83. 偽物について(その三十四)

今回は前稿(その三十三)の磨上とは少し様子が違うものを紹介するが、磨上の基本工作と考え方は全く同じである。

では(4)を見て下さい。本刀は約二寸程の磨上でありますが、刃長が二尺四寸一分二厘、反は二分八厘の現状であります。前回の刀と違って今回は、指裏の中心全面に工作が施され、磨上時の新しい切りヤスリがかけられています。

前回は在銘部分の反対側の中心にも生のヤスリが残されていましたが、本刀は在銘部分より上、つまり二つの目釘孔の中程あたりから上は、裏側と同じ磨上時の新しい切りヤスリがかけられています。本刀は化粧ヤスリが生の中心にありますので、そのヤスリ目の角度を二本線で示しましたので確認して下さい。

さて、中心の鎬筋ですが指表側(在銘側)の鎬筋は鮮明に立っていまして、一本の細く濃い線で銘字の「相」の所まで残っています。又、よく見ますと「広」の所まで鎬筋は立っているのですが、銘字に目がくらまされ気味で立った様には見えにくいのですが、(5)を見て下さればよくわかると存じます。

(5)は中心尻の平面部分の押型で、中心尻の鎬の高さの形状が見事に出ています。(5)を左右(表裏)に別けて、その左右を見ると左と右の形状が不均衡になっています。左側が”〈 “字形になっていて、鎬が高い事を示していますが、右側は”〉”となっていますが、その曲り方が浅く一直線に近く見えます。これは指裏側の鎬が低くなっている事を示しています。

従いまして、指裏側の鎬筋は表側に較べて不鮮明ですが、よく見ると鎬筋はあるのですが、(5)にあらわれている様に鎬が高くないために、この様に不鮮明な状態で押型に出てきます。それから表裏の鎬幅に相違があります。それは生孔(下の孔)の所をみて下さい。指表の目釘孔は鎬筋とくっついていません。併し、指裏は目釘孔と完全にくっついていますから、下の孔(生孔)の辺の鎬幅は指裏の方が広いという事になります。さらに、上の目釘孔の辺は表裏同じ鎬筋ですから、恐らく、生中心の時の研溜の厚さの程度と上の刀身の減り具合によって、この様な磨上加工方法になったと思われます。

さて、(4)に示しました矢印の所まで生中心(磨上る前)の時の刃文が確認出来ますので、上の目釘孔と下の目釘孔の中間辺が生研溜(太線で示した辺)ですから、指裏の中心のそのあたりの鎬筋がやや不鮮明になり始め、鎬幅もその辺から中心尻にむかって広くなり始めています。これが磨上の時に一番の気をつける所でもあり、磨上は厚みとの戦というのは、実にこの事であります。

磨上の時は棟区を新たに設定して切り込んで作り、刃長を決めますが、棟区の所には焼刃はありませんので、なんなくヤスリなどで棟区を作れますが、刃区の所は前稿で述べました様に、硬い刃部を処理しないと刃区は作れません。無理をして加工すると、刃部を大きく欠く恐れが極めて高くなりますので、大事な刀の磨上では、一番腕の見せ所でもあり、高技倆を要求される所でもあります。

併し、もう一つの大きな問題は磨上る前の研溜の処理、これが大問題であります。(4)の場合では生の中心の研溜から上は順次重ねが薄くなりますので、この生中心の研溜を少し薄く減らして、鎺が新しい鎺元にやっと収まる様な程度にしなければなりません。(4)は指裏側の研溜部を主に処理したと考えられるのであります。

つまり、磨上る刀身の状態によって、加工部分と程度が変わるという事はこの通りであります。これをよく理解して下さい。要は、中心の形状をある程度は犠牲にしても、磨上る前の中心に残されている古い錆や肉置も少しでも余計に取り去る様な減らし方は絶対にしないし、余計な手数をかけない一番合理的な方法を採用します。

従って、中心尻も一文字状の”切り”か、ごく浅い栗尻にするのが自然で一番合理的であり、これを剣形の様な形状にはしません。それをすれば余計な”減らし”と手間がかかり、非合理になるからです。

(6)に新しい中心の棟の厚みと刃方の厚みを押型で示しておきます。生中心の時の様に厚さが均一な状態になっていないのがよくわかります。更に、中心の形状も決して良くはなく、ボテッとした不恰好な感じであります。磨上中心は必ずといって良い程こうなります。見た目にキレイな形状の中心は磨上ていない可能性が大であります。

又、明治以降に軍刀に入れられる場合は、ちゃんとした磨上加工をしたのもありますが、終戦に近づくにつれ、無理やり磨上てしまった例が多くあります。

平成二十八年九月 文責 中原 信夫