72. 偽物について(その二十四)  タガネ枕の状態

前回は銘字のタガネ枕について述べましたが、今回はその復習として述べたいと思います。

では(57)図を見て下さい。前回と同様に中心写真と一緒にタガネ枕の確認出来る部所を黒く塗りつぶして表示しました。

さて、この(57)図を見ても、中心全体としてどの様な?があるのかと考えられる読者もあると存じますが、この「助次」は鎌倉時代の古青江として認定(保存刀剣)されているものであります。この認定を一応解説すると、「助次」の銘字は正真である。そして鎌倉時代の古青江助次と認定した訳であります。古青江としたのは(57)が刀銘になっているからです。それからこの中心にはほんの幽(かす)かに大筋違のヤスリ目がある様ですが、ここが問題であります。

前回の既述を再見して下さい。この「助次」銘には鮮明なタガネ枕が残されていますし、際立ってタガネ枕が残されている部位は黒く塗りつぶして図示してあります。これ程までにタガネ枕が残されていたら、古青江の特徴である大筋違のヤスリ目が中心全体に、そして殊に、銘字の中央部(字画内)や周囲にもっと鮮明に残されていなければ不合理であります。

併し、この(57)には殆んどヤスリ目が看取出来ません。銘字の下部の鎬筋の辺りにごく僅かに看取出来ますが、幽かであります。しかも、銘字のすぐ上の目釘孔(二つある孔の下)の周囲の角(かど)はかなり鋭角的に残されています。孔の周囲(外周)にバリがある上の孔ほどではありませんが、700年近くも経った孔の状態とは思われません。しかも、この指表の反対側、指裏の中心《(57)-A》は全体にかなりの朽込がありまして、表裏ともに中心の棟角の線の崩れ方が非常に大きく不審で、保存状態に異常があったか、むしろ火に罹った可能性が大であり、まともなものとはいえません。

つまり、中心の保存状態(ヤスリ目の残存状態と表面の凹凹状態)が不良な割に、銘字にタガネ枕が立ちすぎていて、不合理であるという事になります。従って、ここから導きだされる結論は、この「助次」は後世の偽銘、つまり「追掛銘(おっかけ)」又は、「追銘(おいめい)」と呼ばれるものです。

つまり、700年近く前の銘字に見せるために、タガネ枕を叩きつぶす偽装工作を施したのであります。又、(57)は在銘部分の中心の表面を仕立直していますが、裏面《(57)-A》と二つの目釘孔と鎬筋の距離を見て下されば仕立直しは歴然としています。

勿論、タガネ枕が多く残る700年前の銘字は絶対にない事はなく、そうした健全すぎる保存状態の中心であるならば、中心の表面全体に烈しい朽込も出来ず、ましてヤスリ目は今日になって施したかの如く鮮明かつ力強く残っているべきであります。

さて、次に(58)図を見て下さい。平造りの脇指(特別保存認定)の中心(表裏)写真ですが、表は「備州長船則秀」と読めます。併しよく見て下さい。「秀」の銘字の殆んどの部分は烈しく朽ち込んでいます。それなのに現状で「秀」とかなり太タガネになった所もあり、かなりはっきりと読めます。

つまり、以前はこの部所は朽込が深くあったところに、ある程度の強弱をつけて追掛銘を刻ったという事になります。一般的に、大きな朽込の穴状(凹状)の底に銘字が鮮明に残されている例が多くありますが、これは典型的な「追掛銘」であり、(58)も同様かと存じます。裏の中心は表とは反対に余り朽込も見られない状態で、何の疑問もないかの様に見えますが、この年紀「文明十六年八月日」も疑問が多くあります。第一に500年程経っているのにアタリタガネ、ヌキタガネ部分のタガネ枕が立ち過ぎて白く光っていますが、不合理です。これは表銘も同様であります。

更に、この年紀の位置が全く不合理であります。中心の棟角から中央辺まで護摩箸の彫刻が施されています。但、その細い樋の角(かど)が誠にキレイですし、片面にのみ彫刻を施している訳で、それも樋先の形も崩れて、ただ彫られているだけで、明らかに後彫でありますから、彫刻を避けている年紀は追掛銘となる訳でありまして、これでタガネ枕が白く光っているのも理解出来ましょう。

大体において、この時代の備前物は中心の中央に刀工銘も年紀も刻るのが当たり前ですから、そういう点でも(58)図の年紀は×となります。又、下の目釘孔もその位置が不合理で、何の意味もなく、こうした無意味な加工がある作は?が多いものであります。

(平成二十七年十一月 文責 中原 信夫)