抜けた鬼鍾馗 第二回

抜けた鬼鍾馗 第2回 森 雅裕

 本殿前授与所の向かい側に渡辺綱の灯籠というものがある。源頼光四天王の一人・渡辺綱が一条戻橋で美女に化けた鬼に襲われ、連れ去られようとした時、名刀「髭切」で鬼の腕を切り落としたのが北野天満宮の上空だったので、御加護に感謝して寄進したと伝わる石灯籠だ。以来、髭切は鬼丸もしくは鬼切と改称し、名家の間を流転して、明治初めにこの北野天満宮へ奉納されている。

 本殿に参拝したあとで立ち寄った宝物殿は破風の屋根に鬼の顔らしき大きな瓦が掲げてある。にぎやかな旗幟に囲まれた入口を抜けると、展示室には多くの刀剣が並んでいる。心春とて奈良派の末裔であるから刀剣に興味がないわけではない。しかし、展示品の目玉である鬼切には刀剣女子が殺到しており、人垣をかき分けねばならなかった。

 鬼切は展示ケースの中に悠然と鎮座している。二尺八寸に近い大変な長さなのだが、先細の太刀姿のためか豪壮さは感じられない。肌に映りが出ており、刃文は小乱れで、いかにも古色がある。拵は現存していないが、新調するクラウドファンディングが進行しているようだ。

 すみ花が尋ねた。

「どう? フレッシュな気持ちになった?」

「なったような気がする」

 心春はこの刀に拵をつけるならどんな金具がいいだろうかと考える。そんなイメージが湧くのが名刀というものだ。ならば、この刀は名刀ということになるし、心春にフレッシュさをもたらしたことになる。

 すぐ隣には現代刀匠が作った鬼切の「写し」が並べて展示してある。研ぎ減り前の制作当時の姿を再現しており、身幅も広く、見た目の迫力はこちらの方がある。堂々たる力作だが、ジャネーの法則に抵抗できるような新鮮な感動があるかという点では、古い本歌に及ぶべくもない。背負っている歴史が違うのだから、仕方ないともいえる。今後、どのような外装をまとい、どのような持ち主のもとで「物語」を作っていくのか、イメージが広がらない。

 ガイドなのか引率者なのか不明だが、展示品の傍らには声の大きな解説者が立っており、刀剣女子たちに上機嫌で説明していた。

「平安時代中期の源満仲が筑前から刀鍛冶を呼び寄せ、二振りの太刀を鍛えさせたんです。八幡大菩薩から『六十日かけて鍛えた鉄で二振りを打ちなさい』とお告げを受けましてね、長さ二尺七寸余の太刀を作り上げたのです。一振り目は、罪人を使った試し斬りで髭まで斬ったことから『髭切』と名付けられました。これがのちの鬼切安綱――まさにこれ、ここに展示してある刀です。二振り目も、同じく試し斬りで上半身から膝まで、あるいは両膝を骨ごと斬り落としたという由来で『膝丸』と名付けられました。のちの別名を『薄緑』といいます。これら髭切と膝丸の二振りは、源満仲の子・源頼光――酒呑童子を討伐したことで有名な武将に伝えられました。彼の愛刀『童子切安綱』は東京国立博物館所蔵の国宝で、日本刀の横綱といわれていますね。『髭切』『膝丸』はそのあとも勝利をもたらす宝刀として源氏に代々受け継がれたのです」

 六十日も鍛錬し続けたら鉄は飛び散って消失してしまうだろう。俗に百鍛錬などという言葉もあるが、多く鍛えれば良いというものではない。

 膝丸こと薄緑は京都の大覚寺に現存するが、その銘はかろうじて「忠」の文字が見える程度。一方の鬼切には「国綱」の銘があるとはいうものの、これは安綱を改竄したものと考えられており、「鬼切安綱」と通称されている。この二振りは兄弟刀という伝説だが、作風が異なり、同時代というのも異説があり、そもそも安綱は筑前ではなく伯耆の刀鍛冶である。

 歴史はかくも曖昧なものであり、諸説入り乱れ、鬼や妖怪を斬ったという由来を持つ刀はいくつもあって、混同されたりもする。人は刀剣に超常的なロマンを求めるのである。

 源満仲から源頼光、渡辺綱へと渡った「髭切」は「鬼切」として源氏重代の宝刀となり、「獅子の子」「友切」などの異名もさらに増え、源義家、源頼朝、新田義貞といった歴史上のスターや斯波兼頼(しばかねより)の手を経て、出羽山形の最上家に伝わった。

 ガイドの解説はさらに熱を帯びる。

「斯波兼頼の子孫である最上家に鬼切は伝来しましたが、最上家はお家騒動がありましてね、江戸前期に出羽山形の大名から近江大森を領地とする交代寄合に格下げされているんです。交代寄合というのは旗本ながらも参勤交代を義務づけられた上級の家柄です。で、参勤交代には鬼切も同道いたしました。それがもう霊験あらたかで鬼切がおさめられた箱の下をくぐれば病魔退散するという評判が広がり、沿道の民衆は冥加金出して箱の前に列をなしたという逸話が伝わっております」

 ガイドは誇らしげに声量を上げ、隣に並べられた現代刀を指した。

「写しですが、これも傑作ですね。形はもちろん、重さも〇.一グラムまで本物と同じにしてあるんですよ」

(あらまあ)と心春は心の中で呟く。そんな現実離れした誇張話を吹聴する者がいて、不勉強な連中が面白さ優先で拡散する。人は自分が信じたいことを信じる。

 その写しもなかなかの人気で、人をかき分けて展示ケースの前に陣取る気のない心春は他の展示品、特に刀装を見て回った。

 ガイドの声が追いかけてくる。

「刀鍛冶は精進潔斎して、材料の玉鋼もお祓いを受けて、この写しを作ったんです。もはや写しというより現代の鬼切そのものですよ。きっと皆さんにも御利益がありますっ」

 刀剣ファンなら刀鍛冶はそうあって欲しいと思うだろう。実際の刀鍛冶は、神仏に祈って名刀ができりゃ苦労しないと笑っていたり、作った刀さえ良けりゃ制作態度や人間性なんかどうでもいいんだと本音を漏らす職人も少なくないが。

「さ。下鴨さんに行こう」

 心春とすみ花がその場から離れようとすると、展示ケースに張り付いていた見学者たちから悲鳴とも歓声ともつかない叫びが上がった。何事かと振り返ると、絶賛されていた「写し」に変化が起きていた。現代刀らしく光り輝いていた刀身が真っ赤に錆び、たちまち褐色から黒錆へと一変し、原形をとどめぬほどに腐食して、一部がポロリと落ちた。

 腐食したのは現代製「鬼切」だけで周辺には何の異変もない。ガイドはしどろもどろではあるが、絶賛することを忘れない。

「あまりにも素晴らしい写しなんで、本物の鬼切が嫉妬したんですかね。へへへっ」

 突飛な話なのだが、刀剣女子たちは「へえええ」と感心している。(なるほど)と、心春も反発せずに聞いていた。心春の疑問はこんな現象が起きた理由よりも、何故自分たちの目の前で起きたのかにあった。

 奈良小左衛門の鐔の耳覆輪が自分の手の中であっさりはずれたことを思い出した。あの鐔の画題は鬼と鍾馗だった。モチーフとなった鬼に自分が近づくと何か非科学的な反応が起きるのだろうか。

「これも鬼の魔力ですよね。うわあ、テレビが来るぞ。ほっほっ」

 と、ガイドがはしゃぐ声に心春とすみ花は背を向けた。

「あれは何事? 何が起きたの?」

 宝物殿の外で、すみ花が首を大袈裟にかしげた。オーバーアクションはこの娘の持ち芸のようなものだ。

 心春はポケットから小袋を取り出した。干し梅の中にレーズンを入れた菓子だ。

「食べる?」

「いい。歩きながら食べる習慣はない」

 心春も同様だ。ポケットに仕舞いながら、いった。

「私、何故だか自分でもわからないけど彫金の画題に鬼を彫ることが多いのよね。鍾馗さんとセットだったり、太公望の魚籠を鬼の姿の雷神が盗もうとしていたり……。鬼鍾馗は奈良派のお家芸でもあるんだけど」

「鬼切の刀には興味なさそうな心春だったのに」

「興味ない女が来ちゃったから、鬼さんが張り切ってパワーをアピールしたかな」

「興味ないわりに刀のことはよく知ってる心春……。あのガイドさんの解説に納得してないでしょ」

「そんなのが顔に出てた?」

「頭の上にびっくりマークが出てた」

「すみ花だって、クエスチョンマークが出てたよ」

「疑問はあるのよ」

 鬼切の銘は不鮮明ながらも国綱だが、これは改竄したもので、元は安綱だったことになっている。いや、その安綱銘も元々は後銘だとする説もある。それでも世間の通り名は鬼切安綱である。

 それがすみ花の疑問だった。

「なんで国綱の銘を入れたんだろう?」

「名刀や名物の伝説が流布するのは桃山時代あたり。大名たちが自身の権威づけや贈答用に名刀蒐集に血道を上げた。その頃には正宗や粟田口吉光や国綱の名前は知れ渡ったけど安綱のランクは今ひとつ。それでも安綱には童子切安綱という大名物があり、鬼切安綱ではインパクトが弱い。一方、国綱には鬼丸国綱という名刀があって、天下五剣にも加えられているので、それに紛れさせようと誰かが考えたのかも知れない。偽銘を入れる人間の考えることなんて、わからないよ」

 

 下鴨神社は太古の森に覆われている。バスで賀茂川を渡り、下鴨神社前で降りて西参道から入るのが本殿へ最短なのだが、緑深い境内の雰囲気に敬意を表して、糺ノ森で降りた。これとて長い表参道からはずれているが、悠久の原生林の一端に触れることはできる。

 楼門を入り、授与所で心春は波紋柄の「鴨の音守」、すみ花は縮緬生地で縫われた「媛守」を受けた。それから堂々たる建築群の間を抜け、干支ごとに守護神が七つの社に分かれている言社で参拝をすませた。

 心春は怪訝な表情で周囲を見回す。

「どした? 心春」

「何か感じる」

「神様のパワーかな」

「そんな有難いものじゃない。私らを珍しい動物でも見るような視線……」

 しかし、彼女たちにそんな視線をぶつけてくる者は見つけられなかった。気のせいだと思うことにした。

 中門を出て、御手洗社で水みくじを引き、御手洗池に浸した。この神社には楼門の外に縁結びの相生社もあり、女子好みの空気が漂っていて、すみ花は無邪気に楽しんでいる。

「乙女だね、すみ花は」

「心春もお守りを欲しがるとは意外に可愛いところがあるよね。女子らしく河合神社で美麗祈願するか、それともみたらし団子でも食べて帰る?」

「時間があればそうするけど、他に寄りたいところができた。あんたはついてこなくていい」

「行くよ。私ね、中学の時の渾名がポケモンだったんだよ。人について歩くから」

 心春はスマホでバス路線を検索する。

「ねぇ。どこ行くの?」

「一条戻橋」

 渡辺綱が鬼に襲われ、さらわれそうになったという伝説の橋である。

 下鴨神社からは北野天満宮へ少々遠回りで戻る経路になる。北大路堀川でバスを乗り継いで、現在の一条戻橋へ足を延ばした。

 彼女たちの前に現れた一条戻橋は石材で装飾されているが、平成の世に架け替えられたコンクリート製だ。普通の街中にある普通の短い橋だが、橋の下に降り、鬱蒼とした木陰に入ると都会の喧騒から遮断され、神秘的な風情がある。堀川に架かる橋ではあるが、現在、流れている小川は琵琶湖疎水の水を還流させたものらしい。安倍晴明は自分が使役する式神たちを一条戻橋の下に隠していたというが、それも有り得る雰囲気だ。

 以前の戻橋は北へ百メートル離れた晴明神社に一部の部材を移して再現されている。安倍晴明の屋敷跡に造営された神社である。

「行ってみるか」

 心春は歩くのは苦にならない。すみ花も芸大音校のお嬢様らしくもなく足腰はタフだった。

「安倍晴明って陰陽師とかいう平安時代のお役人でしょ。そこら中に鬼がいた時代らしいけど、興味あるの?」

 すみ花にそう訊かれたが、心春にもわからない。

「安倍晴明というより阿倍仲麻呂に……ちょっとだけ興味がある」

 心春は鬼鍾馗の鐔を思い出していた。耳には阿倍仲麻呂の「天の原……」の和歌が象眼されていた。

「安倍晴明は阿倍仲麻呂の一族だという。阿倍仲麻呂には安倍の字をあてることもある。仲麻呂は陰陽道の聖典である『金烏玉兎集』を持ち帰ることが遣唐使としての目的だったという説もある。けれどもに玄宗に重用されて帰朝もかなわず、吉備真備がその任を果たすことになる。真備が唐の重臣たちの妨害を受け、窮地に陥るたびに鬼と化した仲麻呂が助けた。真備は『金烏玉兎集』を日本に持ち帰ることに成功し、彼はこれを仲麻呂の子孫に伝えた。そんなわけで吉備真備を日本の陰陽道の祖とする説もある」

「バスの中で何を熱心にスマホ見てるのかと思ったら、そんなこと調べてたの?」

「金烏は日(太陽)、玉兎は月のことで、この二つは「陰陽」を表す。北野天満宮の三光門も陰陽の思想と無関係じゃない。でもさ、『金烏玉兎集』は晴明が用いた陰陽道の秘伝書とされているけど、鎌倉時代末期か室町時代初期に成立した書と見られている。要するにフィクションの世界よ。私が興味あるのは、仲麻呂は帰朝できずともその生霊が鬼となって真備を守ったという伝説。その鬼は真備とともに日本に渡ってる」

「それこそフィクションの世界」

 そんな会話を交わすうちに晴明神社へ着いた。

「ここもその世界のひとつよ」

 大規模だったという創建当時の面影はない街中の神社である。一の鳥居を入ると旧戻橋を見ることができるが、欄干の親柱が名残として移設されたミニチュアだ。むろん、平安時代の遺物ではなく、近代の橋だ。傍らには晴明が従えていた式神の石像が据えてある。下級神らしいが、これも鬼の姿だ。愛嬌がある顔つきで手には払子を持っている。目には黒い石が嵌め込まれており、それが心春から視線を逸らすように動いた。

「動いた」

 と、声を発したのはすみ花だ。

「ねぇ、目が動いたよ。どういう仕掛けなんだろう?」

「仕掛けじゃない。口もブルッと震えた。石なのに」

 心春はかがみ込んで式神に顔を近づけ、睨みつけた。

「おい。なぜ目を逸らす?」

 心春の言葉にすみ花がツッコミを入れた。

「ええ? 疑問に思うのはそれ? どうして動いたかじゃなくて?」

「まあいい」

 心春は背筋を伸ばし、歩き出した。

「私の美しさを直視するのが恥ずかしかったのね。そういうことにしとこう」

「恐るべし、平安の鬼。もっと恐るべし、奈良心春」

 すみ花はのんきに感心している。

 晴明神社も今では観光地だ。晴明と式神の顔出しパネルまで設置されている。

「写真撮っていこうよ」

 と、すみ花は誘ったが、

「断るっ。これ以上、何か異変が起きても困る」

 心春はスマホでバス停を検索しながら歩き出している。タクシーなどという移動手段は非常時でなければこの娘の発想にない。

 晴明神社は鬼の侵入から内裏を守るために平安京の鬼門である北東に建てられたという。平安京は四神相応の考えに基づいて造営され、北に船岡山、東に鴨川、南に巨椋池、西に山陽道を配置してる。

 心春は早足で歩きながら、いった。

「平安京は巧妙な魔除けが構築されていて、朱雀大路とりわけ大極殿に『気』が集中するように設計されたらしいけど、それでも大極殿のすぐ近くの宴の松原にさえ鬼が頻繁に出没したというんだから、この都の防御システムも無力だったわけね」

「鬼も悪い奴ばかりじゃないと思うんだけどな。人を襲う乱暴者もいれば人を助けるいい奴もいる」

「もとは山奥や孤島に住む異様な者たちを鬼と呼んだのでしょ。古くは大和朝廷と敵対した製鉄業者が鬼にたとえられたという説もある」

「平安の末頃から、鬼は角のある恐ろしげな姿に描かれるようになるけど、実際には角を持つ動物は牛や鹿のような草食獣ばかりで攻撃的な肉食獣はいない。だから角は悪者のシンボルというわけじゃない」

 意外なすみ花の熱弁だった。

「すみ花も鬼の話になると熱が入るね。そうね。いつのまにやら鬼と神が混同され、戦乱の時代になると鬼神という言葉が使われるようになる。どちらかというと、これは褒め言葉だよね」

「鍾馗も鬼神の仲間だね」

 鍾馗が正義で鬼が悪とは限らないし、両者が敵同士と決めつけることもできない。心春は鳥居の下から本殿を振り返り、「そうだよね」と呟いた。

 

 初日のライブは二時間半ほどで終え、自主制作のCDやTシャツや生写真を売り、自由になったのは夜も遅くなってからだった。心春もすみ花もこんな時刻でも食事をすることに抵抗がない。

「餃子にビールで食事して帰ろうか」

 ライブ終わりのテンションですみ花がそういい、心春も気分は高揚しているのだが、ライブの反省点を頭の中で整理しているので、会話は上の空である。

「胡麻サバ食べたい」

「ここ京都だよ。福岡じゃないし」

「私に式神が使えたら福岡までひとっ飛びさせるんだけど」

 ライブハウスの外に出ると、心春は周囲を見回した。夜の繁華街には気だるいような喧噪しかない。

「演奏中、異様な視線を感じた」

 と、心春が呟くのをすみ花は大きく頷きながら聞いていた。

「そりゃあんな怒涛のギター弾きまくってたらお客さんの注目も集まるよ。ほとんど、あきれられてるんだけど」

「そんなのは慣れてるんだけどさ。なんだか刺すような視線……。誰だかわからないけど」

「ミニスカートなんかはいてるからじゃないの」

「うーん。かも知れん」

「下鴨神社でもそんなこといってたね」

「悪意はなさそうなんだけど」

「私も感じたけど、視線というより声みたいだった」

「声? お客さんの歓声ではなく?」

「違う。才能ある子は脇道に逸れる。もったいない……。そんな声」

「演奏と歓声の中で、そんな声が聞こえた?」

「聞こえたような気がした。私もトランス状態だったのかも」

「脇道に逸れるのがもったいない……か。ひとつのことに集中しろという意味かな」

「まあいいじゃん。さ、餃子餃子」

 すみ花に手を引っ張られ、中華屋へ向かった。