童子切り転生 第一回

童子切り転生 第1回 森 雅裕

 この物語は御覧の通りフィクションであり、登場す る人物、団体、出来事はまったく架空のものです。

 

 私は鬼に愛着がある。たぶんそれは……私自身が「ろくでなし」「落ちこぼれ」「負け犬」に始まり「変態」「異常者」「疫病神」に至る罵倒を若い頃から浴びせられ続け、五十歳過ぎた今、ホームレス同然の生活をするに及んで、どうやら自分はまともな人間ではないらしいと気づかされたことが原因である。

 私は鬼を好んで彫刻する。刀装金具の制作が私の日常の大半を占める。生計を立てるほどの収入は得られないので、これが職業だとは自称できないが。

 元々は小説家である物珍しさから新聞社が取材に来て、「自分は鬼。人間であることを辞め、彫金に魂をこめる」なんて気恥ずかしい記事が掲載されたこともある。

 貧乏生活では自前の仕事場など持てないから、騒音やゴミを発生するような作業だと刀鍛冶の工房の隅を使わせてもらうことも多い。問題がここに発生する。工房の隅を使うのは私だけではないのである。正式な弟子たちもいるし、体験入門みたいな見学者やら有象無象やら総勢十人ほどが通ってくる。

「私ハ日本ガ大好キダカラ〜」が口癖の南米人もまた週一回、道楽で鐔や刃物を作りに来る。本業はダンス教師だというが、相撲取りのような体型を見れば、どの程度のダンサーだか推察できる。

 刀鍛冶の工房においても迷惑なだけの存在で、材料は無駄にする、道具はこわす、惨憺たる有様であるが、私の指導など聞かないから、他者の評価なら耳を貸すかと「鐔をコンクールに出してみたら」とすすめたところ、「人ト争ソウノハ嫌イデース」と一蹴してくれた。争うレベルじゃないことを知ってもらうために出品しろといったのだが……。

 この男、約百枚の鐔を持っているという。外国人の愛刀家は日本人より多いといわれるくらいで、刀装具のコレクターも珍しくない。タイプは二つに分かれ、日本人よりも真摯に日本文化を尊重する者、あるいは表面だけの日本かぶれである。後者の場合、日本刀に金メッキして、「ドーデスカ、キレイデショ」と自慢したりする。まあ、この男がどちらに分類されるか、いうまでもあるまい。真夏でも必ず作務衣と足袋を着用し、「暑イ暑イ」といっているのだ。日本趣味のつもりらしいが、それメイドイン・チャイナだよ。

 そんな彼が、

「コレ、蚤ノ市デ買イマシタ。材料ニシマース」

 工房で見せびらかしていたのは片目貫である。本来、柄の表と裏に装着するため二つが対になっているものだが、片方が失われていた。図柄は鬼である。

「材料?」

「ウン。私ガ作ッタ鐔ニ象嵌スルネ」

 古い目貫を高彫据文として鐔に象嵌し、図柄として再生する例はたまにあるが、傷つけずに象嵌するには技術が必要となる。大体、彼の「象嵌」は嵌め込みの技術ではなく、金属用接着剤で貼りつけてしまうことである。

「駄目ですよ」

 私の声は怒気を含んだ。

「この目貫を使うなら、あなたの鐔もそれに匹敵する出来でなきゃ釣り合わないでしょ。今日まで伝えられてきた日本の文化遺産を破壊することになるんですよ」

 彼はこれまでにも似たような文化破壊を何度もやらかしており、無文の献上鐔を安物と勘違いして、ぼろぼろの透し鐔に改造してしまったり、名品の鐔に象嵌された高彫据文を引き剥がし、「ドウヤッテ、クッツケテアルノカ、調ベマシタ」なんて、すましていたこともある。

 注意するとふてくされるのが常なので、私は彼のやっていることに背を向け、何もいわないようにしていた。だが、この時ばかりは黙っていられなかった。なにしろ、鬼の目貫なのだ。しかも、タダモノならぬ出来と見えた。

「こわすくらいなら、私に売ってください」

「こわす」と決めつけるのも失礼だが、そもそも、この男が鐔作りを成功させているのを見たことがなかった。

「いくらですか」

 もはや喧嘩腰である。相手は日本文化への理解度は低くても人間的には私よりハイレベルと見え、

「ウーン、シカタナイネ。私ガ買ッタ値段デイイデス」

 二万円で売ってくれた。本来ならもっと値打物だろうが、彼の見る目のなさに心から感謝した。とはいえ、定期収入のない身には痛かった。彼みたいな男が毎週のようにどこかの骨董市でこんな買い物をしているという経済格差にむなしさを覚えた。しかし、目貫そのものは気に入った。

 赤銅ではなく山銅容彫。銘はないが、時代は江戸後期だろう。河野春明の匂いがする。洒脱な江戸趣味を特徴とし、文政年間の中頃に法眼に叙された名工である。私が目標とする金工だ。

 好きなものに対する直感は磨かれる。雰囲気を一見しただけで、作者がわかることも多い。山銅は銅の精錬技術が低かった時代の素材で、春明の時代には使われることも少ないが、独特の味わいがあるので、平成の現代でも古い山銅を探してきて使う金工がいるくらいだ。

 この目貫の失われた片方はどういう図柄だったのだろう? 鬼と来れば「金棒」か。しかし、刀装具における鬼は大津絵のようなユーモラスな姿で彫られるのが常である。なのに、こいつは妙にスマートだった。角こそ生えているが、美形である。しかも、虎の褌という定番ファッションではなく、着物をだらしなく(つまり妖しく)まとっている。

(何だ、こいつ……?)

 帰宅して、何かいわくある画題なのかと調べてみた。帝国芸術刀剣保存協会なる団体が発行している図録に河野春明在銘の彫金板が載っていた。刀装具ではなく、四角い銅板に鬼の面を手にした女を彫ったものだ。垂髪で、桃山時代より前の女の姿である。

 画題は不明だが、まず、楠木正成の娘・千早姫が候補にあげられる。湊川合戦で正成を討ち、その愛刀を得た大森彦七から父の遺品を奪還するため、千早姫は鬼に化けて彼を襲う。彦七は正成が覚悟の討死だったことを告げ、刀を返すと、千早姫を逃がしてやる。そして、正成の亡霊に刀を奪われたと狂気を装って、姫を捕捉しようとする者たちから彼女をかばう。

「太平記」では正成の亡霊に悩まされ、これを大般若経で退散させたことになっている。彦七が鬼女を背負っている図柄で、刀装具でもお馴染みである。重要文化財に指定された奈良利寿の鐔が知られている。

 しかし、鬼が正成の亡霊ではなく千早姫の仮の姿として登場するのは歌舞伎の世界だ。明治三〇年、福地桜痴の作である。河野春明の時代ではない。

 では、この彫金版に彫られた鬼面を持つ娘は誰だ? 不明だった。いずれにせよ、目貫の鬼と関係はなさそうだ。私はそう考えた。

 これが奇妙かつ面倒臭い事件の始まりであった。

 

 その夜、夢に鬼が出た。目貫と同じ、美男の鬼だった。

「母里真左大」

 私の名を呼び、

「台無しにされそうなところを救ってくれて、ありがとうよ」

 と、彼は冷たく微笑んだ。

「日本昔話なら、御礼を持参するところだが」

 そういう私に、

「百数十年の眠りから覚めたばかりで、何も持ってない」

「じゃ尋ねるが、百数十年前にお前さんを作ったのは誰だ?」

「河野春明という彫り師だ」

「思った通りだ」

「土産はないが、空でも飛んでみるか」

 返事も待たず、鬼は私とともに雲の高さまで一気に舞い上がり、猛烈な速さで日本列島を西へ飛んだ。空の散歩といえるほど優雅なものではない。風圧で呼吸もできず、目からは涙がちぎれ飛んだ。

 高度を下げると、緑に囲まれた神社仏閣らしき建造物が近づいてきた。境内の隅に、階段だか塔だか不明の石塊が転がっていた。廃墟のようでもあった。

「何だ、これ。ここはどこだ?」

 鬼は石塊の傍らに建っている石碑を指した。刻まれた文字の中に「頼光」の文字が読めた。古い墓所らしかった。しかし、噴火でもしたかのように、墓碑は破壊されている。

 内部を覗いてみた。石室の底は空洞だった。

「頼光が復活した」

 と、鬼はいった。

「ライコーって、何者だ? それにお前も……名前くらいあるんだろ」

「俺は茨木」

「あれっ。頼光に茨木……。それはつまり……」

「戻るぞ」

 茨木と名乗った鬼はニタリと笑い、再び私の身体を宙に飛ばした。その衝撃で、目が覚めた。 

 

 私は葛飾に住んでいる。この地は日本刀の世界では全国屈指のハイレベルを誇っている。刀鍛冶では帝国芸術刀剣保存協会が認定した無鑑査が四人(うち二人は東京都指定文化財)、研ぎ師と白銀師も無鑑査が一人ずつ居住している。

 私が住みついたのもこうした職方たちと交流し、学ぶためである。本業は文筆業であるが、そっちのけで、刀装具の彫金をやっている。おかげで本業は開店休業状態、執筆依頼はほとんどなくなってしまったが、それは今は置いておく。

 こうした職人たちの中心的存在である宮原芳人刀匠の工房に私が通い始めて、二十年近くなる。最初の頃は弟子も一人か二人しか置かず、それなりに仲間意識もあったが、現在は十人近くに増員され、徒弟制度というより、もはや学校と化してしまった。それも偏差値の低い学校だ。人数が増えれば、レベル低下は自明の理というもの。

 四十年近く前、まだ偏差値が高かった頃に弟子であった吉野義光という刀鍛冶がいる。宮原師の最初の弟子で、文字通り一番弟子であり、今は日本を代表する刀鍛冶の一人となっている。そして、私が住むアパートの大家である。私が三階、吉野は家族と四階にすんでいるが、ここでは銘切りや鍛冶押しを行なう程度で、火を使う鍛錬場は出身地である新潟とスポンサー企業の本拠地である岡山の二カ所に持っている。

 したがって、東京には年の半分もいないのだが、その彼から「面白い刀があるから見に来る?」と声をかけられた。

 彼の部屋で、私の前に置かれたのは、鞘にも納まっていない太刀だった。

「古い焼け身だったが、先日、俺が岡山で再刃した」

 吉野はプライドの高い職人で、刀剣の修理依頼などは受けない。修理したことを隠して売買される不正が横行しているからだ。

 刀剣修理は再刃ばかりでなく、埋鉄、銘消し、切断された茎尻の溶接、果ては茎そのものを刀身に「合体」させる継ぎ茎などの偽物作りまで、実に幅広く行なわれている。器用な刀鍛冶なら、見破れない工作をやってのける。レーザー溶接という文明の利器を使えば、刃中の傷を溶接で埋めても、焼きが戻るような高熱は発しない。

 だが、刀鍛冶は手間賃しかもらわず、あくまでも職人として客の依頼に応えただけ。悪いのは売買する商売人という理屈も成り立つ。

 しかし、たとえ友人の依頼でも、居合刀の曲がり直しさえ断わるのが吉野義光なのである。その彼が再刃したなら、並大抵の刀ではあるまい。

 再刃後、鍛冶押しを施した段階だから、研ぎ上げられておらず、刃文は見えるが、地肌など詳細はわからない。それでも尋常ならざる雰囲気は漂う。

 茎に「安綱」の銘がある。平安中期、日本刀の形が完成された最初期の刀剣で、古伯耆の代表格である。

「本物かな」

「真贋はわからんが、古くは見える。それも尋常な古さじゃない。兵庫県の神社が持ち主で、協会を通して、俺に依頼してきた」

 協会というのは帝国芸術刀剣保存協会。略称は帝刀保。刀剣関係者は単に「協会」と呼ぶ。

 終戦直後、進駐軍による刀狩りから日本刀を守ったお歴々を中心に設立された団体で、刀剣界に権力をふるってきたが、長年続いた組織であるから、今やキレイ事だけではすまなくなっており、諸問題が噴出している。吉野はこの協会のいいなりになるような性格ではない。

「興味ある刀だから再刃を引き受けた。こいつに命を吹き込めるのは俺しかいない」

 自信家である。確かに、焼入れの技術は日本一と自他ともに認める刀鍛冶だ。

「協会が神社の所蔵刀を調査しているうち、こいつは名刀だから再刃しましょうという話になったらしい。売り物買い物なら、再刃の依頼なんか受けないが……」

 過去、日本では火災で多くの美術品が焼失してきた。刀剣も例外ではない。ただ、鉄製品なので、熱で焼きが戻った程度ならば、焼入れをやり直して再生できる。オリジナリティが失われるので、美術的価値は大幅に下がるが。

 価値はともかく、この刀には目につく箇所が一つあった。

「この茎(なかご)、安綱にしちゃ珍しい形だな」

 雉子股と呼ばれる鳥の脚のような特殊な形状をしている。安綱ほど古い刀がそう何本も現存しているわけではないが、こんな茎は他に見たことが……。

「あるなア。何かの押形で見たことあるぞ」

「うん。俺も手に入れた」

 吉野は古文書のコピーを一枚、私の前に広げた。

「『本阿弥光悦押形集』にこの刀が掲載されている。これがそのコピーだ」

 現代なら押形という拓本を採録するが、そのための石華墨は幕末以降の輸入品なので、昔は手書きである。従って、押形というより臨模である。

 安綱と銘のある茎が描かれている。雉子股茎は目の前の現物と確かに似ているが、なにしろフリーハンドで、正確さを期していない刀絵図だ。寸法も記録されていない。ただ傍らに「童子切」と書き込まれているのみだ。

 いうまでもなく、童子切りと号した安綱は東京国立博物館の所蔵で、日本刀の横綱といわれている国宝だ。茎は通常の形状で、この絵図のような雉子股ではない。

 吉野は語った。

「光悦押形に国宝とは別物の『童子切り安綱』が載っていることは、研究者の間では知られている。光悦の時代は安土桃山から江戸初期。その頃には童子切りが複数あったのか、あるいは長い歴史の間にすり替わってしまったのか、それはわからない」

 押形の矛盾は珍しくない。豊臣秀吉の形見として伊達政宗に譲られたという鎬藤四郎と呼ばれる吉光の短刀も、現物は明暦の大火で焼失したが、押形は三種類が伝来しており、これが全部異なっている。

 安綱は時代の古さのわりには現存数が多いといわれるが、稀少には違いないから、目の前の安綱が刀絵図の安綱と同一ということも有り得なくはない。まあ、それでも正真の安綱かという疑問はあるわけだが。

 千年の昔、一条天皇の御代(九八六〜一〇一一)、丹波大江山(近江伊吹山ともいう)に棲む鬼の一党を源頼光と彼の四天王が退治したというのが酒呑童子伝説である。童子切り安綱はその際の頼光の佩刀であったといい、のちには足利将軍家から秀吉の手に渡り、さらに家康、秀忠を経て越前松平家、津山松平家と伝来して、戦後は愛刀家の間で所有権をめぐる裁判沙汰もあったが、文部省が買い上げて、現在に至っている。

 私は夢を思い出した。頼光の名前を刻んだ墓所が崩れる夢だ。因縁を感じずにはいられない。人生は不思議なものである。だが、予知だの神秘というほどのことではなさそうだ……。

 当然のことながら、鬼退治の信憑性には問題があり、山賊退治が伝承化したものという常識的な見方もある。仮に鬼退治が史実としても、東博所蔵の「童子切り」がその刀だという証拠はない。そもそも「鬼切り」あるいは「鬼切り丸」と号した安綱は各地に複数が伝来しているのだが、東博の安綱がそうした逸話にふさわしい国宝だから、誰も異を唱えないだけである。

「けど、こいつも童子切りと呼ばれるにふさわしい雰囲気があると思わないか」

 そういう吉野は整形や焼入れの作業を通して、タダモノならぬ手応えを感じたらしい。

 古くから神社にあったためか、研ぎ減りはさほどでもないが、何といっても再刃である。平成の名工による再刃とはいえ、東博の安綱に比べるとグレードはだいぶ下がる。もともと東博の「童子切り」は安綱の作刀の中でも群を抜く出来映えなのだ。同列には評価できない。

「不思議なことに、この刀をここに持ち込んで以来、アパートの屋上にいつも集まっていたカラスどもが寄りつかなくなったよ」

「ああ。それは私がカラスを見るとエアガンを撃ちまくるからだ」

 刀剣にはロマンがつきものだ。もっとも、歴史のロマンだなどと感慨を深くするのは、私や吉野のように呑気な人間だけだ。刀剣にまつわるそんな逸話は商売に利用されるだけなのである。そうした付加価値には値段がつき、刀の本質よりも肩書きを喜ぶ愛刀家が財布の紐を緩める。売り物でない場合は、博物館や神社仏閣で客寄せに利用される。

 たとえば、新選組隊士の刀だとか坂本龍馬ゆかりの刀という触れ込みの「商品」がどれだけ世間にあふれているか。しかも、そんなものをどこからか「発掘」してくるのはいつも同じ「歴史研究家」「刀剣研究家」のグループなのだ。

 幕末でさえそうなのだから、平安時代の刀剣伝説など鵜呑みにはできない。

「こいつには古い太刀拵も付属しているんだよ」

 吉野は床の間に置かれた長い桐箱を開け、太刀拵を取り出し、毛氈を敷いた机上に安綱と並べて置いた。

「焼け身で反りが変わって以来、この拵には納まっていなかったらしいが、今回の再刃では拵に合わせてくれという依頼だった」

 もっとも、こんな古い拵に安綱を入れて保管するわけにはいかないから、白鞘を新調する手はずなのだろう。

 私は息を殺しながら拵を眺めはしたが、手を触れるのは遠慮した。再刃した安綱はこれから研ぎなどの仕上げにかかるので、私の指紋がついてもどうということはなかろうが、古い拵となると、持ち主の了解もなく気軽には触れられない。

 なにしろ、迂闊に触れれば崩壊しそうなボロさだった。拵には刀剣ほどの耐久性がないから、さすがに平安の制作ではないが、室町後期くらいだろうか。実戦的な革包みの太刀拵である。

 ふと疑問に感じた。

「刀身は火事に遭ったのに、拵は残っているということは、別の場所に保管されていたのかな」

 江戸中期以降なら、刀身は白鞘に入れて保管するようになる。それにしても、拵も同じ場所に置いておきそうなものだが。

 吉野がいった。

「神社の記録だと、江戸末期に刀身だけ盗み出されたことがあるらしい。戻った時には焼け身となっていたとか」

「なら、焼ける前と見た目は一変していただろう。どうして同じ刀だとわかったのかな」

「刀は自ら戻ってきたというんだ」

「何だ、そりゃ。まさか刀が歩いて戻ったわけじゃあるまい」

 しかし、ありがちな伝説だった。大火事でも刀だけが焼け残ったなど、神がかり的な話は珍しくない。

「あ、そうだ。私の方も見せるものがあったんだ」

 私はポケットからティッシュにくるんだ目貫を取り出し、吉野の前で開いた。

「無銘の片目貫なんだけど、変わった鬼が彫ってある」

 吉野はそれを手に取ろうとしたが、

「あ」

 小さく叫んで、落とした。毛氈の上で弾んだ目貫は安綱の刀身にカチンと当たった。

「今、動いたよ、この目貫」

「あ?」

「いや。勝手に滑り落ちたような気がした。目貫が刀に磁力で引っ張られるような……」

「更年期障害で手が震えたんじゃないのか。それで目貫がスッパリ切れていたら、それこそ鬼切りだが」

 研ぎ上げ前で、刃はついていないから、切れるわけもない。

 吉野はしみじみと目貫を眺めた。

「ふうん。うまい彫りだな」

「河野春明だと思う」

「でも、山銅だぜ。一流工なら赤銅を使いそうなものだが」

「何か事情があったのかも」

 赤銅は銅と金の合金なので、高価である。河野春明の壮年期の作品は良質な赤銅に種々の色金を象嵌、色絵した華やかで緻密なものだが、晩年には鉄、四分一、素銅など安価な材料を使い、技巧的にも単純なものが多くなる。これは偏屈な性格ゆえに経済的に恵まれず、創作意欲も衰えたためと考えられている。

 安綱には白鞘もなく、吉野は新聞紙で作った紙鞘へ納めようとした。その活字の中に「頼光」の文字が見え、

「ちょっと待て」

 私は紙鞘を手に取った。刀身の形に細く巻いてあるのだが、ばりばりと破って、紙面を広げた。吉野は文句をいったが、こちとら聞いちゃいなかった。

「源頼光の墓廟、破壊される」の見出しがあり、崩れた石塊の写真が掲載されている。

 吉野が口を尖らせた。

「何だよ、気になる記事か」

 この光景を夢で見た、とはいえなかった。

 夢で見たのは崩れた墓碑だけで、場所は特定できなかったが、記事によれば、源頼光の墓廟は兵庫県川西市の多田神社にあり、父の満仲と合祀されていた。

 記事を私の横から覗き込んだ吉野は、たいして興味もなさそうに、いった。

「あ。これね。この多田神社が安綱の持ち主なんだ」

「何……だってえ!?」

「所蔵刀の調査なんかで、協会ともつながりがあるらしい。あ、俺に再刃を依頼してきたのが協会理事の鯉墨寿人だ」

 事件が起きたのは一週間前だった。深夜にカラスが騒ぎ、轟音が響き、上空が光ったという証言もある。翌朝、神社の関係者が境内を見回ると、墓が破壊されているのが発見された。

【所蔵品調査のため、同神社を訪れていた帝国芸術刀剣保存協会・鯉墨寿人さんの話「落雷じゃないですかね。火事にならなかったのが不幸中の幸いです」】

 マスコミが注目するようなニュースではない。記事は小さく、落雷もしくは悪質な悪戯くらいの扱いでしかなかった。重機でも持ち込まねば不可能な悪戯だが。

 墓廟の中は暴かれていたのかどうか、記事では触れていなかった。遺骨などの現状については、神社側は「畏れ多いのでコメントできない」としている。そもそも、そこに満仲や頼光の骨が実在したものかどうか。史蹟なのだから、確認するのは不遜というものだろう。東京大手町にある平将門の首塚だって、関東大震災で崩れた折、中を調査したら空だったという話がある。

「頼光の墓がある神社の所蔵なら、この安綱が童子切りだという信憑性も出てくるだろ。鬼を斬ったかどうかはともかくとして、頼光の愛刀だった可能性はある」

 と吉野はいったが、私はそう単純には考えなかった。 

「歴史上の人物の愛刀については、俺も執筆のために随分調べて回ったがね、子孫が所蔵している刀の中にも、帳尻合わせのために買ってきたというものが結構あるし、矛盾点を追及すると、平然と、あれは間違いでしたけど、それが何か? と開き直る研究者もいる。無批判には信用できないね」

「疑り深いな。神社の言い伝えでは、刀が所蔵庫から盗まれた江戸末期にも、盗難直後に頼光の墓が崩れたそうだ」

「まるで、盗まれた刀を追いかけるために頼光が出ていったかのごとく、か」

「神社では墓廟を修復したが、まもなくまた崩れたという」

「まるで、頼光がその中に戻ったかのごとく、か」

「そして、この刀は墓の前で見つかった」

「まるで、頼光が取り戻してきたかのごとく、か」

「小説のネタになりそうだね」

「ふん。誰が主人公になるんだ? 源頼光の名前を知っている日本人がどれだけいるかな」

「そこを啓蒙するのも小説家の役割だろ」

「二十年もそのつもりで小説書いてきたがね、その結果、私はホームレス同然になって、このアパートに転がり込んだ」

「記録的な家賃滞納されて、その点は大家としても非常に迷惑している。源頼光がモデル体型の美男子で、兜に『愛』だか『恋』だかの前立を飾って、博愛と義理に生きた正義の武将だという小説でも書いて、ドラマ化やパチンコ化で稼いでくれよ」

「私は嘘は書けない。世の中には嘘八百書いてる小説がどれだけ多いか。日本刀の反りは焼入れの時に芯鉄が縮むから生じるとか、へっ、ありゃ刃の組織がマルテンサイトに変わって体積が増えるためだ。冶金の常識だぜ。曲がった刀は一晩吊しておけば真っ直ぐに戻るとか、偽物の茎で塩鮭を焼くと絶妙の錆がついて見破れないとか、甲伏せは粗製濫造の造り込みだとか、達人が刀を振ると風切り音がするとか、ありゃ刀に樋があるから音を発するんだろ、それからそれから、小龍景光を一度も見たことのない刀鍛冶がその偽物を作って、東博所蔵の本物とすり替えても誰も気づかないなんて、無知蒙昧、考証無視、馬鹿馬鹿しい小説が横行している。そんなのを原作にした時代劇は輪をかけてひどい。刀で石灯籠を斬るかと思えば、甲冑武者も刀でバッタバッタと斬り倒す。一体、何のための甲冑だ。そうかと思うと、有名作家いわく、据物斬りとしての兜割りは絶対不可能だと。冗談じゃない。兜だって、やり方次第でスッパリ斬れらア」

「随分、文句を並べたなあ」

「大体、東京の刀鍛冶を代表する宮原師のところにTVや雑誌の取材は毎月のように来るが、小説家は後にも先にも私しか来ていない」

 私が宮原工房へ出入りするようになったのも、取材に訪れたのがきっかけだった。

「一体、私以外の、刀の小説を書いている連中はどこで取材しているんだ? しちゃいねーだろ。作家がそんなだから、編集者も不勉強。『磨り上げ』は『磨き上げ』に、『焼き手腐らかし』は『焼いて腐らせる』に必ず書き換えられる。専門用語なんだと説明すると、そんな日本語があるかと怒り出す。許せん。出版業に関わる資格なしっ」

「そういうお前さんの生真面目さというか堅苦しさが、小説に真実を求めない一般読者に受けないんじゃないのかね。嘘でも面白きゃいいという考え方もあるぜ」

「面白くねえよ、嘘なんか書いたって」

「現代刀匠や関係者だって、TVや雑誌で面白がられてるのは決まって大ボラ吹きだよ。鍛錬は鉄を駄目にするから洋鉄素延べが一番ですと力説する奴。私の刀は釘が切れますなんて自慢する奴もいる。鋼で鉄が切れるのはあたりまえだろ。飛んでくる弾丸を刀で切ってみせるなんて番組、それ用の特注弾丸で、何度も実験したヤラセだぜ。『なんとか散歩』って番組じゃあ、俳優が散歩中に刀鍛冶の仕事場を発見したふりしてたが、二週間も前にスタッフが打ち合わせに来てる。他にも、先祖伝来の刀は家宝なので、一度も抜いたことがありませんなんて、登録してないことをNHKの番組で公言する奴。詐欺、経歴詐称、銃刀法違反、そんなのがゴロゴロしてら。世間は真実なんか求めてないよ」

「おや。そんな奴らの肩を持つ吉野義光とも思えないが」

 普段、私の何倍も他人を批判、攻撃する性格なのである。その吉野が、

「プライドばかり高くたって、飯は食えないっていってるんだ」

 まともなことをいう。ひねくれ者だから、反射的に私に反論しているのである。 

「よくいうぜ。お前だって、刀の修理は引き受けないじゃないか。過去の自作刀の注文銘、持ち主が変わったから消してくれって頼まれて、やりたくないと断わったのは誰だ?」

「しつこいから消してやったよ。二度と来るなといったけど」

「それで二十万も要求して、せめて半額にしてくださいと泣きつかれていたじゃないか。お前の師匠の宮原師だって、一、二万のお手頃料金だぞ」

「俺は師匠とは違うよ」

 同じ町内に住みながら、吉野は宮原師と不仲である。こんな性格だから当然ではあるが。ただ、偏屈では私も負けていないのである。

「私だって、他の小説家とは違うわい」

 私は不愉快になり、鬼の目貫をポケットに押し込むと、吉野の部屋を辞した。

 その数時間後に彼を襲う災難など予想もできず、頼光の墓廟へ鬼とともに飛んだ夢が、その前兆であるとも考えなかった。