童子切り転生 第五回
童子切り転生 第5回 森 雅裕
翌朝、私は依吏子に電話をかけた。
「昨日、お前が使っていた帯留だがな、茨木が見たいというんだ」
「なくなっちゃったわよ」
「あ?」
「昨日、おとうさんたちと別れたあと、一旦、帝都ホテルへ戻って、着物や私物は家へ持ち帰ったんだけどね、帯留だけ見つからないのよ」
「ホテルでなくしたのか」
「そうみたい。他のものは無事だから、泥棒にしちゃ妙だし、私がどこかに置き忘れたか、落っことしたか……」
「そうじゃない」
盗まれたのだ。茨木と同じものを追跡している奴がいる。そいつはあのホテルで、依吏子の着物姿を見たのだ。
「なあ。パーティに栗塚旭みたいな迫力ある目鼻立ちの男は出席していなかったか」
「クリヅカアサヒ……。誰? それ」
「いないよなあ……」
頼光がそんな場所へ出向く理由はなさそうだ。依吏子に興味を示していた出席者といえば――。菊尾曜一郎の人を見下す笑いが浮かんだ。文化庁長官がホテル荒らしをするとも思えないし、彼は依吏子が着替える前にホテルを出ている。第一、部屋には鍵がかかっているのだ。それを破る特技も持つまい。
しかし、頼光なら人心を意のままに操れるという話だから、ホテルの従業員に解錠させることも可能だ。すると、菊尾から頼光へ依吏子の帯留の情報がもたらされ、私たちが銀座で食事中に、頼光がホテルへやってきたということなのか。あのゾンビはあの界隈に潜んでいるのか。
では、菊尾は頼光とつながっているのか。しかし、両者にどういう因縁があるのだ? 両者をつなぐ者がいるはずだ。
多田神社の頼光廟が破壊されたという新聞記事を思い出した。あれが頼光の復活だった。その場に文化庁長官がいたという話は伝わっていないが、所蔵刀の調査に赴いていた人物の名前が載っていた。鯉墨寿人。風前の灯火となっている帝国芸術刀剣保存協会の利権理事だ。
電話を切った私はアパートの四階へ駆け上がり、吉野の部屋のチャイムを鳴らした。顔を出した茨木を、家族をはばかり、踊り場まで引きずり出した。こいつ、もちろん吉野の姿だった。
「ショックだ」
いきなりそういうので、何事かと思ったら、
「ネットを見ていたら、大阪の茨木市じゃあ、茨木童子が三頭身のマスコットキャラクターになってるのを知った。イメージダウンもいいところだ」
そんな愚痴をこぼした。むろん、私は取り合わなかった。
「おい。安綱の再刃は協会の鯉墨が仲介したんだったな」
「そうさ。だから、あいつが頼光とつながっているのかも――」
「協会は文化庁から嫌われているとはいえ、鯉墨はいろんな交渉をしているから、菊尾ともつながっている可能性がある。つまり、鯉墨が頼光と菊尾を結びつけた」
「何の話だ? 菊尾って誰だ?」
「協会へ行くぞ。急げ」
「何だ。行かないといっていたじゃないか」
「事情が変わった。道々、話す」
帝刀保こと帝国芸術刀剣保存協会の所在地は代々木。高砂からは東日本橋で乗り越えて、初台まで行くことになる。
ラッシュ時は過ぎていた。車内で携帯を使ってわめき立てている阿呆がいて、茨木が冷たく睨んでいるので、
「おい。小便垂れ流しで車内を駆け回らせたりするなよ。周囲が迷惑する」
とりあえず、制止したが、
「そんなことはしない」
茨木は爪先をドライバーがわりに、手摺りのパイプをつないでいるビスを抜き、それをレーザービームのごとく弾き飛ばした。阿呆の手から携帯が落ちた。五、六メートルは離れていたが、ビスは携帯を砕いていた。
阿呆は呆然と破片を拾い、何が起きたのか理解できず、小声で文句をいいながら、周囲を見回した。ズボンの中では少量を垂れ流したかも知れない。
私はその醜態から目をそむけ、茨木との会話を続けた。
「鯉墨が頼光の手下となったなら、長年の眠りから覚めた時代ボケの頼光が、どうやって移動したのかもわかる。鯉墨に兵庫の多田神社から東京まで案内させたんだ」
「だろうな」
「頼光も例の目貫を探しているんだろ」
「そうだ」
「奴一人じゃ手が足りないよな」
「まあ、童子切りがあれば、俺や舞琴を引き寄せるから、人海戦術で探し回る必要はないが、人手は必要だろうな。頼光の手先となった連中はアンテナみたいなもので、彼らが目貫と出会えば、頼光に伝わる。霊波を送受信するんだ」
「菊尾が目にした帯留は、たちまち頼光にキャッチされるということか」
「だから、菊尾って、誰なんだ? 帯留がどうかしたのか」
「文化庁長官。刀剣界とも無関係ではない」
「ああ。吉野の記憶にもそんな名前があったかな」
「昨日のセレブのパーティとやらに出席していた。依吏子の帯留に目をつけやがったんだ」
「依吏子って?」
「みやび心華の本名だよ! 伊上依吏子!」
「あー。なるほど……って、おい、帯留が奪われたのか!?」
「頼光は、例の目貫がどんなものか、知っているのか」
「春明師の弟子の協力で、おそらく下図を見ている。俺と舞琴を『成敗』した時、俺たちの思念にある目貫をイメージとしてとらえたことも有り得る」
「となると、それらしい金具を手当たり次第にチェックするわけか。あの帯留が目当ての目貫とは限らないな」
「何度いわせるんだ。童子切りと俺や舞琴は引き寄せ合う宿命だ。その刀を頼光が持ち、奴が張った網に目貫が引っかかるとしたら、それは偶然ではない。必然だ」
茨木は真剣だが、もともと吉野の顔は真面目な表情には向かない作りだ。不思議な違和感があった。
「ところで、お前の娘の帯留、どういう謂れがあるんだ?」
「知るか」
彫金をやっているくせに熟視もしなかった。そんな暇があれば、それを身につけている人間の方に視線を向ける。めったに会えない娘なのだ。
母親も大学の卒業式で身につけていたが、これまた同じ理由で、着物の中身にばかり気をとられていた。
「お前の嫁は名家の出だったな」
「名家かどうかは知らないが、鎌倉の旧家だ」
「なら、帯留は由緒ある伝来品ということも有り得る。覚えてるか。春明師には鎌倉に友人がいた、といったよな」
「ああ。いやな予感がしていた。河野春明の作なら、せいぜい百数十年。由緒ある伝来品ってほどのものじゃないけどな」
「そこに宿る魂は平安以来千年以上の古さだぞ」
「舞琴が現代に蘇っても、そんな年寄りじゃお目にかかりたくないな」
「幕末に死んだ時の実年齢なら、舞琴は若いままさ」
「待てよ。お前と舞琴の身体は火災で灰になったんだろ。舞琴が蘇れば、誰かに憑依するのか」
「誰かの身体を借りるか、あるいは……」
「何だ?」
「生まれ変わるか、だ」
ますます、いやな予感が強くなった。
代々木のマンション群に囲まれて、帝国芸術刀剣保存協会、そして付属の刀剣博物館が建っている。
「何だか、傷だらけの車があるぜ」
茨木は目がいい。駐車場はいささか離れているが、通りすがりに、そこに停められたGT-Rの惨状に気づいていた。
「ああ、あれか。鯉墨自慢の車だ。傷だらけなのは、奴に恨みを持つ連中が年中やってきては釘で引っ掻いたり、蹴飛ばしたりするからさ」
「車は持ち主の鏡ってわけだな」
博物館とはいっても、展示スペースは二階だけだ。茨木はそちらへ足を向けた。
「この霊安室みたいな雰囲気は……展示室か。ちよっと見ていこう」
「寄り道するな」
「何やら感じるんだ」
売店を兼ねた受付係は、私たちに見向きもしなかった。茨木の通力のおかげだかどうか。普段もエラソーな客はフリーで通してしまう受付なのだ。
展示室に陳列してあるのはほとんど刀剣だが、奥に小道具や資料が並んでいる。茨木は迷うことなくその前に直行した。
三寸角ほどの彫金版があった。鬼の面を手にした女の図だ。先日、図録で見たものだ。
茨木は視線で穴をあける気かと思うほど、凝視している。
「春明師の作だな」
「ああ。千早姫の図かとも思ったが、それなら大森彦七の逸話が劇化される明治以降でなきゃおかしいよな」
「舞琴だ」
「これが?」
「春明師は娘の姿を彫ったんだ。鬼の面を持っているのは鬼族の血筋であることを暗喩している。目貫もこれと同様の姿に彫っている。面は持たないが」
「ふう……ん」
「これはこの協会の所蔵品なのだな」
「刀剣、刀装具、それに関係資料のコレクションは日本で唯一無二だ。もっとも、研究したいと申し込んでも、簡単には見せてくれないがね」
銅板のようだが、黒っぽい。山銅だろう。私が入手した鬼の目貫と同様である。
「探している舞琴の目貫も山銅なのか」
「目貫とこの彫金版は同じ素材から作られている」
「上州雙林寺で調達したという山銅だな」
いわくありげではあったが、今は鯉墨を「襲撃」する方が優先だ。
「行くぞ」
階段で、鯉墨が勤務する三階へ上がった。
理事の席にふんぞり返る鯉墨は異常なほど血色がいいが、肛門から空気を送り込んだ蛙を連想させる体型だった。この巨大な腹で、どうやってGT-Rに乗り込めるのか、謎でさえあった。私は秘かにメタボ・ガマと呼んでいた。こいつを見ると、人類は鬼族よりも下等なのだという気になる。
「お。吉野さん」
メタボ・ガマは茨木をそう呼び、落ち着きなく机を叩いた。
「困りますよ、預けた刀を盗まれるなんて」
いつもニヤニヤと薄笑いを浮かべている男だが、今回はそれと交互に怒りの表情も見せた。しかし、どうしても笑う癖が出る。小心者だった。
「吉野さん。多田神社へ行って、土下座でもしてください。私は知りませんよ。責任とりませんからね」
「ふん。最初からそのつもりだろ。頼光に刀を渡すなら、協会や神社から盗まれるより、俺が盗まれた方が、お宅らの責任問題にならない。だから、俺が襲われた」
「何いってるんですか、吉野さん」
「俺には謝る必要なんかないってことさ」
茨木の言葉が悪くなっている。鯉墨は我々を見下そうと懸命に薄笑いを作っていたが、顔色は赤くなったり青くなったり、まるで信号機だった。
「へへ。ライコーって、何ですか」
私が答えた。
「あんたが東京まで案内し、文化庁長官にも引き合わせた、源頼光のことだ」
「へっ。あの、童子切りの持ち主の、平安時代の頼光ですか」
「文化庁に愛想尽かされて、協会は存続の危機だ。あんたは頼光と菊尾長官の仲を取り持つことで、保身を図った。菊尾の力を借りて協会の再建を図り、それが駄目なら、あんただけでも再就職先を斡旋してもらおうって算段だろう。そして、菊尾は頼光の力を借りて政治的権力を拡大しようというところかな」
「いかれてる。あははははは」
笑い声は長続きしなかった。茨木が指一本で鯉墨の胸を小突くと、彼はメタボな身体を折り曲げ、激しく咳き込んだ。
「げほげほげほげほ。息が、息が……」
「俺がここへ来たのは謝るためじゃなく、お前を拷問するためさ」
「……あああ、その態度の悪さは、お前、吉野じゃないのか」
茨木はニタリと笑った。吉野の顔のままだが、唇の両端から牙が伸びた。
「えっ。うわっ。そうか。お前が茨木童子か!?」
「おや。有名だな、俺も。頼光から聞いたか」
「極悪の女たらしの単細胞の鬼だと」
「……拷問はやめて、バラバラにしてやろうか」
「待て待て。待ってください。訊きたいことがあるなら、拷問なんかしなくても大丈夫ですっ。ハイ、おっしゃる通り、頼光様と菊尾先生はお仲間です。僭越ではございますが、私がお二人の中継ぎをさせていただきました。私の努力です。いやー、苦労しました。あははははははははははははははは」
鯉墨は、笑っているうちはこの窮地から逃避できるとでも思ったようだ。いつまで息が続くかなと放っておいた。次第に声も細くなり、必死で笑い続けようとしたが、
「は、は……はあ。ゼエゼエゼエ……」
青息吐息となった鯉墨に、私は冷たく声をかけた。
「あんたが彼らにとっての重要人物なら、当然、頼光の居所を知っているよな」
「ら、頼光様に何の用が……?」
「昨夜、帝都ホテルで、菊尾は帯留に姿を変えた目貫に目をつけた。そいつが頼光の手に渡ったはずだ」
「ああ。パーティがあったようですね。伝統文化の関係者が出席していて、愛刀家も多かったはずです。私も行きたかったですが、こっちの協会の人間は今はおとなしくしていろと菊尾先生がおっしゃるもんで……。ええと、帯留というと?」
「会場には宝塚の生徒も数名いた。そのうちの一人が着物の帯留を盗まれた。それを取り戻したい」
「目貫とか帯留とか、それが、あんたと何の関係が?」
「被害者は私の娘だ」
「へへ。吉野さんも母里さんも奇人変人とは思っていたが、吉野は鬼になっちゃうし、あんたもいよいよ毒が回りましたか。娘さんも奇抜な人なんでしょうね」
私は鯉墨へ向かって踏み出した。鬼よりも凶悪な人相となっていただろう。胸倉つかんで、怒鳴った。
「メタボのガマ野郎! てめえが自分にそっくりで可愛くて可愛くてたまらんといつも自慢している孫たちを呪われたガマの化身として、本名で小説に書いてやろうか! ええええ!」
どうせこいつの孫の名前など知らないので、書きようもないのだが、茨木があきれ顔で、私を押しとどめた。
「人間というのは鬼より凶悪だな。よせ。俺が調べる」
茨木が笑いながら鬼の形相となり、角が生え、唇が耳のあたりまで裂けた。私だって恐ろしいのだから、鯉墨はたまらず悲鳴をあげ、腰を抜かした。
茨木は、ドアへ這って逃げようとするガマ男の衿首をつかんで、引きずり戻した。
「俺がこいつに乗り移って、記憶を探ればすむことだ」
「助けて!」
そう絶叫しようとしたメタボのガマ男だが、茨木に背中を踏みつけられると、声はくぐもってしまい、人間の言語にはならなかった。
茨木はしばらくこの醜悪な人類を見下ろしていたが、何の変化も起きなかった。そのうち、恐ろしい鬼の形相は吉野の姿へと戻ってしまった。
「茨木。どうした?」
「鯉墨に憑依できない……」
「どういうことだ?」
「わからん。この吉野の身体を離れられないんだ」
鯉墨が茨木の足の下から這い出て、再びドアへ向かおうとした。
「お前ら、わけのわからんことを――」
悪態をつこうとしたその時、ドアが開いて、さらに険悪な空気が割り込んできた。
「こ、こいずみぃぃぃ!」
若い男が現われ、叫びながら、何やら振り回した。鯉墨は咄嗟に背を丸めて避けたが、何度も打ち据えられた。
「死ね死ね死ね、こぉいぃずみぃ!」
一番近くにいた私は制止せざるを得ない。男を抱き留めた。手にしていたハンマーが落ちた。
「何だ、どうした!? 何やってる!?」
「この協会のせいで、こいつら悪党のせいで、俺の夢が、俺の夢が――」
鯉墨の仲介で偽物の日本刀でもつかまされた恨みが爆発したのかと思ったが、そうではないらしい。
「俺は刀鍛冶の弟子だ。協会の不正のせいで、文化庁は今年の研修を取り止めた。この試験にそなえて、こちとら五年も修業してきたんだ。他人の人生、踏みつけにしやがって!」
刀鍛冶になるためには、刀匠のもとで五年以上の修業を積み、文化庁が主催する研修(実技試験を含む)を終えて、作刀承認を得なければならない。従来、その研修は年一度、島根県横田町に帝国芸術刀剣保存協会が設立した鍛刀場で行なわれていた。講師は刀匠団体である全日本刀工会から派遣されるが、その刀工会も文化庁も帝刀保と絶縁したため、研修が中止になってしまったのである。
職業訓練者のチャンスを奪うという、裁判沙汰になったら文化庁も困るだろう一大事件であるが、マスコミはまったく黙殺した。大衆はこんな事件に興味を示さないからである。
「同情するが、チャンスはまたある。来年も中止ってことはないだろう。文化庁も何か考えるはずだ」
「作刀承認がなきゃ刀を作れない。生活できない。貧乏暮らしの親の援助で、修業してきたんだ。また一年、犠牲にはできないっ」
泣き出した。
茨木は冷たく笑った。
「いいじゃないか。鍛えたハンマーを鯉墨にふるえ。鯉墨だけが悪人というわけじゃないが、ここは代表してもらおうぜ。帯留のありかも知らないなら、助ける価値もないし」
「駄目だ」
私はハンマーを拾い、茨木に渡した。
「鍛冶屋のハンマーを人間相手にふるうなど言語道断だ。ただの棒っ切れなら、かまわんと思うが」
「なるほど」
茨木はその怪力で、ハンマーから鉄の頭を引き抜き、柄だけを若者に返した。
「こいつで思う存分、殴れ」
鯉墨は涙声で抗議した。
「あ、頭おかしいぞ、お前ら、け、警備員を呼ぶぞ。協会は警察の天下り先でもあるんだぞ。私は警察に知り合いが多いんだ。手を出したら――」
男は柄を振り上げて、鯉墨に迫った。鯉墨は泣き顔をちぎれんばかりに左右に振った。
「御免なさい、いいすぎました。母里さんっ。お願いします。このチンピラを止めてくださいっ!」
「これまでの協会の悪行の数々を洗いざらい懺悔しろ。そしたら、許してもらえるかも知れんぜ」
鯉墨の身体の至るところを若き刀鍛冶志望者は乱打した。
「ぎゃっ!」
悲鳴のあと、鯉墨は猛烈な早口で、まくしたてた。
「ハイハイッ。私ども家族名義の審査物件に最高ランクの鑑定書をつけました。刀屋と結託して、偽物や安物にも鑑定書をつけ、売りまくってボロ儲けしました。調子に乗って、九州の刀鍛冶に偽物を量産させました。協会創設以来、倉庫に眠っていた無登録の刀七百本のうち、ほんの二百本ばっかし横流ししました。告発した職員に背任の濡れ衣着せて、クビにしました。つけ届けのない職人はコンクールで賞を与えませんでした。すみません、すみません、でも、私一人の仕業じゃありません。協会まるごと甘い汁を吸い続けました。それで儲けるといっても、年に二、三百万円ぽっちです。ボーナスみたいなもんですよ。そんなに目クジラ立てることじゃありませんっ。ね、そうでしょ!?」
懺悔ではなく自慢に聞こえた。
「協会ほど刀剣界に貢献した団体がありますか。たたら製鉄を復興し、刀鍛冶に玉鋼を供給して、材料不足から救ったでしょうが。恩知らずどもめ。インチキ鑑定書を濫発したなんていうが、協会の鑑定書があったからこそ、素人の骨董屋やブローカーでも刀剣の売買ができたんです。業界活性化のために必要だったんです。ちょっと疑わしい刀剣に鑑定書がついていると、協会はデタラメだの無責任だのと非難する連中がいるが、本物の可能性もある刀剣を偽物だと難癖つけて葬る方がよほど傲慢だし、犯罪的だ。悪いのは鑑定書を発行する協会ではなく、利用した業者です。愛刀家だって、損得抜きで刀が好きなんて奇特な奴は滅多にいない。友達を出し抜いて入手した刀を高く転売しましたとか、二束三文で掘り出した刀に帝刀保の審査で鑑定書がつき、ガッツポーズしましたとか、下世話な自慢話しかしない俗物ばかりだ。昔の本物の愛刀家は趣味の道で儲けるのは不名誉だといって、自分が買った値段より高くは手放さなかったものだ。だが、文化は金なり。それが現実だ。とはいっても、人間は金のためだけには動かないものなんだよ。協会にも正義があるんです。非難するのは利権にありつけなかった負け犬の妬みですっ」
この確信犯は一気にまくし立てた。こいつなりに鬱積したものがあったようだ。
私には、この建物の空気を吸うのもうんざりだった。
「盗っ人にも三分の理だな。ま、人間、自分が悪いことしていると自覚したら、生きにくいよな」
若者は馬鹿馬鹿しくなったのか、ハンマーの柄を捨てた。
私も、もうこのガマ男の醜態をこれ以上、見る気はない。
「理事殿。おしゃべりはもういいから、頼光の居場所を教えろ」
「知らない。菊尾先生に訊け。いや、訊いてください。あ、私は重要人物ではないわけじゃないぞ。頼光や菊尾から軽んじられているわけじゃないぞ。どうだ、呼び捨てにしてやったぞ」
「せいぜい、自慢してろ。だが結局、頼光に利用されるだけだぞ」
「源頼光は英雄だ。間違った伝統文化を正しい方向へ導いてくださる救世主だ。わが帝国芸術刀剣保存協会がそのお手伝いをするのだ。公明正大な団体だからな。日本刀は単なる武器にあらず、冶金、彫金、木工、漆塗り、組紐、わが国の伝統技術の集大成だ。日本刀は日本文化そのもの。どーだ、まいったか」
茨木は、机の上にあった鯉墨の携帯を取り上げた。
「この能天気野郎にはもう用はない。引き上げよう」
刀鍛冶の弟子だという若者はふてくされて、半ば放心状態で立っている。
現代屈指の刀鍛冶である吉野の姿をした茨木は、先輩風を吹かせた。
「どうせ刀鍛冶なんて、食える仕事じゃない。コンクールで特賞を取り続けても、十年で短刀一本の注文しか来ない刀鍛冶もいる。作刀承認が一年や二年遅れても、生活は変わらないさ。しかし、鯉墨を痛めつけて、少しは気が晴れただろ。お前も早いところ帰れ」
「こんなことしたら、もう……」
「傷害で訴えられることはないさ。たいしたケガはさせてないし、警察沙汰になれば、マスコミが面白おかしく取り上げて、鯉墨も協会も汚れた痛い腹を探られる」
鯉墨は立ち上がれず、恨みの目で我々を見上げている。
「なあ、鯉墨さん。若者の前途を奪うようなことをしたら、この次は棒っ切れで殴られるだけじゃすまないぜ」
捨てゼリフを残し、私たちは部屋を出た。廊下にいた職員たちが、たじろいだ。
「またかよ……」
という囁きも聞こえた。何らかの被害を受けた者の殴り込みは珍しくないらしい。
帝刀保を出て、足早にこの利権の館を離れた。茨木は奪ってきた鯉墨の携帯をいじり回している。
「菊尾の携帯番号が登録されている。かけるぞ」
「お前、鬼なら、頼光がどこにいるか、察知できないのか」
「霊波より電波の方が早い」
茨木は吉野よりも文明の利器に通じている。聴力が「人間離れ」しているから、耳に当てはしないが、お客様係へクレームつけるかのように文化庁長官を呼び出した。
「菊尾か。俺が誰か、どんな用件か、わかってるよな。おいおい。保険の勧誘じゃねーよ。こんな上品な声だぜ。待て。替わる」
茨木は携帯を私へ寄こした。
「母里といいます。昨日、帝都ホテルのロビーでお会いした……」
「ああ。心華さんの父上ですか。今さっきの下品な声はあなたの友達ですかな」
「私よりもむしろ源頼光と旧知の仲だと思いますよ。茨木童子だ」
「ほお……」
「彼と私は帯留を取り返すつもりです。頼光の手に渡ったようだが」
「渡りましたよ」
長官殿はあっさり認めた。
「しかし、アテがはずれたようです」
「何だって……?」
「私が預かっています。お返ししますから、霞が関まで御足労願えますか」
「それは御丁寧に……。いや、礼をいう必要はなかったな。頼光は文化庁にいるのか。まさか、な」
「では、待っているぞ」
菊尾の口調が一変したところで、通話が切れた。
茨木はすでに新宿方向へ歩き出している。
「文化庁へ行くなら、タクシーだな。使うのはどうせ吉野の金だ」
「茨木。使うばかりじゃなく、補充することも考えろよ」
「銀行を襲うくらいは簡単だが」
「そうじゃなくて、鬼は鍛冶屋のルーツのはずだ。名刀を作って、本物の吉野義光になれ」
「そんなことより、母里。何で、菊尾ごときを相手に、あんな丁寧な言葉遣いなんだ?」
「私の人間性というものだ。しかし、あいつ、最後の一言はエラソーだった。何だか傷ついた」
「こちらが丁寧に接すると、なめてかかる奴がいるものだ」
私は鯉墨の携帯を近くのマンションのゴミ捨て場へ放り込んだ。
「アテがはずれたと菊尾はいっていたが、どういう意味かな。目貫は目当てのものじゃなかったのか。あっさり返してくれるというのも何か引っかかる……」
「俺としては、運命の出会いを信じたいところだが」
「鬼が運命なんて言葉を使うかね。ところで、お前、鯉墨に憑依できなかったことは問題じゃないのか。鬼の通力とか妖力とやらが不安になる。これから、敵地へ乗り込むんだぞ」
「ほお。乗り込む気か。怨霊が恐ろしくないか」
「何。いざとなれば、お前だけ頼光に突撃してもらって、私は喫茶店あたりで待っている」
「憑依できなかったのは、何というか、この身体が俺を離してくれない感覚だったが」
「お前の魂が離れれば、身体は死ぬということか」
「まあ、すぐに戻れば、影響はないんだが……」
鬼にも調子が悪いなんてことがあるのかな、と私は深く考えなかった。そもそも、この非現実的な状況を深く考えてしまったら、頭がパンクする。
「頼光みたいな怨霊は倒せるものなのか」
「心臓を貫けば、滅びる。鈍刀じゃ駄目だ。それこそ、国宝クラスの名刀でなきゃ」
「しかし、奴に勝てる剣豪がいるかな」
「ともあれ、敵地とはいっても、文化庁の中で、怨霊と鬼が乱闘なんて展開にはなるまいよ」
「妖怪変化の頼光だって、そこまでセンセーショナルな騒動を起こして、世間の注目を浴びちまったら、以後の活動がやりにくいからな」
「待て。怨霊は妖怪とは異なるぞ。まあ、東洋と西洋では定義も異なるし、研究者によっても持論は様々で、妖怪は生命を超越したものという解釈も成り立つが、とりあえず生命体だと考えてくれ。ついでにいっておくと、鬼も妖怪ではない。民俗学者の中にも混同している奴がいるが、鬼神というように、むしろ神に近いのが鬼だ。折口信夫は正しい」
「そうかね。折口信夫がいう『神』とは何なのかと問題も生じるが、補足しておくと、折口説では、古くは精霊を『もの』といい、それに『鬼』の字を当てたのだともいっている。それに対し、精霊に限らず、その名を口に出すことをはばかる対象が『もの』であるという説もある。中国では『鬼』は死者の霊魂を指すらしい。となると、鬼と怨霊は同類だ。『日本書紀』や『万葉集』には『鬼』を『もの』『しこ』ばかりでなく『かみ』と訓じた例があるというが、それを否定する研究者もいる。要するに、定義は人それぞれだ」
「あー、めんどくさい奴だな、お前も」
「そんなことより、頼光は文化を正しい方向へ導くとか、鯉墨はいっていたな」
「昨日、俺も似たようなことをいったぜ。人間が間違った方向へ暴走する時、それをリセットするために鬼が復活する。そこには地球の意志が作用する──」
「やれやれ。どいつもこいつも自分が日本文化を背負ってると思っていやがる」
「頼光が帝刀保のような団体に肩入れするとは思えない。荒療治をするかも知れない」
「その場合、地球の意志を代表する鬼としてはどうする?」
「う……ん」
茨木のテンションが急に落ちた。
「その鬼は俺ではないかも知れない」
「どういうことだ?」
「現代に棲息している鬼が俺一人であるとは限らない。一人だと考えるべき理由はないだろう」
「そりゃどういう意味だ?」
茨木は答えず、表通りに出て、タクシーを拾った。