骨喰丸が笑う日 第一回

骨喰丸が笑う日 第1回 森 雅裕

 嘉永二年(一八四九)四月。

 浅草聖天町の裏長屋から出た葬列は異様だった。場違いな各界の名士たちが身なりを整え、粛然と参列した。

「名士」の中には固山宗次もいた。四年前に備前介を受領した刀鍛冶で、桑名藩の藩工である。数えで四十七歳になる。

 野次馬たちに見送られて、およそ百人もの葬列は浅草八軒寺町の誓教寺へ至った。棺桶に納まる遺骸は何度も改名した絵師だったが、最後は卍と号していた。一番知られた通り名は葛飾北斎である。九十歳であった。

 宗次は格別に親しかったわけではないが、転居を繰り返す北斎を年に何度かは訪ね、工匠として大いに触発されてきた。

「おう。備前介殿」

 と、近づいてきた老人があった。魚屋北渓。本業をそのまま画号に冠した絵師である。北斎は弟子を手元で育てることはなかったが、教えを請うべく出入りする者は多く、実数不明である。その中でも双璧とされるのが北渓と蹄斎北馬で、北馬はすでに五年前に没しており、北渓にしても七十歳で、画業からは引退している。

 宗次は墓地を見渡しながら、いった。

「たいしたものですな。裏長屋から出た葬列に、槍と挟箱を供に持たせた武士も並ぶなんて話、聞いたことがない」

「これでも参列したのは小物ばかりさ。師匠は名だたる大物たちとつきあいがあったが、いずれもすでにくたばっちまったからね。いや、あんたが小物という意味じゃないぜ」

「なぁに。こちとら、しがない刀工ですよ」

「そういや、あんたの住む四谷にもう一人、刀工が住み着いたようだな。なかなか評判のようだが」

「清麿という名前は聞いていますがね。見かけたことくらいはあるが、挨拶も何もない」

 北渓はもとは四谷鮫ヶ橋で魚屋を営んでおり、出雲母里藩の松平家御用達だった。今は赤坂に住んでいるが、四谷界隈の事情には通じている。

「北渓さん、清麿を御存知ですか」

「奴も師匠とつきあいがあった大物……いや、これから大物になりそうな奴の一人さ。ほれ」

 北渓は参列者の中に頭ひとつ突き出た長身の男を指した。

「清麿だ」

「ああ。見覚えのある男がいるなアと思った。こんなところにいるとは意外ですが」

 三十代半ばだろう。大きな身体を持て余すかのような猫背だが、顔の彫りが深く、目の光が強い。不思議な存在感を漂わせた男だった。もともと愛想がないのか、周囲に知り合いがいないのか、誰とも言葉を交わさず、宗次もまた自分の方から後輩の刀鍛冶に声をかけようとは思わない。

 宗次には気になることが他にあった。北斎の最期を看取った娘の栄の姿が見えない。

「ところで、葬列は立派だが、御身内の姿が見えないようですが」

 北斎の血縁者が参列していないのである。北斎は肉親の絆が薄い人物で、三女の栄だけが傍らにいたが、その彼女もまたどのような人生を送ってきたのか、知る者は少なかった。宗次にしても、栄とは当たりさわりない軽口を交わす程度の知り合いである。

「お栄さんは行方知れずだ」

「はあ?」

「北斎翁の葬式を弟子たちにまかせて、姿を消した。三浦の金沢へ向かったとか、いやいや加州の金沢だとか信州小布施へ流れたとか、噂は様々だ。まあ、もともと親父譲りの根無し草、風来坊だったが」

 北斎の代作をしてきたほどの画才を持つ栄だから、世話を焼く者もあるだろう。路頭に迷うわけではない。心配するのはかえって失礼な気もした。

 

 宗次には宗一郎と義次という息子がある。二人とも鍛刀の技は習得しているが、一心不乱というほど熱心ではない。特に宗一郎は惣領の甚六というべきか、のんきな気質である。

 その宗一郎が、北斎の葬儀から三か月ほど経った頃、四谷左門町の宗次宅へ外出から戻って、いった。

「伊賀町の方で、お栄さんを見かけましたよ」

 宗一郎は生前の北斎宅へ使い走りをさせていたので、栄とも面識がある。

「間違いねぇのか」

「はい。秋葉稲荷の境内で、鷹がカラスの死骸を食っているのをじーっと見つめてました。まあ、珍しい光景ではありますが、夢中になるほどでもないでしょう。妙な人ですな」

「お前も森羅万象に感興を得るように心がけろ」

「……で、挨拶も交わしました。親父殿によろしくね、とおっしゃってました」

 宗次は首をかしげた。

「何で四谷に来たんだろう? このあたりに俺以外の知り合いがいるのかな。秋葉稲荷といったな」

「そうです。あのあたりに住んでいる奴といえば……」

「いるそうだなあ、刀鍛冶が」

「はい。清麿ですな」

 北斎の葬儀に参列していたくらいだから、清麿が栄と知り合いでもおかしくないが。

「清麿が四谷に越してきて、どれくらいになるかな」

「うーん。およそ五年ですかね」

「それで御近所付き合いがないというのも妙な話だな。行ってみるか」

「え?」

「清麿の住まいだよ。稲荷界隈で尋ねりゃ鍛錬所はすぐわかるだろ。近所迷惑だし煙突が立ってるし」

「親父殿も物好きですなあ」

 宗次はすでに名声が定まり、彼の作刀を求める客は各藩重役、旗本などの高級武士が多い。清麿は下級武士や武張った「冷飯食い」の武士を主な客層としており、刀鍛冶としての格式には差がある。

 しかし、宗次は好奇心が強い。生きているうちに見られるものは何でも見ておこうと心がけている。人に対しても同じだ。

 この嘉永二年は宗次も清麿も弟子事情が微妙な年である。後世に名を知られる高弟たちが門下にいない。宗次一門については、宗明は家業の鉄砲鍛冶修業中。宗寛は嘉永四年の入門と銘鑑などに書かれているが、それより前の嘉永初年に下総古河藩の藩工となったとする記載も見られる。刀剣書が孫引きを重ねるうちに誤記や矛盾が発生したものか。

 清麿一門については、正雄、正直、正俊は清麿が正行銘だった頃からの古参だが、信秀は嘉永三年の入門。清人は嘉永五年の入門である。清麿は天保の末に江戸を離れて萩に駐鎚するなど、流浪生活のためか、弟子が空白になっている時期がある。それにしても、刀はいかなる天才でも一人では鍛錬できないから、協力者はいたはずであるが。

 宗次は宗一郎を伴い、四谷伊賀町を歩いて、苦もなく清麿宅を探し当てた。

 小役人の組屋敷の片隅である。清麿は武家の支援者があるようだから、その仲介で住んでいるのだろう。正面には人の気配がないので、横手から入ると、そこは商家の裏口のような土間と板の間だった。

 そこに二十歳ほどの娘が座っていた。宗次たちを見るなり、 

「掛け取りなら、うちが先だよ」

 と突き放すように、いった。

「お前さんは?」

「升酒屋」

 酒の小売商である。

「出入りの升酒屋がいるとは……清麿という奴は酒飲みなのか」

「きちんと払ってくれりゃ、私の身なりがもっとよくなるくらいのお得意様だよ」

 顔つきは可愛らしいが、言葉は蓮っ葉だった。

「お前、升酒屋の使用人ではないのか」

「看板娘だよ。法蔵寺横丁の旭屋。あんたは?」

「掛け取りではない。固山宗次という。清麿とは同業だ。口をきいたことはないが」

「ちょいと!」

 と、娘は奥に声をかけた。たいした声量だ。

「コヤマなんとかいう同業者が殴り込みに来てるよ!」

 のっそりと仕事着の若者が現れた。あまり優秀そうではない。

「師匠は留守です。殴り込みですか」

「それはそっちの出方次第だ。師匠が留守なら、弟子は不意の訪問者をどのように扱う? さっさと追い返すのか」

「はあ……。ええと……」

 途方に暮れる弟子を無視して、娘は宗次を手招きした。

「せっかく来たんだ。一杯飲んでいきなよ」

 彼女も飲んでいる。酒ではなく茶だが、庶民は白湯を飲んでいる時代だから、ささやかな贅沢ではある。しかも、大福という茶菓子つきだ。

「おい、茶碗を出しな」

 と、娘は清麿の弟子に命じた。

「はい。ええと……」

 もたついているので、娘は勝手にそこらの棚から茶碗を取り出した。

「もういい。あんたは庭掃除でもしてなっ」

 蹴り出すように弟子を追い払い、娘は手早く茶を淹れた。まるで自宅のようだ。

「清麿さんはね、江戸から出奔したり、腰が落ち着かないから、弟子も長続きしなくてね。気の利いたのがいませんのさ」

「お構いなく。勝手に見たいものを見せてもらう」

 土間の隣に作業場らしい板の間がある。仕上げ途中の刀が何本か置いてあった。研ぎ上げてないので、出来はわからない。一本だけ、彫刻を施した短刀があった。鍛冶押しは終えている。これから研師に回すのだろう。宗次はそれを取り上げた。

 この段階でも、互ノ目丁子が崩れた刃文、激しく流れる金筋は見える。表の彫刻は地蔵尊だ。あまり福々しくはないが、なかなか風格ある仏の顔つきだ。裏には梵字が彫られていた。茎には「応鏤骨 為形見」の銘がある。

「宗一郎。これを見ろ」

 振り返ると、宗一郎は娘と世間話で盛り上がっている。

「宗一郎っ!」

 呼びつけて、短刀を彼の眼前に突きつけた。

「茶と大福なんかでよく話がはずむものだな」

「まあまあ、親父殿」

 宗一郎は短刀をためつすがめつ、光にかざした。

「なるほど。面白い出来だ。それに……何やら意味ありげな銘ですな」

「鏤骨」とは苦心して作ったという意味なのか。そして「形見」だが、この時代には死者の遺品ではなく「記念」という意味合いが強い。

「清麿は彫刻もやるのかな」

 升酒屋の娘に訊くと、

「それはないね。せいぜい樋を掻くくらいさ」

 そう答えた。彫刻は弟子や専門職にまかせるのだろう。

「ふうん。お前、なかなか清麿の作風には通じているらしいな」

「五年もこうして通ってるからね」

 宗次は踵を返した。

「帰るぞ、宗一郎」

 娘は座り込んだまま、宗次親子をのんびりと見上げた。

「何だ。もう帰るの? 短刀の出来映えに感心して、尻尾を巻くのかい」

「ふん。もし清麿がそう考えるようなら、たいした奴じゃねぇやな」

 捨てゼリフを残し、外へ出た。武家地と寺社地を分ける横丁を抜け、町人地となっている表通りへ出る。すでに初夏の気配があった。

 宗一郎は大福を頂戴してきたらしく、食いながら、いった。

「ありゃあ、備前の土置きに相州の焼入れですね。ああいう掟破りを喜ぶ数奇者もいるんですなあ」

「好みは人それぞれだよ」

「そういや、注文銘は依頼主の名を入れるものですが、あの短刀にはありませんでしたな」

「お前はどこを見ていたんだよ。ちゃんとあったじゃねぇか」

「はあ……?」

 

 数日後、宗次の屋敷に升酒屋の娘が現れた。

「注文の酒を持ってきたよ」

 宗一郎が注文したらしい。娘は大柄な男を従えていた。意外なことに、清麿だ。一升入りの徳利を二つもさげている。升酒屋ではこうした貸し出し用の通い徳利で酒を量り売りする。

「私は帰るけど、この人、せっかく挨拶に来たんだから、仲良くしてあげてね」

 娘はさっさと背を向けてしまい、清麿はぎょろりと眼光を放ちながら、徳利を宗次の前に置いた。

「先日は留守をして……どうも」

 それが清麿が宗次に放った最初の言葉だった。宗次よりも十歳の年下である。それなりに礼は通しているつもりだろう。

「お得意さんに荷物運びをさせるのか、あの娘は」

「なあに、どうせ俺も飲みますから」

「まだ昼間だがな」

 宗次は仕事着のままで、台所脇の小さな座敷へ清麿を招き入れた。茶碗に酒を注ぐと、清麿は水でも飲むように干してしまった。

 この男の評判は芳しくない。郷里の信州小諸を飛び出したのも遊蕩が過ぎたからだという声がある。本人を目の前にして、なるほど噂は嘘ではないようだと宗次は実感した。しかし、興味深い人物だ。

「あの日、宗次さんが来るとわかってりゃ膳の支度くらいして待ってたのに」

「約束もなしで乗り込んだこっちが礼儀知らずなのさ」

「まあ礼儀知らずなのは、俺もこうして押しかけてきたし、お互い様だが……。せっかく来てくれたなら、俺の帰りを待ってりゃよかったのに」

「それほど暇じゃねぇし、俺が留守中に訪ねたと知れば、こうしてこっちに来るだろうと思ってな。来ないようなら、どうせ付き合う値打ちもない奴だ」

「何か御用でしたか?」

「お栄さんの消息が気になったもんでな。お前さん、会ってるんだろ?」

「加賀の金沢へ行くとおっしゃってました。前田家の重臣のどなたかに呼ばれたようで」

「お前さん、北斎親子とは親しかったのかい」

「宗次さんほどじゃないと思いますが」

「俺は作刀の注文を受けるほどじゃなかったぜ」

「ああ。うちの仕事場にあった短刀を御覧になりましたか」

「応鏤骨為形見という銘があった。応為の文字が入ってる。ありがちな注文銘のようだが、お栄さんの画号が織り込まれている」

 栄の画号「応為」は北斎の号のひとつ「為一」にあやかったとか、北斎が「おーい」と呼ぶのをそのまま号にしたとか、由来は定かではない。

「お栄さんからの注文打ちか」

「ええ」

 研ぎ上がるのを待たずに金沢へ行ってしまったのか。仕上がったら受け取りに来るのか、それとも送り届けるのか。いずれにせよ、職人には納期など気にとめない横着者も少なくないから、栄が待つ気にならなかったとしても当然だが。

「あの短刀、地蔵尊の彫りがあった」

「それもお栄さんからの注文でさあ」

「お前さん、彫刻はやらないそうだが」

「ああ。彫りをやってる暇があれば刀作りに力を注ぎます。彫刻はそのへんに転がってるうまい職人に頼みゃいい」

「そのへんに転がってるもんかね。うまい職人が」

「たとえば、栗原謙司ってのが転がってる。もとは鏡師だが、彫刻が巧みだ。そのうち正式な弟子にしようかと思っていますが、今は客分みたいな形でうちに出入りしてます。普段はアサヒのところの居候でさあ」

「アサヒとは?」

「会っているじゃありませんか」

「はあ?」

「升酒屋ですよ。あれがアサヒです。屋号も旭屋だ。栗原謙司は旭屋の離れに住んでおります」

 そういえば、通い徳利には「旭や」と大書してある。

「あの娘に頭の上がらぬ男が何人もいるようだな」

「なかなかの武勇伝の持ち主ですからな。日本橋にある酒問屋の娘だが、十歳の時、強盗が押し入り、主人に白刃を突きつけた。すると、父は一家の柱ゆえ殺すなら私を、と強盗の前に立ちふさがったんですな。感心した強盗は金だけ奪って退散したという。これを聞いた町奉行が、大人も及ばぬ健気な振る舞いであると褒美を与えた。そんなしっかり者だから、親戚が四谷に出した升酒屋をまかされている」

「人は見かけに……よるものだな。ところで、ここへ来たのはあの娘の配達をただ手伝ったわけじゃあるまい。何か面白い話でも持ってきたんじゃねぇのか」

「古参の弟子は独立したんだが、今年になって、二人も若い弟子が逃げてしまいましてね。出来の悪い奴だけが残った」

「面白くなるんだろうな、その話」

「俺の技を盗むために間者みたいなのを送り込んでくる刀鍛冶が多いんだ」

「間者? 大時代なことをいうもんだな」

「間違いねぇ。同業者どもは俺の才能を妬んでる」

 清麿は何人かの有名刀匠の名をあげた。

「これまで、奴らの息のかかった若い者が何人も入門してきやがった」

「その証しとなるものはあるのかい」

「刀鍛冶連中はどいつもこいつも、どこかで俺とバッタリ出会っても、挨拶もしやがらねぇ。敵視してる証しだよ」

 自分も無愛想なくせによくいえたものだ。こいつは病気だな、と宗次は感じた。だが、才人に被害妄想の傾向があるのは珍しいことではない。宗次はたいして気にとめなかった。

「そこで宗次さんに頼みだが、先手をお借りしたい」

 地方の鍛冶屋や同門の鍛冶屋なら人手を貸したり、代作など融通し合うこともあるが、宗次と清麿はほとんど初対面である。

「おいおい。俺もお前の技を盗むかも知れねぇぜ」

「宗次さんは今さら何かを盗もうとは思わねぇだろ」

「俺だけじゃなく、他の刀鍛冶だって、各々がやりたいことをやってるんだ。他人と自分を比較して、足を引っ張ろうとか技を盗もうとか、考えてる暇はないと思うがなあ。それとも、お前は他人の技が気になるのかい」

 刀鍛冶に必要な技術などたかが知れているのである。肝要なのは「感覚」とか「勘」というもので、それを磨かなければ、技術だけ盗んでも意味はない。

「宗次さんが俺の作を見て、さっさと帰ったのは、尻尾を巻いたわけじゃねぇ。俺の手の内を読んだからだろう」

「ほお。なかなか殊勝な心根も持っているんだな。お前、もともと備前の伝法をやっていたろう」

「そりゃまあ、浜部の系列ですから」

「備前から相州へ転向するのはむずかしいことじゃない。古くは助広がそうであり、今は細川系列の左行秀もそうだ」

「つまり、備前の大家である宗次さんにも相州はできる。俺にやれることはあなたもやれる」

「おだてたって、沢庵くらいしか出ないぜ」

 宗次はブツ切りにした沢庵を清麿の前に置いた。

「それから清矢が……」

「誰?」

「出来の悪い弟子だけが残ったといったでしょうが」

「ああ。あの、ぼうっとした……」

「清矢は腕は悪いが人を見る目はある。宗次さんをよさげな人だと感心してましたよ」

「ふん。殿様やお大尽にほめられたならうれしいが、小僧ではなあ。まあ、近所のよしみだ。弟子は貸してやるよ。奴らにも勉強になるだろう」

 夕刻になり、清麿は辞した。狷介な人物なのだが、宗次は不思議にも一緒にいて疲れなかった。しかし、

(あいつ、永くねぇな。身を滅ぼす目つきをしていやがる)

 傾いていく西陽の中で、独りごちた。

 それ以降、息子の宗一郎と義次、弟子の宗有を清麿のところへ手伝いに行かせた。一人ずつ交替であったり、二、三人一緒だったり、その時その時で違ったが、彼らが帰ってきて漏らす感想は、清麿の技量よりも生活に関するものが多かった。

「感心しませんな。朝から酒浸りだ。あれじゃあ作る刀も出来不出来の差が激しいと思いますぜ」

 宗一郎は悲しげに呟いた。そして、しみじみと吐息をついた。

「しかし、地鉄は強い。刃は柔らかく地は硬く、鋼が持つ力を極限まで引き出してる」