「雙」第14回
「雙」第14回 森 雅裕
三・活発発地
寛永寺の鍛錬場に落ちる陰影の傾きや木々の青々しさから夏は少しずつ気配を消し、去っていく。
念のため、助広は二本の「写し」を伊達家屋敷にある「振分髪」と突き合わせ、寸法と反りを正確に仕上げた。さらに本歌同様、表に腰樋、裏に護摩箸を彫り込んだ。そのための樋センや丸ヤスリなどは長道、忠吉から借り、足りないものは安倫が調達してくれた。
その後、五人の刀工たちがそれぞれ打ち上げた刀は、刀鍛冶自身が行なう鍛冶押し(荒研ぎ)を経て、研師に預けられた。
本来ならば、どの時点で銘を切るかは、刀鍛冶によって異なる。鍛冶押し後に銘切りをすませる者もあれば、研ぎ終えたあとの場合もある。研ぎ上げて疵を発見することもあるのだ。
また、銘を切る前には茎に刀鍛冶それぞれ独自のヤスリをかけるのだが、あとから研ぎをかけると、この茎のヤスリ目と刀身の境目部分が砥石によってつぶされてしまうので、それを嫌う刀鍛冶もいる。今回の五人は下地研ぎを終えた時点で銘を入れた。ハバキ、鞘もこの段階で作られた。
そして、刀は小伝馬町牢屋敷へ持ち込まれた。火入れ式からひと月あまり。七月半ばを過ぎた。御前鍛錬の最終課題は試し斬り――つまり、実用試験だった。作者を明らかにするべく、この前に銘を切ったのだ。仕上げ研ぎは実用試験のあとということになる。
将軍・家綱の臨席こそないが、老中の一人が着座した。上州前橋城主・酒井忠清。この時、まだ三十七歳だが、屋敷が江戸城大手門下馬札に近かったことから、のちには「下馬将軍」とさえ呼ばれる門閥譜代である。こんな血腥い場には異例の登場であった。この男の周囲だけ、空気に別の色がついている。
「吝き雅楽心尽くしの豊後どの 江戸にはずんと伊豆ばよかろう」
権勢をふるう三老中の詠み込みである。雅楽は酒井雅楽頭忠清、豊後は阿部豊後守忠秋、伊豆は松平伊豆守信綱。江戸市民の好悪ははっきりしている。
その酒井忠清を中心に、腰物奉行、腰物方、町与力衆、徒目付衆、小人目付衆などの公儀役人が席を並べ、生半可な刀であれば試すことはできない雰囲気だ。
柳生兵助の顔も見えた。幕閣、幕臣の席から離れているのは疎外されたわけではなく、彼の性格だろう。
斬り手の山野加右衛門は、様場の準備を見回っていたが、刀鍛冶たちの席の前を通りかかると、
「助広殿は二振りを鍛えられたか。仕事熱心なことだ」
冷たく声をかけた。
「一方には、疵があるようだな」
柾交じりの杢目の方は細かく詰んだ地鉄で、無疵に仕上がったのだが、正宗らしい杢目の方は鍛え肌が出ている分、その肌目にそって、わずかな疵が生じていた。もっとも、欠点というほどの疵ではなく、それぞれの地鉄の目的が、きれいに作るか面白く作るか、異なるのだから、当然の結果ではあった。
「支度ととのいました」
同心が呼ばわり、加右衛門は奉行から刀を押しいただいた。斬り柄をはめ、肩衣の両肌を脱ぎ、土壇の前から一礼する。
試し斬りが始まる。土壇に横向きに据えられている死体には首がないためか、人間だという実感には乏しいのが、わずかな救いだった。この不格好な物体を人間だと認めるのは、精神衛生によくなかった。
まずは大和守安定の刀で、摺付けを両断した。摺付けは江戸後期には鳩尾(みぞおち)あたりを指すが、前期には肩の線をいい、肩胛骨など大きな骨があって、斬りにくい箇所である。それを一刀両断したばかりか、死体の下に敷かれた粉糠袋をも切断し、さらに下の土壇まで、刃が食い込んだ。粉糠袋は、刀が土壇まで斬り込んで刃先を傷めるのを防ぐために敷いてあるのである。それを突破するのだから、さすがに斬れ味を喧伝される安定だった。
死体をかえ、長道、忠吉の両刀も摺付けを見事に断ち斬り、粉糠袋にも途中まで斬り込んだが、土壇には至らず、列席する者たちの瞼には、安定の凄絶さばかりが焼きついている。
(けど、山野加右衛門は虎徹に肩入れしとるで。安定以上の刃味を見せつけようとするやろ。……どうやる?)
助広には疑問よりも期待が強い。
「お奉行」
加右衛門が役人席の中央へ向き直った。
「御前鍛錬の栄えある刀工たち五名、刃味すぐれて当然。粉糠袋まで斬り及んだところで評価にはなりませぬ。ここは、どれほど斬れるものか、それを試しとうございますが、お許しくださいますか」
事前に根回ししてあったのか、腰物奉行は異を唱えはしなかったが、最上席に顔を向けた。酒井忠清が無言で睨み返した。奉行が決めろ――。そういっている。
「やってみよ」
腰物奉行の許可を得て、加右衛門の門弟と役人たちが、肩から上を切り落とされた三つの死体を重ね、細紐で縛り合わせた。
(三ツ胴を落とす気か)
なるほど、摺付けなど斬ったところで、しょせん死体は一つだ。評価の目は内容よりも数の多い方へ向く。
虎徹の刀を手にした加右衛門が、土壇へ歩み寄る。鐔も特に重いものをつけていた。三ツ胴は高所から飛び降りつつ斬らねば刃が届かないから、台に乗る。もはや曲芸である。
しかも、死体の重ね方を見て、
(まさか――)
助広は衝撃を受けた。
通常、三ツ胴を落とす場合は二体を互い違いに腹這いで重ね、一体をその上に横向きでのせる。しかし、目の前にある下の二体は互い違いではなく、同じ向きだ。一番上は通常通り横向きではあるが、上下合わせて三体の腰のあたりが重なっているのである。
加右衛門が台から飛び、刀が振り下ろされた。狙いは諸車だ。のちには両車と表記される腰の部分で、骨盤があるから、ここも固い。三体の諸車をすべて両断して、刃は粉糠袋へ食い込んだ。
どよめきが起こった。神業であった。刀も、そして斬り手も。
最後は助広の刀である。もはや、誰も注目していない。これが、付け届けを怠った助広への加右衛門の仕打ちだった。
柾目の交じる一本が取り上げられた。短い脇差なので、柄を延長する。土壇の死体はそのままである。縛り直しただけだ。あざやかに三ツ胴を落としはした。が、斬ったのは本胴(のちには一ノ胴と称す)という胸と腹の境界線である。大きな骨はない。複数の死体を重ねた場合、これが通常なのだ。
試しの結果については、文書によって腰物方へ提出される。口頭でも、
「さすがにソボロ助広の後継ぎ。父にも劣らぬ業物」
加右衛門はそうはいったが、助広は目が眩むほどの憤りを覚えた。
しかも、腰物奉行に向かい、
「以上にて、試し斬りは終えてございます」
加右衛門は高らかに告げてしまった。奉行の前から引き下がる加右衛門と目が合い、助広の口から場をわきまえぬ言葉が出そうになった。その瞬間、
「何か、いいたいことがありそうじゃな」
張りのある声を飛ばしたのは、酒井忠清だった。癖の強い人相だが、目は笑っている。おかげで、助広は無礼を働かずにすんだ。
「いうてみよ」
「恐れ入ります。私の作刀がもう一振り残っておりますが」
「何と」
加右衛門は目をむいた。そして、周囲の誰もが息をのんだ。
「助広殿は二振りとも試されるおつもりか」
「いけませんでしょうか」
「他工は皆、一振りだ。おぬしだけが二振りを試すのはいささか図々しいというもの。ここにはそれだけの用意もない」
死体の数が余っているわけではない、といいたいらしい。公平か不公平かというなら、安定、長道、忠吉はそれぞれ一体の死体しか試していない。その点、曲がりなりにも助広の脇差一本は三体を重ねて試しているのだから、冷遇されたことにはならない。文句はいえないのである。しかも用意された三体とも肩、胸、腰と無駄なく斬り刻まれ、もはや斬る余地がない。それもこれも加右衛門の抜け目ない目算のうちだ。分断した手足のみを土壇に据えて試し斬りする方法もあるが、それではこの場の参列者は注目するまい。
気まずい空気を笑い飛ばすように、
「では、もう一振りはそれがしが試そう」
そういったのは、柳生兵助である。
「助広殿の一振りはわが主へ納められるもの。それがしが試しても、不都合はありますまい。――御奉行、いかがです?」
腰物奉行は再び、ちら、と酒井忠清の表情をうかがった。忠清が泰然と構えているので、奉行も首肯した。
加右衛門は突き刺すような声を兵助へ投げ返した。
「以前、お家流には死体を斬る法はない、といわれたはずだが」
「いかにも。死体は斬らぬ」
「では……?」
「そうよな……」
兵助は進み出ている。懐から巾着を取り出した。
「これを斬ろう」
銅銭である。土壇の死体――というより肉塊をかたづけさせ、粉糠袋も除けて、厚い板を敷かせると、その上に銅銭を五枚重ねた。
残っていた助広の刀を受け取り、視線を這わせた。
「刃は尋常のつけ方ですな。堅物を斬るには鈍角の刃でなければ刃こぼれするものだが」
そんな言い訳ができる場所ではない。
斬り柄は使わず、茎に布を巻きつけただけで、兵助は、
「杢目に大肌を交じえ……見事な正宗の写しだ。いや、写しを超え、本歌にまさるとも劣らぬ」
と、助広へ笑いかけながら、無造作に土壇の前で振りかぶった。ほとんど的の銅銭を見ていない。しかし、一閃した光芒はすでに土壇の上で止まっている。銅銭を置いた板には触れず、むろん、勢い余って土壇へ斬り込むこともなかった。何が起きたのか、咄嗟にはわからなかった。
銅銭は――。いくつかの破片が弾け飛んでいた。役人たちがそれを拾い集め、さらに土壇に残った銅銭を覗き込み、腰物奉行の前まで歩み寄って、報告した。それを受けた奉行は席を立ち、自分の目で、二つに割れた銅銭を数えた。
「見事。四枚を真っ二つにしておる!」
感嘆の吐息が周囲を包んだ。酒井忠清も満足気に頷いた。もっとも、当の兵助は刀を返し、すでに席へ戻っている。
「五枚重ねて、四枚斬るとは……。あと一枚は曲がってはおるが、ちと惜しかったな。板や土壇まで斬り込むまいと、力を加減したか。余分なものを斬らぬところはいかにも柳生殿。しかし、ちと手許が甘かったようだ」
奉行はしたり顔でいったが、兵助は涼しい表情で、
「刃こぼれもせず、よい刀です」
そういった。助広へ向けた言葉である。だが、それはむしろ兵助の凄腕を意味した。堅物はしっかり固定しなければ斬りつけた刀に刃こぼれを生じる。なのに兵助は銅銭をただ重ねて置いただけだったのである。
刀鍛冶の弟子たちは試し斬りという儀式の場に同席を許されず、控えの場所に集められていた。穿鑿所に隣接する薬調合所の隅である。まさのもそこにいた。男の群れに女一人、はさみ込まれている。
「どうでした?」
引き上げてくる助広を見つけると、むさくるしさから逃げるように席を立った。
「さすがは選ばれた刀鍛冶たちだ」
「じゃあ……」
「死体を斬り刻むのを目のあたりにして、誰も卒倒しなかった」
「試し斬りの首尾を尋ねています、私は」
「そんなことか。斬り手の腕がいいのはわかった」
「刀の斬れ味はどうであったのか、誰の刀が優秀であったのか、それを訊いているのです」
「知るものか。私が斬ったわけではない」
「師匠と話をしていると、何だか腹が立ってきます」
「変わった女だな、まさの殿は」
「……帰りましょう」
穿鑿所の前から表門が見える。その向かって左手に壁のように建っているのは表役人長屋である。
「手前の右手は拷問蔵だそうです」
そこは穿鑿所の区画とは練塀で隔てられている。
「こんなところとは縁のない生き方をしたいものです」
「そういういい方は縁のある人たちに失礼だ。誰だって、ここに入りたいわけではない」
この二人の会話はこれでも噛み合っている。そこへ、
「助広殿」
と、声をかけたのは虎徹である。例によって、真面目くさった、怒ったような表情だ。
「疵のある刀を納めるおつもりか。疵は彫り物で消すことができるが、今回は写し物ゆえに自由勝手な彫りもできなかったか」
今回、五人の中で、刀身に彫りを入れたのは助広と虎徹だけである。助広の場合は彫刻というより樋に近いものだが、虎徹はもっと手間をかけている。光線の加減があるので、屋外の仮設鍛錬場というわけにはいかず、法華堂に一室をもらって、道具を運び込み、虎徹は彫刻の技を見せたのである。時間がないから、梵字に羂索、護摩箸とさすがに凝ったものではないが、見事なものだった。
「あら。虎徹師匠が彫り物上手なのは、疵隠しのためですか」
まさのがあくまでもにこやかに、訊いた。さすがの虎徹もこの娘とはまともに向き合わない。
「助広殿は刀身彫刻は不得手かな。しかし、樋(刀身の溝)くらいは掻くだろう」
「今回は樋を掻きましたが、普段はあまり……」
「南蛮鉄は固いからの、削りにくいか」
「もともと自分の地鉄を掻き削るのは好みません」
「なるほど。きれいな地鉄をそこねたくないか。しかし、きれいな地鉄だからこそ、わずかな疵も目立つ。皮肉なものよ」
虎徹が他の関係者に呼び止められ、助広の前から離れると、入れ替わりに微笑を突きつけてきた者があった。試し斬りに同席していた研師である。男の微笑というのは気味の悪いものだ。助広の感想だった。
本阿弥光温。足利将軍の同朋衆に始まる鑑定と研ぎの家元十一代目である。今回、御前鍛錬で作られた刀の研ぎをまかされている。むろん、六本もの研ぎは光温だけでは間に合わないから、いくつかある本阿弥分家にも割り当てられているが、取りまとめ役はこの男である。折紙(鑑定書)の発行は本阿弥宗家の独占事業で、刀剣界の権力者といえる。
「研師は自分で斬ってみるわけではないが、研ぎあたり(砥石をあてた感触)から、およその刃味は推察できるもの。固く、しかも粘る鉄質の刀がすぐれておる。助広殿の作もまさにそれであった。大坂の刀は見栄えばかりで脆いという声もあるが、どうしてどうして、瞠目いたした」
「恐れ入ります」
「いかがかな。これより、拙宅へおいでになられぬか。大坂の話も聞きたい」
「はあ……」
同じ刀剣職人でも、刀鍛冶は身なりに無頓着だが、研師は洒落者という傾向がある。世に通じているといってもいい。
助広は刀鍛冶の御多分に洩れず、世に通じておらず、人づきあいも苦手だ。どうせ相手に好感を与えられない。そう思っている。しかし、誘いを断わる度胸もない。要するに優柔不断なのである。返事を決めかねていると、
「人見知りする師匠なんです。介添えがいないと、人気のない方へ歩いていきます」
まさのが笑いかけた。
「では、そちら様も御一緒に」
「そうですか」
まさのは屈託なく頷いた。人前では助広を差し置いたり、でしゃばることはしないまさのだが、今は虫の居所が悪い。が、表面だけは実にさわやかである。
「では、師匠。せっかくのお誘いですから、まいりましょう」
「む」
他人に指図されるのはむろん好まない助広だが、まさのに仕切られるのは気が楽だった。進路を間違える娘でもないし、息が合っている。助広には珍しい。それも、出会ってひと月あまりのまさのである。
試し斬りを終えた刀は、本阿弥家の弟子たちが恭しく刀箱へ納めて運び出した。このあと、仕上げ研ぎが施される。
入念な研ぎは、通常ならば下地と仕上げで十日以上かかる。献納式まで幾日もないから、本阿弥本家も分家も弟子たちを動員して、不眠不休の作業となる。
「振分髪の本歌は当家で研いだことがござる。助広殿といえど、さすがに正宗には及ばぬな」
光温は他人を誉めるばかりでなく、批判を交じえることで、優位に立とうとする男のようだ。
「どのような点が、でしょうか」
助広は訊いたが、不愉快だったためではなく、本阿弥家では振分髪をどのように見たというのか、興味があったからである。
「助広殿はムラなく鍛えてムラなく焼入れなさっておる。それは上手であるが、正宗はもっとムラがあり、それが刃中の働きや地刃の覇気となっておる」
「正宗の材料がムラなく鍛えては面白味の出ない鉄であったということです」
「材料の違いか。刀鍛冶は必ずそれを逃げ口上とする」
助広は論争する気はない。完成品についての研師の意見は拝聴するが、制作方法については、彼らは玄人ではない。
「振分髪を研いだというのは、いつ頃ですか」
「慶長の末であろう」
ならば、本阿弥本家九代の光徳の時代である。振分髪には光徳の折紙がつけられていた、とまさのは語っていたから、研いだのも同時だろうが、孫である光温は見ていないのだ。見てもいないのに、批評しているのである。
「光徳様は刀絵図を多く残されたと聞いています。振分髪の絵図もありましたか」
「ござるよ。光徳絵図については、写本もいくつか作られ、本阿弥各家や大名家の間に出回っておる」
つまり、振分髪の本歌が明暦の大火で焼失したとしても、写しの制作は可能ということだ。現在、伊達家にある偽物はそうして作られたものなのか。が、疑問はある。
「長さは当然として、身幅、反りなどの法量もそこには記してあるのですか」
「さて。覚えておらぬ」
そのような記録は普通ならしないことだ。
本阿弥光温の屋敷は、公邸、私邸、営業処などいくつかあるが、案内された神田永富町の拝領屋敷は、柿葺(こけらぶき)の長屋が塀がわりに建ち、庭も広くとられており、中級旗本屋敷の規模だった。仕事場も付属している。
「小伝馬町では、気持ちがいいとはいえぬものを見た。気分を変えてくだされ」
光温は酒をすすめた。
「酒は上方にかなわぬかも知れぬ。しかし――」
酒膳を運んできた娘を指した。
「わが娘でござるよ」
娘は深々と頭を下げ、名乗ったが、助広の目も耳も素通りした。人間関係にあきらめのよすぎるこの男は、どうせ縁はないと思っている。しかし、光温はそうではないらしい。
「本阿弥の出自はもともと京都だが、この娘は上方を知らぬ。幕府のみならず朝廷の御用もつとめる本阿弥としては、かの地に縁づかせようと思うてござる。研師よりも刀工へ嫁にやりたいと考えておる。いろいろと助け合えますからな」
古い刀剣の修理など、ある程度は研師がこなすのだが、手に余る場合は刀鍛冶の仕事となる。そうした協力者を求めているのだろう。
「なら、京都の刀工でございましょう」
「いや。大坂がよいな」
「はあ……。大坂はいささか離れておりますが」
「なんの。京都という町はもはや古いだけの脱け殻にすぎぬ。根を広げるなら、富裕な土地に限る。これからは商都大坂です。何かを生産するわけでもない江戸の武家がすたれるのも時間(とき)の問題。いずれ上方の商人が世の流れをつかむ」
将軍家御用のくせに不遜なことをいう。
「助広殿は御内儀をまだお持ちでありませんな。あ、そちらさまは……?」
光温はようやくまさのを見やった。もともと口数の少なくないまさのがここまで沈黙していたのは、弟子としての分際を守ったのである。こういう筋は通す娘だった。が、水を向けられ、口を開いた。
「仕事に打ち込んでおれば、女の方から寄ってくると考えているような世間離れした師匠ですから」
まさのはにこやかで、言葉に含んだ毒を助広以外に気づかせない。
助広が居心地悪く手元の盃を見つめていると、光温の娘が微笑んだ。
「そのような助広師匠ならば、ここへも仕事のおつもりで見えられましたか」
親ほど印象の悪い娘ではない。
「はあ……。何か、面白い刀を拝見できまいかと……」
通常、目にする刀は研ぎ上げられており、これはいわば化粧を施した状態である。しかし、研師のところでは、古名刀も虚飾を剥ぎ取られ、素顔をさらしている。もっとも、そうした刀は本阿弥が大名や金持ちたちから預かったものであり、余人に気安く見せてくれるとは期待できなかった。
が、
「なるほど。助広殿の勉学の助けとなるなら、一本くらいはお見せいたそう」
縁を渡って、仕事場へ案内された。庭先では、弟子たちが砥石を割っている。研ぎの仕上げに使う地艶を作っているのだろう。
仕事場はいくつかに分かれ、物置とも工作場ともつかぬ部屋と水仕事の部屋つまり研ぎ場がある。
研いでいる刀に微細な塵や埃が疵をつけることを恐れ、研師は研ぎ場に客を入れない。光温は仮鞘に入った一本を工作場へ運んできた。
「面白い刀を、と仰せられたな。名刀とはいわれなんだ」
助広は鎌倉期あたりの古名刀を期待したのだが、鞘の反りの浅さを見ただけで、新刃だと知れた。しかし、抜いてみると、古作よりも損傷がひどかった。
「しばらく放置されていたらしく、持ち込まれた時はひどい朽ち込みだった。なんとか見られるまでに研ぎ上げ、仮鞘も作った」
と、光温。