「雙」第4回

「雙」第4回 森 雅裕

  目を奪うといえば、刀身彫刻のヤニ台、無数のタガネなども作業机にのっており、倶利迦羅を彫りかけた脇差があった。不動明王を象徴する、剣に巻きつく龍である。器用なものだ。

「彫りはよくやられるのですか」

「得意だ」

 助広は不得手である。刀剣を飾る彫刻は宗教的なものに限られ、それを邪道とはいえないが、地鉄そのものが鑑賞に値すれば、彫刻など必要ない。それが刀剣の本質だ。助広はそう考えている。ただ、彫刻は創作的技術としては面白く、興味がないわけではない。

「南蛮鉄を使った刀では、固くて彫れまい」

 と、虎徹は指摘した。それも事実だ。南蛮鉄は和鋼よりも固い。

「虎徹師匠は、古鉄を卸して使うゆえにコテツと称されていると聞き及びましたが……」

「そうよな。そうした宣伝は必要だ」

 そのままでは刀作りに適さない鉄を一旦溶解し、吸炭あるいは脱炭させて鋼に変えることを卸し鉄という。虎徹はその技に長けている。

「虎徹師が五十を過ぎて、刀の修業を始められたにしてはお若いと、今日も噂する者がおりましたが、それも宣伝ですか」

「むろん」

 助広とは人種が違うようだ。

「武家ごっこを面白いとは思わぬのでな」

 刀鍛冶たちが大名のように官位を受け、国名を受領することをいっている。助広の「越前守」のような肩書きも宣伝のひとつといえるから、虎徹が彼なりの売名を工夫しても、侮蔑はできない。

 棚の隅に枡がいくつかあった。山野加右衛門が、虎徹も相手によっては飲むのかも、といっていた枡だ。

 むろん、枡の用途は酒を酌むだけとは限らないし、仕事場で酒を飲むわけもないから、何かの儀式にでも使うのだろうか。それにしては薄汚れている。

 助広は気づいた。一合枡だが、上部を水平に切り取られ、容量を減らしたものもある。となると、これは仕事の道具だ。

「師匠。止雨様が」

 弟子が声をかけた。客を案内してきた――というより、勝手に入り込んだ客があることを告げたのである。

 止雨、と呼ばれた男が工作場の入口に立っていた。虎徹と旧知の仲らしい。

「おお。今、大坂の同業者が来ているところだ」

「お会いしたことがある」

 と、その男は助広をまっすぐに見やった。お互い、あの日の雨の中で記憶した顔だ。

「止雨です。菓子師をやっている」

 菓子職人にしては、安倫――余目五左衛門をあしらった態度、風鈴作りの技に徒者ならぬ何かがある。

「今日は求肥餅(大福)を持参した」

「おお。さっそくいただこう」

 無邪気に喜ぶ虎徹に微笑を与え、止雨は助広を見やった。

「私は時々、ここの鍛錬場で、悪戯をさせてもらっています」

 それなら、風鈴ばかりでなく刀剣も作ることがあるのだろうか。

「止雨様は――」

 名目だけとはいえ、助広は朝廷から越前守を受領しているのだから、単なる町人でも職工でもないが、風格ある初老の菓子師には、言葉も丁寧になる。

「絵もお描きになるとうかがっていますが」

「この仁の描いた宝船ほど売れた絵はあるまい」

 と、虎徹。

「宝船……?」

「正月の初夢を願って枕下に入れる宝船だ。大伝馬町の書肆・鱗形屋孫兵衛にそれを売り出させ、大儲けさせてやったのが止雨殿だ」

「絵としては、つまらぬものだ」

 止雨は忘れていたような口ぶりだ。

「あれもこれも、悪戯のようなもの。しょせん、私はひとつを極めることはないのかも知れぬな」

 母屋の縁側へ三人が並んで腰を下ろすと、弟子が茶を運んできた。

 虎徹は、求肥を満足そうに口へ運ぶ。甘党らしい。

「酒はつきあいで口にする以外は、特に飲みたいとは思わぬ。目によくない」

 と、虎徹。助広は逆だ。つきあいで飲むのは気が進まないが、一人なら飲む。

「虎徹師は安定師と同門だとか」

「先代の兼重師匠のもとで、な。しかし、甲冑師あがりのわしは弟子というより客分だった。江戸の刀鍛冶には、将軍家お抱えの康継以下、兼重、安定、そして、わしと越前の出が多い。そのつながりで、多少の交流もある」

「安定師は奥州とのつながりを大切にしているようですが」

「山野加右衛門の仲介だ」

 止雨が、そういった。

「山野様が……?」

「あれはもともと仙台の出です。安定に仙台東照宮の奉納刀を作らせたのも山野殿だ。奉納刀の銘にもその旨がしっかり刻まれている。山野殿は安定の刀で多くの試し斬りを行ない、その名の流布につとめた。もっとも、彼ら二人がよしみを通じていたのは過去の話です」

 今は不仲なのか。加右衛門の生命を狙った余目五左衛門をかくまう安定だから、そうかも知れない。

 それにしても、加右衛門がもとは仙台伊達家の家臣ならば、かつての主家からの試し斬りを断わるものだろうか。いや、主家だったからこそ断わったということか。

「安定は山野加右衛門を金の亡者といっているだろう。何、山野殿は少々性格がねじけているだけだ」

「止雨様は山野様とは、どういう……?」

「客分といえば聞こえはいいが、実は山野家の居候だ。人斬り加右衛門の屋敷を訪ねる者などめったにおらぬ」

 首斬りではなく、加右衛門の呼び方は人斬りなのである。公儀の記録でも、そうなっている。

「おかげで、静かに暮らしている」

 この菓子師はただの町人ではない――。止雨は加右衛門を呼び捨て、もしくは「殿」で呼んでいる。同格もしくは目下に対する呼称だ。助広はすでに直感していた。武家か、それに近い学者の出だろう。もっとも、趣味の道は武家の次男、三男が陥るものと決まっており、親から勘当されて、師匠、親方と呼ばれる指導者のところへ居候を決め込む。珍しいことではない。止雨の場合は、それが山野加右衛門の屋敷なのだろう。もっとも、この二人はどちらが師匠なのか、わからないが。

「わしを山野様と引き合わせてくれたのも、この止雨殿だ」

 と、虎徹がたてつづけに求肥を口へ押し込んだ。

 助広も食った。うまい、といいたいが、感動が大きいほど、言葉は出にくくなる。かわりに、

「安定師のところで、虎徹師の作を拝見しました」

 そんなことをいった。

「江戸鍛冶の恥の見本として、ではあるまいな」

「古鉄銘で、絃唯白色……という長い添銘がありました」

「ふむ……。古鉄銘なら、明暦初めの作だな。今は虎徹銘を用いておる。その頃のものなら、野暮ったい片削ぎ茎であったろう。今はもっと垢抜けておる」

「どなたかとの相打ち(合作)ですか」

「鍛錬から、つきっきりで教えたが、要所はわしがやった。焼入れはわしではない」

「どなたですか」

「助広殿は銘が読めぬのか」

「…………」

 というからには、あの長い銘は人名ということだ。しかし、助広はそれ以上、訊く気を失った。工作場にあった枡の用途も尋ねなかった。

 縁側に座り込んだまま、母屋の座敷へ上げてくれる気配はない。助広は求肥を食い終え、辞去の言葉を探し始めた。

 すると、虎徹は軒下から風鈴を下ろし、助広の鼻先へ寄こした。

「お気に召したようだから、差し上げる」

 虎徹という男、親切なのか不親切なのか、わからなかった。

「止雨殿、おぬしの作だ。よろしいな」

「かまわぬ」

 止雨は何かを振り捨てるような話し方をする。眼光の強さを懸命に隠し、ここではないどこかを見ているようだ。

「ありがとうございます、止雨様」

「『様』はいけない。年長者を立てるお気持ちはありがたいが、せめて『殿』に」

 止雨は照れたように、いった。別れ際にそういわれたことは少々うれしかった。同格と認められたわけであり、また会おうという意味だからである。

 助広は風鈴を手許に鳴らしながら、別れを告げた。

 
 
 御前鍛錬の前々日。

 寛永寺の鍛錬場に道具類が搬入され、公儀が手配した炭も届いた。鍛錬用には、これを一寸(約三センチ)角くらいに切り揃える。

 刀工はそれぞれ複数の弟子を率いているから、総勢およそ二十人が鉈をふるい、炭切りに取りかかると、あたり一帯に猛烈な黒塵が舞い立った。

 付近に塔頭のない林に囲まれた空地を炭切り場としてあてがわれたのだが、その林全域がどす黒く霞んで、浮遊する炭塵が陽光にきらめいている。

「すごい眺めだ。こんなの初めて見た」

 助広の向かいで炭を切る肥前忠吉が、ぼそりといった。忠吉は切れ長の目に鋭さがあり、無口で、一見は近寄り難いのだが、一文字の唇がたまに開くと、人なつこい響きがある。もっとも、その口許は今、手拭いで覆われ、双眸だけが覗いている。

「役人も坊主も、皆、このあたりから逃げていった」

 刀鍛冶たちは落盤事故に遭った鉱山人夫のように、真っ黒になっている。こんな有様では表を歩けないから、境内に作られた風呂を使うことになっているが、使用後の風呂場の床や湯の色を見たら、寛永寺は金輪際、境内を刀鍛冶に提供しないだろう。

 助広はこんな場所で無駄口を叩く気にならないが、自分の手許を見ながら、いった。

「楽しそうですね、忠吉殿」

「新三郎でかまわん。橋本新三郎が通称だ。九州の熊でもいい」

「新さん」

 そう呼んだのは三善長道だ。

「汚れ仕事は楽しいよな」

 子供の泥んこ遊びと同じだ。雨降りのあと、わざと水たまりを選んで歩く。刀鍛冶という人種はそんな稚気の持ち主だ。

「役人や坊主ばかりでなく、蚊も逃げていって欲しいものだ」

 刀鍛冶たちをもっとも悩ませたのは、蚊の多さだった。

「まったくだ。そもそも、なんだって、夏に御前鍛錬をやるんだ?」

 火を使う鍛冶仕事は夏にはつらい。またこの時期の多湿は鍛錬する鉄の脱炭、酸化に影響する。もっとも、夏は熱が安定するので、鍛錬に向くという鍛冶屋もいるのだが、人間の方が耐えられない。

「この御前鍛錬が決まったのは、春の終わり頃と聞いている。俺たちは六月の初めに、ここへ集められた。急すぎると思わんか。それにな、もともとの予定は秋の九月だったらしい。それが変更されたんだとか」

 助広、長道、それに忠吉、若手三人がそんな話を交わしていると、

「津田助広殿はおいでか」

 役人に案内され、武士が現われた。 

「私です」

 助広は炭塵を散らしながら、手拭いを顔と頭から取り、立ち上がった。どういうわけか、長道もそうした。

「や。そのまま、そのまま。続けよ」

 いわれて、長道は炭切りに戻った。他の刀鍛冶たちも作業を続けているから、炭塵をかぶり、侍の衣服はたちまち黒ずんでいく。案内の役人は逃げ去ったが、この男は怯みもせず、

「保科肥後守家用人・加須屋左近と申す」

 悠然と名乗った。神経が太い。五十代後半というところだろう。

 保科肥後守正之は会津二十三万石城主。なるほど、保科家の用人なら、お抱え鍛冶の長道が挨拶をするわけだ。しかし、加須屋左近の視線は助広に向いている。

「お話がござって、まかりこした」

 刀鍛冶といえども、自分が炭切りの手を止めてしまえば、炭塵の中にはいたくない。助広は、

「とりあえず、ここを離れましょう」

 加須屋左近を風上へと促した。足跡さえ、見事に黒い。

「助広殿。御前鍛錬でどのような刀を作るか、指図を受けることは可能か」

「お上には、作刀についての御希望、御注文がおありだということですか」

「そうだ」

「それはその内容にもよります。地元を離れての仮設の鍛錬場では、何かと不自由もございますれば」

「たとえば、相州伝だ。正宗の写しを作れ、といわれたら……?」

「本歌があれば、姿形は同じものを作ることができますが、地鉄となると、手持ちがございません」

 大坂からは下鍛え済みの鉄を持参している。作刀はこれで行なうことになる。詰んだ杢目となるのが助広独自の地鉄で、素材は江戸鍛冶が使うものとは異なる良質の南蛮鉄である。御前鍛錬では、鍛錬の様子も披露することになるから、素材の南蛮鉄も持参しているが、相州伝には性質の異なる鉄を混入し、肌模様を出現させねばならない。

 むろん、助広はいつも南蛮鉄ばかりを使っているわけではなく、目的に応じて、様々な鉄を用いる。しかし、鉄の性質は一様ではないから、それぞれ試用、実験が必要だ。そればかりでなく、炭の性質もまた重要である。

「助広殿は備前伝丁子刃が本領かと思うたが、相州伝もお作りになるか」

「地鉄のめどがつけば……」

「わかった」

 加須屋左近は大きく頷くと、蹴るように踵を返した。

 今のところめどがつかないことが「わかった」にしては、軽やかな足取りだ。大体、将軍家の御前鍛錬で、どうして会津侯用人が現われるのか。

 炭切りに戻ると、長道が教えた。

「加須屋様は弓術では天下三射人の一人にあげられる名手だ。もとは紀伊様の家臣だったが、暇を出され、会津侯に迎えられた。あ、そういやあ、持弓頭兼奏者番という職名もお持ちだった気がする」

「左近」は通称で、後世では本名(諱)の「武成」で知られる。

「江戸屋敷で新規召し抱えの者があると、加須屋様が人物の鑑定をなさる。それほどの仁だ」

 高名な武士にしては若輩の助広ごときに物腰の丁寧な男だった。そういう人柄らしい。

「人物はわかったが、御前鍛錬との関わりがわからんな」

「この御前鍛錬の発案者が会津中将様だ」

 保科正之の官職は左近衛権中将。二代将軍・秀忠の庶子で、現将軍・家綱の輔佐役である。

「すると、夏に御前鍛錬をやらせる張本人だな」

 横から、忠吉が不遜なことをいった。

「その張本人から、助広いやさ甚さん、何か白羽の矢でも立てられたか」

「さあ。何か注文があるような口ぶりだったが……。どうして私なのか、それもよくわからんな」

 会津侯お抱えの長道に対する遠慮からそういったが、当の長道は気にする様子もなく、うそぶいた。

「御前鍛錬で、自分のところのお抱え鍛冶を贔屓するわけにもいくまい。それに不始末をしでかしたら、会津侯の家名に泥を塗ることにもなる」

 
 
 夕刻近くになると、炭切りを終えて、風呂へ向かう者たちもいたが、弟子を伴わない助広は切った炭の量も少なく、鉈をふるい続けていた。

「そろそろ仕舞いにせぬか」

 声をかけたのは、安定である。安定にしろ虎徹にしろ、炭切りは大勢の弟子たちにまかせ、姿を見せなかったのだが、傾きつつある陽差しの中に現われた安定の姿は、いやにすっきりしている。このまま、めでたい席にも出られそうだ。

「炭なら、うちの弟子どもに切らせればよい。早う風呂へ入って、さっぱりされよ。わしと同道してもらいたいのだ」

「……御用件は?」

「引き合わせたいお方がある」

「どなたです?」

「おぬしは……」

 安定は笑ったが、眼差しが醒めていた。

「生意気だと人にいわれるだろう、その口のききようでは」

「はあ……」

 当たっている。

「とにかく、道々、話す」

 江戸に来た以上、社交が繰り広げられることは覚悟していた。助広とて、世捨て人ではない。人脈を広げることも必要だろう。

 
 
 上野から谷中へ、無数の塔頭が密集する下り坂を西へと抜けながら、安定はいった。

「江戸で知り合うた刀鍛冶たちと、なかなかうまくやっているようではないか。長道や忠吉のように歳が近ければ、話も弾むだろうが、虎徹の仕事場にも行ったようだの」

 噂が走るのは早い。

「虎徹師が大坂にいた興光師とあまりにも似ているので、驚きでもあり、また懐かしくもありました。双子だということでしたが」

「そうか」

 双子と聞いても安定は驚きもしない。