鬼鶴の系譜 甲賀編 第二回

鬼鶴の系譜 甲賀編 第二回 森 雅裕
 
 翌朝、カナデが使いの者を甲賀の里へ送り出したあと、二人の武士が現れ、案内を請うた。

「われら細川越中守(忠興)家中の者でござる」

 見ず知らずの者を生活の場である庫裏などへは通したくなかったし、そもそもここは男子を歓迎しない尼寺である。刀を預かり、本堂外陣の脇にある一室で、月華院に面会させた。

 カナデは傍らに控えた。客から見えぬ位置に小太刀を隠している。

 武士たちが長々と挨拶するのをじっと見つめていた月華院だが、彼らの言葉が途切れてもしばらく沈黙していた。空気が重くなったところで、

「あ。終わったか」

 と、気づいた様子だった。まったく緊張感がない。

「で、用向きは?」

「こちらに忠隆様の奥方、千世様がおられますな」

「さて。ここでは浮世のことはわからぬな」

「お引き渡しを願いたい」

「仮にそのような者がいたとして、私を頼ってきたならば、これを守ってやるのが武士の道というもの。私が天下の総大将の嫁であったこと、知っておろうな」

「それは、はい、もちろんでございます」

「ならば帰って、信長の未亡人がそう申したと、越中殿に伝えるがよい」

 居丈高に撥ねつけるのではなく、抑揚あるのどかな口調なのだが、相手に有無をいわせない空気がある。

「そんなことより、この山中では食べるものもあるまい。握り飯を作らせるゆえ、帰り道で食らうがよい」

 月華院もカナデもどれほど必要かは尋ねない。しかし、五食分を用意した。武士たちは恐縮しながらすべてを持ち去った。他にも仲間がいるらしい。 

「あれで引き下がりましょうか」

「あははは」

 月華院は屈託なく笑った。

「おめおめと引き下がったのでは面目が立たぬ。面子をつぶされるのを何よりも嫌う。武士とはそういうもの」

「では……」

「また来るであろうな」

 そういいながら、この能天気な女性は心配する様子などない。

 しかし、庫裏から姿を見せた千世は緊張を隠せない。

「踏み込んでくるでしょうか」

 月華院の明るさにつられて、千世も微笑んだが、頬がこわばっていた。自分の身よりもこの寺を気遣っている。そればかりでなく、この寺で乱暴狼藉に及んだ場合の細川家の今後をも憂慮していた。

 信長にはおよそ三十人もの子があったが、主立った男子は関ヶ原合戦の以前に歴史の表舞台から消えており、織田家にかつての威光はない。しかし、信長未亡人の隠棲場所を襲撃したとなれば、家康に細川家を非難する口実を与えるようなものである。

 カナデは千世の胸中を察し、いった。

「あの侍たちが手を汚す必要はありません。中山道に巣食う野武士、夜盗を雇い、襲わせる。それくらいの知恵は働くでしょう。そして、私たちの口をふさぐため、皆殺しにしようとするはず」

「ははは。カナデらしい性悪な考えですね」

 月華院は外見に似合わぬ豪快な笑い声を放った。カナデは真顔だ。

「そんな者どもを雇う前に、あの侍たちを屠ってしまいましょうか」

「お前は物騒なことをいうのぉ……。まだ彼らが襲ってくると決まったわけではあるまい。じゃが、腕をこまねいてもおられぬ」

 女館には月華院の侍女と使用人が五人。男館には武士と使用人が六人。武士は戦力としては頼りない老臣である。他に心釈寺には五人の尼僧がいる。

「尼僧だけでも村へ逃がしたいが……」

 月華院はそう気遣ったが、尼僧たちは拒否した。

「月華院様が一緒でなければ、どこへも逃げませぬぞ」

 逃げたところで一時的に避難するのがせいぜいで、細川家の侍たちが本気で皆殺しを実行するなら、安全な場所などない。村人を巻き添えにしてしまう危険さえある。

 とりあえず、カナデは偵察に出て、周囲を見回った。寺の表と裏それぞれに通じる山道に、見張りらしい侍たちがいた。カナデは彼らを迂回して山を下った。

 敵の主力は農家を借り、集まっていた。カナデは慎重に近づき、勢力をうかがった。細川家の家臣らしい武士が二人、人品骨柄いかにも卑しそうな男が約十人。野武士か夜盗だろう。手回しよく雇い入れたらしい。山道を見張っていた者たちを含めると二十人近いが、特に武術練達らしき者はいない。

 カナデは心釈寺へ戻り、男館の老臣たちに寺の周囲を警戒するよう声をかけた。彼らも戦の素人ではないから、守りの固め方は承知している。それから武器を点検した。

 

 

 夕刻、細川家の家臣が再びやってきた。今朝と同じ二人連れだ。月華院は庫裏の裏手で干し柿作りの最中だった。時期的にはまだ早いので少量だが、千世に作り方を教えていた。

「忙しいのになア」

 本堂の回廊から外陣脇の室内に入った。むろん、カナデが付き従っている。頭を下げる武士たちを、月華院は立ったまま見下ろした。不機嫌である。

「弁当まで持たせてやったのに、帰らなかったか」

 武士は一瞬、謝りそうになったが、あわてて気を取り直し、いった。

「今一度、申し上げます。千世様をお引き渡し願いたい」

「そちらが何度いおうと、私は二度はいわぬぞ。返答は変わらぬ」

「明朝までお待ちいたします」

「明朝になっても、引き渡さぬ時は?」

「…………」

「口に出せぬか。おぞましいことを考えているようじゃの」

「御深慮くださいますよう……」

 脅迫を言外に漂わせている。月華院がさっさと背を向けてしまったので、カナデは彼らを山門の外まで見送りながら、

「明朝まで、どちらに御滞在ですか」

 しらばっくれて、訊いた。

「山を下ったところの百姓家に」

「お二人だけですか」

「いや、あと三人ほど……」

 嘘だとわかっているが、彼らを油断させるために、カナデは、

「このあたり、冬は食べ物に不自由しますが、今は……。よい季節にお出でになりましたなア」

 のんきに別れを告げた。

 庫裏に戻ると、月華院が珍しく真顔で呟いた。 

「細川家の者ども、力ずくで千世殿の首を取る気じゃな」

「寺の出入りは見張られています。先ほど、確かめてまいりました」

「お前のことだから、敵の勢力も見てきたであろう」

「およそ二十人」

「ほお。食べ物だけでも大変じゃな。となると、早急にしかけて来よう」

「はい。おそらく」

 しかし……おかしい。カナデが育った甲賀の里というのは、千手山、千足山と連なる山と谷を越えた山間の村で、地元では奥ノ里と呼ばれている。その奥ノ里にやった使いの者が戻らない。男館の老臣の足では迅速に往復できないかも知れないが、警護に駆けつける甲賀者は鍛えられた「忍び」である。なのに、一人も心釈寺に現れない。

「お使いは細川家の侍たちに捕らえられたのかも知れません」

 最悪、殺されたかも知れない。だが、口には出さなかった。

「すると、助けは来ぬということか」

「そう覚悟した方がよろしいかと」

 襲撃されることを予測し、寺の構造など知られぬよう、本堂の一部しか、あの武士たちには見せなかった。

「では、籠城じゃな。守りは固めておけ」

「承知」

 そうはいっても、時間も人手もまったくないから、やれることは少ない。男館の老臣たちが出入口は固めている。女館も準備を整えた。

 もともと境内はいたるところに玉砂利を敷き詰めてあるが、今日は落葉の清掃もやめた。近づく者は足音を消せない。さらに夜襲にそなえて、本来は鳥獣から田畑を守るための鳴子を寺の周囲にめぐらせ、あるだけの刀槍を部屋
や廊下に配置した。

 火をかけられるのが一番厄介なので、水桶も各所に置いたが、これは気休めでしかない。やはり、先手必勝だ。

 陽が落ちると、月華院には無断で、カナデは寺を抜け出た。籠城は援軍を待つための作戦だ。援軍が来ぬなら、打って出るしかあるまい。地の利はこちら側にある。

 千世や女たちが脱出するのを警戒して、心釈寺の周囲に見張りの男たちが配置されていた。細川家の家臣ではなく、身なりの悪い野武士、夜盗の類だ。カナデは一人ずつ倒した。

 彼らの主力はもう山の下の百姓家にいない。だが、たむろしている場所は見当がつく。山道の途中に仏堂と物置を兼ねた小屋があり、そこに人の気配があった。

 昼よりも数が増え、二十人を超えている。細川家の家臣らしい武士は三、四人で、あとは雇われた食い詰め者たちだった。彼らはこんな山の中で夜明かしする気はあるまい。今夜のうちに行動を起こすだろう。

 カナデは暗闇に乗じて、仲間から離れていた細川の家臣、夜盗をここでも二人、音も立てずに殺した。死体は山林の中へ隠した。武士たちはこの山寺に強敵がいるとは思いもよるまい。消えた連中は逃亡したとでも考えてくれればよし、様子が変だと警戒心を持たれたとしても、ここで少しでも敵の戦力を削いでおきたかった。

 しかし、何人もかたまっている真っ只中へ飛び込む危険は冒せない。細い身体を翻し、心釈寺へ戻る。冷たい風を頬に受けて、雨を予感した。

 女たちを庫裏に集めた。この寺を再建した時、甲賀の者たちが協力し、月華院の寝所には、万一にそなえた隠し部屋が作られている。そこから地下道に潜って、境内のはずれにある雑木林へ逃れることもできる。

「すぐ逃げられるよう、心づもりをお願いします」

「面倒じゃな。お前に外で始末してもらえばよかったな」

 いわれるまでもなく、やれるだけやったが、カナデは黙っていた。

 その夜、女たちは月華院の寝所とその隣室に床を並べ、作業着姿で寝た。カナデだけは刀を抱えて廊下に座り込んだ。雨音が外を叩き始めた。

 夜が更け、寝静まった闇の中、衣擦れの音が近づいてきた。千世だ。

「雨が強くなりましたね」

「はい」

 侵入者の足音は消されてしまうが、むしろ雨は歓迎だ。放火されにくいだろう。

「カナデ殿。休まぬのか」

「こう見えても休んでおります」

「月華院様をお守りするのが、そなたの役目なのか」

「あ。そういえば、何が私の役目なのか、誰からも一切いわれたことがありません」

 カナデは少しだけ思案顔となったが、すぐに振り切った。

「ただ、お側に仕えよ、と森家や伴家からいわれただけです」

「母は伴家の者ということじゃったが……、甲賀のおなごは皆、勇ましいのですか」

「私が生まれてまもなく、甲賀は中村一氏(豊臣政権三中老の一人)の支配を受け、甲賀武士と呼ばれた地侍は没落していきました。それでもしぶとく残ったのは、男も女も、勇ましいというより変わり者ばかりです」

「そなたの母は?」

「私が幼い頃に亡くなりました」

「左様か。月華院様が母がわりということか」

「千世様」

「何か」

「私のような山育ちでは月華院様の話し相手には不足。千世様におまかせします」

「私のような者でよろしければ……。干し柿作りなどではお役に立ちませんからね」

「一年もここにいれば、季節ごとの野良仕事も食べ物作りも覚えます」

 カナデの口調はどこか冷淡だが、千世は微笑んだ。この寺の一員として、長期滞在を認めたという意味に聞こえたからである。

 

 

 深夜にはさらに雨足が強くなった。その雨音に混じり、鳴子がざわめくのを聞き逃さなかった。カナデは女たちを起こし、

「逃げてください」

 隠し部屋へ促した。月華院は太刀をつかみ、

「彼奴ら、明朝まで待つといっていたが、夜討ちをしかけてきたか」

 戦う気満々だが、カナデはその背中を隠し部屋から地下道へと、力まかせに押し込んだ。ここから雑木林へ脱出すれば、その先に炭焼き小屋がある。とりあえず雨風はしのげる。

「昼までに私が迎えに行かなかったら、山を越えて、甲賀の奧ノ里へ逃れてください」

「昼? そんなにかかるのか」

 月華院は不満げに、いった。

 

 

 女たちを逃がすと、カナデは灯りをすべて消し、庫裏の闇の中に座り込んだ。外では男館の老臣たちと侵入者が打ち合う音が響いている。

 足音が近づき、縁側の障子が乱暴に開けられ、男たちが躍り込んできた。その瞬間、カナデは小太刀をふるい、先頭の男の腕を斬り落とし、二人目の喉を裂いた。

 男たちの絶叫と戸惑いの声が交錯し、大きな音を発して放屁し、脱糞する者もあった。それが血と混じり、猛烈な悪臭が炸裂する中、カナデは縁側へ転がり出て、陰影に隠れた。

 彼女の剣法は奇襲が基本だ。相手に構える余裕を与えず、正面から向き合っての果たし合いなどしない。また、斬るよりも刺すことを優先する。

 重傷者がのたうち回り、動揺している野武士たちが態勢を整えないうちに暗闇の中から手裏剣を飛ばす。相手が怯んだ隙に飛び出して、一人の脇腹を斬り裂いた。

 残る一人は悲鳴をあげて逃げ出そうとした。その背中へ小太刀を突き刺した。野武士が脱糞しながら倒れるのを見向きもせず、カナデは音もなく走った。ひん曲がった小太刀を捨て、用意した代わりの刀を手にしている。

 相手は集団戦の訓練を積んだ戦闘員ではないから、動きがバラバラだ。廊下でさらに二人、刺し貫いた。彼女が通過したあとには、断末魔のうめき声が充満している。

 雨が音を立てている庭先で、老臣と出会った。

「おお。カナデか。賊どもはどうした?」

「六人倒した」

「こっちも三、四人は倒した。だが、まだいるぞ」

「わかってる。火をかけられぬよう、見回ってください」

 敵の姿を探して境内を歩いた。絶叫しながら飛び出してきた一人を斬り伏せ、本堂の内陣で金目のものを物色していた一人を引き倒し、刺し殺した。血であたりを汚さぬよう、そのまま刀は抜かず、回廊から外へ蹴落とした。

 心釈寺には塔がないので、本堂が一番高い建物である。カナデはその屋根に上がった。ここには弓矢を隠してある。

 この高所から周囲を警戒し、雑木林の中に松明の火を見つけた。火は寺に近づけたくない。松明を的に見立て、矢を射った。人の姿は闇にまぎれているので、狙いようがない。執念深く三本射ったところで、向こうも気づいたらしく、火を消した。

 境内を見下ろすと、野武士どもが怒声を張り上げながら右往左往している。月明かりもない雨の中だから、姿はほとんど見えないが、彼らの頭上から矢を見舞ってやった。致命傷は与えなくてもいい。動きを封じ、戦意喪失させるのが狙いだ。逃げたらしく、そのうち、カナデの眼下に動くものの気配もなくなった。

 屋根の上でずぶ濡れの身体が冷えていく。それでもカナデは耐え、放火を警戒し続けた。便所へは行けないから、しかたがない、雨を幸い、垂れ流しだ。

 しばらくすると雨はあがり、東の空が次第に色を変え、夜明けが近づく。眼下に男館の武士が二人、三人と姿を見せた。いずれも疲労困憊して、地べたに座り込む者もいる。野武士たちはすべて逃げ去ったようだ。

 周囲が明るくなって、カナデは屋根を降りた。味方は誰もが負傷していたが、死者はいなかった。鎖を着込み、準備万端だったからである。

 敵の死体は十二。負傷者が三人。二人はすぐ絶息してしまったが、残る一人には手当てしてやり、彼らが雇われた野武士であること、その総数をも聞き出した。まだ残っている者がいる。

 人数を整えて、出直してくるだろうか。次は油断せず、復讐心を燃やして襲ってくるはずだ。

「様子を見てくる」

 着替えをすませたカナデを見やり、老臣たちは汚れた衣服のまま、苦笑した。

「追い討ちをかけるつもりじゃあるまいな」

 それはあちら次第だ。

「カナデよ。月華院様や女たちはどうするのだ?」

「安全を確かめたのちに迎えに行く」

「腹が減っておるぞ」

「皆、昼には寺に戻れる」

「いや、わしらだ。夜通し働いて腹が減った」

 のんきな男たちだ。普段、男館と女館は生活圏が違うので、食事も別である。カナデは台所から桶を抱えてきて、彼らの前に置いた。昨夜用意した握り飯と焼き味噌が入っている。

「お前は食わんのか、カナデ」

 そんな気にはなれなかった。幼い頃から心身を鍛えてきたが、生まれて初めて殺し合いを経験し、何人もの喉や腹を切り裂いた。じっとしていると、その手応え、悲鳴や悪臭がよみがえってくる。

「思い出すと、吐きそうか」

 老臣たちは笑い、血と埃で汚れた手で握り飯をつかんだ。戦闘経験だけは充分な男たちだった。