星光を継ぐ者ども 第三回
星光を継ぐ者ども 第三回 森 雅裕
弘安四年(一二八一)五月半ば。
「海が馬糞だらけで、釣りなんかできやしない」
博多湾から戻ったサギリが釣具を放り出しながら、いった。
「警固番どもが血相変えて、右往左往してた。あれじゃ、しばらく海には近づけないよ」
サギリはのんきな口調だが、国吉は内臓という内臓を締め上げられるような緊張を感じた。
「馬糞が流れ着いたのか。蒙古軍襲来の前触れだな」
博多の町にせわしなく埃が舞い立っている。避難する人々と戦闘配置につく武士団が交錯し、異敵降伏の祈願、祈祷に熱を入れる社寺もあれば、逃げ出す神職、坊主もいる。往来では、露天商がここぞとばかりに値を吊り上げ、客と怒鳴り合っている。
五月二十一日、東路軍(蒙古・高麗混成軍)が対馬へ到達し、第二次日本侵攻が始まった。弘安合戦である。
対馬からの急報が博多へもたらされたのは、星鉄刀の拵の完成とほぼ同時であった。引き取りにやってきた波多野七九郎は、
「避難した方がよいのではないか」
国吉に提案した。
「今回は石築地を築き、異国警固番役も増強されているから、文永合戦のような侵入は許さぬと思うが、蒙古軍も前回より本腰を入れてくるだろう。油断はできぬ」
文永合戦における日本側は蒙古襲来を予測しながらも準備不足で、博多への侵入を許し、筥崎の八幡宮も焼かれた。武士の家族、市民も避難が遅れたため、蒙古軍の捕虜となる人々が多かったのである。
「避難といわれても、行く先なんかないしなア」
国吉は楽天家ではないが、深刻に考えるのが面倒という性格だ。刀剣以外のことに頭が働かないともいえる。
「俺の領地へサギリだけでも逃がしたらどうだ?」
七九郎はそういったが、
「彼我の刀剣の働きを戦場で実見できるせっかくの機会を逃すような女じゃない。文永合戦の折には、蒙古軍が捨てていった刀剣や皮甲を拾い集めて、調べていた。今回の合戦も千載一遇の機会だと手ぐすね引いている」
「そうか。そうだな」
完成した星鉄刀を七九郎に渡した。拵の金具は鉄で揃え、華美ではないが、頑丈な造作である。
「この鐔、うちの家紋の縦二引両を透かしてあるのは結構だが、飾りっ気がないな」
「質実といってくれ。その鐔は星鉄を加えて、サギリが作った。お前のために」
「なるほど。気に入った。これを佩いて合戦に臨む」
七九郎は代金を置き、持参していた包みを視線で指した。
「これをサギリに渡してくれ」
「何だ?」
「ただの土産だ」
「自分で渡せ。鍛錬場にいる」
七九郎を鍛錬場へ行かせ、国吉は研ぎ場へ足を運んだ。砥石の面直しをやっていた思英が、声をかけた。
「星鉄刀は波多野様に納めたのですね」
「ああ」
「もう一本は?」
サギリが鍛えた星鉄刀も拵に入れられている。物騒なので、完成品は床下に隠してあった。
「欲しがる武士はいくらでもいる。すぐ買い手がつくさ」
鍛錬場からサギリが現れ、火造りをすませた短刀をがちゃがちゃと数本、床に放り出した。七九郎は帰ったらしい。
国吉はいきなり訊いた。
「何を話した?」
七九郎と、である。サギリは炭塵で汚れた顔を洗いに出ていき、戻ってくると、愛想もなく答えた。
「何も。新しい小袖を一枚くれただけだよ。合戦が始まるって時に、着飾ってどうしろっていうの」
「戦場から離れていろということだ」
「離れてどうするんだよ。私ら、刀を作ってなきゃただの徒ら者だよ。年貢や課役をめぐって、地頭や預所と駆け引きする百姓のような才覚もない」
蒙古軍の動員数には諸説あるが、文永合戦においては蒙古・漢の混成軍が二万、高麗軍に女真軍を加えた六千、それに水夫など含めた総計三万二千人。軍船は大小合わせて九百隻程度とされている(実数は一万数千人に百数隻とする説もある)。
弘安合戦においては蒙古・高麗を主力とする東路軍が四万から五万、軍船は九百隻、南宋軍を主力とする江南軍十万に軍船三千五百隻、総計十四万から十五万人、四千四百隻という空前の大遠征軍が編成された(この途方もない数字にも疑問の声がある)。
鎌倉幕府への「脅し」であった文永合戦と違い、今回は日本移住を予定し、船団には牛馬や農具まで積載する用意の良さ……というより能天気さであった。ただし、寧波で軍容を整えた江南軍の出航は六月半ばまで遅れ、まず日本へ殺到したのは東路軍である。
迎撃する日本軍は文永合戦で一万にすぎなかったが、弘安合戦では博多に四万、長門に二万五千と結集し、瀬戸内海から京都にかけて予備軍六万も配置されていた。
六月五日から六日にかけ、博多湾に現れた東路軍は上陸を試みたが、海岸線の石築地と日本武士団の頑強な抵抗に阻まれ、博多湾入口の志賀島へ進路変更した。日本軍は守勢から攻勢に転じ、これに夜討ちをかけた。
国吉は沿岸のあちこちを見て回った。蒙古軍の軍船が湾を覆い尽くし、日本軍が守る石築地には数千もの旗が翻り、盾がびっしりと並べられている。夜は篝火が焚かれ、壮観であった。
博多の町は戦場となっていないが、善導寺にも武士団の一部が宿泊しており、鍛錬場には曲がったり刃こぼれした刀が修理に持ち込まれ、寺というのに血なまぐさい喧騒と無縁ではなかった。
そんなある朝、国吉は息ができずに目を覚ました。サギリが現れ、彼の鼻をつまんでいた。
「……何だ?」
「思英が朝餉の支度に現れない。部屋にもいない」
「お前がいじめるから逃げた……わけではないよな」
「あいつ、仕上がった刀を床下に仕舞ってあったこと、知ってるね」
「そりゃ、あいつには隠したりしなかったから……。え?」
「私が鍛えた星鉄刀、なくなってる」
「盗んで逃げた? やはりお前への意趣返しか」
「二、三回殴っただけだ。あ、手鎚も投げたか」
国吉は薄明るい窓の外を見やった。静かな朝だ。
「あの刀が人手に渡る前に、どうしても欲しかったと見えるな」
「高麗の将軍への土産かい」
「どうしてその話を知ってる?」
「だから、殴ったといったろ。殴りつけて聞き出した」
この女のいうことは本当か冗談か、わからない。たぶん本当だろうが。
「しかしな、あいつは鄭思肖とかいう蒙古嫌いの南宋人の身内らしい。素直に高麗の使い走りをするとも思えんのだが」
「あいつの真意がどうであれ、異国人がどこへ逃げる? 帰国するにしても、どう海を渡る?」
「協力者がいるな」
国吉とサギリは顔を見合わせた。考えることは同じだった。
「唐房だ。行ってみよう」
「私はここに残る」
「戦火から鍛錬場を守るのか。無理はするなよ」
「いや。ここなら博多湾が目の前だから、合戦見物には都合がいい」
そうだろう。鍛錬場には蒙古軍の剣や鉾が転がっている。開戦早々、サギリが戦場から収穫してきたものである。遺棄された武具など拾い歩く戦場泥棒が多いため、武士団に見つかると追い払われてしまうのだが、彼女はどういう才覚があるのか、手ぶらでは戻らない。
櫛田神社の周囲には唐房が広がっている。異国風の家屋が並び、大陸の衣裳をまとった住人たちが往来している。今は怒号が飛び交い、荷車を押したり引いたり、騒然としている。内陸へ避難するらしい。
この唐房は国吉には馴染みの町である。弘安二年(一二七九)の夏、蒙古への服属を勧告するため「宋朝の牒状」を持参した南宋人の使者たちが斬られ、晒しものとなった時、唐房の南宋人が死体の埋葬を願い出た。それを鎮西奉行にかけあい、太宰府の許可を取りつけたのが波多野七九郎であり、埋葬場所を善導寺に交渉したのが国吉だった。死者に墓を作るのは上流階級だけに限られているこの時代であるから、簡単な土饅頭を盛っただけだが、南宋人に感謝された。南宋が滅亡する前には、国吉に作刀を依頼し、大陸へ送っていた唐房の商人もいる。
国吉が訪ねたのはそうした知人である。梁希正という雑貨商で、唐房では顔役ともいうべき老人である。
訪ねた国吉に対し、無愛想ではあるが、シワの中に埋もれた目は柔和だ。
「博多上陸をあきらめた蒙古軍は志賀島を占領したようだな。海を埋め尽くすほどの大船団だとか」
「その大船団も補給が続かねば飢えるのみ。蒙古軍には不利な戦いだ」
七年前の文永合戦とは違う。日本本土への上陸が果たせねば、蒙古軍は疲弊、消耗するのみである。
「鄭思英という男を探している」
「ふむ。あなたのところに南宋人の弟子が入ったという話は聞いている。修業に耐えかねて逃げたか」
「以前、唐房の女と一緒にいるところをうちのサギリが見ている。若い娘など多くはなかろう。心当たりあるか」
「見つけたらどうする? 師弟の縁など、刀鍛冶らしくスッパリ斬って捨てろ」
「出ていくなら、師匠である俺にきちんと挨拶をさせる。それだけだ」
「ふむ。薬屋の娘だよ。思英とはよろしき仲のようだが、結婚の約束をしているわけでもない」
「そりゃ、将来が不安な思英だからな。で、どこだ?」
「牌楼の脇に小さな禅寺があるだろ。その裏手の狸の置物がある家だ」
「狸?」
路地をめぐると、教えられた家はすぐわかった。狸の置物など見当たらないので少々迷いそうになったが、入口に置かれた奇怪な形状の陶器がそれなのだろうと解釈した。
薬屋と聞いたが、店内は古道具屋みたいに雑然としていた。老人と若い娘が何やら激しく言い争っていた。国吉を見るなり、老人は奧を指した。娘は止めようとしたが、裏庭に出ると、そこに建つ小屋に思英がいた。
「やはり、来ましたね、師匠」
「こんなところで船を待っているのか。合戦が終わるまで、博多津(港)は使えまい」
「博多を避け、唐津の港に交易船が入っています。私はそちらへ向かうつもりです」
「土産は星鉄刀か。もう一振り、高麗の何とかいう将軍のために対馬の幸吉さんが作った刀は拵師のところにある。そっちは盗み出さないのか」
「金方慶へ届けるつもりはありません」
「星鉄刀は高麗から蒙古への貢ぎ物ではないのか」
「いえ。星鉄刀は心の清廉な者にこそふさわしい。南宋の鄭思肖へ届けます」
「それがお前の真意か。南宋人であることを忘れたわけではなかったんだな」
「取り戻しますか」
「いや。もともと星鉄はお前の国の師匠が持っていたものだ。返してやるよ。その刀に使った星鉄はほんの一部にすぎないが、お釣りがくるほどの手間をかけて、サギリが作ったものだ」
「サギリさんは怒りますね」
「お前はサギリをわかっていないな。お前の裏切りを怒るよりも悲しむ女だ」
「お代というわけじゃありませんが、玉石を置いてきました」
「ほお。ま、早いところ博多を離れることだ。俺やサギリが許しても、お前は入門を世話した波多野七九郎の面目をつぶした」
国吉は背を向けた。思英は拍子抜けしたようだ。
「あの、師匠。それだけですか」
「うむ。お前の真意を知りたかっただけだ。高麗の使い走りを弟子にしたとあっちゃ、談議所国吉の名折れだからな。唐人(南宋人)の意地を忘れてないなら、無礼な別れも許してやるよ」
思英は彼の後ろ姿に向かって深々と頭を下げたが、国吉は見ていなかった。
善導寺に戻ると、サギリは鍛錬場とは別棟の工作場で、修理に持ち込まれた刀の曲がりを直していた。欅の台の上で、銅鎚を使って叩くのである。
「思英は見つかった?」
「見送ってやった。唐津から船出するようだ」
「どこから船出しても安全とは思えないけど。博多が石築地に守られていれば、蒙古軍は他に上陸できる場所を探すでしょう。長門へ向かった船団もあると聞くよ。で、思英が持ち出した星鉄刀は?」
「土産にくれてやった」
サギリは仕事の手を止めない。
「くれてやったと聞こえたけど」
「うむ。そういった」
「はああ?」
「南宋の文人への土産だ。蒙古や高麗の武人の持ち物になるわけではない。まあ、よかろう」
サギリが手にしていた銅鎚を投げつけたが、国吉はかろうじて避けた。
「作ったのは私だよ。タダ働きするほどの余裕はないだろ、この貧しい鍛錬場には」
「お前に玉石をくれたそうじゃないか。奴にしてみれば代金のつもりだろう」
「玉石? そういや、私の部屋に何か置いてあったな」
「何か装飾でも彫り込んであったか」
「いや。草色のただ四角い石のカケラだった。砥石にしちゃ小さいけど、研ぎ場に放り込んでおいた。貴重なものなのかね」
「お前は……和氏の璧という話を知らんのか」
「何? それ」
「大陸の戦国時代、秦王は趙王の持つ玉石を十五の城と交換しようと申し出た。しかし、秦王が約束を守らないので、趙の使者は命がけで玉石を持ち帰ったという。この故事から完璧という言葉が生まれ……聞いているのかっ」
サギリは部屋から出ようとしている。ぼそり、といった。
「御家人どもは志賀島の蒙古軍を攻め立てている。七九郎殿は無事に戻れりゃいいが……」
「合戦は始まったばかりだ。七九郎がそう早々と死ぬものか」
国吉がいい終わる前にサギリは姿を消していた。
七月八日から九日にかけ、志賀島の東路軍は海と陸の両面から日本軍の猛攻を受け、両軍とも大きな損害を出しつつ、東路軍は壱岐島へと後退した。ここで、江南軍の到着を待つのである。しかし、江南軍の出撃は六月半ばまで遅れ、しかも主力は壱岐島ではなく平戸島を目指した。江南軍が平戸島の近海へ到着したのは六月末。日本軍数万が壱岐島の東路軍へ総攻撃をかけた頃であった。
壱岐島の戦いは七月に入っても続いたが、東路軍は江南軍と合流するため、壱岐島を放棄して、平戸島へ移動。蒙古軍四千四百隻という数字が正しければ、先頭が博多湾に入っても、後方は平戸島や五島にあり、東シナ海を航行中の船もあるという大船団である。
七月二十七日、日本軍船がこの蒙古軍船を襲撃し、大きな損害を与えたため、蒙古軍は博多への侵攻戦略を見直し、ここは一旦、伊万里湾口の鷹島へ上陸して、防塁を築いて守りを固めた。その大船団は海上に停滞している。
対馬襲撃で始まった弘安合戦は、日本本土への上陸を果たせぬまま、すでに三か月。弘安四年七月三十日はグレゴリオ暦なら八月二十二日である。これが蒙古軍の命運を決めた。
この日、夕刻から湿気をたっぷりと含んだ風が吹き荒れ始めた。時折、これに天の底が抜けたような雨が混じった。
国吉が隙間風の吹き抜ける鍛錬場で、雨漏りを避けながら道具類を整理していると、
「嵐になりそうだよ」
野菜を荷車に収穫してきたサギリが、いった。
「畑が被害を受ける前に収穫してきた」
「鍛錬場の破れ窓に板を打ちつけたいが、善導寺の物置小屋にあった材木は警固番役に供出されて、もう残ってないんだ」
「じゃあ、物置小屋の床板でもひっぺがしてくる」
この女ならやりかねない。国吉は止めなかった。
翌日は閏七月一日(弘安四年は閏年のため七月が二回)である。暴風は一日荒れ狂った。蒙古に帰服した高麗、南宋が建造させられた軍船は、日本の軍船よりも構造的に進んでいたが、江南軍(南宋)の船は船大工が手抜きしたといわれるほど脆弱で、荒れ狂う海で衝突し、多くが沈没、漂流した。
翌七月二日には空は晴れ渡ったが、伊万里湾から平戸島まで埋め尽くしていた大船団の威容は消え、累々たる死骸が沿岸一帯に漂着した。しかし、蒙古軍は台風によって一夜にして壊滅したわけではない。兵士の大部分は鷹島に上陸している。蒙古軍船四千四百隻のうち残ったのは二百隻というが、この数字に信憑性は乏しい。
残存する蒙古軍船に対して、日本軍船は接舷攻撃を繰り返し、合戦の趨勢は決した。武士団の一部は補給や再編成のために博多へ戻り、町に安堵の空気が流れ始めた。
そんな時、波多野七九郎が善導寺の鍛錬場へ現れた。開戦以来、初めての訪問である。頬がこけ、目許が険しくなっている。
「土産だ」
と、戦利品を置いた。蒙古軍から分捕った皮甲である。国吉は笑ったが、それは意味ありげな苦笑だった。
「これは面白い。試し切りに使える。蒙古軍の兜や刀剣はサギリが拾ってきたが、さすがに死体から皮甲を脱がすのは気が引けたらしく、手に入れていない。あいつがいうには、お前が気を利かせて分捕ってくるだろうと。以心伝心だな」
日本武士団の大仰な甲冑に比べ、蒙古軍は機能的な皮革製の戎衣である。その防御力には、国吉もサギリも刀鍛冶として、大いに興味があった。
七九郎は佩刀を国吉の前に置いた。
「お前の星鉄刀はよく働く。働きすぎて、ボロボロだ」
抜いてみると、刃こぼれだらけである。一体、何人の血を吸ったことか。
「私が研いであげるよ」
サギリが茶を持ってきた。この時代には禅僧の間で飲まれており、碾茶の原型というべきものである。これを置き、サギリは傷だらけの星鉄刀を取り上げた。
「研師が施すような肌合いには仕上げられないけど、実用には間に合うよ。待っていておくれ。柄も傷んでいるようだから、応急処置をしておく」
研ぎを待つ間、国吉と七九郎は酒を酌み交わした。国吉は軽く後悔していた。思英のことだ。
「もう一振りの星鉄刀が残っていたら、お前に渡してやりたいところだが」
「話は聞いている。思英が持ち逃げしたそうだな。すまぬ。俺がお前に押しつけた男だ」
「いや。こちらこそ、お前から預かった男を消息不明にしてしまった。あいつ、無事に大陸へ戻ることができたかどうか……。海の藻屑かも知れん」
七九郎はサギリが修復した星鉄刀を携え、日暮れ前には善導寺をあとにした。国吉は途中まで送った。夕陽が彼らの正面にある。
「国吉。お前、サギリを嫁にせんのか」
「あいつは俺の身体の一部みたいなもので、女として見ると面倒な気がする。お前こそ、合戦から帰ったら、嫁にするがいい」
「俺はあいつの父を殺した」
「そんなこと、おそらくサギリは知っている。知っていても、お前の無事を願って、鐔を作り、刃こぼれを研ぎ直した」
善導寺の境内を出て、博多の町につながる広場へ出た。七九郎は戦場にならなかった町並みを眺め渡した。
「博多の神職や坊主の中には逃げた者も多いようだが、社寺からは相変わらず祈祷、祈願の声が聞こえるな」
「蒙古軍の敗走が濃厚になったもんで、勝利に乗り遅れまいと戻ってきたんだ。自分たちの祈祷や祈願がわが国の勝利を呼んだことにしたいのよ。蒙古船団を襲った嵐こそは日本が神の庇護する国である証し、神風だと吹聴して回っている者たちもいる」
「朝廷や幕府に勝利が伝われば、国をあげて、神風だと喧伝されることだろう」
まだ合戦は終わっていない。鷹島で、最後の掃討戦が行われる。蒙古覆滅が京都に伝わるのは閏七月の半ばである。
「明日、また出陣だ」
七九郎の声はどういうわけか遠くに聞こえた。すぐ横にいるが、夕陽に染まったその表情から顔色は読み取れない。
「七九郎よ。勝ち戦だ。無理はするな」
国吉はせいぜい明るく声をかけ、町の雑踏の中にこの旧友を見送った。
閏七月五日、蒙古軍は撤退を決定した。この日、伊万里湾に残存していた蒙古軍の軍船は日本軍によって掃討され、将軍、指揮官たちは我先にと帰路についたが、船数が不足していたため、十万の兵士は鷹島に置き去りであった。
閏七月七日、この敗残兵の群れは日本軍最後の総攻撃にさらされた。一連の掃討戦で日本軍にも少なからぬ損害が発生したが、蒙古軍は壊滅し、二万から三万の捕虜を出した。そのうち、蒙古人、高麗人、漢人は那珂川で処刑されたが、唐人(南宋人)は助命し、奴隷としたという。ただし、この定説も史実と確認されたわけではない。
合戦が終わっても、波多野七九郎は帰還しなかった。国吉は七九郎の屋敷を訪ね、彼が戦死したことを教えられた。伊万里湾で敵船に斬り込みをかけた時である。海へ落ちたらしく、死体は収容されず、星鉄刀を含めて遺品も回収されなかった。
善導寺へ戻ると、鍛錬場ではサギリが力自慢の修行僧を向こう鎚に回して、鍛錬をやっていた。人手が足りない時は寺坊主に依頼するのである。国吉がどう声をかけたものかと逡巡していると、
「何?」
フイゴを操作しながら、彼女の方から射抜くような視線をぶつけてきた。国吉は反射的に口走った。
「七九郎が討ち死にしたそうだ」
「知ってる。凱旋した警固番役の武士から聞いた」
「お前という奴は……」
炭塵でサギリの全身は黒ずんでいるが、目は恐ろしく光っている。一直線に国吉を睨み、いった。
「何? 泣くの? 胸を貸そうか」
「汗と埃を洗い流してから、いってくれ。湯屋を見てくるから」
入浴が一般的ではない時代だが、善導寺には湯屋がある。もっとも、鍛冶仕事で真っ黒なまま入浴するわけにいかないので、軽く水浴びしてから湯屋へ向かう習慣である。
国吉は鍛錬場を離れ、西の空を見上げた。七九郎を最後に見送った日と同じ夕陽が博多の町を包んでいた。夏が終わろうとしていた。