抜けた鬼鍾馗 第四回
抜けた鬼鍾馗 第4回 森 雅裕
土生鐘平は鬼が抜けた鐔を見ても馬鹿馬鹿しいと一蹴するでもなく、苦笑いを浮かべた。
「なるほど。抜け鬼か……。元禄の頃からおよそ三百数十年ぶりに解き放たれたわけか」
六十過ぎだろうが、目に力があり、目鼻立ちがしっかりして、顔面の圧も強い。白髪頭をうしろで結んでいる。この髪型の男にろくな人間はいない。偏見であるが、幼い頃から父親にそう教えられてきたので、本能的に警戒してしまうのである。教育効果とは侮れないものだ。
だが、その土生は心春に悪い感情は持っていないようだ。
「おお。奈良派の末裔とはあなたか。彫金よりも音楽畑で御活躍のようだね」
「活躍というほどでは……」
「いやいや。バンドやったり、あちこちのアーティストのレコーディングに参加したり、あなたは知る人ぞ知る注目株だ」
「あははは。その『知る人』は少ないですけど」
しかし、土生は心春の音楽活動を知っているようだ。好意的な興味なら結構なのだが……。
「岩本さんから鐔の覆輪の下から和歌の金象眼が現れたと連絡もらった時、私も仕事で京都にいてね。実をいうと、ライブを見に行ったよ。覆輪を苦もなくはずすのはどんな人なのかと気になってね。圧巻というのはあのような演奏のことだな」
「いやいやいやいやいや……」
ライブハウスで感じた視線の主はこの男だったようだ。しかし、心春にはほめられ耐性がない。苦手だ。逃げ出したくなる。実際、一歩下がってしまった。土生がこの場の主導権を握ってしまったわけである。しかし、単純な心春は罪もなくニヤついている。
「ギターやったり彫金やったり、脇道に逸れるのがもったいない……。そんな声もあります。ひとつのことに集中しろという意味でしょうかね」
ライブの喧騒の中ですみ花が聞いたという声はこの男の声なのか。カマをかけると、土生は意味ありげに笑った。心春は続けて尋ねた。
「もしや……下鴨神社にもいらっしゃいませんでしたか。干支ごとの守護神が祀られている言社です」
「それであなたの誕生年がわかって、ワインを贈ったというのかね。当たりだ」
あっさり認め、土生は丸いケースに入った方位磁石らしきものを見せた。「らしきもの」というのは、市販品ではなく手作り感があったからである。しかも古びている。
「これで、あなたがいる方向がわかった。殺生石のカケラで作られたコンパスだよ。戦時中、私の先祖はこいつに導かれて何度も命を拾ったらしい」
「殺生石……ですか」
土生は薄い図録を鞄から取り出した。
「以前、うちの美術館で展示した時の図録だ」
ページを開き、ひとつの絵を指した。
「これは私の個人的な所蔵品だが……」
急降下する二羽の雁と岩の前に立つ和装の美女の図だった。水墨でスッと描いただけの簡素な絵だが、独特の個性と雰囲気がある。
「月岡芳年の『新形三十六怪撰那須野原殺生石之図』の下絵だよ」
「しんけいさんじゅうろっかいせんなすのがはらせっしょうせきのず……?」
「よくいえました。本来は浮世絵だから世間に流通しているのは摺り物だが、これは芳年の直筆だ。絶世の美女に変化した平安時代末期の九尾の狐『玉藻前』(たまものまえ)を描いている。落ちる雁は殺生石の毒気でやられたのだろう」
平安末期、狐は玉藻前という名の宮廷婦人として鳥羽上皇の寵愛を得たが、上皇の命を狙ったという話もあり、陰陽師にその正体を見破られて、宮中から出奔。下野国那須(現在の栃木県那須町)で朝廷軍に討たれて、巨石に姿を変えた。しかしその石は毒を発生させ、人や生き物の命を奪い続けたため、殺生石と呼ばれるようになる。この土地は古くより温泉地として知られ、付近一帯は火山性の有毒ガスが噴出し、怪しげな溶岩が点在していた地域である。殺生石の言い伝えは、こうした自然現象がもたらしたものと考えられいる。
十四世紀末、那須にやって来た名僧・源翁が、呪いを解くため、殺生石を三つに打ち砕いた。石片の一つは会津に、もう一つは美作に飛んで、最後の一つは那須に残った(安芸・越後・豊後など諸説がある)。それ以来、妖狐の魂を鎮めるために、那須では毎年五月に御神火祭と呼ばれる夜の儀式が行われている。たいまつを持った参加者たちが那須温泉神社から殺生石へと向かい、金毛狐の面と白装束をまとった太鼓奏者が焚き火の前で太鼓を叩く。現在では無病息災と豊作を祈る行事でもある。九尾の狐の伝説は能や歌舞伎などの演目にもなっており、松尾芭蕉も元禄二年(一六八九年)に当地を訪れ、「おくのほそ道」に記している。
「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す」
現在ではガスの噴出量は減り、鳥や動物が死ぬようなことはない。今なお祀られる殺生石だが、二○二二年三月初め、真っ二つに割れているのが発見された。ひびに染み込んだ水が凍結したために割れた自然現象と考えられているが、SNS上には
「悪しき九尾の狐が復活する」と恐れる投稿が相次いだ。そこで、那須町観光協会は三月末、割れた殺生石の前で「殺生石九尾狐慰霊及びに平和祈願祭」を執り行っている。
心春には伝奇的な物語は彫刻のモチーフにすぎない。アカデミックな現代の彫金作家はあまり取り上げないテーマであるから、奈良派の末裔である彼女は異質かも知れない。
一方、土生は興味津々という口ぶりではあるのだが、不思議なほど感情が伝わって来ない。
「この芳年の絵も芸大美術館の鬼神展に出展する予定だ。美術館に預けて、今は資料室の金庫に仕舞われている。鐔とこの絵は金庫の中で密閉されていたわけだ。鐔の金象眼の和歌が消えたのは絵の妖力ではないかと思うね。すぐれた芸術家と作品には鬼神や妖怪の力が宿るものだ。芳年が描いた玉藻前が呪文の和歌を溶かして封印を解いた」
心春の前にあるのは絵の実物ではなく図録に掲載された玉藻前である。縮小された墨一色の印刷物であっても、芳年の画力は感じる。美術館に展示したくなるのも当然だ。
「鐔と一緒に展示するわけですか。鐔と絵は、混ぜるな危険では?」
心春がそういうと、琴太郎がお気楽に告げた。
「展示は前後期に分かれているから、絵は前期だけだ。展示場所も離す予定だよ」
さらに土生も、
「展示中止にするには理由が曖昧すぎる。まあ、美術館が爆発するわけでもあるまい。それはそれで見たい気もするがね。ともあれ、九尾の狐も鬼神展の企画にかなう。違うかね」
「妖怪も鬼神も一緒ってわけですね」
「日本らしいだろ」
と、琴太郎。
心春は口元を尖らせて思案顔だ。
「月岡芳年には鍾馗と鬼の絵もあったと思うけど」
心春にしてみれば、そっちの方が興味がある。単なる嗜好だが。
「摺り物の浮世絵ではなく貴重な直筆だからこの殺生石の下絵を展示するわけだよ」
琴太郎はそうはいうが、この絵には九尾の狐の姿は描かれていない。巨石の傍らに復活した玉藻前を描いており、説明がなければ妖怪画とはわからない。
「月岡芳年の怪異シリーズは妖怪や鬼神そのものを描くのではなく、隠し絵のように表現して、それを見る人間の驚きを描く傾向がある。『新形』という表題は芳年が病んでいた『神経』に掛けたものとも考えられている」
と、解説したのは土生だが、心春は聞いておらず、殺生石のコンパスを見ている。
殺生石がなぜ心春に反応するのか。この場でも北ではなく心春を指している。コンパスを持つ手を左右に動かしてみたが、針の向きは彼女に固定されている。
不思議そうな心春の様子に、土生が当たり前のように、いった。
「それはあなたが変態だからだよ」
「喧嘩売ってます?」
「凡庸ではないという褒め言葉だ。音楽でも変態系と呼ばれるジャンルがあるでしょう」
「複雑怪奇な楽曲や演奏ですけど……それって人間の場合は褒め言葉なのかなあ」
変態でもいいが、それがコンパスが彼女を指向する理由だとは納得できない。
「土生さんって……月岡芳年の妖力がこもった絵を持ち、殺生石で作られたコンパスも……どうしてお持ちなんですか」
コンパスを土生に返し、変態視線で睨んだが、土生もまた強い眼力で跳ね返した。
「お嬢さん。吉備真備を知っているかね」
「最近、昔の人の名前をよく聞きます」
「私の遠い先祖だ」
「ふへええ」
思わず、間抜けな相槌を発してしまった。教科書に載る偉人の子孫だと称する人物はあちこちにいるようだから、鵜呑みにしたわけではない。あまりにも昔の人物なので、実感も乏しい。
「真備に関わりのあるものは私のもとにやってくる。そんな宿命のようだ」
「あっ……。吉備真備の帰朝には九尾の狐が同船していたという話もありますね」
「よく御存知だ。中国では恐ろしい妖怪として扱われる九尾の狐だが、日本に渡ると愛すべきキャラクターへと換骨奪胎していく。鬼もまた人間に災いをもたらす悪の象徴から祀られる対象に変化する。日本は妖怪には住みやすい国なのかも知れないね」
中国の九尾の狐は人を食う妖怪とされる反面、天下泰平を象徴する瑞獣・神獣でもあるが、様々な物語があり、中国やインド、朝鮮、ベトナムの君主の美しき妃となって、裏側から政治を支配してきたことにもなっている。
それが日本に渡ってくると、玉藻前なる美女に姿を変えて鳥羽上皇を惑わしたという物語が生まれる。玉藻前の正体が狐であったという物語は、十四世紀に成立した「神明鏡」にすでに見られる。しかし、室町時代の「玉藻前物語」では尾が二本ある七尺の狐という描写であり、九尾の狐とは言明されていない。玉藻前すなわち九尾の狐となったのは江戸時代以降で、殷王朝の悪女を代表する妲己(だっき)が九尾狐と見なされ、玉藻前はその後身であるとする物語が人口に膾炙する。だが、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に善玉である九尾の狐が登場して以降、愛すべきキャラクターへと次第に変貌していく。現代ではむしろサブカルチャー化して、純朴なイメージを持つ霊獣として商品化さえされている。
「吉備真備は阿倍仲麻呂の生霊である鬼とは切っても切れぬ仲……ですね」
と、心春。土生は唇の端だけで笑った。
「腐れ縁というやつかね」
口調は柔らかだが、いかにも教養人らしい自信をのぞかせている。
「十二世紀初めに書かれた『江談抄』が仲麻呂の鬼伝説の発端らしい。吉備真備の一度目の遣唐使派遣は阿倍仲麻呂と一緒だった。高齢となって二度目の入唐を果たした吉備真備の前に現れた鬼は、前回、帰国できずに餓死した阿倍仲麻呂の怨霊と書かれているが、仲麻呂は餓死などしていないし、生きて真備ら遣唐使を接待しているので、いつのまにか生霊ということに修正されたようだ。さらに筆写や転載を重ねて、誤謬が発生し、不正確な伝奇物語が広まることになる。『江談抄』にある伝奇的説話を十二世紀末に絵巻物としたのが『吉備大臣入唐絵巻』で、現在はボストン美術館所蔵だ。鬼になった阿倍仲麻呂や空を飛ぶ仲麻呂と真備の姿が描かれている。ところで、阿倍仲麻呂は日本に帰国していたという話もある。紀貫之の『土佐日記』、平安末期の『今昔物語集』、唐の正史である『旧唐書』、『新唐書』などにそうした記載がある。むろん、仲麻呂は唐で客死しており、帰国した史実はない。ならば、帰国したのは仲麻呂の生霊すなわち鬼だったのではないか」
「はあ。なるほど」
心春はそういうしかない。
「当時の海路は大冒険だ。吉備真備は鬼に守られて帰朝したという。それが仲麻呂の化身なら、二度目の帰国時ということになる。一度目の帰国の翌年に天然痘の大流行が始まっているが、それが疫鬼・疫神がもたらしたものだとしても仲麻呂の鬼とは無関係というわけだ」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
そんなことを力説されても、心春は困るだけである。
「一度目の帰国時には、十六、七の少女に化けた九尾の狐が同船していたとする伝承がある。この妖怪が船旅に強運をもたらしたのかも知れない。阿倍仲麻呂が正学を追求したのに対して、吉備真備は実学を修得した。暦法、測量器具、音楽の呂律
(りょりつ)や楽書、工芸など、森羅万象に及ぶ。遣唐使としての目的は一度目が書物、文物、武具にあり、二度目は大仏造建の鍍金に使う金の調達だったという」
「伝承では『金烏玉兎集』を持ち帰ったことになっていますけど、でも、この陰陽道の聖典はもっと後世の成立でしょ」
「金烏は日(太陽)、玉兎は月のことで、この二つは『陰陽』を表す」
「では、真備が唐から持ち帰ったのは書物ではなく、太陽であり月であったと……」
「太陽は金で女、月は銀で男を象徴する」
「うーん。それが具体的に何を指すのか、あるいは誰を指すのか」
「女と男、雌と雄なら、番(つがい)とは考えられないか」
「ツガイですか。まさか……」
「金と銀の九尾の狐」
「九尾の狐は二匹いたというんですか」
「二匹がどういう形態だったのかは不明だが、真備と同船していた九尾の狐は日本に着くと姿を消したという」
天平の昔、日本へ渡ってきた九尾の狐は聖武天皇の妻であった光明皇后に取り憑いた。天皇崩御後、光明皇太后が政治の実権を握り、藤原仲麻呂が政務を独占した結果、政治の混乱を招いた。これを九尾の狐による策謀であると見抜いたのが吉備真備だった。唐では、玄宗が楊貴妃を寵愛したことで国が傾いた。これが九尾の狐の仕業であると真備は伝え聞いていたのだ。
光明皇太后が亡くなり、取り憑いていた九尾の狐が離れると、立場が悪化した藤原仲麻呂は乱を起こし、真備はこれを討って、九尾の狐も日本から追放された。
土生は講義でもするように一方的に言葉を連ねた。
「こんなもの、ほとんどは後世の作り話だ。時代によって妖怪は善玉にも悪玉にも見方が変わるからね。真備と九尾の狐が良好な関係だったことも有り得る」
そもそも鬼とか九尾の狐とかの存在自体が世間の常識では作り話だろう。
(大真面目にこんな話していて、大丈夫なのか、私たち)
と、心春が遠くに泳がせた視線を、土生のよく通る声が引き戻した。
「ところで、鬼は何か目的があって鐔から抜け出たのかな」
「落語の『抜け雀』なら餌を求めて抜けるんですが」
心春はそのあたりの事情をしらばっくれたが、土生は知っていた。
「そうか。鬼はお嫁さんを求めているようだね」
知っていて、訊いたのである。
「鐔にまつわる鬼の話は聞いている。刀剣界にはありがちな奇談で、気にとめる者もないがね。コレラが流行った元禄十二年当時に作られたとすれば、三百数十年越しの純情物語というわけだな」
(令和の現代にそんな花嫁候補がいるのか)と、土生は探るような視線をぶつけてきたが、心春は(心当たりなんぞございません)と無言で見つめ返した。
「あはは。一途な奴ですね」
笑ってごまかしてしまった。
「そう。意外と生真面目な奴だ。鐔の鬼鍾馗は病魔退散を祈願するために鬼が彫ったそうだが、鬼こそ病魔と考えられていた時代だからね、鬼も困ったろう。それがこの鐔の鬼の困り顔になったと思うのだが」
「鬼だけでなく鍾馗もまた困り顔に彫られています」
「そりゃあ、鬼としては天敵である鍾馗を強く格好いい容姿には彫りたくないだろう」
「奈良家の言い伝えでは、鐔を仕上げたのは奈良利寿です。利寿が鬼を鐔に封じ込めたらしいので、封印の和歌を象嵌したのも彼でしょうが、利寿は鬼と鍾馗の表情に手を加えなかったのでしょうか」
「さあ。利寿に尋ねてみたいところだ」
土生は傍らの岩本琴太郎に顔を向け、
「こんなに会話が噛み合うお嬢さんに初めて会った」
本気なのか皮肉なのか、そんなことをいい、琴太郎は作り笑いで受け流した。
「そりゃめでたい。彼女の親でさえ、時々何いってるのかわからないとあきらめてますからね」
琴太郎にはそんなことより重要な課題がある。
「で、怪奇現象についてはどのように扱いますか。図録も編集に入ってます。展示品の解説文は何人かで分担しますが、この鐔については私が書きます」
「センセーショナルに宣伝するのは感心しないね。軽薄な連中に面白がられるだけだし、信憑性を疑う連中にいちいち説明するのも面倒だ」
「世の中には鬼や妖怪を斬ったという伝承の刀が何本もありますが、いちいち真偽なんか問題にされません。この鐔にしても、もとは覆輪もあり、鬼の彫刻もあったが、それが失われてしまったと事実だけを事務的に解説して、信じるも信じないも見学者におまかせする……。それでどうです?」
「なるほど。鬼神展という企画の洒落っ気が漂うね。よろしい。じゃあ、そういうことで」
土生はちらりと愛想笑いを見せ、それを振り払うように頷いた。
「岩本さんを信頼してるよ」
そう言い残して、去った。
心春は研究室のドアの外まで出て、頭を下げて見送った。
「お前は意外と礼儀正しいところがあるよな」
琴太郎は感心するよりあきれている。
「自由業は世渡りが大事。お辞儀ひとつで仕事を得ることも失うこともある。奈良家の家訓よ」
「何はともあれ、なんてことをしてくれたんだと怒られなくてよかったな。下手したら弁償だぞ」
「何だ。私が悪いのかよ」
「お前が鐔の覆輪をはずした時からこの異様な現象が始まった」
「あの人、ものわかりが良すぎる……」
「何だ。不服か」
「あんなアスペルガー症候群の言葉は鵜呑みにできない。自分が正しいと思ってることは周囲を踏みつけても押し通すタイプ」
「じゃあ、お前と同じじゃないか」
「私は謙虚だもの。常に自分は正しいのだろうかと自省してる」
「どの口がそんなことをいうんだ」
「口といえば、狐の喧嘩は口や牙の大きな方が強いという通説があるよね」
「実際は気性の荒い方が勝つだろうけどな」
「あれっ。私、なんでこんなこと知ってるんだろ?」
心春は「アッ」と口を開けた。
「思い出した。そういや、うちに九尾の狐がいるわ」
「え。何の話だ?」
「帰る」
さっさと研究室をあとにした。琴太郎に対しては別れの挨拶などしない。




