「雙」第19回

雙 第19回 森 雅裕

四・天帝

 将軍への献上品をいきなり江戸城へ届けるわけにはいかないから、会津侯用人の加須屋左近を通し、保科正之には申し入れてあった。助広にしてみれば、左近に短刀を渡せば事足りるのであって、正之に拝謁する必要もあるまいと、人づきあいの面倒なこの男らしく、単純に考えていたのだが、

「茶でも点てよう」

 と、保科正之から使いが来た。

 助広は途方に暮れた。

「作法など知らぬ」

「知らねば教わればよいこと」

 まさのが道具を揃え、ひと通りを教えた。

「刀では助広殿が師匠。茶では私が師匠ですね」

「不肖の弟子を持つつらさがわかったかね」

 稽古には紀伊、尾張両家から拝領の由緒ある茶碗を使った。白戸屋が知ったら、天をも恐れぬこの師弟をまた嘆くことだろう。

 しかし、その白戸屋善兵衛は近所に祝いの餅でも配りかねない喜びようだ。

「会津中将様からお茶のお呼ばれとは、助広師をお世話した甲斐がございました」 

 鉦や太鼓で送り出される気分で、助広は短刀を携え、本所の寮を出た。会津保科家の家臣二名が案内についた。

 保科家上屋敷は江戸城西ノ丸下、和田倉門内にある。この一帯に建ち並ぶのは幕閣の執務用公邸であるから、城外や郊外の中屋敷、下屋敷に比べれば小規模なはずなのだが、穴蔵のような鍛錬場で生活している職人には、別世界であった。

 しばらく櫓門の脇の腰掛で待たされたあと、いくつかの門を抜け、書院で案内の侍がかわり、庭園へと案内され、路地をめぐり、松林に囲まれた茶室への門をくぐった。

 が、待合の床机の上で、また待たされた。風に乗って舞い込んだ天道虫が、助広の膝許を這っていく。そののどかさを砂利を踏む音が破った。助広は虫をそっと逃がしながら立ち上がり、足音へ向かって、頭を下げた。

「無粋な挨拶など無用」

 そういって、現われたのは、重厚な押し出しの侍だった。寛永寺の御前鍛錬献納式に列席していた顔だ。酒井雅楽頭忠清――。無遠慮に見つめることができる相手ではないが、芝居の悪党みたいな面相は強烈な印象を残していた。芝居に登場する「悪党」は必ずしも非道な人間ではなく、癖の強い者、硬骨漢として描かれるものだ。

 忠清は供侍たちを退け、待合へは一人で入ってきた。

「津田助広……」

「はい。会津中将様のお召しで、まかりこしました」 

「わしも呼ばれた。この顔ぶれで、どのような茶席になるのかな」

 会いたいとは思うていた、と忠清はいった。

「先日の誘いの返事を聞こう」

 酒井家の抱え鍛冶に、といわれていたが、助広にはあまり実感のある話ではなかった。何か肌の合わないものを忠清には感じている。

「身に余るお言葉をかけていただきましたが、私は大坂を離れたくございません」

 幕閣の忠清は領地の前橋へはほとんど帰らないから、お抱え鍛冶もそちらへ移住する必要はない。しかし、江戸に居続けることになる。

「大坂がそんなによいか」

「友人知人、一門の郎党がそばにいてくれてこそ、仕事にも張りが出ますゆえ」

「ほお。人を寄せつけぬ孤高の職方かと思うたが」

「滅相もない。ただ、気の合う仲間は少のうございます。だからこそ、離れ難きものと……」

「わかった。もうよい」

 忠清の表情、言葉にはやさしさなどかけらもないが、器量の小さな男ではなく、不機嫌な様子は見えなかった。

「まさの殿もその仲間の一人となったか」

「あ。日向守(酒井忠能)様と婚礼あそばされるとか。おめでとうございます」

「品川の伊達家下屋敷の花見に招かれた時、わが弟が見初めての。まさの殿もなかなか乗り気のようじゃ。かつては会津様の早世された御嫡男と約束があったまさの殿じゃが、余り茶に福ありというところかな。いや、余り茶とは無礼な物言いよな。日向はわしと違うて、なかなか優雅な趣味人で、二人の間には和歌、返歌のやりとりがあるとか」

「それはそれは……」

 何と受け答えしていいのか、わからない。酒井日向守が移封先の信濃小諸で酷政を行い、領民の大規模な一揆を誘発するのは後年のことである。

「伊達陸奥守様もお喜びでしょう」

 助広はしかたなくそういったが、その名を聞いた忠清の反応は、

「さてさて……」

 一瞬、皮肉混じりの苦笑を走らせたものの、それ以上の言葉はなかった。

(この人物は――)

 助広は直感した。伊達綱宗など眼中にない。閨閥作りの目的も綱宗ではない。仙台侯の領内に割拠する伊達一族のうち、交誼を結びたい有力者が別にいるのだろう。

 仙台伊達家の上級家臣には一門、一家、準一家、一族、着座、太刀上、召出という家格がある。これは近世の藩幕体制のもとでの伊達家当主の権力確立を妨げる要因であった。若い当主を差し置いて、傑出した血縁者が政治を牛耳ることになりかねないのである。

 伊達家重臣たちは老中首座・酒井忠清の屋敷に呼び出され、阿部忠秋、稲葉正則ら老中列座の上、綱宗の隠居が下命されたと助広は聞いている。忠清の手配りだろう。綱宗の後継者選びについては公儀の裁可はまだ出ていないが、これにも酒井忠清が暗躍していることは想像に難くない。となれば、まさのが忠清の弟に嫁ぐのを喜ぶほど、伊達綱宗は能天気ではあるまい。

「時に、おぬし。本阿弥光温とは不仲のようじゃの」

「いえ。そんな――」

「よいわ。彼奴のところで、朽ちた刀を見たであろう」

「……はい」

「銘は読めたか」

「いえ」

 と、答えておいた。

「まあ、よい」

 忠清の苦笑に吐息が混じった。信じていない。

 支度がととのいましてございます、と迎えが来て、茶室へ案内された。正之がいる。

「短刀が打ち上がったか」

 助広は包みを差し出した。

「本来なら、しかるべき箱に納めた上で、お持ちするところでございますが……」

 この日に間に合わなかった。仮鞘を包んだ錦袋もまさのが急いで縫ったものだ。

「よい。そんなものはこちらで用意する」

 短刀を抜いた正之は、穏やかな眼差しをその刀身に注いだ。

「重畳。上様もお喜びになろう」

 正之は助広を見据え、微笑んだ。酒井忠清が悪党の面相なら、保科正之は正義の二枚目だった。この男の夭折した嫡男もさぞ男前だっただろう。

「茶を飲んだら、すぐ帰りたいという顔じゃな」

「いえ。ただ慣れておりませぬので……」

「茶の席に慣れていないことが自慢か」

「は……?」

「そのように聞こえた。こうした席を通じての世渡りなどは嘲笑うて生きている、とな」

「滅相もございません」

 助広は狼狽した。心底、そんなつもりはない。保科正之には畏怖を抱き、こうして声をかけられるだけでも名誉だと感じている。しかし、自分でへりくだっているつもりでも、生意気だと嫌悪されてきたのが、助広のこれまでの人生だった。

「お気にさわりましたら、御寛恕を賜りますよう……」

「いや。うらやましく思うだけじゃ。お前は鍛冶の神以外には頭を下げずとも生きていける」

「左様なことはございません」

 一流職人の多くは高級武士、富裕商人の後援のもとで、生計を立てている。今のところ、助広にはこれという後援者はないが、現われてくれたら、頭を下げるだろう。

「かまわぬ。やたらと頭を下げるな。お前には似合わぬ。帰りたいじゃろうが、しばらくつきあえ」

 ようやく、正之は忠清へ顔を向け、

「お上への献上品じゃ」

 と、短刀を示した。忠清は手に取りはしたが、目許は無表情で、

「眼福」

 と呟き、正之へ戻した。素っ気なかったが、そのあとの言葉に助広は驚愕した。

「之定に見えるのお」

 和泉守兼定は室町中期から後期にかけての美濃を代表する名工である。その銘が、定のウ冠の下を之と切ることから之定と呼ばれ、華実兼備の名刀として賞翫にあつい。

「虎徹が御前鍛錬で献納した刀も之定のような出来であった」

 そうなのである。助広と虎徹は出発点がまったく異なり、のちの到達点も違っているのに、ともに之定を彷彿させる作刀が時として見られる。

 酒井忠清の両眼は節穴ではない。

「しかし、わしが今、興味あるのは振分髪のこと」

 予期せぬ言葉が出たが、

「そんな話は、一服なさってからじゃ」

 正之は茶を点てている。

 その手許を見つめながら、助広は息を殺していた。二人の権勢家の間にある空気の重さ――というより、痛さのせいだ。表向き、正之は幕閣から信頼され、親交もしている。しかし、政治家の友情が信用できるだろうか。

(雅楽頭様が振分髪に何の興味をお持ちになるのか――)

 辣腕の老中首座が刀剣に関心を持つとすれば、政治がらみということになる。

(なんで、俺がこんなことに関わり合うのや)

 助広は刀を作っていたいだけなのだ。御前鍛錬は得るものが多かったが、江戸へ来ることを熱望したわけでもない。政治は性に合わなかった。何人もの高級武家たちと言葉を交わす名誉に浴しながら、

(そもそも、なんで俺が江戸へ来たのや)

 そんなことさえ思った。が、それは愚痴や恨みではなかった。疑問だ。

(大坂からは二代国貞が来るはずやった――)

 それが助広にかわったのは、理由がある。その理由が、これなのではないか。ふと、助広は思い当たった。振分髪をめぐる政治に関わり合うために、助広は大坂から呼ばれたのだ。では、助広でなければならなかった理由は何か――。

「菓子を」

 促されて、茶菓子を口へ運んだ。落雁である。これまでに経験したことがない甘さだった。それを感じると同時に、まさのに食わせたいと考えていた。そこまで、まさのの存在が大きくなっている。

「助広」

 茶を喫し終えると、忠清が口を開いた。

「振分髪の写しを、二振りも作ったわけを尋ねたい。何故、この二振りの地鉄を異なるものとしたのか」

「それは、仙台侯のお屋敷で拝見いたしました振分髪そのままと、自分なりの振分髪と、それぞれを作りました次第」

「実見した振分髪の地鉄には、杢目に柾目が交じり、お前なりの振分髪には杢目に大肌が交じるということか」

「はい」

「しかし、お前本来の作柄では、詰んだ杢目ゆえ、大肌は出ぬはず。違うか」

 意外だった。忠清はまだ新人刀工にすぎない助広の作風を承知しているのか。

「作柄というものは、いつも同じとは限りませぬ。鉄の性質や鍛錬法のわずかな差異により、思わぬ肌が出ることがございます」

「思わぬ肌か、計算した肌か、それがわからぬわしの目と思うか」

「…………」

「何。わしごときは自慢するほどの刀剣目利きではない。しかし、お前は父の代から詰んだ杢目を身上としておる。大肌が目立つのは相州伝である。つまり、正宗の作とされている振分髪ならば、杢目に大肌が交じらねばならぬと考えてのことであろう。それがすなわち、お前なりの振分髪ということ」

「恐れ入ります」

「では、お前が実見した振分髪に大肌ではなく柾目が交じっていたのは、いかなる理由かな」

 返事を逡巡していると、

「かまわぬ。正直に答えよ」

 そう声をかけたのは正之である。

「お前なら、本音をいうと見込んで、雅楽殿も尋ねておられる」

「はい……。杢目は疵が出やすく、また研ぎにくいもの。その対策として、現今の刀工は折り返し鍛錬の回数を増やし、密な杢目を作るようになっております。しかし、鍛錬回数を増やせば、表面から剥がれ落ちる金肌も増え、折り返しの層が柾目となって、現われます。刃寄り、鎬地に柾目が出るのは、今出来の刀ということでございます」

「振分髪は鎌倉期の正宗ではないということか」

「あくまでも私見でございますが」

「会津様」

 と、忠清は将軍の叔父である正之を呼んだ。

「振分髪は伝来の確かな名刀でありました。それがいつのまにか、偽物とすり替えられたようでございますな」

 正之は涼しい表情を返した。穏やかな微笑さえ浮かべている。

 一方、忠清の眉根がきびしく隆起した。

「今出来とすれば、そのような偽物が江戸城に納まった経緯を会津様は御存知ではないのですか」

「左様。わしがお膳立てをいたした」

 あっさりと正之は認めた。

「酉年の大火後のことじゃ」

「何と……!?」

 忠清は噛みつきそうな目の色だ。

「振分髪は大坂の落城にも燃えずに残った霊器のはず。酉年の大火後、わしは宝物蔵の検分には立ち合うておらぬが、無事であったとばかりに思うておりました。それが、焼失したと申されますか」

「だとしたら、お上の御威光にもかかわることじゃな」

「そこで、振分髪の偽物を作らせたのですか」

「将軍家御用の康継は三代目がまだ若く、叔父つまり二代目の弟と家督を争っておる。康継に依頼はできかねた。しかし、越前という出身地で康継につながる刀工がおる」

「越前出の刀工は多いが……誰です?」

「長曽祢虎徹」

 あ、と忠清はのけぞるような仕種を見せた。

「では、虎徹に尋ねれば、振分髪は自分の作だと答えるのですかな」

「それは無理というもの」

「何故?」

「今の虎徹が本人ではないという噂は、雅楽殿もお聞き及びのはず」

「側聞ながら、虎徹の弟に入れ替わっておると……。しかし、真偽不明の噂じゃ、それは」

「では、その真偽のほど、ここにいる助広が答えてくれようぞ。大坂にいた頃の虎徹の弟――金工の興光を見知っておるそうじゃ」

 三善長道、加須屋左近を経由して、正之はそれを聞いたのだろうが、助広は困惑した。責任は持てない。しかし、忠清は尋ねるかわりに眉間に強い陰影を刻み、助広を睨んでいる。正之が水を向けた。

「助広。どうじゃ」

「は……。確かに大坂での面識はございますが、なにぶん、年少であった十年も昔のこと」

「今の興里虎徹と金工の興光とは同一人か否か」

「双子ということでございますから、似てはおりますが、それ以上のことはわかりかねます」

「それだけではあるまい」

 忠清が質問に加わった。

「巷では、伊達陸奥殿と仙台高尾とやらの隅田川での修羅場が取り沙汰されておる。そのことと何か関係があるのであろう」

 答を迷っていると、正之が励ますように、いった。

「お前が陸奥殿の近くにいたことは知れておる。仙台高尾などは荒唐無稽な作り話にすぎぬ。が、御船蔵に死体が浮かんだのは事実」

「はい……。興光師の妻の連れ子だった娘が吉原から救い出されたというのが真相。しかし、隅田川で何者かに襲われ、命を落としました」

「つまり、虎徹がその娘による面通しを恐れたと考えられるわけじゃな。噂話の真相など、そんなことじゃろうと思うた」

 むろん、一介の刀工の力で大名の船を襲えるわけはなく、黒幕が隠れているだろう。

「では、助広。虎徹の仕事ぶりを見て、不審に思うたことはなかったか」

「虎徹師は自らは鍛刀せず、弟子たちにまかせております。さすがに焼入れは本人が寛永寺の鍛錬場にて行ないましたが、殊更に名人とは見受けられませんでした。彫刻の腕は見事でございますが……」

「なるほど、ますますあやしい」

 と、忠清が割れたような声を響かせた。

「しかし、憶測にすぎぬ。本物の虎徹がすでにこの世におらぬという押種――証左でもあれば別だが」

「証左はある」

 正之はまっすぐに忠清を見据えた。

「虎徹はすでに死んだ。小伝馬町の記録にも残っておる。明暦四年(改元して万治元年)の春に山野加右衛門が首をはねた。調べられるがよい」

「何と!? 何故、斬首されたのですか」

「虎徹は、酉年の大火で大量に出た古鉄を拾い歩き、あるいは買い漁っていた。それが承応元年の禁令に触れたのじゃ」

「そんなことでは、死罪になりますまい」

「酉年の大火であふれた死体を使い、勝手に試し斬りをやっていた。大火の翌日夜半から大雪であった。そこで、半ば凍ったものも試した。日が経ち、腐り始めた死体も、骨は腐らぬといって、斬り刻んだ。死者の骨は固くなるそうじゃが」

「大火後のどさくさで、無法な輩があちこちに出没したことは覚えております。そういえば、そんな罰当たりな刀工の話も聞いた覚えがござる。しかし、何故に、会津様がそれを御存知なのでございますか」

「虎徹を死なせたのは、わしだからじゃ」

「何……と申されたか」

「振分髪を作らせるために、彼奴の古鉄の入手に便宜をはかるよう、わしが家中の気の利いた者に命じたこともある」

 その気の利いた家臣が、いざとなれば責任を負うのだろう。

「大火で罹災した江戸城宝物蔵の名刀の焼け身も分与した。が、以後も虎徹は焼けた名刀をしつこく求めてきた。応じねば、公儀から仙台伊達家へ里帰りした振分髪はおのれが作った偽物と明らかにする……と。その証が、刀に現われた柾目だと」

 虎徹はおのれの作だという証拠として、あえて柾目を出現させたのか。助広は愕然とした。そんな職人がいるのだろうか。本歌の振分髪に迫ろうと努力するのではなく、自分の利益を計算して、似てもいない振分髪を作って、よしとしたのか。虎徹はそんな刀鍛冶だったのか。信じたくない話だ。解ききれぬ糸のもつれとなって、助広の胸に引っかかった。

「身の程知らずの脅しをかけてきた虎徹は、奉行所へ引き渡した。死を命じたのはわしじゃ」

「表向きは古鉄を買い漁り、勝手な試し斬りを行なった罪、実は偽物作りの口封じのためでござるか。しかし、虎徹が裁きの場で、振分髪なる霊刀は偽物とぶちまける危険もござろう」

「自暴自棄となった罪人の世迷い言。誰も耳を貸さぬ」

 町奉行が判決を下せるのは中追放までで、重追放以上の言い渡しや判例のない事件は老中に伺書を出し、遠島や死罪は将軍の裁可が必要となる。逆にいえば、幕閣の意思で死罪が決まるのである。刑罰に関する成文法である『公事方御定書(御定書百箇条)』が作られるのは八代将軍・吉宗の時代で、それまでの刑の軽重は多分に情実がらみであった。

「虎徹が死罪となったならば、その一門が今なお鍛冶の看板を掲げているのはどういうわけでござるか」

「虎徹はかつて会津屋敷に出入りし、わが倅の余技を指導もした。その師匠が罪人とあっては、面子がつぶれる」

「だから、一門が興光を虎徹に仕立て、鍛冶を続けるのを黙認されたのですか」

 黙認などという消極的なものではあるまい。正之がそう仕向けたのだ。

「うむ……。刑死したとなれば、世間は理由を詮索するからの」

 虎徹の弟子たちは当然、師匠が作っていた振分髪の写しの件を知っているだろう。彼らを黙らせておくために工房の存続を餌に懐柔したのか。

「明暦四年すなわち万治元年には、虎徹はまだ無名。替え玉に辻褄の合わぬところがあっても、世間は注目せぬ。ただ、職人仲間に噂が流れるのは止めようがなかった」

「では、会津様」

 忠清の膝がにじり寄るように動いた。

「隅田川で興光の義理の娘とやらを襲わせたのも……。つまり、虎徹が入れ替わっていると知れれば、振分髪が偽物であることも発覚すると恐れてのことであるなら、それは……」

 保科正之の差し金ということになる。むろん、正之自身は認めまい。追及されるようなことになれば、家臣の首をいくつか差し出すだろう。首の勘定さえ合えばいい。それが武士の建前だ。

 しかし、奇妙ではある。口封じなら刑死ではなく辻斬りでも装って、虎徹を闇へ葬れば足りるではないか。それをしなかったのは、あくまでも一門を存続させるためとも考えられるが、それだけなのか……。 

 そもそも「お上の御威光」を守るために振分髪の偽物を作らせるという発想が、合理主義の職人である助広には納得しにくいことだった。そこまでして、刀剣を神品化する必要があるのか。

「奉行所と牢屋敷を調べてみます」

 忠清は大きな目をぎらつかせながら、いった。この老中がどうして一介の刀鍛冶の生死にこだわるのか、それもまた助広には疑問だった。

 

 まだ陽は高い。助広は本所横川沿いを歩いた。山野加右衛門の屋敷がある。

 しかし、屋敷近くまでは来たものの、門へ向かおうとはせず、ぐずぐずと付近をひと回りした。大人の男のやることではない。

 古道具屋が目に入り、行く先を決められぬ足をその中へ踏み入れた。目が向くのは、当然、刀剣と刀装小道具である。

 町中ではないから、ろくな品揃えではないが、端午の節句図の一作金具に気を引かれた。短刀用の小さなものだ。武家が庭先に立てる旗幟などを彫っている。町人が台頭し、遊び心が生まれる元禄以降ならともかく、彫金界に将軍家御用の後藤家が格式と勢力を保っているこの時代、こうした図柄は珍しい。もっとも、のちの時代の町人向けなら、鯉のぼりを彫るだろうが。

「お気に召したか」

 店の主人は上目遣いに客を見やった。

「この金具で拵を作って、坊やの節句に飾るといい。何なら、中身の刀身もお世話しましょうか」

 中身は自作できる。それに、坊やなど当分、持つアテはない。

「馬の目貫があると、いいんだが……」

「おお。坊やの干支は午ですか」