで、脅していた。軍用煙草は平時なら酒保で売っているが、戦場では食糧と同じく軍の支給品である。

「やめとけ」

 八七橋は彼らに近づき、ピンレブで入手していた興亜を差し出した。

「これをやるよ」

 興亜など連合軍の捕虜に与えようとしても決して口にしないという劣悪品だ。八七橋としても惜しいものではない。兵たちは感謝するでもなく、こいつ何者だという怪訝な表情だが、その間に少年は逃げてしまった。

 兵よりも少年から礼をいわれなかったことに肩すかしを食らった気分だった。しかし、駅前広場の建物をひとつ曲がると、そこに彼が立っていた。

「ありがとう」

 八七橋を見上げ、何やらふてくされたようにいったが、日本兵より礼儀正しい。 

「お前、親は?」

「空襲で死んだ」

「そうか」

「その帽子、くれよ」

 礼儀正しいと感じたことを少々後悔した。敵からの分捕り品のカウボーイハットである。不織布、つまりフェルト製で、コヒマからかぶっているので、かなりボロボロだが、なにしろ他の敗残兵の身なりが凄まじいから、日本兵の持ち物としてはマシな方といえる。

 八七橋が帽子を少年の頭にかぶせてやると、顔の上半分が隠れた。彼が帽子を直した時には、八七橋はすでに目の前にいない。背を向け、早足で歩いていた。

 駅前から少々離れたところに陸軍休憩所があり、薬剤沐浴と被服の蒸気消毒を行っているが、不潔な兵隊の数をこなしきれず、着替えもないため、混乱を極めていた。

 その休憩所に囚人部隊はたむろしていた。移動式の野戦消毒車の傍らで、裸の三文とバクが服の消毒を待っている。三文は無帽となった八七橋を挑発するように、

「雨季つづく、ビルマで帽子、捨てた身の」

 と、付け句を促してきた。

「今宵待たるる、光機関車」

 そう応じると、三文は長い吐息をついた。

「ありがたや。汽車は今夜出るんですね」

「お行儀よくしてなきゃ乗せてくれんぞ。もう喧嘩なんかするな」

 八七橋は五右衛門を見やった。彼はマンゴーを食っている。

「五右衛門。食欲はあるのか」

「御覧の通り、モリモリです」

「果物なんか病人が食うもんだぜ」

 八七橋がそういうと、バクが横から割り込んだ。

「八七橋さん。こいつ、物売りのガキから煙草と引き換えにマンゴーをせしめたんですぜ。悪い大人ですわ」

「あのガキは親のために煙草が欲しかったのかも知れんだろうが」

 五右衛門はそう弁解したが、八七橋は無表情に否定した。

「そのガキなら、駅前でスパスパやってたぞ」

「あちゃー。そうですかい。それはそれは」

 五右衛門は落ち着かぬ足取りで歩き出し、皆から離れた。下痢が止まらないのである。

 その後ろ姿を見送り、綿貫が冷徹に声を響かせた。

「おい。あんな赤痢野郎を汽車に乗せるつもりじゃないだろうな」

 八七橋はむっつりとして答えず、五右衛門を追った。駅舎の近くに便所が増設されており、その前でしばらく待った。なかなか現れない。間に合わずにそこいらの物陰で用を足したのか。どこへ行ったのかと視線を周囲に巡らせ、駅前広場のはずれにそれらしき姿を見つけた時、上空に爆音が響いた。日本機ではない。

「爆音!」

 あちこちで叫び声があがり、日本兵たちは遮蔽物を求めて走り回った。爆音が低く降りてきて、双発のボーファイターが現れた。

 八七橋が塹壕へ飛び込むのと爆発音が轟くのと同時だった。破壊的な地響きが連続し、土砂が舞い上がった。投弾のあとは執拗に銃撃を繰り返す。

 ようやく「爆音解除」の声がかかると、八七橋はスリ傷だらけになりながら塹壕から這い出た。爆撃は駅舎ではなく便所を吹き飛ばし、周辺の建物も消えていた。機関車は待避所に隠してあるが、あちこちに火災が発生している。日本兵の死体も散乱していた。

 八七橋は瓦礫の間を抜けて、五右衛門を見かけたあたりへ急いだ。頭を半分失った五右衛門が転がっていた。その下に動くものがある。五右衛門をひっくり返すと、見覚えある少年を抱え、守っていた。

 少年はもがきながら死体の腕を振りほどいた。特に負傷はしていない。

「おい。大丈夫か」

 八七橋は埃まみれのカウボーイハットを拾い、少年にかぶらせた。少年は身を起こすと、

「日本兵なんか、早くいなくなれ!」

 そう叫んで、走り去った。五右衛門の死体を振り返りもしなかった。

 死体は一箇所に集められ、所属と姓名を確認し、まとめて埋葬される。身体が四散して誰のものか不明の手足もあるが、白骨街道に比べれば人道的といえた。しかし、敗残兵の多くは認識票や軍隊手帳など紛失しており、五右衛門も個人識別できるものは持っていない。そもそも階級すら剥奪された囚徒兵である。

 八七橋は死体を運んでいる部隊の士官に五右衛門の所属と氏名を告げ、陸軍休憩所へ戻った。囚人部隊に爆撃の人的被害はなかったが、三文とバクは裸のままである。情けなさそうに嘆いた。

「野戦消毒車が吹っ飛ばされて、俺たちの服がどっか行っちまいましたよ。五右衛門に調達してもらわなきゃ」

「無理だ」

 泥だらけの八七橋が重い口調でそういうと、皆の視線が集まった。

「五右衛門は?」

「死んだ」

 八七橋が短く吐き捨てると、綿貫は鼻を鳴らし、手まで叩いた。

「よし。これで汽車に乗せる必要はなくなったな。好都合だ。天佑神助、我にあり」

「あんた!」

 裸のバクが八七橋につかみかかろうとしたが、八七橋はその腕を抱え込み、押し戻した。

「やめろ。俺がやる」

 いうが早いか、綿貫の顎を殴った。声も立てずに綿貫は頽れたが、八七橋は見向きもせずにその場を離れた。鉄道連隊へ行き、五右衛門の死体から切り落とした小指を示して、

「赤痢の兵は死んだ。汽車に乗せてもらうぞ」

 と告げた。

 

 兵站に頼み込んで、戦死者のものと思われる廃棄寸前の防暑衣を調達し、三文とバクはなんとか格好がついた。

 夜になると、ジャングル内の引込線に隠してあった列車が引き出された。C56の型式番号をつけた日本製の懐かしさを覚える機関車だ。これにつながれた貨車は穴だらけだが、敗残兵の目には拝みたくなるほど神々しい。

「土足で乗っちゃ申し訳ない気がしますな」

 そういう兵の声が聞こえたが、貨車の中は土足でなければ乗りたくない汚れ様だ。

「ゴミ溜めだな」

 綿貫が殴られた顎を撫でながら、いった。

「俺はお前らと一緒にいて悟ったぞ。ゴミ溜めが不快なのは自分が清潔だからだ。自らゴミになればこんな環境でも耐えられる。さしずめ俺はゴミの親玉だ」

 八七橋は冷たく綿貫を見やった。

「いいえ。ゴミの親玉は俺です。綿貫閣下はゴミだか何だかわからない石ころです」

「石ころ……。貴様、俺の荷物を見たのか」

「おや。閣下の荷物は石ころですか」

「この野郎、すっとぼけやがって……。あのな、俺を殴った奴は貴様で三人目だ。前の二人は悲惨な事故にあって一年ほど病院暮らしだった」

「いいですな。のんびり療養したいものです」

 貨車が走り出すと、文明の有り難さを実感したが、敗残兵で満杯の車内に横になる広さはなく、膝を抱え、隣の者ともたれ合って寝るのである。

 時折、外を火花が流れるので、貨車の穴から身を乗り出すと、機関車は煙突から盛大な炎を上げながら走っている。

「こいつは石炭じゃなく薪で走ってるんだ」

 乗り合わせた士官が力なく笑った。

 敵機が来たら、いい目標になってしまう。イギリス機が夜は飛ばない習慣を守ってくれることを祈るしかない。

「日本からはるばるやってきた機関車だ。こいつも苦労してるんだな」

 八七橋は走る鉄の塊に親近感さえ覚えた。

 明け方にマンダレーで降車させられ、乗り継ぎ便が出る夜まで待つことになった。乗り継ぐのは傷病兵を移送する汽車だった。

 マンダレーはビルマ中央に位置し、首都ラングーンに次ぐ第二の都会である。一九四二年五月以来、日本軍の拠点のひとつとなっている。兵站病院の他にインド国民軍の仮設病院も設営されていた。

 インパール作戦には六千人のインド国民軍が参加したが、多くが戦病死して、チンドウィン河まで撤退できたのは二千六百人に過ぎず、しかもそのうち二千人は半死半生の傷病兵であった。最高司令官チャンドラ・ボースは彼らのためにマンダレーとメイミョーに大規模な仮設病院を設営したのである。

 駅近くの光機関支部でそれを聞いたアーシャは、

「行ってみます」

 と、疲弊した表情に強い意志を浮かべた。彼女はインド国民軍の婦人部隊ジャンシー連隊の士官であり、医者でもある。八七橋もインド国民軍の世話役だった光機関の一員であるから、仮設病院の状況は気になる。

 綿貫と囚人部隊を光機関支部に残し、八七橋は自転車を借りた。荷台にアーシャを乗せ、ビルマ最後の王朝の古都へと漕ぎ出した。 

 マンダレーはこの国の仏教信仰の中心であり、無数の僧院とパゴダ(仏塔)が建っている。日本軍は信仰を軍政に利用しようとしたが、超俗的なビルマ僧が協力するはずもなく、反感すら買っている。イギリスとの戦闘で破壊された寺院さえあり、僧侶とすれ違うと、八七橋は肩身の狭い思いだった。

 マンダレーは雨季でも比較的降水量が少なく、西の空へと傾く日差しを浴びながら、王宮の城壁沿いに巡らされた壕の縁を走った。

 寺院の一つが改装され、病院となっていた。受付で名簿をざっと見たが、知り合いの名前など調べきれない患者数だ。彼らは広い板の間にズラリと並んで横たわっていた。とりあえず収容されている戦病兵を見回り、八七橋とアーシャはそれぞれが顔見知りを何人か見つけては声をかけた。

 泣いて再会を喜ぶ者もあれば、愚痴をこぼす者もある。意味不明な歌を口ずさんでいた患者はうつろな目に八七橋をとらえると、さらに張り切って声量を上げた。歌が終わるまで解放してくれそうにないので、やむなくつきあっていると、周囲とは空気が異なる長身の麗人が近づいてきた。

 かつてシンガポールの社交界で花形だった女医のラクシュミー女史。今はジャンシー連隊のラクシュミー少佐。連隊長である。ラクシュミーとは日本でいう吉祥天であり、十九世紀に対英戦を戦ったジャンシー王妃の呼称でもある。八七橋も顔だけは見知っている。

 そのラクシュミーが上品に微笑んだ。

「アーシャ。生きていたのですね」

 インドでは姓がカーストや宗教宗派などの出自をあらわすため、上流階級でもなければ公然とは使わない。八七橋もアーシャの姓を聞いたことがない。

 彼女は連隊長に八七橋を引き合わせた。

「こちらの部隊のお世話になりました」

「光機関の八七橋中尉です」

 八七橋が会釈すると、ラクシュミーは連隊長らしくピンと背筋を伸ばしたが、表情は柔らかい。

「インパールではインド国民軍が御迷惑をかけました」

「とんでもない。彼らは勇敢でした。作戦が無謀だったんです」

 八七橋と社交辞令を交わすと、ラクシュミーは痩せこけたアーシャを診断するような目で見やった。

「あなたはインドへ潜入して、日本軍に協力していたのですね」

「はい。今は日本の少将閣下をラングーンへ送る途中です」

「それは……苦労したでしょう。ひどい顔色はマラリアですか」

「今は寛解しています。とりあえず大丈夫です」

「負傷したのですか」

 アーシャの防暑衣は背中から腰にかけて血痕を残している。

「いえ。山ヒルです」

「ああ。服がそうボロボロでは隙間だらけですもんね」

 アーシャは薬品よりも血と埃の匂いが強い病棟を見回した。

「ここも大変な状況ですね」

「医者も看護婦も足りませんが、医薬品はなんとか都合がつきます。あなた、何か必要なものがあるなら……」

「いえ。大丈夫です」

 看護婦が大声でラクシュミーを呼び、せわしなく彼女は患者のもとへ走った。病院もまた戦場であった。

 駅へと戻る途中、壮大な仏塔の群れに遠い視線を泳がせた。

「すごいなあ。人間はこういうものを作るほど偉大なんだな」

 自転車のペダルを踏みながら、この光景の中では大声でなければ聞こえぬ気がして、八七橋は怒鳴った。

 アーシャは普通の声量だが、

「そして、破壊するほど愚かでもある」

 歯切れよくそういった。爆撃や戦闘の跡がいたるところに見られるのである。彼女の声の明るさに助けられて、八七橋は言葉を続けた。

「あんた、あの病院でやるべきことがあるだろ」

 返事はない。

「こっちはラングーンまで鉄道一本で任務終了だ。あんたはもう必要ない」

 自転車のうしろが軽くなり、八七橋は漕ぐのをやめて振り返った。雨季に入って以来、しばらく見なかった猛烈な夕焼けの中に、アーシャは立っていた。軍人らしくスラリとした直立不動の姿勢だ。

「一旦、駅へ戻るか、それともここで別れるか」

 アーシャは自分でかついでいる背嚢をちらりと目線で振り返った。八七橋とその一行は全財産を各自で携行しているのである。

「皆さんと別れるのがつらいので、ここで」

「わかった。これからビルマ全土が戦場になる。死ぬなよ」

「八七橋中尉も皆さんも」

 アーシャは明眸皓歯の見本のような表情を見せて前傾で敬礼し、八七橋は軍人らしくなく手を上げただけで応じた。