骨喰丸が笑う日 第二十七回

骨喰丸が笑う日 第27回 森 雅裕

 音平のアパートの部屋は執筆のための資料で埋もれており、彼以外の人間が座る場所さえない。物置を借りていた時期もあるが、強欲な大家(音平はそういっている)と揉めて、そこも引き払っている。古本屋を開けるほどあった蔵書など、荷物もかなり処分していた。

「孤独死したら、後始末する人が大変だからな」

 そんなことをいう音平だ。しかし、その「後始末する人」は唯一の肉親である絵衣子を想定しているわけではないようだ。普段から音平が口にしていることがある。

「父親らしいことはしてやらなかった俺だ。お前に娘らしいことをしてもらおうとは思ってない。無縁仏でかまわんよ。死ねば、どうせ人はただの灰だ」

 親兄弟を持たない音平には肉親に何かを求める習慣はないようだが、強烈な理想の父親像を持っている。絵衣子はそう見ている。

「親孝行と火の用心は灰になる前というわよ」

「親孝行なんぞ期待するのは親心ではない。あのな、倚門而望という言葉は単純に子の帰りを心配しているというんじゃないんだよ。覇権争いの最中、王孫賈は仕えていた斉王とはぐれてしまう。そんな非常時にのこのこ帰ってくるな、という意味合いでもあるんだ。親の子離れの言葉なのだともいえる」

「そういう感動的な親心を昔、女性ファンと共感したわけね」

「うん。しかし、実はなあ、その彼女だが、若いのに親心というのもおかしいとは感じていたんだ」

「彼女が若いという根拠は?」

「俺が書いてた小説に登場する女子高生に当時流行のルーズソックスに背を向けて紺ハイをはかせた。彼女も学校がルーズソックス禁止で紺ハイだと手紙に書いてた」

「手紙だけのやりとりでしょ。自称女子高生かも知れない」

「お前も性格悪いなあ」

「文通じゃないんだから写真もないよね」

「しばらく手紙のやりとりをしたあと、オーストラリアへ留学するという知らせが来て、それきりだ」

「へえええええ。女子高生が子持ちじゃ日本の学校にいづらくなったのかしら。倚門而望って、親子が離れて暮らす前提の言葉のように聞こえる。もともとはそういう意味でもないだろうけど、普通の親子じゃなさそう……。兼景さんの短刀にも同じ言葉が彫られているのは偶然なのかな。その女子高生の名前、覚えてる?」

 人づきあいがいいとはいえない音平だからこそ、関わった人間のことは忘れない。ただ、断片的であるのは仕方ない。

「ファンレターというのは内容は覚えていても差出人の名前は忘れてしまうんだよなあ。フルネームで覚えてるファンは数人しかいないが、忠臣蔵みたいな名前だったから記憶してる。コナミさんだった。小さな、浪速の浪だ」

「それのどこが忠臣蔵なの?」

「塩冶判官(浅野内匠頭)が高師直(吉良上野介)に刃傷に及んだ時、殿中でござる、と抱き止めたのが加古川本蔵(梶川与惣兵衛)という人物だ。本蔵の娘は大星力弥(大石主税)の許婚だったが、武士の情けを知らぬ男の娘ということで婚約破棄される。そこで本蔵は自分の首を差し出して娘と力弥を復縁させる。本蔵の後妻の名は戸無瀬、娘は小浪という。これらの名前は万葉集の『加古川の水のとなせの瀧なれば末は小浪の立つといふらむ』から取っている」

「うわあ……ウザイくらい博識」

「こんなの、小説家なら常識だ。内匠頭という漢字を読めない似非小説家もいるけどな」

「小浪さん……か」

「小浪セイナといったと思うなあ。聖なる菜っ葉」

「え……。それは冗談でいってるわけじゃないよね」

「そんなにおかしな名前か。まあ、二十数年前に高校生なら、生まれは八十年代初め。中森明菜が中華料理みたいな変な名前といわれていた頃ではあるが、彼女以降は珍しくも何とも……」

「そうじゃなくて……うちの組長さんの本名だよ、それ」

「え?」

「キャリア二十年以上。在団四半世紀を目指している華斗詩音の本名」

 絵衣子は部屋の小さな本棚に置かれた写真立てを見やった。稽古場で撮った花組の集合写真が飾られている。中央は組長だ。高校の時に短期だが留学していたという話を聞いたこともある。

「私の理解を超えてるのよ、この方……」

 携帯を握りながら、ぼんやりと呟いた。小浪という姓は身近にもう一人いる。小浪鏡子。理事の娘で、両親離婚後は母方の姓を名乗っている。その母親は華斗詩音の姉。普段は意識することもないが、鏡子は花組組長の姪でもある。

 絵衣子は写真立ての傍らに鏡子がガチャで取ってくれた北斎フィギュアを並べた。

「運命」と鏡子はいった。絵衣子の名は父・北斎の代作をするほどの絵師となった娘・お栄にあやかったと母から聞いている。本当かどうかは知らない。字だって違う。同居していなかった音平がその命名を知ったのは出生届けのあとだった。母は相談もしなかったらしい。

「新公、期待しているぞ」

 電話を切る際に、音平はそういった。「見に行く」とはいわない。本公演と同じ演目を一日だけ入団七年以内の生徒たちで演じるのが新人公演で、ここで主役に抜擢された若手は「路線」と呼ばれ、将来のトップスター候補となる。特に娘役は出世が早く、絵衣子のような下級生でも「候補」を飛び越えていきなりトップに就任することがある。絵衣子は音楽学校の頃から通学路で評判になる生徒だったが、劇団は彼女に関しては路線ではなく冷遇するでもなく、どう扱えばいいのか、決めかねているようだった。

 

 組長の身の上に漠然とした疑問を抱いても、上下関係のきびしい宝塚では、組長ともなれば下級生には雲上人である。挨拶以外に声をかけることもできないまま、数日が過ぎた。

 新人公演が終わった夜、絵衣子は主役を演じた鏡子と劇場を出た。鏡子は出待ちのファンたちに短い挨拶をすませ、先を行く絵衣子を追ってきた。

「歩くの速いよなあ、娘役は」

「うち帰って、一杯やって寝る」

「今日の出来、よかったじゃないの。ソロで銀橋を渡る晴れ姿には同期として涙出そうだった」

 本来なら、オーケストラピットと客席の間にある銀橋をソロで歌いながら渡れるのは「スター」だけだ。新人公演だからこそ与えられたチャンスだったが。

 絵衣子の表情には怒りと悲しみが混じった。

「ひどかったよ。緊張して、歌じゃなく叫び声になった」

「考えようだよ。組長さんの本役よりパワーがあった」

 絵衣子は歩調を緩めずに、いった。

「組長さんって、高校生の時にオーストラリアに留学してるよね」

「うん。そのようだね」

「向こうで子供産んでるってことはないよね」

「突然、何をいい出すの、あなた」

「うちの父親が……実の父だけど、二十数年前に組長さんと同じ名前の女子高生を知ってたらしい。子持ちだった可能性あり」

「宝塚に入る前に出産してたら大スキャンダルだよ」

 宝塚の受験資格は十五歳から十八歳。昔は受験に専念する宝塚浪人が認められたが、現在は中学の新卒もしくは高校在学中の者に限られる。もともと創設者の小林一三翁は「良家の花嫁学校」を標榜しており、当然のことながら在籍者は独身女性のみである。

 こんな話題でも鏡子の明朗さに曇りはない。

「未婚の母だとしたら、父親は誰よ?」

「今はそこまで想像力を広げることはできない」

「見当はついてるような言い草だけど……」

 鏡子は前へ回り込み、正面から両手で絵衣子の頬をはさみ、男役の声を聞かせた。

「おい。全然面白くないぞ、その話」

「だよねぇ。馬鹿なわが父の勘違いということも有り得るし。勘違いといえば、鏡子にもらった北斎フィギュアも自画像を立体化したものと思ってたら、違ってたわ。小林文七という明治の版元が摺り物にした肖像画をもとにしているらしいけど、誰が描いたのかは不明。ただ、お栄作のこれとそっくり同じ構図の肖像画があったらしいけど、現在は所在不明。北斎の顔を描いたものとしては飯島虚心の著作『葛飾北斎伝』の扉絵があるけど、これは北斎ではなく虚心の肖像を版元が虚心の反対を押し切って掲載したもので、虚心は世を欺く本が自分の名前で出たことに激怒したそうよ。文筆家と出版元の齟齬って昔から変わらないんだね」

「絵衣子」

 鏡子はゆっくりと苦笑した。

「小説家の娘だね、やっぱりあなた」

 憐れみとまでは行かないが、気の毒がっていた。

 

 新人公演の翌日は休演日になっていた。絵衣子には面会の申し込みがあり、午前中から出かけた。演劇や芸能についての取材ではなく、骨喰丸に関する話らしい。

 待ち合わせたホテルのカフェで、現れた相手は和服姿の初老婦人だった。六十前後だろうか。髪を楼閣のように結い上げ、怪盗のマスクのような眼鏡をかけ、大御所女優か高級クラブのママという貫禄だ。

 待ち合わせの相手とは思わず、絵衣子は周囲を見回したが、向こうから声をかけてきた。

「横浜の桜星美術館の富賀計子と申します。館長やってますの。うちは刀剣関係に力を入れています」

 と、自己紹介した。名刺には複数の団体の理事とか評議員とかの肩書きが並んでいる。

「私も宝塚歌劇は好きなんですよ。新人公演では北斎の娘を演じられているそうですね。私もせっかく宝塚まで来るなら観劇したかったのですが、仕事がありましてね。あきらめましたわ」

 社交辞令だ。新人公演のチケットは前売り開始と同時に瞬殺なので、公演の直前に思いついて買えるものではない。それを知っていれば、こんな言葉は口にしないだろう。

「骨喰丸という短刀が宝塚大劇場に展示されて、その存在を知ったのですが……あれはあなたの御実家に伝わった短刀ですね」

「そのようです」

「実はうちの美術館にも骨喰丸がございますの。二十年近く前に購入したものですが」

 富賀は写真を並べた。骨喰丸と同様の短刀である。刃文は互ノ目丁子。表に地蔵尊の彫刻。裏には梵字。もっとも、写真では地刃の良し悪しはわからない。

「ひどく錆びていたのを修復しております。戦時中、防空壕に隠されたりすると、こうなる例がままありますが……銘もだいぶ傷んでいます。でも、読めますよね」

「源清麿ですね」

「それに『応鏤骨 為形見』の添銘も」

「うちのにもこんなような文句が……」

「こんなようなじゃなくて、まったく同じです」

「あ。そうですか」

「どちらかが偽物ということになります」

「あら。そうなんですか」

「骨喰丸の号の由来は葛飾北斎の歯の破片を彫刻の下に埋めたからだといわれていますね」

「うわあ」

「あの……驚いていらっしゃるけど、御存知ないんですか。『骨喰丸が笑う日』でも、そういう話になってますでしょ」

「事実なのかフィクションなのか、私にはたいして興味ないですし」

「どうでしょうか。調べてみませんか。X線で彫刻の下を撮影するんです。もちろん、当館所蔵の骨喰丸も調べますが」

「何のためにですか」

「真実を知るためです」

「知って、どうなります?」

「骨喰丸の由来をドドンとぶち上げて、並べて展示することを企画しているんですが……」

「あの短刀はこのあとの東京公演に合わせて、東京宝塚劇場に展示する予定です」

「むろん、うちがお借りするのは、そのあとで結構です。美術館の企画は早くて一年、大きなものなら三、四年かけて準備することもあります」

 返事に迷った時はうかつに応対せず、相手にしゃべらせておけ。そうすれば相手の方がボロを出す。父の音平の言葉だ。口頭でいわれたか、著書に書いてあったか、定かではないが、いつのまにか絵衣子の脳裏に刷り込まれている。沈黙を貫くのも図太さが必要だが、絵衣子には妙な鈍感さがある。

 しばらく放置するうち、富賀の言葉は説教の調子を帯びてきた。

「こういう名刀は個人が死蔵するべきじゃないんです。日本人の財産として広く見てもらいたいですよね」

「…………」

「何か質問はございますか」

「そうですねぇ……。お宅の美術館が所蔵している骨喰丸はどういう由来があるんですか」

「戦時中、ビルマやタイで軍刀修理などやっていた芝浜天平という研師がいましてね。そこで、あなたの御先祖の一人に出会った」

「ああ……。戦後はあちらの独立運動に身を投じて、ついに帰国しなかった人がいると聞いたことあります」

「芝浜さんは預かった形見などをその人の実家へ持ち帰り、話に聞いていた骨喰丸を見ています。私がもっと若い頃、芝浜さん本人から聞いた話です。彼は二十年前に九十歳近くで亡くなりました。当館の骨喰丸は芝浜さんが秘蔵していたものを御遺族から買い取ったものです。彼は所有していることも、どのように入手したのかも語ることはなかったですが、遺品整理で出て来ました」

「終戦後のことを覚えている人はもうわが家にもいませんしねぇ……」

「ええ。ですから、あなたを代表者としてお話ししています」

「その落語みたいな名前の研師さんはどういう人なのですか」

「研ぎの腕は悪くなかったと思いますよ。戦中戦後の体験を本にまとめたりしています。芝浜さんの地元は岡山で、備前刀のメッカですね。彼は長船あたりの現代刀工と親交があったようです。もちろん、他の地域の刀工とも……。ところで、落語みたいというのは?」

「五代目三遊亭圓楽が生前最後に演じた人情噺が芝浜……。いえ、気にしないでください。父の影響で余計な知識ばかり増えて」

「おとうさまは何を……?」

「いいんです。忘れてください」

「左様ですか。で、いかがですか」

「は……?」

「あなたの骨喰丸を貸して頂けないかという話です」

「ああ。私一人では判断できませんので、家の者と相談します」

「そうですか」

 富賀は事務的にそういったが、自信に満ちている。断れるものなら断ってみろ、という圧力を全身から放っていた。