星光を継ぐ者ども 第十四回

星光を継ぐ者ども 第14回 森 雅裕

 昭和十七年七月十一日。アメリカ西海岸で作戦行動を終えた伊二五潜水艦は横須賀へ帰港した。軍港は出撃前とは様相が一変していた。ミッドウェイ敗戦のためか、戦闘艦ではない支援艦の類や損傷した艦船ばかりが停泊しており、工廠はそれらの修理に追われ、不眠不休の突貫作業が行われている。

 横須賀市中も夜は灯火管制が行われ、活気が失われていた。開戦以来初の大敗だったことは市民に知らされていないが、この空気の重さは隠しようがない。

 伊二五搭載水偵の搭乗員・藤田信雄飛曹長が市内の刀剣商へ軍刀を持ち込んだのは、帰港から数日後のことだった。

 家伝の刀を軍刀に仕込んだものである。なにしろ潜水艦内部は高温多湿だから、刀剣には過酷だ。手入れはしていたのだが、北から南、南から北と太平洋を往来するうちに鞘の鮫皮が浮き、刀身に錆が出ている。手入れを依頼した。

「よいお刀ですな。船に持ち込んで、潮風にさらすのはもったいない」

「俺は飛行機乗りだ」

「飛行機ならもっとよくない。磁気コンパスが狂う」

「くわしいな」

「この町で長いこと商売してますからな」

 老人である。刀剣商というより仙人のようだった。

「またすぐ出撃だ。研ぎと修理は間に合うかね」

「一か月やそこらでは無理ですな。軍刀の修理は殺到しておりましてな」

「それは困る」

「この軍刀をお預かりしている間、かわりの刀をお貸ししましょう」

 そんな得体の知れぬ刀など……とは思ったが、

「まあ、御覧なされ」

 奥から取り出された刀は脇差サイズの海軍軍刀拵に入っており、飛行機乗りのために誂えたものである。運命的な何かを感じた。

「ある画家の家に伝わったものです」

 どんな経緯で軍刀に仕立てられ、ここにあるのか、店主は語らず、信雄も尋ねなかった。

 抜くと、輝く光が稲妻のように、あるいは糸のように幾条も流れている。刃文は大きな箱刃を腰に焼き、その上は悠々とのたれている。

「星鉄というものを鍛えているらしいですな。つまり、隕鉄です」

「ほお。俺には玩物趣味はないが……」

 茎を抜き出すと「村正」の銘が刻まれている。真贋はわからないが、手から離すのが惜しくなる。

「代替として貸し出すような鈍刀とは思えない。いいのか」

「刀には運命というものがあり、巡り会うべき人がいる。こんな商売をしていると、そんな人が現れると、わかるものです。あなたの特別な任務のお供をするのがこの刀の運命」

「特別な任務?」

 潜水艦搭載機を飛ばすのは決して軽い職務ではないが、特別な任務と呼べるだろうか。

「何。そんな気がしましてな」

 店主は村正の軍刀をさっさと刀袋に入れ、さらに風呂敷に包んで、信雄に寄こした。

 何やら予感はしていた。先日、追浜の水上機基地から航空技術廠へ立ち寄った際、零式小型水偵を改造し、爆弾懸架装置を取り付けているのを見ている。この水偵は潜水艦搭載用で「潜偵」と通称され、信雄が伊二五で搭乗しているものと同型である。

(あれのことかなア……)

 もともと、潜偵に爆弾を積むことは信雄の発想で、先任将校を通して上申書を提出してあったのである。もっとも、敵前に浮上して飛行機の組み立て、発進、帰還を待って揚収を行うとなれば、その間の潜水艦はまったく無防備であり、例外的な作戦でなければ採用されないだろうが。

 信雄は村正を借りて市内の下宿に戻り、その後は軍港と下宿の間を行き来しながら出航の準備に追われ、山口の岩国から面会に来た家族を迎えたり、忙しく数日を過ごした

「予感」が当たったことを知ったのは八月初めである。軍令部第三課からの出頭命令を受け、単身で霞が関の海軍省まで出向いた。信雄のような准士官が出入りする場所ではない。普段なら口もきけない潜水艦作戦参謀、シアトルに駐在経験があるという副官が待っており、参謀肩章をつけた高松宮も同席していた。異例である。

 いよいよこれが「特別な任務」かと緊張していると、

「アメリカ本土を爆撃してもらいたい」

 そう切り出された。

(やはり……)

 アメリカのどこの軍事施設を叩くのかと胸を躍らせると同時に、これは生還できぬかもと覚悟を決めた。

 しかし、目の前にチャートが広げられ、

「目標は西海岸の山林だ」

 意外な言葉を聞いた。意味がわからない。

「ワシントン州からオレゴン州、そしてカリフォルニア州にかけて、広大な森林地帯が続いている。ひとたび山火事が起これば、消火のすべがなく、何日も何週間も燃え広がり、近隣都市にも脅威が及ぶ。そのため、州政府が上空を飛行禁止にしている地域もある。焼夷弾で火をつければ、最少の攻撃で最大の戦果をあげられる」

 目標が軍事施設ではないと知り、初めは落胆した信雄だが、説明を聞くうち、そんな自分を反省した。

「そればかりか、日本の飛行機が米本土まで飛んでくれば、米国民に与える衝撃も大きい。米軍としても本土防衛に戦力を割かねばならなくなり、太平洋戦線にも影響を及ぼす」

 どうだ、という顔で参謀たちが信雄を見やった。この年の四月には米空母ホーネットから発進したB-25、十六機が分散して日本本土初空襲を敢行している。その時、伊二五は横須賀で修理中で、信雄も敵機(十六機中の十三番機)を目撃している。

 高度は三百から四百だった。双発機がかなりの高速で頭上に現れ、ばらばらっと黒いものが落ちてきた。対空砲火など間に合わなかった。敵機は軍港から軍需部上空を抜け、海軍航空隊がある追浜の方向へと消えた。伊二五が入っていた四号ドックの隣の五号ドックで、潜水母艦から航空母艦へ改装中だった「大鯨」が被弾、大破した。

 大本営は九機を撃墜と華々しく発表したが、墜落機を目撃していない国民は信用しなかった。実際、全機が日本上空を離脱して日本海を越え、大陸へ向かっている。

 アメリカ本土爆撃はその仕返しというわけだ。

「伊二五の田上艦長の指揮統率力と君の技量を見込んでの作戦だ」

「光栄です。やらせてください」

 沸々と闘志が湧いた。

 伊二五は日米開戦二カ月前に竣工した新鋭艦で、その活躍ぶりは平成になって刊行された「高松宮日記」にも七十回近く記載されている。北はアリューシャン、アラスカ、南はオーストラリア、ニュージーランドへと駆け巡り、この年の六月にはアメリカ西海岸で、オレゴン州アストリア郊外のフォート・スティーブンス陸軍基地へ砲撃を行っていた。アメリカ本土の軍事基地への攻撃は、米英戦争以来、百三十年ぶりのことだった。そして、今回は前例なき本土爆撃を敢行しようというのである。

 

 八月十五日。横須賀を出航した伊二五は三陸沖からアリューシャン列島の南という大圏コースをとり、アメリカ西海岸を目指した。開戦以来、西海岸での作戦行動は伊二五には三回目である。

「アメリカの人心攪乱を目的とする爆撃かあ。効果あるんですかね」

 発射管室の食卓を四人の乗組員で囲み、ブリッジをやっていると、連管長(魚雷員の長をつとめる下士官)が気乗りしない表情で口を尖らせた。

 彼が担当する魚雷の大きさ、破壊力に比べれば、潜偵に搭載する小型爆弾など花火のようなものだ。

「効果はともかく……」

 信雄の声は楽しげで、しかも迷いがない。

「アメリカ建国以来、初の本土爆撃を日本機がやってのける。痛快じゃないか」

「アメさんは双発爆撃機を十五、六機、日本本土に飛ばしてきたというのに、こっちは玩具みたいな潜偵一機ですかい」

「ははは。日本らしいつつましい戦争ですなア」

 と、奥田省二飛曹が屈託なく笑った。潜偵の偵察員である。空の上ばかりでなく、今もブリッジで信雄とペアを組んでいる。

「前回の作戦では偽の潜望鏡をばらまきましたからね。安上がりな戦争で涙が出ますわ」 

 ミッドウェイ敗戦の頃、シアトル・サンフランシスコ間に展開していた伊二五は擬潜望鏡なるものを通商航路に放り込んで回った。青竹の下に石の重りをつけ、上部にはガラスを斜めに取り付けたものである。さも多数の日本潜水艦が出没しているかのように見せ、敵を攪乱しようという「持たざる国」のせつない戦法だった。

 連管長は発射管室の天井近くまで積み上げられた魚雷を見やった。

「けど、俺んとこの魚雷は安物じゃありませんぜ。手塩にかけて調整しているからね」

 魚雷は高価な精密兵器である。一本一本につき、履歴が明らかにされている。人間なら履歴書だが、魚雷は履歴本だ。個々の部品工場で検査員の判子がいくつも押され、これをいつどこの工廠で組み立て、いつ発射試験をしたか、細かい記録が一本ごとに一冊の本に綴じられている。人間の履歴書よりはるかに詳細なのである。一本一本に名前をつけている魚雷員もいるほどだ。

「しかし、魚雷は人間乗れないからつまりませんや。潜偵は玩具みたいとはいえ、俺たちを乗せて大空を飛びますよ」

 と、奥田兵曹。連管長は人間を乗せる魚雷というものを想像したのか、しばらく思案顔だったが、一笑に付した。

「へっ。魚雷に人が乗るようになっちゃ戦争は負けだろ」

「いえてますな」

 そんな他愛ない会話を交わしながら、日々、敵地に近づく緊張は高まっていく。

 日米開戦後、わが第一潜水戦隊の潜水艦九隻がアメリカ西海岸で通商破壊を行い、十余隻の商船を撃沈し、陸上施設を砲撃もしている。当然、沿岸は警戒厳重になっているから、今回の爆撃作戦では生還は期しがたい。信雄も奥田兵曹も顔にはまったく出さないが、その覚悟だった。

 

 南下を続け、九月初めには西海岸より二十海里にまで接近した。オレゴン州の南に突出したブランコ岬灯台の灯が見える。発艦位置を選定するため、夜の海上を走り回ったが、天候が悪く、波も高い。発艦準備を始めたものの、中止して潜航することが何日か続いた。

 浮上は夜に限られる。搭乗員は爆撃終了までは当直にもつかず、休養せよと命じられていたが、モグラのような艦内生活が続くと胸を病んだり脚気になったり、視力が減退してしまう。飛行機乗りは目を大事にする。時々は艦橋に上がり、視力の訓練と見張りを兼ねて夜空と水平線を眺めた。

 交替で煙草も吸う。火が洩れぬよう、手元を隠しながら、闇の中で吸うのである。隣にいる者の顔もわからない。火を借りてようやく、

「あっ。艦長でしたか」

 と気づく有様である。潜水艦の乗組員は一蓮托生。艦長といえども厠は兵と共用、寝るのは士官室の通路脇だから、上下の隔たりはない。

 田上明次艦長はのんきさを漂わせた童顔と悠揚迫らざる態度で、部下から敬愛されている。

「体調はどうだ?」

「意気軒昂ですが、身体がナマって困ります」

 潜水艦乗りは体力は使うが、運動不足である。飛行機の操縦は力仕事なので、筋肉が落ちないよう、場所をとらない手足の運動は絶やさない。艦長はむろんそれを知っている。

「搭乗員を育てるには時間も金もかかる」

 艦長はそれだけいった。軍令部の無謀な作戦を批判はしない。しかし、言外に「生きて帰れ」という意味が籠もっている。信雄のように十年も海軍の飯を食っている熟練搭乗員は貴重なのである。

「はい……」

 相槌を打ちながら、信雄は海面の夜光虫の動きに、一瞬、緊張を走らせた。魚雷が向かってきたように見えた。

「鮭だよ」 

 艦長は乾いた笑いを発した。このあたりは鮭が大群で泳いでいるのである。

 

 西海岸に張りついて一週間。敵の艦船を発見しても、爆撃を終えるまでは、わが艦がこの海域に潜んでいることを知られるわけにいかないから、手が出せない。

 南太平洋ではガダルカナル島とソロモン海で日米が死闘を繰り広げている。我々も戦果を上げねば、と焦りは日々に募るが、田上艦長は忍耐強く時機の到来を待ち、決して無理をしない。だからこそ、危険な任務でも部下は艦長を信頼する。

 潜水艦の偵察機搭乗員ほど割が合わぬ任務はなかろう。信雄と奥田飛曹はもちろん、他の乗組員もそんなことは口に出さない。しかし、潜偵は最大速度二百四十キロ。武装は七・七ミリ一挺。これで敵軍の要地へ侵入するのである。敵戦闘機に捕捉されれば、ひとたまりもない。追われたら、母艦の位置を敵に教えるわけにいかないから、見当違いの方向へ逃げざるを得ない。帰艦するにしても、広い海でケシ粒のような潜水艦を探すのは至難の技であり、潜航していたら見つけようがない。迷ったからといって電波を出すこともできない。これも敵に傍受されたら、母艦が危険だからである。

 田上艦長からは「死に急ぐな」と命じられており、第一揚収地点で会合できない場合にそなえて、第二、第三の揚収地点も事前に打ち合わせ、そこに不時着して救助を待つことになっている。しかし、気休めのようなものだ。

 信雄は遺書を書き、毛髪と爪も残した。汚れた下着、被服などは洗濯できないのでそのままだが、とりあえず畳んで整頓してある。

 

 九月八日。日が暮れて浮上すると、ようやく波は穏やかになっていた。これなら行けるだろう。翌九日未明。陸岸からわずか十海里に迫った。

「飛行機発艦用意。飛行関係員、前甲板」

 田上艦長の号令が下り、掌整備長と整備員ばかりでなく砲術、水雷などの兵科、それに主計科からも応援が出て、艦橋前部の格納筒から引き出された潜偵が旋回盤上で組み立てられる。カタパルトに滑走台車とともに潜偵を載せ、試運転が始まる。狭い甲板上、しかも夜という困難な作業だが、誰もが充分に訓練され、手際はいい。

 信雄と奥田兵曹は艦長の前に進み、

「出発します」

 つとめて明るく告げた。艦長も平素と変わらず、これから悪戯でも始めるかのように童顔をほころばせた。

「予定通りに、慎重にやれ」

 米軍による日本本土空襲では子供を含む民間人に少なくない犠牲が出ている。しかし、日本軍は市街地を無差別に爆撃はしない。目標はあくまでも人里離れた山中だ。「予定通りに」とはそういう意味である。

 艦は風上に向かって速度を上げており、白波を蹴立てている。信雄は操縦席で操縦系の作動とエンジンの調子を確認し「準備よし」と手を上げて合図する。先任将校が赤ランプを振り下ろすと同時に、整備員によってカタパルト発射の引金が引かれる。

 現地時間午前六時が近づいている。白々と大陸側が明るくなる中、潜偵は舞い上がった。たかだか三百四十馬力の非力な潜偵に七十六キロ爆弾二発は重い。緩旋回しながら下を見ると、白い航跡をひいた伊二五が見える。乗組員は帽子を振っているだろうが、薄闇ではっきりしなかった。

「奥田。行くぞ。よく見張れ」

 行く手には夜明けを迎えたコースト山脈のシルエットが浮かんでいる。三千まで高度をとり、ブランコ岬より南南東に変針。果てしなき山脈を黄金色に染め、荘厳な太陽が昇ってくる。生涯最大の日の出であった。

 速度百ノット。変針から三十分。行けども行けども山また山だが、谷間は雲に覆われている。オレゴンとカリフォルニアの州境の手前にそびえ立つエミリー山へ到達した。西側の海沿いに望む街並みがブルッキングスである。高度を九百まで下げる。

「奥田。下が原始の大森林ってやつだな」

「はい。見渡す限りの大森林です」

「ここに投下するぞ」

 まず左翼の一発を投下した。機体が右に傾き、旋回しながら雲の底を覗き込む。閃光が奔った。

「よく見ろ。燃えているか」

「黒煙と火が見えます」

 爆弾は焼夷弾である。一発に五百二十個の豆弾子が詰まっており、爆発すると百メートル四方に飛び散って、千五百度の高熱を発する。

 さらに南へ飛び、右翼の爆弾を投下。これまた大きな火花を視認した。

「やったな」

「やりました。火が広がっています」

「よし。帰艦する。敵機に注意しろ」

 コースを逆にとり、ブランコ岬へと向かいながら、身軽になった潜偵の速度を上げる。海岸線には人家があるので、エンジン音を聞きつけられぬよう、スロットルを絞った。早く海上へ出ようと気持ちが焦る。

 だが、心臓に悪い光景が海岸線の向こうにあった。二隻の大型船が北へ進んでいる。これを迂回すれば帰艦が遅れる。

「奥田。二隻の間を突破するぞ」

「行きましょう」

 海上に出ると、二十メートルの低高度を最大速度百三十ノットで突進した。二隻は商船だった。伊二五は二百七十度方向にいるはずだが、ブランコ岬より針路二百二十度に飛んで欺瞞し、二隻が見えなくなったところで、母艦の待つ方向へと修正し、高度を上げた。視界はきわめて良好で、苦もなく母艦を発見し、味方信号を繰り返しながら接近。向こうも手を振っている。艦尾方向より着水し、揚収用デリックの下まで滑走。奥田兵曹が主翼に乗り、デリックのフックに機体吊り上げ索をひっかけた。艦上に吊り上げられると、猛烈な早さで分解格納が始まる。

 信雄は艦橋へ上がり、艦長に報告した。

「爆弾二発とも爆発、火災発生しました。飛行機異常なし。ブランコ岬沖五海里に二隻の大型商船が三海里の間隔で北進中です。速力およそ十二ノット」 

「うん。さっきマストを発見した。追うぞ」

 たちまち潜偵は格納筒におさめられ、伊二五は獲物を求めて、雲一つない陽光の下を強速で突き進んだ。何日も隠忍自重してきたのだ。アメリカ大陸が見えている海上で、乗組員の気持ちが一つになって高揚する。

「マスト見えまーす!」

 見張員の声が弾み、風と波しぶきの中、号令が響く。

「魚雷戦用意!」

 だが、この昼間浮上航行は大胆不敵すぎた。

「敵機! 直上!」

 緊迫した叫びに、艦橋の者たちは反射的にハッチへ飛び込んだ。双発のハドソン哨戒機が頭上に迫っていた。

「攻撃中止! 潜航急げ!」

 全没しないうちに至近弾が炸裂し、艦内が揺さぶられて、電灯が消えた。伝声管から響く声は混乱して聞き取れない。

 信雄は士官室にいた。飛行服を脱ぎながら、艦が左に傾きながら真っ逆さまに沈んでいくのを体感していた。何やら備品が転落する音がにぎやかだが、彼には何もできない。発令所の様子をうかがうだけだ。

「潜舵上げ舵!」

 祈りにも似た叫びが響くが、勢いのついた伊二五は恐ろしい早さで沈下していく。

「メインタンクブロー!」

「電信室浸水!」

 切迫した声が飛び交う中、軍医長が懐中電灯を手にして這うように現れ、

「思わず、そのへんにぶら下がりそうになるな」

 場違いなほど陽気にいった。少しでも艦が軽くなる気がするというわけだ。しかし、やはり不安なのだろう。

「一人だったら耐えられんな」

 娑婆では産婦人科医だったという軍医長は、吐くように呟いた。

 ようやく沈下が止まった。発令所では、蛍光塗料を塗った計器類の文字盤だけが闇の中に仄白く浮き上がり、深度計の針は七十メートルを越えていた。

 再び頭上で爆発音が響く。水圧で艦体がきしみ、今にもつぶされそうな恐怖がのしかかる。

 傾いたままの艦内に懐中電灯の光が交錯し、各部の被害が確認された。電信室の電線引き込み口が破損していたが、電信長以下、歴戦の乗組員による応急処置でこれをふさいだ。

 電灯は復活したものの、計器、機械の一部が故障してしまい、復旧を急ぐ。

 一体、何機の哨戒機が集まってきたのか、間隔を置いて、三度、四度と爆弾が投下された。爆発音は離れているが、逃がすものかという意気込みは海底にも伝わってきた。