童子切り転生 第二回

童子切り転生 第2回 森 雅裕

 吉野義光はアパート四階のすべてを使って、家族で住んでいる。銘切り程度の仕事はここで行なうことがあり、そんな時は音が響くが、普段は静かな家族である。

 夕刻、三階に住む私の頭上で、破壊音と震動が炸裂した。何かを落としたとか叩いたという程度の騒音ではない。絶叫も轟いた。尋常ではない。

 家族が殺し合ったり、自宅に放火する時代だ。とりあえず、私は吉野の友人である。「気がつきませんでした」ではすまない。部屋を飛び出し、階段を駆け上がった。

 インターフォンを鳴らした。ドアの向こうが静かになり、私はノブに手をかけた。その瞬間、鉄のドアが弾けるように開いた。私は踊り場まで吹っ飛ばされた。身体が四つ折りに畳まれたかと思うような衝撃があった。

 吉野の部屋から何かが悠然と現われた。大男だ。長い髪を振り乱し、噴き上げる火炎のような眼光を放っていた。

 それは夢で見た鬼よりもよほど迫力があった。だが、こいつには角がない。人間だ。醜悪な容姿ではなく、むしろ美形だったが、人間の暗黒部分を集約したような表情が、それを台無しにしていた。

 私を一瞥し、その頬に笑いが走った。親愛の情ではない。見た者に一生の傷を残すような侮蔑の笑いだ。

 階段を降りていくその男の腕には、長い袋が握られていた。刀のようだった。私は声を発することもできず、見送るしかなかった。

 痛む身体が動くことを確かめ、私は部屋へ転がり込んだ。小型のブルドーザーでも通過したのかと思うような散らかりようだった。

「吉野お!」

 仕事場へ飛び込むと、彼は倒れていた。見た瞬間に、絶望的な気分になる姿だった。学生時代にはウエイトリフティングをやっていた男だから、立派な体格なのだが、背中が折れ、首が奇妙な方向へねじれていた。

 家族は留守のようだった。何が起こったのか不明だが、巻き込まれずにすんだのは幸運だ。

 警察、いや救急車か、と近くの電話機へ手を伸ばした。情けない話だが、番号を押そうとしても、指が震えて狙いが定まらない。

 視界の隅に、空気が揺れる気配があった。動いている。吉野の死体だ。折れ曲がった背中と首がガチガチと音を立てて修復され、不自然だった姿勢が人間らしい格好に戻った。彼は身を起こした。

「救急車なら無用だ。どうせ吉野は死んだ」

「何だ、どういうことだ!? 何が起きた!? 大丈夫か!?」

 吉野は手を上げて、私の叫びを制した。

「夢の中で会っただろう。あれは俺だ」

「はあ……!?」

「今は吉野義光の身体を借りているが、中身は違う。つまり、わかりやすくいえば、憑依した」

「吉野。頭を打ったのか。それとも、俺かな。そんな自覚はないが、やはり救急車を呼んだ方がいいかも知れない」

「俺がこの身体から離れたら、吉野は死体に戻る。それでいいのか」

「私は別にいいような気もするが」

「吉野の家族が悲しむだろう。それに、お前も友達をなくす」

「あんたの中身が変わったというなら、友達じゃない。……夢で会った?」

 今さら、私は言葉の意味に気づいた。

「夢の内容なんか、誰にも話した覚えはない」

「そうだな。多田神社まで一緒に飛んでいった夢だったな」

「あれがお前だというのか。鬼だったぞ。名前は……」

「茨木だ」

「酒呑童子の息子とも手下ともいわれる茨木童子か。目貫に彫られた鬼が実体化したというのか。へっ。さすがは名人春明が彫った目貫だ」

 なんだか、私は自棄になってきた。

「珍しいものが見られて、よかったよ」

「礼には及ばない」

「その人を食った態度は吉野そのものだぞ」

 口調が少々違うが、顔と声が同じなのだから、別人とは感じない。

「お前も小説家なら、もっと夢を持て。ロマンを理解しろ」

「ロマンだとお。この部屋を見ろ。棚はへし折れ、テーブルは真っ二つ、天井には血で濡れた足跡、壁はお前の顔の形にくっきりと凹んでる。夢やロマンなんて雰囲気じゃない。第一、茨木童子が吉野の記憶を持っていて、言葉遣いが現代的ってのは都合よすぎやしないか」

「今、吉野の記憶は俺の記憶でもある。パソコンでいえば、魂はOSだ。お前が使っている旧型マッキントッシュにたとえるなら、システムに関連した設定は、一部の情報は初期設定ファイル類に記録されるが、ハードウェアに関わる部分の多くはパラメータRAM──PRAMへと記録される。PRAMは一つしかないから、共有となる」

「はて。吉野は機械音痴だ。俺のパソコンが旧型マックであることもその仕組みも知らないはずだが」

「目貫が安綱の霊力に触れた時……」

「目貫が磁力で引っ張られるように動いたと、お前──いや吉野がいっていた、あの時か」

「俺の魂は自由になり、お前のパソコンに入り込んで、世間のことを勉強した。旧型である上に安物のマックだったが、とりあえず現代的な鬼となったところで、この部屋で大立ち回りが聞こえ、忌まわしき怨霊の気配を感じた」

「旧型だの安物だのと失礼な物言いだが……怨霊とは、飛び出していった奴のことかな」

 確かに人間離れした形相だったが。

「で、覗いてみたら、この有様で、吉野は殺されていた。この身体を借りたのはお前と話をするためだ」

「私と友達にでもなる気か」

「友達というより、利用しやすい人材かな」

「正直な奴だ」

 茨木と名乗った吉野は、洗面所を水浸しにして、身体の血を洗った。

「なあ、やはり病院へ行った方がよくないか」

 そういう私を吉野は睨みつけた。濡れた顔から蒸気が上がり、乾いた時には顔つきが一変していた。六十過ぎの吉野が全くの別人――二十代の美青年へと変化していた。

 私は腰を抜かしこそしなかったが、手近にあった消火器をつかんで身構えた。

「何だ、誰だ、お前!?」

「だから、茨木童子だとさっきからいっている。これが俺の本来の姿だ」

 髪を振ると、二本の角が突き出しているのが見えた。

「どういうことだ?」

「これが茨木童子の真の姿だ」

「吉野はどこへ行った?」

「本来の姿と吉野の姿はどちらでも好きに選べる」

「美形の鬼なんて、妖怪より気持ち悪いぞ」

「じゃあ、吉野に戻ろう」

 美青年の顔と体型が重力に引っ張られたように弛み、見慣れたオヤジの姿に戻った。

「信じてくれたか」

「超一流のマジシャンなら、それくらいやってのけそうだが」

 吐気がしてきたが、どういうわけか恐怖心はなく、好奇心が勝った。

「話は聞いてやってもいい気分だ」

「さすがは非常識な小説家だ」

「出会ったのが俺で感謝しろ。襲ってきた奴も、お前の同類か」

「鬼はあんなに野蛮ではない。奴は人間だ。ミイラ状態で眠っていたが、復活にあたり、元の姿を取り戻した。つい先日のことさ。奴が地下から飛び出す時に破壊した墓廟を見ただろう」

「夢じゃなかったのか」

「夢の形を借りただけだ」

「すると、あの大男は源頼光なのか!? 何でまた源氏の英雄が吉野を襲うんだ?」

「長いもの持っているのを見ただろう。童子切り安綱を奪っていった。頼光の愛刀中の愛刀。幕末に神社から盗まれ、江戸にあったが、安政二年の大地震に遭い、その火災で焼けて以来、神通力が減退していた。だが、吉野が再刃して生命を吹き込んだものだから、その霊波が頼光を眠りから覚めさせた。吉野義光という刀鍛冶はあたら名人であったがために、厄難を呼び寄せたな」

「頼光は愛刀を追いかけて、多田神社からはるばる東京まで飛んできたのか」

「さて。怨霊にしても鬼にしても、気持ちを飛ばすことはできるが、身体は飛べぬ。何者かの助けで移動したものと思うが……」

「童子切りがここにあるという情報も誰かが知らせたか」

「そもそも、頼光や鬼は童子切り安綱と引きつけ合う宿命にある。どこの刀鍛冶が再刃したのか、多田神社の関係者からでも聞き出したんだろう。頼光は人を意のままに操ることができる」

「人間的魅力で人を心酔させるのかな」

「魅力ではない。魔力だ」

「怒れる栗塚旭みたいな形相の男が刀なんか持って、ここから飛び出していったんだ。人目につきそうなものだが、運転手つきの車でも待たせていたか」

「かもな」

「変じゃないか」

「何だ?」

「人を操れるなら、吉野を殺さずとも安綱を奪えただろうに」

「それは俺も気になるところだ。頼光は見境もなく人を殺しはせぬが……」

「そうなのか」

「理由さえあれば、簡単に殺すが」

「お前、鬼なら、頼光を止められなかったのか。力自慢じゃないのか」

「ゾンビ野郎の頼光と違って、俺には実体はない。魂だけだ。誰かに憑依せねば、何もできない。一方の頼光は憑依はできない」

「昔はお前も実体があったのだろう」

「平安の頃には自分の身体を持っていたし、その後も転生したが、幕末の安政二年に焼けて灰になった」

「さっき、童子切りも安政二年の地震で焼けたといったが……」

「同時だ。魂だけは春明師のおかげで目貫に移ることができたが」

「河野春明と面識があったのか」

「お前や吉野に負けず劣らず、偏屈な人物だった」

「どうせなら、河野春明に蘇って欲しかったな。彫金の技について教わりたいことが山ほどある」

「気安く教える人物じゃなかったさ」

「そりゃまあ、歴史上の人物に憧れる奴は多いが、本人に会ったら、とても友情なんか生まれないイヤな野郎ばかりだろうな」

 吉野いや茨木は散乱した家具の破片をまとめ始めた。

「手伝え。吉野の家族が帰ってくる前に、ここをかたづける」

 こいつ、この事件を内緒にする気だ。家族が帰宅すれば、何もなかったではすまないほどの破壊ぶりだが、どう説明するのだろうか。

「警察には知らせないのか」

「警察が怨霊をつかまえてくれるのか」

「いや……。お前、その身体から離れたら吉野は死ぬといったな。じゃあ、もしかして、吉野になりすまして、ここで暮らす気か」

「とりあえず」

「そりゃ無茶じゃないか。憑依したというより身体を乗っ取ったことになるぞ」

「吉野が死ねば、困るのはお前だろ。家賃滞納で、たちまち追い出されるぞ」

「私のために吉野の家族をだます、みたいなことをいうな」

「頼光はお前の友人を殺した。放っておけまい」

「今ひとつ実感がないがな……。しかし、鬼と頼光、どちらが正義の味方だか、わからんな」

 部屋に飛び散った血痕は、吉野いや茨木が手を触れると、蒸発して消えた。吉野の身体にも傷は一切残っていなかった。

 この期に及んでも、何かのトリックという可能性はないかと、私は彼を観察しながら、いった。

「そもそも、鬼の伝説は被征服民を暗喩しているというのが民俗学者たちの解釈だから、頼光が悪者でも意外ではないが」

 酒呑童子は越後国砂子塚の城主の子と伝わるが、近江国伊吹山の神・伊吹大明神の子という異説もある。伊吹大明神はヤマタノオロチと同一とされる。出雲の古代製鉄を象徴化したのがヤマタノオロチであり、その尻尾から出た天叢雲剣(草薙剣)は被征服民の鍛冶技術を意味している。酒呑童子と結びつけるには、かなり時代の開きがあるが……。

 酒呑童子は為政者や京の人々には敵であり、妖怪、化け物の類だっただろう。しかし、酒呑童子からすれば、自分たちから土地を奪った仏教僧や、抹殺しようとする武将や陰陽師、その中心にいる帝の方こそが悪人なのである。

「理屈馬鹿のお前にいっておきたい」

 茨木は語った。

「童子は幼い頃に仏門に預けられた。長じて、大変な美貌ゆえ一方的に恋い焦がれて死ぬ娘があとを絶たず、居場所をなくして、各地の寺を流浪した。溜まりに溜まった恋文から煙があがって、鬼と化したという。女が勝手に熱をあげただけで、男が鬼にされてしまう理由があるか。一方の源頼光は山伏に化けて酒呑童子に近づき、歓待されている。それを裏切って、寝込みを襲うのが童子切り伝説だ。だまし討ち以外の何物でもない。どちらが非道かな」

「伝説だか史実だか知らないが、昔のことは俺には判断できないね。今のことが肝心だ。再刃した刀は協会経由で神社へ戻されるだろう。それも待てないほど、頼光が童子切りを求める理由は何なんだ?」

「頼光には探し物がある。その目的を果たすためには童子切りの霊力が必要なんだ」

「探し物とは?」

「俺に協力してくれれば、お前にも知れるさ」

「そこまでして知りたくはないが、どうやら頼光の目的とやらはお前にも関わりがあるようだ」

「ほお。小説家の勘だな」

「だが、刀は研ぎ上げて、拵に入れなければ実用に使えない。安綱は鍛冶押しされただけだぞ」

 茨木は柱を指した。深さ十センチほどの切り込み傷がある。

「奴が安綱を振り回した痕跡だ。奴が手にした瞬間、安綱は武器として生き返った」

 部屋をかたづけながら、私は床の間を見た。そこには太刀拵があったはずだが、空の桐箱が転がっているだけだ。

「ここに朽ち果てそうな年代物の拵が納まっていたが、頼光はそれも持っていったか」

「安綱の拵もまた新品同様に蘇った。頼光と安綱の霊力は相乗効果で強力になっている」

「あちらの霊力はポンコツを再生するというのに、お前の通力は部屋の掃除くらいしか役立たないのか。えらい違いだ」

 部屋の惨状は、ここで怪物が荒れ狂ったとは思えない程度には回復していた。このかたづけ上手には何より感心した。

「吉野とは喧嘩して別れたのが最後だ。彼が死んだというなら、後悔して感傷的になりそうなものだが、実感がない」

「外見が同じで記憶も同じ俺がピンピンしているんだから無理もない。しかし、パソコンにたとえれば、吉野義光というOSはすでに削除されている。性格も能力も違う」

「性格の悪さは変わらないような気もするが……。吉野は現代屈指の刀鍛冶だった。お前、その能力は持っているのか」

「鬼が人間以下ということはない」

 鬼は古代の製鉄業者や鍛冶屋を象徴しているという説がある。各地に残る鬼退治の昔話は大和朝廷による製鉄業者の征服、天下平定を伝説化したものである。鬼は悪者とは限らず、鎌倉初期の豊後国行平が鬼を弟子とした話など、刀鍛冶を助けた伝説も多々ある。茨木童子が刀鍛冶に変化しても、あながち的外れではない気もするが、吉野の家族は納得するだろうか。

「吉野の家族をだますことに私は加担できないぞ」

「嘘も方便だ」

「うわ。吉野よりさらに性格が悪いぞ。いっておくが、お前の口調は知的すぎる。吉野はもっと軽いからな。気をつけろ」

「まあ、すぐに違和感はなくなるさ」

 この場を立ち去るのは気がかりだったが、家族が帰ってくれば、口裏を合わせざるを得ない。その前に、私は逃げることにした。

「お前と頼光には長年にわたる因縁があるようだが、私を巻き込まないでくれ。では、失礼する。ごきげんよう」

 彼を残して、私は三階の自室へ降りた。

 鬼の目貫を取り出し、あらためて眺めた。茨木童子の脱け殻だとしても、何ら変わったところはない。しっかり彫られた名品だ。先刻、少しだけ茨木が見せた本来の美形に似ていなくもない。彫られた顔が右を向いているところを見ると、これは表目貫である。裏目貫はどうしたのだろうか。

 茨木の魂は安政二年の大地震の際に目貫へ移ったという話だったが……。

 私の部屋は小さな古本屋を凌駕する蔵書で埋まっている。資料を引っ張り出すと、この年には作者の河野春明は六十九歳。没する二年前である。

 安政二年の大地震は十月二日。元禄十六年以来の大地震といわれ、「頽たる家々より火起り、熾に燃上りて黒煙天を翳め、多くの家屋資財を焼却す」――江戸全市焦土と化し、死者は六千人とも一万人ともいう。

 吉野は読書などしない男だから、歴史にも疎い。彼の作り話とは思えなかった。では、やはり中身は別人いや別鬼なのか。

 あいつ、吉野の家族と夜を過ごすのだなと思うと、頭上の気配が気にかかったが、耳栓をした上からオーディオプレイヤーのイヤホンを突っ込み、完全に外の音を遮断した。

 吉野は本当に死んだのだろうか。あいつは本当に茨木童子なのだろうか。何一つ実感はなかった。

 翌朝になれば、何もかも元通り、何も変わっていないのではないか。そうも考えた。望み薄ではあったが。