86. 偽物について(その三十七)  肥後守輝広の偽物

 今回は偽銘というか、銘字そのものを、総体としてどの様に見るか、又、捉えるかという事を、第三者の説明と対比させて述べてみたい。

 以下は『鑑刀日々抄』続二(本間順治著・昭和五十九年刊)からの引用であり、更にわかりやすくする為に、他書からも押型等を引用することにした。これらは単に誹謗中傷のためでなく、純粋にその研究のためである事をお断りしておく。

 尚、今回は初代輝広の天正年紀を題材に採り上げたが、本刀は二十年以上前に東京の鑑賞会で手にとって経眼している作である事をお断りしておく。

 ではその輝広の押型(中心)を同書から説明をも引用掲載させて頂く。(A)図

〇刀 銘 濃州関住輝広造 天正十七年九月日
 刃長二・一尺、孔一ケ。身幅広く大切先、重ね薄く庵棟、腰反り頃合につく。鍛板目ざんぐりとし、刃寄りに流れ柾あり、随所に荒沸目立つ。鎬地流れ柾。表裏中程と裏物打の地に玉を焼く。刃文は表裏腰元焼深く、表のたれ草に乱れて島刃出来、裏は互の目連れ、その上の一段が焼細かくなり、一見直刃に些少ののたれごころと互の目ごころあり、さらにほつれ・二重刃がある。その上は総じて大のたれと互の目交じる草の乱れで深浅あり、物打辺より上が一段と焼深くなる。表中程に匂出来の刃があるが、その他には沸よくつき、ここには荒めの沸あり、ほつれ・砂流し目立ち、金筋交じる。帽子殊に焼深く、乱れ込んで崩れ、掃掛ごころあり、返りが長く、表が棟区に、裏が腰元に至る。棟焼もある。

 との説明がある。私の記憶では中心の状態は良くはなく、ヤスリも同作のヤスリに比べても若いと感じた。併し、同書の説明にもないし、又、書いていないのであるがこれは私の感覚であり、中心の状態は良くはないというのは、肉置と錆色と解釈して頂きたい。

 更に、刃文も荒沸というより叢沸がバラバラとつき、刀の出来とすれば不出来の典型である。この点については前掲の説明文中の”随所に荒沸目立つ”や”表中程に匂出来の刃があるが、その他には沸よくつき、ここには荒めの沸あり”という表現と殆んど同様である。これを押型で引用すれば(B)図であるが、これは『名刀図鑑』(藤代松雄著・昭和五十三年十一月号)より転載引用させて頂いた。この(B)図の押型(中心と物打)は原寸大と思われるが、物打辺の刃文を見ると明らかに私の記憶通り刃文に叢があり崩れた匂口であり、前掲の説明文に該当する。尤も(B)図の説明には”変化ある出来で優れたる作品”との著者の説明があるが、言葉も使いようだなぁと思う。

 又、『肥後守輝広とその一門』(得能一男著・昭和六十三年刊)では、この(B)図をそのまま転載しているが、説明文に”地刃の出来も変化があって素晴らしく”とあり、”ところによっては匂出来になったり、叢沸がついたりしている”とある。この説明文は『名刀図鑑』のそれに少し色付けしたにすぎないものであり、両方ともに”変化”などという曖昧な表現をもてあそんでいるにすぎず、本質を正確に表現してはいないどころか、逆に何かを疵っている感がある。

 さて、後程再度触れるが、上の出来はこれ位で一応おさめて本題の銘字に移りたい。(A)図の説明文を引用すると、

茎生ぶ、やや舟形ごころあり、先刃上り栗尻、棟角、刃方小肉、鑢目筋違、上記の長銘と年紀をほぼ行書と楷書を交えてやや大振に切っているが、字画が「濃」の字乱れ、「年」の字欠ける。年紀をみるまでもなく体配をはじめとして地刃の出来までを総合して一見すなおに桃山時代の美濃の上手の作と鑑せられるものであり、この輝広はむろん初代の肥後守受領以前の作に該当すべきである。しかし常にみる肥後守を冠している銘振が経眼この一口である長銘に比較して遥かに上手であること、すなわちこの長銘が肥後守輝広銘に比して下手であり、筆脈の通りにやや不足を感ずるのは私だけであろうか。年紀にもいささか同感があり、「年」の字に大きく欠画がある点にも、同作に他に年紀をみないので結論をさしひかえるが、いささか疑問をもつ。

 さて、”字画が「濃」の字乱れ”とあるのは、字の崩し方に?をもっている事を言っているのであり、”「年」の字欠ける”又、”「年」の字に大きく欠画がある”とあるのは私には意味不明である。私なら「濃」の字も?であるが「州」の第六画目の縦棒が歪み全く力がない。「関」の第九画目から十三画目の「図を参照」であるが第十三画目が第十一画目の横棒を突き抜けているのが?である。さらに不審なのは「造」であり、タガネに力がありすぎる第一画を除き、あとはひょろひょろしており、「辶」は字になっていない。むしろ「天正十七年九月日」の方が表銘よりよほど上手で、タガネの太さに抑揚が殆んどなく、一定の力で刻した整った銘字で上手だと思う。

 ここから本題中の本題に入る。刀工は自分の作には必ず二字銘であろうと長銘であろうと、自分の刀工銘を刻るが、年紀はそうはいかない。年紀が殆んど見られない刀工も多く、現にこの初代輝広もその典型である。つまり年紀は元号も変わるので、普段から刻り慣れないのだから、自分の銘字よりも下手に刻って当然である。

 (A)(B)図の中心をみて頂きたい。銘字の上手さは、刀工銘よりも年紀の方がはるかに上手であることは一目瞭然であり、大原則に完全に違反している。しかも、初代輝広とすれば(A)の説明のように”この輝広はむろん肥後守受領前の作に該当すべきである”となるしかない。又、初期作であり、安芸国へ移住前であるとするなら、若い時でもあり
(A)(B)の如く細くひょろひょろとした銘字にはならないで、もっと太い銘字で力強く大きく刻るのが大原則である。

 では次に(A)図の説明の最後の文を引用する。

表裏の銘のすべてを是認するならば、初代輝広として出来と資料的価値を加えて、最高点を与うべき作であろう。繰り返して言うが、この輝広は初代の作として申し分がないが、銘については他の同作の銘と比較研究したい。(研師・渡辺雅彦氏の懇望により、あえて出来にひかれて鞘書する。)

 つまり、著者は本刀の銘字に?を呈していながら鞘書をしているのである。結果としてこの鞘書の影響は大であろう。残念である。但、銘字に対する著者の?には私も全く同感であり間違ってはいないので、著者の説明と私の説明を読者の皆様によく理解して頂きたい。この点が肝心な点でもある。但、この著者も銘を是認するなら最高点を与えるというが、これは自己撞着もいいところで矛盾そのものである。何故なら匂口に叢がある作は不出来であり、それを銘を是認するなら最高点をやっても良いとは、あきれ返るしかない矛盾である。

 この刀を著者に見せて鞘書を懇望した研師は、恐らく誰か断り切れない客の依頼でやったのであろうが、この刀が第三者へ渡り、大手を振って正真、新資料で従来の説を覆す第一級資料として、現在迄に使用されているのは事実である。まして私が経眼した折には、所謂”無冠(無指定)”であったと思うが、今や特別重要刀剣指定になっていると聞くが、これは未確認。長く広島にあった様だが、現在は東京の某所(刀剣商や個人ではない)に買取られていると聞く。この刀の銘文を楯にして、色々な考察推測がなされている現在、著者の鞘書の果たした役割は大きい。

 銘を是認すればと述べているが、在銘作では銘の真偽が全てである。銘には少し?があるが出来が最高とはいってみても、併し、その出来は不出来であって、良いとは絶対にいえなし、いえば全ての刀の良否にかかわる重大な問題であり、匂口の叢や、刃文の崩れに対して、変化のある出来などとはとんでもない無責任な説明で、又、その説明を引継いだのも話にならない誤りである。

 茲では鞘書や特重指定に言及しているのではなく、銘字銘振の?をこれだけ説明しながら、逆の事をやる著者の無責任さには呆れてしまう。読者の皆様は如何に思われるか。尚、この刀は海外から帰ってきた旨の説明が『肥後守輝広とその一門』にあるが、こうした逆輸入を装った偽銘刀が昨今増えている事にも注意して頂きたい。

平成二十九年一月 文責 中原 信夫