鬼鶴の系譜 寛政編 第一回

鬼鶴の系譜 寛政編 第一回 森 雅裕

 ヒヨリは旗本・森政俵の娘である。書院番をつとめた父は二年前に他界し、遺領は兄の政之が継いでいる。織田信長麾下だった森一族を遠祖に持つ旗本の森家はかつて四家あったが、今は三家。ヒヨリの家が一番石高が低く、それも格段に低く、禁欲的な生活を余儀なくされたためか、一族中の変わり者という家風がある。

 ヒヨリは十六歳。御用絵師の中でも浜町狩野と呼ばれる狩野閑川のもとに通って、絵を学んでいる。 

 寛政三年(一七九一)の夏。夕立の黒雲に追われるように四谷の屋敷へ戻ると、兄がいきなり、

「短刀が見つかったぞ」

 愚痴でもこぼすように、いった。

「しかし、返してもらえぬ」

 ヒヨリには興味がないので、思い出すのに少々手間取った。一年ほど前のことである。森家伝来の短刀の研ぎを依頼してあった研師宅が強盗に襲われ、各家が預けていた名刀がごっそり盗まれた。その中に森家の短刀も含まれていた。

 二百年近く前の森一族には、信長の正室だったお濃の方の侍女もいた。短刀はお濃の方の形見として頂戴したものである。信長に輿入れする時、父の斎藤道三から「信長が評判通りのうつけ者なら刺せ」と渡され、娘は「父上を刺すかも知れませぬぞ」と返答した。そんな逸話を持つ和泉守兼定の名刀だった。

 それを盗まれた研師は、名門本阿弥の中でも光悦という有名人を祖に持つ分家であるが、当主だった光敬は責任をとって自決し、今は養子の光隆が継いでいる。

 

 

 強盗というのは、江戸市中を荒らし回った葵小僧である。葵紋つきの提灯を先頭に、槍を立て、挟箱をかついだ行列を仕立て、あまりの立派さに検問で止められることもなく、富裕者を襲い続けた大泥棒だ。

 金品を奪うばかりか、女をも手当たり次第に犯す凶悪ぶりで、火盗改・長谷川平蔵は躍起となって、ようやく今年、これを捕らえたが、あまりにも強姦被害者が多いため、彼女らの名誉をおもんばかり、逮捕後わずか十日で獄門としてしまった。それが寛政三年五月三日。今より一月前である。取り調べの内容も秘され、葵小僧の本名さえわからない。

 問題は盗品の行方である。発見された盗品は、もとの持ち主に返すことが公事方御定書の「盗人御仕置の事」に定められている。しかし、本阿弥のもとには一本も戻されていない。盗難は一年も前のことだから、売り飛ばされて四散し、もはや行方不明であってもおかしくはないのだが、本阿弥光隆が火盗改に問い合わせたところ、

「押収品の中に、わが家のものらしき短刀があったそうだ」

 政之はそれを本阿弥から聞いたらしい。

「しかし、長谷川平蔵はわが短刀をよそに渡した、とのこと」

「よそ?」

「御用鏡師の中島伊勢だ」

「なんでそのようなところへ?」

「長谷川と中島は友人だ。中島があの短刀を熱望しているらしい」

「盗品は盗まれた者へ返すのが天下の御定法では……?」

「何やら、ややこしい経緯があるようだ」

 そんなものには興味がないけれど……とヒヨリがいやな予感を覚えていると、政之はきびしい眼光で睨みつけた。

「そこで、だ。ヒヨリよ。中島のもとにわが家宝の短刀があるかどうか、調べてみよ」

「は。なんで私が?」

「正面から攻めても素直に答えまい。中島伊勢には息子がある。といっても、跡を継がせるための養子らしいが、これがとんだ道楽者で、家を飛び出して、絵描き修業なんぞしているそうだ。本来は勝川春章の弟子だが、各派をつまみ食いして、狩野閑川のところにも出入りしている。お前なら、この道楽息子に近づけるだろう」

「名は……何というのですか」

「中島鉄蔵」

 聞いた名前だ。顔もわかる。狩野門下で歓迎されているわけではなく、色々と悶着を起こしている変わり者である。

「どうだ。知っておるか」

「はい。絵師としての名は勝川春朗。話したことはありませんが」

「では、話せ。人見知りなんぞするお前ではあるまい」

「まあ、次に会うことがあれば」

「すぐに会え」

「無茶です。私も鉄蔵さんも閑川先生のもとへ毎日通っているわけではありません」

「居所くらい、わからんでどうする。お前の頭は櫛や笄を飾る台か」

 武家の娘に人格など認められず、嫁入りだけを考え、「家」のために自己を殺して生活するのが江戸の封建社会である。女がむやみと外出するのははしたないとされた武家社会にあって、ヒヨリは異常なほど自由に育ったといえる。

 実の母は早くに亡くなり、継母として森家に入ってきたのは町家の女だった。その身分では正妻にはなれないので、内縁の「お部屋」であり、父の死後はさっさと追い出されてしまったが、彼女の教育で、ヒヨリは型破りな武家娘となった。

 兄の政之は十四も年上で、家督はそちらにまかせ、彼女は嫁に行くはずだった。相手は家格の釣り合う旗本の長男で、子供の頃に親同士が決めたことである。本人たちの意思など関係ないが、お互いの気心を知らしめようと思ったのか、父は相手が通う一刀流の道場にヒヨリも通わせた。もともと森家は戦国以来の武門とやらで、女子も武芸を修練する習わしである。

 しかし、好事魔多し、二年前に父の政俵が没し、政之が家督を継いだものの、彼には十年連れ添った妻はあるが子がいない。政之には二人の弟があったが、一人はすでに他家へ養子に出ており、一人は昨年、若くして病死。つまり、次代の後継者がいなくなったのである。

 親戚どもで相談の結果、末妹のヒヨリに婿養子を取らせて将来にそなえればよかろうという話になり、彼女の縁談は流れた。もう道場へは行かなくてもよい、と兄にいわれ、じゃア絵を習いに行きます、とヒヨリはさっさと浜町狩野へ入門を決めてしまった。

 政之はまだ三十歳だから、今後、嫡男が生まれる可能性は充分にある。そうしたら、当然、ヒヨリは用なしとなる。後継者作りの保険……それが彼女のこの家における立場なのである。

 旗本の次男三男は他家へ養子に行かねば冷飯食いのままだから、武芸勉学に励んで自己の価値を高め、婿入りの口を求める。従って、縁談はいくつも持ち込まれるものの、森家を継げる保証がないためか、武家娘らしからぬヒヨリが敬遠されるのか、一向に話は進まない。十六歳という彼女の年齢はこの時代としては適齢期だが、急がずとも、あと二、三年は政之の妻の懐妊を待ち、それからヒヨリの結婚を決めてもよかろう……親戚たちにはそんな考えもあった。

 そして、つい先日、政之の妻の懐妊が判明した。初めての子ではなく、新婚一年目に男子を授かったのだが、成長せずに病死している。それ以来の妊娠なので、家族は慎重かつ控え目に喜んでいるところである。そして、むろん、性別は生まれてみなければわからない。

 

 

 翌日、ヒヨリは勝川春章が人形町に構える工房を訪ねた。旗本の娘の外出には家臣なり女中なりが付き従う。一人歩きが気楽なのだが、さすがにそれでは兄が批判されるので、女中を連れ歩いた。ただ、寛政の改革で衣服、装飾品に贅沢が禁じられているのをいいことに、この娘は自分を飾り立てたりしない。

 勝川派は浮世絵の有力な流派であるから、工房には大勢の弟子がいた。入口から奧へ通されたわけではないが、厳粛な狩野派とはまた違う活気のようなものが周囲に漂っている。

 鉄蔵はここにはあまり顔を出さないらしい。応対してくれた仲間の表情から察するに、好かれているわけでもないようだ。

 鉄蔵の住まいは浅草寺の裏側だと聞いて、そちらにも回ってみたが、留守だった。空振りで帰るのも面白くなく、ヒヨリといえどもいつでも自由気ままに外出できるわけではないので、このついでに下谷へ寄り道した。彼女が通っていた道場がある。

 小野派一刀流を修めた中西子定が、数十年前に下谷練塀小路東側に開いた道場である。小野派一刀流は木刀で形稽古をする剣法だったが、二代・中西子武は防具を改良し、竹刀打込稽古を導入した。今は三代・中西子啓が道場主となっている。のちに中西派一刀流と呼ばれる流派である。

 玄関から入らず、気合いと足音と打撃音が響く道場の脇を回り込んで、勝手口で師匠の家族に挨拶した。それだけで帰ろうとしたが、裏庭で、門弟の一人と視線がぶつかってしまった。

「やあ。お元気ですか」

 ヒヨリの婚約者だった伊上誠志郎である。非常に気まずい相手だが、顔を合わせる可能性というか危険性というか、予測しなかったわけではない。期待もあったような気がする。ただ、江戸にはいないだろうとも思っていた。

 彼は父親が健在なので、惣領息子であっても当主ではないが、大番の勤役者である。大番は将軍の親衛隊である小姓(性)組、書院番(合わせて『両番』と呼ぶ)に比べて格下と見なされているが、両番よりも歴史が古く、三河以来の徳川軍団の中核である。ヒヨリの兄の政之も今は書院番だが、大番に属していたことがある。

「お帰りでしたか」

「先々月、京在番を終えました」

 大番は十二組あり、三年に一度の二組ずつ交替で、京都もしくは大坂の一年勤番となる。誠志郎はこの一年、京都に勤仕していたのである。

「御苦労様でした。うちの兄などは上方勤番の折に、あちらの名物を食べ歩いていただけだと聞いています」

「私も似たようなものです。今日は……稽古にいらしたわけではなさそうですな」

「通りかかっただけです。な、何しに来たのかしら。あ、そうそう。兄のいいつけで、人形町から浅草を回って……」

「そうですか。政之殿もお元気ですか」

「元気です……」

 来年には政之に子供が生まれる。もし仮にまた男子であれば、ヒヨリは後継者作りの保険としての役目から解放されるが……。むろん、そんなことは誠志郎にはいえない。

「絵をお習いだそうですな。ヒヨリ殿には剣術の方が筋がよさそうだが」

「いえいえ。おなごは剣よりも家内を切り盛りする才覚こそ大事。誠志郎様もそのような奥様をおもらいになれば、家運安泰でございます」

 そんなことを口走った。

「ヒヨリ殿こそ、降るほどの縁談がおありでしょう」

「そんな。あははははははは」

 笑って、ごまかすしかない。

「はっはっは」

 互いに馬鹿みたいに笑いを交わし、ヒヨリは頭を下げて、道場から離れた。

(あははははって……何やってるんだか)

 自己嫌悪に陥った。

「兄上にはいうなっ!」

 連れている女中が笑いを隠しもしないので、振り返って、いった。

 

 

 数日後、浜町にある狩野閑川の工房へ出向き、弟子たちに混じって、絵具の準備などしていると、誰もが息を殺している静寂を破り、この場には違和感ある男が入ってきた。勝川春朗こと中島鉄蔵だ。

 彼は三十代半ばだろう。絵師としての実績は黄表紙の挿絵程度しかないのだが、向学心には異様なものがある。諸派を渡り歩き、狩野派に出入りしているのも見聞を広めるためであって、狩野派の絵師となるためではない。

 鉄蔵は騒がしい性格ではないが、御用絵師の保守的な規律にがんじがらめの弟子たちは、鶏小屋に野犬が侵入したかのごとく、この男に空気をかき乱されるようだ。

「よっ」

 そんな挨拶を投げながら、鉄蔵は弟子たちをかきわけ、師匠の席に近づいた。狩野閑川は病身なので、子の融川が工房の中心となり、父の代作、弟子の指導を行っている。しかしこの若先生、まだ十四歳である。

 英才教育の甲斐あって、それなりの画力は有しているが、鉄蔵がこの少年を尊敬しているとは思えない。描きかけの画紙の脇へ膝を揃えて座り、遠慮もせずに眺め回した。

 融川が描いているのは、子供が柿を取ろうと、はるか頭上の枝へ棒をのばしている図である。

「おかしな絵ですな」

 鉄蔵の言葉はこの場を凍りつかせたが、彼は平然と続けた。

「子供は棒を柿に届かせようと爪先立ちしているのに、棒の先は枝よりもずっと上にある。理屈に合わねぇ」

 融川は名門の後継者であるから気位が高い。ただ、怒鳴り散らすほど野蛮でもない……はずだ。気取って、いった。

「良工の手段、俗目の知る所に非ず」 

「へっ。絵を見て評価するのは、その俗目ですぜ」

「勝川春朗さん」

 馬鹿丁寧に、融川は相手を呼んだ。

「どうもあなたは人の世の機微というか風情というか、面白味というものをおわかりでないようだ」

 そう皮肉を返したが、鉄蔵は涼しい顔だ。というか、融川の言葉など聞いておらず、すでにその場を離れて、他の弟子をからかっている。その背中を見て、

「は、破門だ!」

 融川がついに叫んだ。興奮しすぎて、声がひっくり返った。

「二度と顔を見せるな! こ、この無礼者、お前なんかお前なんか、唐辛子売りが似合いだ!」

 噂によると、鉄蔵は唐辛子売りで糊口をしのいでいるらしいのである。

「出てけ出てけ出てけ出てけ、け、け」

 融川は一旦キレてしまうと抑制がきかない性格らしい。筆や絵具皿を投げて荒れ狂い、弟子たちが押しとどめる隙に、鉄蔵は逃げてしまった。

 ヒヨリはその鉄蔵を追った。外に出ると、大川(隅田川)べりを北へ向かっていくが、特にアテもなさそうな足取りだ。途中で大福を買い、それを食らいながら、足を止めた。振り返った眼光に異様な力がある。この男、今は無為徒食であっても、徒者ではない。

「何か用か」

 尾行に気づいていたらしい。もっとも、ヒヨリも隠れるつもりはないから、堂々と歩いていたが。

「狩野閑川先生のところの女弟子だな」

 並の神経の娘なら、とても口をきく気になれない邪険さを放っている。

「旗本・森政之の妹、ヒヨリです」

「融川坊やをけなされて、意趣返しに来たか」

「それほど狩野派に入れ込んではおりません」

「ほお。お前さんとは話が合いそうだ」

「鉄蔵さんの御実家がお持ちの品について、うかがいたいことがあります」

「中島の家のことなら、養子だから実家といえるかどうかなア。跡継ぎになるはずが、期待を大きく裏切って、俺はあの家を飛び出してから長いんだ。小遣いをせびりに行く程度で、中島家の事情なんか知ったことじゃねぇぞ」

「葵小僧に盗まれたわが家伝来の短刀を、中島伊勢様がお持ちだという話を聞いたのですが」

「ふうん……」

 鉄蔵は一人で大福を食べている。むろん、すすめられたとしても、武家娘が往来で何かを口に入れることはない。食べ終わると、彼は欠伸でもするように、いった。

「ああ。お濃の方の遺愛刀だとかいう短刀か」

「やはり、御存知ですか」

「親父……中島伊勢の若い後妻から聞いた。親父がこの女のためにそんな短刀を入手したらしい。というのも、後家は旗本の松波正武の娘でな。松波家は斎藤道三の子孫だという。つまり、お濃の方とは由縁があるってわけだ。この後家こそ持ち主としてふさわしいと考えたのだろう」

「どういう経緯で入手されたのでしょうか」

「中島伊勢は火盗改の長谷川平蔵と親しい。押収品の横流しくらい有り得るかも知れん」

「盗品はもとの持ち主に返すのが御定法」

「文句は親父にいいな。会わせてやるぜ。ちょうど俺も小遣いに不自由してたところだ」

 鉄蔵は下駄を鳴らし、さっさと歩き出した。こんな男と連れ立っているところを人に見られたくないので、ヒヨリは十歩ほど後ろを歩いた。中島伊勢の屋敷がどこにあるのか知らなかったが、前を行く鉄蔵に尋ねたりはしなかった。面倒だったからである。 

 

 

 中嶋伊勢の屋敷は本所松坂町にあった。塀沿いに歩くその先に門構えが見える。鉄蔵はヒヨリが追いつくのを待たず、大声で、いった。

「吉良上野介の屋敷跡の一部を拝領したという。ちなみに俺の母親は小林平八郎の孫だ」

 あまりの声量に、衆目を集めるのが恐ろしくて、ヒヨリは鉄蔵に駆け寄り、返事を投げた。

「誰? それ」

「吉良方の剣客だよ。赤穂の浪人どもが討ち入った時、獅子奮迅の働きもむなしく闘死した。俺はその曽孫というわけだ」

「討ち入りからざっと九十年経ってます。曽孫というのはちょっと無理がありはしませんか」

「理屈っぽい女だな」

「鉄蔵さんこそ、融川さんの絵を理屈に合わないと指摘してたじゃありませんか。あれは、柿取りに夢中で爪先立ちをする子供の無邪気さを表現しようとしたのでは?」

「それも理屈だなア。けどよ、融川みたいに気位ばかり高くて、すぐに逆上する野郎は絵師に向かねぇよ」

「そうですか」

「絵師は森羅万象すべてを冷静に見て、地獄も極楽も描くもんだ。融川坊やに耐えられる商売じゃねぇ。あいつ、絵を続けていたら長生きしねぇぜ」

 これより二十四年後の文化十二年(一八一五)、融川は自身の手がけた朝鮮への贈呈屏風に対して、老中が不満を示したことに怒り、下城の途中で切腹する。三十八歳の若さであった(……というが、朝鮮通信使は文化八年を最後に訪日しておらず、朝鮮とは対馬藩が交易していただけであるから、この巷説には疑問がないわけではない)。