鬼鶴の系譜 元禄編 第三回

鬼鶴の系譜 元禄編 第三回 森 雅裕

 釣谷新吾という男、ろくでもないことには頭が回るらしい。

「師走の十三日はどこの屋敷も煤払いと決まっている。使用人や出入りの者ども総出で大掃除を行う」

「小身の旗本はそんな大袈裟なことはしないけどな」

 縫之助は他人事のように呟いたが、新吾はかまわずに目の前の蕎麦屋・武右衛門を見据えている。

「煤払いのあとは働いた者たちに蕎麦などふるまうのが慣例だ。その蕎麦作りをイトとおぬしで競うのだ。より多くの者がうまいと入れ札を投じた方が勝ち」

「公正な勝負なのかな、それは」

 と、木原武右衛門こと毛利小平太は抗議するように、いった。新吾は冷笑しか見せない。

「森殿、小林殿にも判定に加わっていただこう。イトが勝てば、あの娘は自由。おぬしが世話をしてやるのもよかろう。そして、おぬしが勝てば、おぬしに店を一軒持たせてやる。ただし、イトは身売りだ。どうかな?」

「俺は自分の店よりもイトの自由を選ぶかも知れんぞ」

「おぬしが負ければどうなるかな。品川界隈はおろか、江戸市中で商売などできぬ予感がするぞ。ふふ。棒手振りの鑑札も持てるかどうか……」

 妨害する力を釣谷家と猪之松は持っているということか。しかし、毛利小平太が蕎麦屋という商売にどれほど執着しているのか、縫之助も平八郎も知らない。負けてもかまわぬ考えで、この勝負を受けるかと思ったら、意外にも、

「考えておく」

 と、小平太の返答は曖昧だった。

 

 

 釣谷新吾との対面を終え、外に出て、猪之松の店構えの横へ向かうと、ひと悶着が起きていた。そこに置いた小平太の屋台を知性のなさそうな男たちが取り囲み、

「こんなところに置くな」

 難癖をつけながら、商売道具に蹴る投げるの狼藉を働いており、それをイトが制止しようと懸命に取りすがっていた。むろん、娘一人の抵抗などむなしく、屋台はすでに破壊され、ついにはひっくり返された。

「何をするか、貴様らあ」

 縫之助と平八郎は駆け出し、折れた棒きれを拾い、振りかざした。暴徒どもはこうした荒事に慣れているらしく、奇声を発しながら逃げ去ってしまった。

 小平太はイトを見ている。

「けがはないか」

「大丈夫。でも、屋台を見ていてくれといわれたのに……申し訳ありません」

「あぶない思いをしてまで守ってくれなくてよかったのだ。俺は蕎麦屋をやめようと思ってる。今夜は贔屓にしてくれる夜鷹たちに最後の商売をするつもりだった」

 おや、と縫之助は眉を上げた。毛利小平太は蕎麦屋をやめてどうするのか。

 店の者に呼ばれたイトが、振り返りながらこの場を離れるのを見送り、縫之助は眠たげな声を発した。

「おい、武右衛門」

 本名を呼ぶのはためらわれた。

「あの暴漢どもは何だ?」

「ここらの地回りの手下どもだ。猪之松の息がかかった連中だ」

「何かとお前を妨害する連中か。ところで、今夜が最後の商売のつもりだとかいったようだが」

「それがどうかしたか」

「だから、釣谷新吾に勝負をけしかけられても受けなかったのか」

「俺の商売、おぬしたちには関わりのないことだ」

「仕官でも決まったのか」

「何と答えても、どうせ疑うのだろう」

「残骸となったこの屋台、どうする?」

「これにて店仕舞いだ。使えそうな道具だけ残して、あとは焚き付けにするさ。おぬしら、もう行ってくれ」

 すっかり身分立場を超えた言葉遣いになっている。だが、違和感も不快感もなかった。

「……気が向いたら、顔を見せに来い」

 縫之助は自宅の場所を教え、小平太と別れた。小林平八郎と並んで、江戸の中心部へと向かい、冷たい夜道を踏む互いの足音を聞いていると、

「師走だな」

 ぽつり、と平八郎がいった。吐く息が白かった。

「毛利小平太は蕎麦屋をやめるつもりだという。惜しい腕だ。かなり修業しただろうに、商売よりも大事なものがあると見える」

「おいおい。まさか、討ち入りが近いというのではあるまいな」

「討ち入るなら、御前(上野介)が在宅の日でなければならぬな」

「たとえば?」

「茶会が予定されている日など」

「せいぜい警戒しておけ」

「お前には緊張感というものがないな、縫之助」

「しょせん他人事だからなあ」 

「女のことは気にかけるくせに」

「どう思う? あのイトという娘」

「美人だが、生きることに望みを失っている。いや、幼い頃から望みを持てぬ境遇だったのだろう。今の境遇から抜け出すことなど考えも及ばない。ささやかな希望が料理だというが、どれほどの腕であろうと、女では身を立てることもかなわぬ。まあ、放っておけぬと憂える男もいるだろう。毛利小平太のように」

「毛利は惚れているかな、あの娘に」

「でなければ、品川くんだりで蕎麦屋の屋台をかつぐ理由はあるまい」

「ならば、この勝負を受けそうなものだが」

「毛利が勝てばイトが傷つき、イトが勝てば毛利が傷つく。釣谷新吾はそれを楽しんでいる。そんな遊び道具にされるのは業腹というわけだ。……何にしても、縫之助」

「何だ?」

「あの赤穂浪人が勝負を受けぬという以上、この話は終わりだ」

 煤払いの十三日という、釣谷新吾が提案した日程に何かの支障があるのかも知れない。毛利小平太にしてみれば、その日に蕎麦作りなどできないということか。縫之助はいやな悪寒さえ覚えた。平八郎も思いは同じらしく、むっつりと黙り込み、白い息を吐き散らした。

 

 

 しかし、毛利小平太との関わりはまだ終わっていなかった。十二月七日、彼の方から縫之助を訪ねてきたのである。

「勝負を受けることにした」

「え?」

「イトと蕎麦の腕を競いますよ。釣谷の屋敷で煤払いが行われる十三日」

「それはまたどういう風の吹き回しか」

「勝負するために必要な蕎麦粉を入手する目処がついたからだ」

「蕎麦粉に違いがあるのか」

「むろん。森殿、小林殿にも見ていただき、食していただきたい」

「そういや、俺と平八にも判定に加われと釣谷はいっていたなあ」

「吉良邸に小林殿を訪ねることは私にはできぬ。半殺しにされたくありませんからな。森殿からよろしくお伝え願いたい。当日は夕刻から蕎麦をお出しする」

「お前、蕎麦屋を続けることにしたのか」

「…………」

「義理と人情の狭間で、迷っているのだな。あのな、浪人に守るべき義理なんぞありはしないぞ」

 小平太は答えず、丁寧に頭を下げ、辞去した。

 

 

 その日のうちに縫之助は吉良邸を訪ね、平八郎にこの件を伝えて、承知させた。

「十三日ならよかろう」

「他の日は忙しいのか」

「吉良家の予定を軽々しく口外できぬ。たとえお前でも」

「過ぎた日のことなら話せるだろう。この数日、吉良家で何かありはしなかったか」

「五日には屋敷で茶会の予定だったが……」

「だったが……?」

「取りやめになった。山田宗徧殿が仕える小笠原佐渡(長重)様の家に不幸があってな」

 山田宗徧は千利休の孫・宗旦の一番弟子で、吉良家にも出入りしている。

「すると、その日は上野介殿が在宅だったわけだな」

「赤穂の浪人ども、討ち入る予定だったというのか。それはまあ、茶会が催されることは前から決まっていたのだから、どこからか洩れたかも知れん。しかし、取りやめになったのは寸前だぞ」

「あるいは……五日にはお上(徳川綱吉)が柳沢美濃(吉保)様の下屋敷(六義園)へ御成りになった。俺は警護の当番ではなかったが、市中の警戒は日頃よりもきびしかった。それゆえ、討ち入りを中止したということは有り得る」

「五日に討ち入るつもりだったから、十三日にイトとの腕比べなどできるわけもなかったか」

「考えすぎかも知れん。討ち入りの画策がそこまで進んでいるなら、毛利小平太がいまだに品川でぐずぐずしているわけがない」

「吉良家の家臣である俺と知り合ってしまったからな。油断させたいのかも知れぬ」

「お前は性格がよくないなあ。奴が品川にとどまっている一番の理由は、イトだろう」

「だとしたら、愚挙に参加するか女を選ぶか、奴は迷っている。武士らしからぬ軟弱さよ」

「愚挙か。世間では忠義というかも知れん」

「松の廊下で、無抵抗なわが殿を一方的に斬りつけておいて、罰せられたから仇を討つというのでは筋が通らぬ。喧嘩ですらないのだから、喧嘩両成敗も当てはまらぬ。討ち入りは愚挙だ。忠義というが、浅野内匠頭は自ら刃傷沙汰を起こして家名断絶となった。その時点で家臣は捨てられたのだ。もはや主従ではない」

「そうはいっても、亡君の恨みを晴らしたいのが人情だろう」

「人情を押し通せば法が成り立たぬ。逆恨みというものだ」

「お前はゆるがぬ信念を持っているな。俺の心は今日はあちら明日はこちらと、いつも旅に出ているが」

「意味のわからぬことをいうな。とにかく、十三日には釣谷の屋敷へ行くしかあるまい。……縫之助」

「何だ?」

「当日の差料は吟味しておけ。胸騒ぎがする」

 

 

 十二月十三日。この日は正月事始めと定められ、将軍家の煤払いの定日であり、武家はもとより町家もこれにならい、大掃除を行う。徳川家綱の時代に、それまで二十日だった煤払いだが、徳川家光の忌日にあたるというので、十三日となったのである。

 この日は暗い曇空で、雪もちらついていた。夕刻近く、縫之助と平八郎は釣谷邸へ出向いた。さすがに供を連れずに訪問はできぬから、縫之助も平八郎もそれぞれ荷物持ちの小者を従えた。

 釣谷家ではすでに煤払いを終えており、仕事を終えた者たちは屋敷の一角で食事中だった。縫之助たちのような客は別格で、玄関から広間へ通された。

 すでに先客たちが来ており、釣谷家の男たちが応対していた。当主・一之進は五十代で、隠居してもおかしくない年齢だが、人間の円熟味など微塵もなく、痩せぎすの癇性そうな男だった。

 縫之助たちを迎えると、愛想のかけらもなく、

「吉良殿の家臣と小性組の旗本というから、どんな人物が来るのかと思ったら……やれやれ」

 と、このあとには「つまらない奴が来たわい」としか続かない溜息をついた。なるほど、子は親の鏡とはよくいったものだ、と縫之助はこの傲慢な男を見やった。真っ白な髪の量を誇示するような銀杏髷を結い、身体を前に倒す方法など知らぬとばかりに背筋が後ろへ反り返っている。

「吉良殿はお元気かな。赤穂の田舎侍に難癖をつけられて、災難なことでござる」

「恐れ入ります」

 と、平八郎は無表情に返した。さらに釣谷一之進は縫之助を見下す視線で、いった。

「旗本の番筋はおおむね家柄で決まる。森殿はよい家柄に恵まれましたな」

 こいつ、喧嘩を売っているのか。いや、そうでもないらしい。尊大に振る舞うことで、人より優位に立とうとするいじましい人間だ。利用価値のない相手には愛想よくする必要はないと考えている。

 今回の蕎麦の腕比べを提案した長男の新吾さえも、この家では普通の人間に見えた。この日も、新吾は得体の知れぬ薄笑いを絶やさない。

「戯れに蕎麦勝負などといってみたが、実現するとは恐れ入った。わは、はははは。退屈しのぎの道楽もほどほどにせねばなりませんな」

 猪之松の主人・松太郎も顔を見せていた。この男独特の低く無感動な声で、

「いやいや、このような奇抜な思いつきは、さすがは釣谷家の御嫡男なればこそ。感服いたしました」

 おべっかを口にしたが、釣谷の家族には不満そうな者もいた。

「退屈しのぎなら、喧嘩の方が面白い。勝負とは腕力や武術で行うものだ」

 そういったのは、釣谷新吾の弟・黄次郎だ。二人の弟がおり、黄次郎、博之介と名乗った。これまた無為徒食の見本のような若者たちだった。こうした釣谷家の面々を目のあたりにして、縫之助は訪問を後悔した。

 特に、次男の黄次郎は常軌を逸していた。隙あらば噛みつかんばかりに異様に目をギラつかせ、口元には嘲笑だけを浮かべている。こちらへ近づいてくるなり、

「おぬしが日々、赤穂の浪人を拷問しているという噂の小林平八郎か」

 恫喝するような声で、いきなりの呼び捨てである。

「拷問なら俺も手伝ってやるぞ。町を歩いていて、気に食わぬ女子供をぶん殴るくらいはしょっちゅうだが、斬ったり刺したりはさすがにできねぇ。吉良の家臣は赤穂の浪人にそれができるわけだ。うらやましいぜ。けけけ」

 この男はクズ揃いの釣谷家の中でも最悪の異常者だ。

 苦虫を何十匹も噛み殺している平八郎にかわり、縫之助が早口でまくし立てた。

「根も葉もない俗世間の噂。家に賢妻あれば丈夫は横事に遭わずという。よもや、釣谷家の御子息は論語を御存知ないわけではあるまい」

「ほお。弁だけは立つようだ」

「左様。弁は立つ。お望みなら、ここで罵詈雑言の手本を披露いたそうか」

「ふふんッ」

 黄次郎は言葉ではなく鼻息だけで返答し、背を向けた。

 縫之助だけに聞こえる声で、平八郎はいった。

「妙な論語があったものだ。今のは通俗編ではないか。賢い妻があれば夫は悪事に巻き込まれぬというのだろう。俺が赤穂の浪人を痛めつけているという噂とは何の関係もない言葉だ」

「わが妻のことばかり考えていると、咄嗟に言葉が浮かばなかった。どうせあの馬鹿息子には意味などわかるまい」

「ふざけた奴……」

 そんな会話を交わしている縫之助と平八郎を、末弟の釣谷博之介は物珍しそうに見ている。珍獣でも見るような目であるのが気にはなるが、まだ十代半ばだろうから、兄たちほど腐ってはいないようだ。

 しかし、やはり性格はまっすぐではない。

「今、イトと蕎麦屋の武右衛門は台所で蕎麦を作っています。それぞれの蕎麦を賞味して、入れ札を投じていただくわけですが、彼らがどんな蕎麦を作るか、お二人は事前に聞いたりしていないでしょうな」

 そんなことをいった。不正を疑っているようだが、どちらが勝とうと、縫之助たちには損得があるわけではない。

 縫之助と平八郎が返答せずに睨みつけると、博之介は小さく首を振った。

「……いってみただけです」

 煤払いに参加した出入り業者や屋敷の使用人は、別室ですでに投票を終えていた。残るのは釣谷一家、招かれた客たちである。広間には男女を分けて、二十人ほどが席についていた。

 膳が運ばれてきた。まず、丼に入った温かい蕎麦である。毛利小平太とイト、いずれの作かは知らされない。

「おやおや」

 猪之松の松太郎が感嘆した。この男も事前の情報は得ていなかったらしい。

「天ぷらがのっていますな。上方のつけ揚げのタネは野菜が主だが、江戸に入って魚介中心の胡麻揚げとなった。これは……どちらともいえぬ珍なもの」

「天ぷら」という料理は江戸前期には登場しているが、他の揚げ物と混同されたり、材料や素材がまちまちで、元禄のこの当時、技術もまだ確立されていない。

「小エビにイカ、ニンジンにゴボウ、それに青菜を刻んでありますな。うっすらと焦げ目がついている白いのは何でしょう? 新奇な食材ですかな。これらをかき寄せて揚げてある。これは至難の技ですぞ。かき揚げあるいは寄せ揚げとでも称しますかな。うんうん、衣にも工夫がある。ええと、そちらのお二人。おわかりですか」

「そちらのお二人」とは縫之助と平八郎だが、縫之助は、

「はっはっは」

 鷹揚に笑って、平八郎に発言を譲った。平八郎は静かに語った。

「南蛮料理の天ぷらは衣に酒や砂糖を入れ、動物の脂で揚げたものだが、これは揚げ油に炒っていない胡麻を使っている。蕎麦の香りを胡麻が邪魔していない。衣を厚めにつけ、揚げたあと紙の上にでも置いて、余分な油を抜いているので、つゆの中で溶け崩れたりしない。衣はうどん粉と鶏卵で味付けはしていないが、蕎麦にのせる前に濃いめのつゆで少し煮ているようだ」

 高価な食材を使いこなす腕はたいしたものだ。庶民の口に入る蕎麦は、豪勢といってもせいぜい竹輪がのっているくらいなのである。そして、それを見抜く平八郎もたいしたものだ。しかし、釣谷家の者たちは感心などせず、たちまち不機嫌となって、家族で顔を見合わせた。

 続いて、今度は冷たい蕎麦が彼らの前に置かれた。皿のような平椀に盛りつける場合が多いが、蒸篭に盛ってあるのは、こないだまで蕎麦をゆでるのではなく蒸す調理法があった名残りだろう。つゆは別で、猪口と湯飲みの中間のような器に入っている。天ぷらをのせた蕎麦のあとだけに、見た目はあまりにも地味だった。