「雙」第16回

「雙」第16回 森 雅裕

 式を終えると、家綱の乗物(駕籠)を中心とする行列が出発し、刀鍛冶たちは並んで、それを見送った。弟子たち、役人たちも後方に控えている。

 酒井忠清は乗物ではなく、黒門の外に馬を控えさせている。それへ向かう前に、助広の正面で足を止めた。

「かねてより、評判は聞いておった」

「試し斬りの場では、御無礼をいたしました」

「小伝馬町へは、お前の顔を見に行った」

「は……?」

「どうじゃ。当家の抱え鍛冶となる気はないか」

「あ。それは……」

「考えておけ」

「かたじけなく存じます」

「ところで、女の弟子は役に立ったか」

 貫禄のある笑いを放っている。声さえも恫喝しているようだ。

「けがなどさせておるまいな」

「は……」

 まさのは二重三重の人垣の後方で、簡単には目に入らない。

 忠清はそれだけいい、背を向けた。

 午後から、鍛錬場の撤去が始まった。大きな備品は公儀が用意したので、刀鍛冶たちが運び出す個人の道具はさほどの大きさでも量でもない。助広は、白戸屋の使用人たちが引いてきた荷車にそれらを放り込み、寛永寺をあとにした。たいした荷物ではないとはいえ、大坂までの手荷物にもできないので、白戸屋に運搬を手配してもらうことになる。 

 関係者との別れの挨拶に奔走していたまさのは、西陽の差す仁王門あたりでようやく追いついてきた。

「師匠」

 息を切らしている。

「皆さんに挨拶なさらないのですか」

「お前がしたから、それで充分だ」

「人と会うのが苦手なだけじゃなく、別れも駄目なんですか」

「気に入った相手だと特に、な」

「そんなの、相手には伝わりませんよ」

「性分だ」

「そんな威張るほどの性分ですか」

 刀鍛冶たちとは後日、挨拶できると思っている。助広にはそれで充分だった。

「御腰物奉行から素麺をいただいた。素麺は冬に作り、梅雨を越したくらいがうまいという。一緒に食うか」

 素麺を食するのが、七夕の慣習である。助広が暦に無頓着だったために半月も遅れているが。

「笹竹のかたづけを手伝ってくださらなければ、私は作りませんよ」 
 寮には七夕の飾りつけがなされていた。七夕当夜には、笹竹などは川へ流してしまうのが決まりだ。

「どうせ時期はずれだ。なのに私に川まで運ばせる気か」

「でなきゃ、梶の葉に書いた願い事がかないません」

「お前の願い事だろう」

「師匠の今回の江戸出府に収穫がありますように、という願いです」

「大きなお世話だが――」

 飾りつけは川へ流さねばなるまい、と助広は思った。

「そんなことより、御老中がお前のことを御存知のようだった」 

「酒井雅楽頭様ですか」

「む」

「弟君との縁談があるからですよ」

 まさのの口調は妙に軽い。

「お前と……?」

「はい」

「雅楽頭様の弟君か」

「酒井日向守忠能様とおっしゃいます。上野国那波、佐位、武蔵国榛沢のうち二万二千五百石」

「そうか。結構な話だな」

「十四の年長です」

「……その歳まで独り身なのか」

「奥様を亡くされたので、継室です」

「大名に被官の娘が嫁に行くわけにもいくまい。仙台侯御刀奉行の娘ではなく、大慈院義山公(伊達忠宗)の姫として嫁ぐのかね」

「でなきゃ、閨閥の道具になりません」

「陸奥守様(綱宗)は承知なのか」

「仙台伊達家を主導するのはお屋形様に限りません」

「以前、陸奥守様に対抗する勢力があるといっていたな。お前がその勢力の閨閥作りに一役買っては、陸奥守様も困るだろう」 

「私だって、困っています」

 まさのは、ぽつりと呟いた。

「年内には祝言だということですから」

 助広には、それ以上を聞く気もなかった。

「いずれ、お前とも苦手な別れをせねばならぬな」

 

 翌日。

 助広は公儀腰物方とともに赤坂を歩いた。行手に連子窓の侍長屋が続く。紀伊徳川家上屋敷である。

 献納刀は二重三重に包装されている。会津侯保科家の用人・加須屋左近(武成)も周旋人として同行し、こうした武士たちそれぞれに従者もいるから、もはや行列である。

 左近が、いった。

「本阿弥光温はなかなか入念な研ぎを施したようでござるな」

「はい。感謝しております」

「どうしてどうして。助広殿。本阿弥とは意気投合したわけではあるまい」

「はあ……」

「仙台侯から、本阿弥光温へ付け届けがあったようでござる」

「は……?」

「よろしき研ぎを頼む、と」

 まさのが手を回したのだろう。助広は面白くなかったが、まさのよりも、こんな話題を得意げに話す目の前の左近に対して、憤りが湧いた。憤る筋合いではないとわかってはいるのだが。

「研師の腕とは恐ろしいもの。刃文も研ぎの手加減で変わってしまうようです」

「……というと?」

「虎徹師の刀です。焼入れした現場では、もっとムラのある刃文と見えましたが、献納式にて、研ぎ上げられたものを拝見したところ、実によくまとまっておりました」

 献納された刀は衆人環視で焼入れしたものではないのだ。しかし、迂闊なことはいうべきではない。

「それはどういうことかな」

 

 しらばくれて問いかける左近に、

「いえ。言葉に毒がありましたら、お聞き流しください。これで、いつも失敗しております」

 助広は本心から頭を下げた。

「ところで、助広殿。今回、打ち上げた二本の振分髪写し、出来がよいのはどちらですかな」

「どちらも、でございます」

「結構結構」

 左近はうれしげに目を細めた。善人である。

 紀伊家上屋敷は二階建ての侍長屋をめぐらせ、伽藍のような櫓門を構える、さすがの偉容であった。助広たちは脇に開いた小門から邸内へ入った。桃山建築を彷彿させる豪奢な屋根が山脈のようにそびえ、並んでいる。

 応対に出たのは、安藤帯刀直清。家康の側近から紀伊家付家老となった安藤直次の子も孫も早死にしたため、この男が養子となって、家督を継いだ。万治三年(一六六〇)には二十八歳である。

 この年、紀伊家当主・徳川頼宣は参勤の途中に伊勢で鷹狩りを行ったという記録がある一方、慶安四年(一六五一)の慶安事件(由比正雪謀反事件)に加担した疑惑のため帰国を十年間許されなかったともいわれるが、いずれにせよ江戸に滞在している。安藤家は国詰めが基本だが、主人に付き従っていた。安藤直清はこの壮大な屋敷の建築に使われた定規、物差しそのままのような男だった。

「二振りのうち、いずれかを選べというのか」

 直清は背筋を伸ばし、いった。

「一振りは尾張様に納めるとな。が、助広。二振りとも注文主に納めるか、陰打ちは破棄するのが、刀工としての筋というものではないのか」

「そういう場合もございますが、此度は御前鍛錬という格別の事情にて、二振りを打ち、それぞれを紀伊様、尾張様に御所望いただきましたゆえ」

「別に当方が所望したわけではなく、会津中将様がそうお膳立てをされたのであるが、な」

「そう申されますな、帯刀殿」

 加須屋左近が苦笑した。

「わしがこの刀の媒酌人だ。わしの顔を立ててくだされ。押しかけ女房もなかなかよいものでござるぞ」

「加須屋殿がそういわれるなら……」

 左近は元来、紀伊家に仕え、高名だった武士である。もとより直清も刀を拒絶するわけはない。

「わが紀伊家は惜しい家臣を会津中将様にさらわれてしまいましたな」

「それをわしにいってどうする。大納言様(徳川頼宣)に申されよ」

「いかさま。御前(頼宣)に後悔させてやりましょう」

 二本の刀はそれぞれ箱に納まり、安藤直清の目の前に置かれている。しかし、彼は開けようとはしなかった。

「見てしまった上で、当方がいずれかを選べば、尾張様に残りものを回すことになる。そのような無礼はできぬ。どちらでもよい。置いてゆかれよ」

 直清はそういったが、見たところで、刀の出来や価値が鑑定できる目でもないだろう。

「簡単ではあるが、酒肴を用意した。腹を落ち着かせて、尾張様へ回られるがよい」

 結局、助広は柾の交じる一本を置いて、紀伊屋敷を出た。杢目に大肌が出ている方は柳生兵助が試し斬りを行なったものであるから、尾張家へ納めるのが妥当と考えたのである。

 

 紀伊屋敷を辞した足で、四谷を経由し、市ヶ谷の尾張徳川家上屋敷へ向かった。

 こちらも城塞を思わせる外観と金屏風に描かれるような御殿という内観で、助広たちを圧倒した。

 書院へ通され、待っていると、まず現われたのは柳生兵助だった。

「尾張最高の知行を領する御家老がじきにまいられる」

 何やら皮肉めいた言い回しだが、楽しげに微笑んでいる。

「そちらは加須屋左近様ですな」

「いかにも。お見知りおきくだされ」

「十八歳にて、京都三十三間堂で通し矢を試みて以来、三度までも天下一となられた射人とうかがっております」

「いや、お恥ずかしい」

 そうは答えながら、左近は誇らしげだ。助広は、左近のそうした実力よりも兵助の知識と話しぶりに感嘆した。左近にしても、悪い気はするまい。気がゆるんでいる。これは打算的な処世術ではなく、兵助にしてみれば、こんな対面さえもが試合なのだ。今、兵助が優位に立った。

(この男は、生活のすべてが剣の修業なのか……)

 戦慄さえ覚えた。知らぬ仲ではない助広とさらに友誼を育むためにこの場へ現われたわけではない。天下一の射人と対決するためなのである。

 助広以外の誰も気づかなかっただろう。書院には穏やかな空気しか漂っていない。

「弓術と鍛刀に抜きん出たお二人に、お見せしたいものがあります」

 兵助は冊子を取り出した。

「それがしが狩野常信殿にお願いして、描いていただいた鐔の下図です。三十六枚あります。いずれも柳生の剣の神髄を形にしたものです」

「ほお。柳生鐔三十六歌仙というところですな」

 左近が手に取り、綴ってある紙束を繰った。

「面白い。鉄で作られるのか」

「左様。尾張にはもともと透かし鐔の伝統がござれば」

 後世、尾張鐔は鉄の透かし鐔の王者と呼ばれる。室町後期に多く名品が作られたが、江戸期に入ると、格調が下がる。柳生鐔はそんな尾張鐔を賦活するものである。

 下図が助広に回ってきた。鐔の一枚ごとに「三磨」「水月」「鬼車」などの題名がついている。

「助広殿にうかがうが、尾張鐔は鉄骨が出るをもって、珍となす。鉄を扱う職方として、これをどう思う?」

 鉄骨は鐔の鉄質の固い部分が筋状あるいは粒状にやや突起して見える部分で、つまりは硬度が不均衡ということであるが、一見、強そうな味わいがあり、その無骨な変化が賞美される。
「おそらくは半完成の鐔を火床の中に入れ、表面を溶かすことでヤスリ目など消しているのでしょうが……」

 尾張鐔の「耳」に鍛接の割れ目が生じるのも、加熱によって疵が開くためだ。

「その際、炭に触れる部分だけが固くなるものと思われます」

 炭に触れれば、炭素を吸って固くなる。

「しかし、それでは鉄はかえって脆くなると考えます」

「ふむ。尾張鐔を脆いというか、おぬしは」

 助広はまた余計な口を滑らせてしまった。兵助は微笑んではいるが、唇の片端だけだ。和やかだったせっかくの空気がたちまち気まずくなった。

 だが、

「柳生兵助殿は拵もまた考案されたと聞き及んでおりますが」

 と、左近の穏やかな声がその気まずさを救った。さすがにこの男も徒者ではない。

「一芸は多芸に通ずるというわけですかな」

「恐れ入ります。しかし、君子は多芸を恥ず、とも申します。鐔も拵も芸のうちには入りませぬ。あくまでもわが剣法の極意を具現させたまでのこと。御覧になりますか」

「おお。ぜひ」

 若侍が兵助の佩刀を運んできた。柄糸は納戸色、鞘は黒呂塗りの刻み鞘である。逆目貫は金文字で「かごつるべ」とある。籠の釣瓶すなわち「水もたまらぬ」斬れ味というわけだ。

 中身は尾張の秦光代の作で、この鞘によく入っているものだと驚くような身幅の広い豪壮なものだ。

「よいものですなあ」

 左近は相好を崩した。よほど武器武具が好きなのだろう。

「此度の御前鍛錬に尾張からも刀工を参加させたいところでしたな」

「なんの。刀は拵にかけてこそ道具として用を成す。刀工のみ注目するわけにはいかぬ。のう、助広殿」

 兵助にそう問われると、助広は首肯するしかない。確かに刀身だけでは武器として成立しないのだ。道具としての刀剣は金具、柄巻き、鞘、漆塗り等、職人たちの技の集大成なのである。

 助広もこの拵には尾張の職人の腕と美意識を思い知らされた。だが、光代作の刀身は実用品としての凄味は感じたものの、同業者として魂をゆさぶられる名刀ではなかった。

 談笑している二人の武芸者が、そんな彼の胸中に気づかぬことを祈っていると、やがて、その奇妙な空気の中央に家老の成瀬信濃守正親が着座した。紀伊の安藤直清がそうであるように、正親もまた尾張の付家老だった成瀬正成の子孫で、家督を継いだばかりの二十二歳である。

 この年の一月、名古屋はのちに「万治の大火」と呼ばれる火災に見舞われており、城下町の多くを焼失した。その処理と対応のためにこの男は奔走している。しかし、浪費家といわれ、後世の評価は芳しくない。

 公儀腰物方から尾張腰物奉行手代へと献納刀が渡り、受け取った正親は一応は鞘から抜き、ハバキ元から切先まで視線を這わせたが、刀の刃文や地肌を見るには、光の当たる角度を工夫せねばならない。そんな仕種は見せなかった。この男も刀の目利きではない。

 それでも、

「見事である」

 とはいった。 

「恐れ入ります」

 助広は胸を張る気になれない。自分に嫌気がさしている。この場の中心であるはずの献納刀の作者なのに、自分だけ浮いている。

「柾目の交じるものと杢目のものと、二振りを作ったということだが、これはそのどちらか」

 この若き家老の目では、わからぬらしい。

「杢目でございます」

「では、正宗らしい方だな」

「…………」

「何故、二振りも作ったのか」

「正宗らしさについて、考えるところがございました」

「それはつまり、伊達家の振分髪は偽物ということ、偽物をそのまま写すことはできなかったということか」

「私には何ともわかりかねます」

「隠しても、すでに噂となっていることだ」

「…………」

「本音を申せ」

「本音は、口ではなく作刀にて申し上げます」

「なるほど。思いのほか世渡りということを心得ておるな」

「…………」

「よけいなことを口走らぬうち、そそくさと大坂へ戻るか」

「もうしばらく江戸にとどまりたいと思います」

 まだやり残したことがある。

「ほお……。仕事か」

「はい」

「この屋敷の中にも、鍛錬場がある。抱え工の飛騨守氏房一門のために作ったものだが、彼奴ども、尾張に引っ込んだままで、空いておる。好きに使ってもよいぞ」

「ありがたきお言葉なれど、他に心当たりがございますれば……」

「そうか」

 正親は好意を拒まれ、視線を助広から逸らした。助広に会った者が見せる馴染みの表情だ。生意気な奴と思われている。

 この尾張屋敷でも、酒膳の前にしばらく座らされた。そのあと、

「大名屋敷の饗応など、疲れるだけだろう」

 辞する行列のような一団を、柳生兵助は玄関まで送り、助広にそう声をかけた。

「柳生様。江戸では探しものをなさっているとのことでしたが、先刻の三十六歌仙がそれではありますまい」

「むろん」

「見つかりましたか」

 本阿弥光温のところで見た柳生拵の刀がそれではないかと思うが……。

「見つかった。しかし、いささか手遅れだったかも知れぬ。当方へ引き渡してもらえるよう、手を尽くしているところだ」

 それ以上は尋ねられなかった。結局、助広は無礼を悔いながら詫びることもできないままで、

「またお目にかかる」

 兵助がそういうのを聞いた。

 

 白戸屋の寮まで戻ってきたのは日暮れ近くだった。寮を取り巻く雑木林のような生垣の前で、ふと助広は振り返りそうになった。

 男とすれ違った。本所のこのあたりには金持ちの別宅が結構あるから、珍しくもない商家の若者だが、珍しいのは足取りの重さだった。目的地めざして歩いているのではなく、徘徊しているという歩調だ。暇つぶしに散策するような風光明媚な場所でもないが。

 江戸でこういう男と出会うと、ろくなことはない。が、寮に入ると、その男のことは忘れた。

 まさのは台所にいた。寮には飯炊きの使用人もいるのだが、もはやこの場所はまさのに明け渡された格好になっている。

「いかがでしたか、紀伊様と尾張様のお屋敷は」

 包丁をふるいながら、訊いた。

「ああいうお屋敷を見ると、江戸は武士のための都だということがよくわかる」

 そうした場所で気疲れしても、まさのに会うとたちまち忘れることができた。

「水菓子をいただいてきた。あとで食おう」

「お帰りが遅かったようですが、向こうで豪勢なもてなしでも?」

「いや。寄り道してきただけだ」

「どんな寄り道なのやら。師匠のことですから仕事がらみでしょうけど」