「雙」第11回

「雙」第11回 森 雅裕

  おかげで助広は和んだ心持ちとなり、様場を離れようとした。ふと横を見やると、虎徹がいた。助広の気分などかまわず、声をかけてきた。

「御前鍛錬で打った我々の刀も山野様の手によって、試し斬りが行なわれる」

「はあ」

「山野様にはせいぜい愛想よくすることだ。あの男は金で動く」

 その甲斐あって、山野加右衛門は虎徹の刀を称揚しているのか。

「そうはいいながら、虎徹師は面白くなさそうですな」

 少なくとも、加右衛門に友情は感じていないようだ。

「……地面(じづら)だ」

 眉間に恐ろしく深い縦ジワを刻んだ虎徹だが、口許が穏やかだった。

「虎徹師匠。お尋ねしたいことがあります」

「何かな」

「師匠は古鉄の扱いが巧みだという評判ですな」

「秘伝でも訊きたいのか」

「いえ。古鉄はどこで手に入りますか」

「つまらぬことを尋ねる」

「つまりませんか」

「つまらぬのはおぬしだ。古鉄が欲しいなら、遠回りな訊き方をせず、くれとはっきりいうがよい」

「……恐れ入ります」

「古鉄を御前鍛錬の刀に使うつもりか」

「はい」

「おぬしは大坂から下鍛えをすませた鉄を持参したのだろう」

「御存知でしょうか。伊達家の振分髪――」

 虎徹の表情は変わらない。いつもの通り、大きな目を曇りなく光らせ、口許に精気をみなぎらせている。苦虫を噛みつぶしたような強面(こわもて)を作ってはいるが、多分に自己演出だ。

「あの正宗の脇差を写すことになりました。私が持参した鉄に古鉄を合わせようと思います」

「なるほど。相州伝の肌を出さねばなるまいからな」

 そうだ。しかし、あの振分髪が虎徹の作なら、どうしてそうしなかったのか――。

 人の顔色を読む才覚のない助広が、虎徹を睨んでいると、

「明朝、寛永寺の鍛錬場へ行く前にうちへ寄られよ。用意しておく。それだけでいいのか」

「実は、芯鉄も不足しております」

「わかった」

 虎徹はそういっただけで、詮索もせず、背を向けた。あっけなかった。

 助広は礼をいうのも忘れた。出口を目指す人々が、彼の視界を横切っていく。大和守安定の仏頂面もあった。

「今朝、水死体があがりました」
 小声でそう告げると、安定は助広を一瞥したが、その返事は、

「お気の毒なこと」

 はねのけるような口調だった。助広はそれ以上の言葉を失い、創傷があったことも触れず、話題を変えた。

「振分髪写しの件、安定師匠が私を仙台侯へ推薦してくださったとか。まことに――」

「礼には及ばぬ。面倒をおぬしに押しつけただけだ。あのようなものを写すなど、わしなら御免こうむる」

「あのようなもの」とは、むろん、偽物という意味だ。

「虎徹の刃は脆いと見たが、どうかな」

 唐突に、安定は訊いた。

「折れず曲がらずよく斬れるのが刀剣の命題だ。虎徹は斬れるとはいうが、刃味なら、わしとて定評のあるところ。では、折れず曲がらず、についてはどうかの。両者で打ち合えば、虎徹が折れるだろう」

「はあ……。刃の冴え、沸えの深さは見事な虎徹ですが……」

 そうした刀は、時として脆いことがある。助広の大坂における好敵手である二代和泉守国貞(井上真改)も沸えの深さを称揚されているが、刃が欠けやすいという指摘もある。むろん、地鉄の鍛錬次第で克服できる問題ではあるだろうし、一体、誰がどれほど実地で試したのかという疑問もあるが。

「なるほど、虎徹には目を見張るべきものがある。しかし、奴のすべての作ではない。出来不出来のムラが目立つ刀鍛冶だ」

 作品の平均水準からいえば、他の一流どころの江戸鍛冶の方が上かも知れない。

「が、ああいう奴の方が世間には面白いのかも知れぬ」

 職人肌ではなく、虎徹の場合は芸術家肌というものだろう。ただし、それは巧みな宣伝によって、作られた印象だ。安定はそういいたいのである。

 しかし、安定はさすがに奇妙な男で、妬んでいるわけではないらしく、声は明るい。

「かつて古鉄と称していたあの男が虎徹とあらためた理由を知っているか」

「いえ……」

「漢の飛将軍こと李広の故事に因んだものだそうな。李広が虎と見誤って、岩へ放った矢が深々と突き刺さった。念力は岩をも貫く……とはいうが、おかしくないか」

「さて……」

「矢が岩に立つなら、虎徹ではなく岩徹または石徹とすべきだろう」

 皮肉か冗談のつもりらしい。安定は笑いを残し、離れていった。すぐ近くに虎徹がいるというのに、目礼を交わすのみで、この二人が口をきくのを見たことがなかった。つまり、互いに痛いほど意識し合っているということだ。

 板塀の間を縫い、穿鑿所の前へさしかかる。東西に分かれた大牢は、ここから表門へ向かう右手だが、土塀にさえぎられ、屋根しか見えない。二年前、ここに今の虎徹とは別人の虎徹が拘留され、首を斬られたというのだろうか。

「甚さん」

 と、三善長道が声をかけた。甚之丞が助広の本名である。

「景色を眺めるなら、牢屋敷じゃなく、江戸にはもっと気のきいた場所があるだろう。会津侯家中の刀好き連中から船遊びに誘われている。行くかね」

「江戸へは刀を作りに来た。物見遊山ではない」

「そうかね。安定師とは連れ立って、川っぷちを夜歩きしていると聞いたが」

 噂が駆けるのは早い。むろん、何をしていたかまでは、知られているはずもないが。

「あれは御前鍛錬の前だ。まだ何も始めていなかったからな」

「ふむ。実は、火入れ式の前日に予定していた船遊びだが、会津侯の方で都合悪くなったとかで、延びてしまった」

 火入れ式の前日なら、

「私が川っぷちを夜歩きした当日だ」

 助広はいい、首をかしげた。

「会津侯の都合とは……?」

「知らぬよ」

「会津侯は船を持っているのか」

「大名なら、大抵は持っている」

 会津保科家にとって、あの夜が船遊びどころではなかったというのは偶然だろうか。伊達綱宗の御坐船を襲ったのは、会津侯家中の者たちなのか。もっとも、自分のところの船を使えば、アシがつくおそれがあるから、急遽、どこからか調達したものかも知れない。しかし、動機がわからない。

「これから、寛永寺へ?」

 長道が訊いた。

「一旦、本所へ戻って、弟子を伴う」

「弟子は箱根でケガをしたと聞いたが、間に合ったのかね」

「いや。押しかけ弟子だ」

「なんだか、変わった弟子のようだ」

「変わった弟子だ」

「明日、紹介してくれ。俺はこれから新さんを船遊びに引きずり込む」

 橋本新三郎が肥前忠吉の「人としての」通称である。

「俺たちみたいな大名の抱え鍛冶には、こうしたつきあいも仕事のうちだ」

 それは助広にもわかっている。長道が会津侯お抱えなら、忠吉は佐賀鍋島家の禄を食んでいる。主家を持たない助広と違い、彼らはお家の代表としてのしがらみを背負っている。

「隅田川は往来が激しいようだ。他の船とぶつかっても、あわてるな」

 助広は軽くいったつもりだが、声が曇った。

 
 
 夏のことで、夕刻とはいっても、西陽はまだ寛永寺の上にある。助広は鍛錬場へ、まだ顔色の蒼いまさのを伴った。本所の寮で、飯炊きなどの下働きだけさせておくわけにはいかない。

 が、鍛冶の仕事場は女人禁制とすることが多い。鍛冶を守護する金屋子神は女神といい、その嫉妬を恐れるのである。そして、不浄という考えもある。

 女連れでは、助広は忌避よりも照れの方が強いが、他の刀鍛冶たちも精進潔斎する御前鍛錬の場であるから、

「月のものが来ている間は、このあたりに立ち入るな。道具に触れることもならん」

 無愛想に告げた。

「あら。いちいち、師匠に教えるんですか、来たとか行ったとか」

「私に教えるのがいやなら、ここに出向いている役人なり、他の刀鍛冶なり、気に入った奴に教えてもよいぞ。――それ、仙台侯家中のはぐれ者が現われた」

 安倫だ。安定の姿はないが、その門弟たちとともに作業していた安倫が鎚を置き、すり寄るような足取りを見せた。

「まさの様。山野加右衛門を討ち果たせず、合わせる顔もございませんが、お会いできて、うれしく存じます」

 と、挨拶した。安倫はもとが仙台侯御刀奉行配下だから、奉行の養女であるまさのとは面識があるらしい。一方的にまくしたてた。

「できれば、すみの様とお揃いのところで、お会いしとうございましたが……。先刻、仙台屋敷から知らせがまいりました。御遺体があがったそうですな。無念です」

 まさのは炭塵で真っ黒の安倫に目を穏やかに細めた。

「刀鍛冶の弟子におなりですか」

「修業をしながら、加右衛門の首を取らずとも面目を保つ方法を考えております。それを果たさねば、仙台侯への帰参もかないますまい」

 この男、帰参するつもりだ。

「仙台侯家中の者から聞いております。まさの様は助広師匠を手伝われるのですな」

 助広はそんな話題を逸らすように、

「虎徹師は来ているか」

 安倫に訊いた。

「いえ」

 姿を見せているのは弟子たちばかりで、他の刀鍛冶は誰もいない。長道は忠吉とともに船遊びだといっていた。

 虎徹の火床にも師匠本人はおらず、鎚音を響かせているのは興正だった。のちに虎徹の二代目を継ぐ養子である。先手は虎徹の弟子たちだ。下鍛えは弟子にまかせ、自らはやらない刀鍛冶も多い。

「虎徹師は、すみの殿にそっくりなまさの殿を見て、どんな顔をするかな」

「はて。いつもと同じしかめっ面だと思います」

 と、安倫。

「うちの師匠と同じです」

「だろうな」

 虎徹は精悍、安定は諧謔的な容姿で対照的だが、いつもむずかしい表情でいるところは似ている。

「安倫殿は今、下鍛えをやっているところか」

「はい」

「では、まさの殿に鍛錬とはどのようなものか、見せてやってくれ」

「助広師匠は……?」

「私は……世渡りだ」

 助広は鍛錬場に背を向けている。近づいてくる武士を見ていた。会津侯用人の加須屋左近(武成)だった。

「安倫殿。まさの殿に着替えさせるように」

 助広は、いった。

 法華堂の一部が御前鍛錬の控えの間として、使われている。そちらへ向かう安倫、まさのとすれ違った左近が、人なつこい笑顔を助広に正面からぶつけてきた。

「助広殿。振分髪の本歌は御覧になられたか」

 相変わらず腰が低い。

「拝見いたしました」

「で、見通しはどうかな。御前鍛錬の期間中に写しを作ることは可能か」

 火入れ式から献納式までの期間はおよそひと月半だが、すでに二日が経っている。拵の制作は予定されていないが、日程には研ぎや仮鞘の制作、試し斬りなども含まれており、特に研ぎには日数を要するから、差し引き作刀期間はあと半月少々しかない。特別な注文でなければ、二本の脇差を作るには充分の時間だが、特別も特別、しかもやり慣れぬ写しもので、地鉄を研究する猶予がなく、失敗してもやり直しができないとなると、安請け合いはしかねた。しかし、将軍家のお声がかりとなれば、腹を切る覚悟で、やるしかない。

「大丈夫でしょう」

 助広は他人事のように答えた。追いつめられると、妙に客観的になるのが創作的な仕事というものかも知れない。

「加須屋様。会津中将様の亡くなられた御嫡男・保科長門守様は余技で鍛刀をなされ、その指導をしていたのが虎徹師であると聞きましたが……」

「そのようなこともありましたかな」

「ならば、今回の振分髪を写すこと、私でなく虎徹師の方がふさわしいのでは……?」

 あの偽物は虎徹の作ではないか、という疑いを質問に含ませた。

「酉年の大火の前後で、事情は変わり申した。今の虎徹には、ある風聞がござってな」

 替え玉という風聞か。会津中将こと保科正之はそのような風聞を真に受けているのか。

「助広殿。おぬし、大坂で、虎徹に似た人物に会っているそうだな」

 そんなことを会津の長道に話した覚えがある。

「はい。興里虎徹の弟で、興光という金工です」

「その弟がどうなったかが問題だな」

 加須屋左近には、そんな話を続ける気はないらしい。

「帰る」

 助広もまた世間話には熱心ではない。左近を仁王門まで送り、別れると、もう刀のことしか考えていなかった。素早く踵を返した。

 陽が落ちるまでに、手つかずで残っている南蛮鉄の下鍛えをすませてしまおうと、鍛錬場へ戻った。 

 安定一門の発する鎚音がおかしい。まさのが安定一門に交じり、大鎚をふるっている。助広は、鍛錬を見せてやれとは頼んだが、経験させろとはいっていない。安倫たちは師匠である安定の火床を使い、安定の鉄を下鍛えしているのだ。仮設の鍛錬場とはいえ、安定に断わりなく、門外の者に大鎚を持たせるなど、徒弟制度に反する。

「無理をするな」

 と、助広は声をかけたが、安倫へ向けた言葉だった。まさのも、いわれたのが自分だとは受け取らなかった。無理をしている自覚などなく、汗を滴らせながら、大鎚を打ち続けている。一体、この娘はどういう感覚を持っているのだろう。

 安倫も悪びれない。

「大丈夫ですよ。うちの師匠はそんなに頭が固くもありません」

「そうか。じゃ、今から私が下鍛えをやるから、安定師の弟子を借りるとしよう」

 自分の火床に炭を入れた。

 
 
 翌朝。

 助広は寛永寺の入口である下谷広小路から不忍池へ折れた。池之端には水と緑の匂いが強い。まさのが同行している。

 約束通り、虎徹を訪ねるのだが、助広はまさのにいちいち説明しない。まさのも訊かなかった。

「昨日、あれだけ大鎚を振り回して、腕が痛くはないか」

「平気です。寛永寺でまいったのは、風呂に入れぬことくらいです」

 夏の汚れ仕事だから、刀鍛冶たちは境内に仮設された風呂で汗と埃を流して、上野の山を下りるのだが、女一人を特別扱いするわけにはいかない。やむなく、まさのは水で顔や手足を洗うだけだった。

 虎徹の池之端の鍛錬場は、竹林と板壁に囲まれている。人家はまばらで、鎚音や炭塵の苦情もあるまい。

 早朝といえる時刻だが、鎚を叩く音が聞こえた。大鎚で鍛錬をしている音だ。

「誰がやっている? 虎徹師か」

 助広は呟いたが、まさのは道端でちぎり取った酸漿(ほおずき)を鳴らしている。ここまでの道すがら、器用に実の中身を揉み出し、笛を作っていた。

「あら。ここ、虎徹の鍛錬場ですか」

「おいおい。呼び捨てにするな。敬意を払え」

「はいはい」

 まさのは助広より先に敷地の入口に立った。勝手に鍛錬場を覗くわけにはいかない。母屋へ回った。町家であるから、玄関はない。土間である。声を張り上げると、いかにもしつけが行き届いているらしい弟子の一人が現われ、座敷へ通された。

 弟子たちがいるのだから、掃除はされているのだろうが、炭塵のために畳は黒ずんでいる。

「女っ気ないですね」

 まさのが、ぽつりといった。

「ほお。女には、わかるものか。私は気づきもしなかったが」

「では、鍛錬の音で、うまいか下手か、それは気づきましたか」

 鍛錬の音はやんでいる。

「叩いているのは弟子だからな。音だけじゃわからん」

「お上の御前では、虎徹師が横座に座って、先手たちを指図していたと聞きました」

「御前鍛錬の場合は派手に火花を散らすことが優先で、刀鍛冶ども、どこまで手の内を見せたか、わかったものじゃない」

「横座は自分では叩かないとはいえ、指図するわけですから、下手であるはずはないですね」

「むろん。鉄をいかに沸かすかが刀鍛冶の真骨頂だからな」

 鉄を火床に出し入れして、温度管理を行なうのは横座の仕事である。その際、鞴を吹く音だけでも熟練者かどうかはわかる。

「つまり、ここで今、横座に座っていたのが虎徹師だとしたら、あの仁は本物の刀鍛冶ということだ」

「さて。どうでしょうか。入れ替わったのが興光師なら、これとて金工。まったくの素人ではありません」

 金工も鍛錬や鍛造を行なう場合があるが、規模からいえば、鍛冶職にはほど遠い。

「何年も刀鍛冶らしく振舞っていれば、それなりに技量も身につくのでは――」

 まさのは言葉を中断させた。虎徹が現われた。作業衣は炭塵で汚れている。

「お待たせした」

 腰を下ろし、まさのに目をとめた。江戸は女が極度に少ない町であり、しかもすみのに瓜二つの双子の片割れである。驚いた様子はないが、強い光を放つ目で、じっと見ている。

 それを見返すまさのも度胸がいい。

「仙台侯家臣・楢井俊平の娘、まさのと申します」

「わしの弟の娘――といっても、女房の連れ子だが、似ておられる」

 いきなり、そういった。

「わけありで、陸奥守様がお探しになり、吉原に身を沈めたことを突き止められたはず……」

「私はすみのの姉です」

「左様か」

 虎徹は感情を動かすことがないのだろうか。平然としている。しかし、暖かさは漂う男だ。

「巷では、仙台高尾の噂が立っているようだ。お気の毒です」

 すみのの水死体があがったのは昨日だ。江戸の噂は早く、虎徹も決して浮世離れはしていない。

「あ。茶も出さずに失礼しておる。――今、弟子に」

「私が淹れてまいります」

 まさのが台所へ立つと、助広は低く尋ねた。

「虎徹師は、陸奥守様がすみの殿……いや、すみの様の行方を追っていた理由――つまり、まさの・すみの姉妹がいかなる血筋か、お聞きになりましたか」

「娘を呼ぶのに殿だか様だか悩ましいことよの。つまり面倒。血筋など聞かぬことにしておく方が、日々これ平穏……」

「はい。そういう血筋です」

「わしはな、いろいろなところで、いろいろなお方の余技を指導しておる」

「はい」

「昔、保科長門守様の相鎚をつとめたことがある。そういえば、その許婚者のお名前がまさの様であったと記憶する。むろん、これまで会うたことはないが」

 虎徹は妾腹の姫たちをとりあえず「様」と呼ぶことにしたらしい。気分次第で変わるだろう。彼の眼差しは遠くを、助広のそれは目の前を睨んでいる。

「長門守様とは会津中将様の、酉年の大火直後に亡くなった若様ですか」

「うむ。御長男は早世されているゆえ、御次男の長門守正頼様こそ保科家の後継者として、嘱望された若者だった。まさの様も義山公(伊達忠宗)の姫として、嫁がれるはずだったが……」

 まさのは仙台侯家臣の養女として育ったが、二代将軍・秀忠の孫にあたる保科正頼の嫁として釣り合わせるために、忠宗は妾腹の彼女をわが娘と認めようとしたのだろう。

「そうですか……。あのような娘でも、いろいろなことを背負っているものだ」

「それがわかったら、もう余計な荷物は背負わせるなと、おぬしにいっておく」

 妙なことをいうものだ。

「虎徹師匠。弟さんの興光師の墓所はどこです?」

「いきなり、だな」

「すみません」

「浅草の方で一旦は荼毘に付したが、墓参りは無用。時はうつろい、すでに坊主は夜逃げ。寺は廃寺となっておる。それでも知りたいか」

「いえ……」