60. 偽物について(その十ニ)  清人の偽物

前回掲出した(33)図を再度見て頂きたい。注目して頂く所は”万延元年八月吉日”の「元」という銘字である。第三画目の左斜目下へ払った所に第四画目の縦棒の最初(上部)がはみ出しています。

では同じ”万延元年卯月(四月)”(36)図と”万延元年八月日”(37)図を見て下さい。その両図の「元」の銘字には(33)図にある様な状態(字体)にはなっておりません。つまり(33)図の「元」は不自然な「元」という字体であります。因みに、「元」の字を使う”元治”年紀の「元」や、年号での元年の「元」をみましても、清人の正真銘と思われる作例には(33)図の様な字体はないのであります。

この様な事は謹直な銘字を切る清人にしては考えられないもので、いわば”銘字になっていない”のであります。さらに言えば(33)図の”羽州庄内”という銘字の「庄」という銘字ですが、多分、正式には「荘」という字を使用するのがベストで理にかなっていると思うのですが、これについては読者皆様の御教示にまちたいと思っております。現に「庄」の作例も、逆に「荘」を使った作例もありますが、私にとっては今少し判断を保留にしたいと思っております。現代人にとっては気がつかないかも知れませんが、当時の人にはそうでない重要な事もあります。いづれにしても(33)図は中心仕立で×ですから、銘字の一点一画は問題外でありますが。

さて、同じ銘字について、(37)図の”清人”の「清」の銘字について少し触れてみたい。「清」の第六画目(「青」の横棒の真中)が、横棒の直線にはならず”丶ノ”の様な状態になっています。以後、明治迄この字体を概ね使用している様である。

では(38)図をみて下さい。(37)図(38)図は同一年月日でありますから同じものにならなければいけないのに、そうなっていませんので、(38)図については?という事になります。

但、(36)図の「清」は(37)図と同じではありませんから、万延元年卯月(四月)以降の変化と一応考えられます。そして、この(38)図ではヤスリが乱れておりまして、殊に表の下部には角度の違うヤスリが交じっているのがわかります。これなどは決して好ましい中心仕立とはいえないものです。

さらに、気にかかるのは「作」という銘字の第五画目の縦棒ですが、直線ではなく、やや左斜目下の方向に大きく曲げて跳ねた様になっていますが、その跳ねた所が他の所と際立って力強く・太く大仰になりすぎているようです。これは大変気にかかる点であります。

因みに、偽作(偽銘)の常として、ちょっとした特徴を大仰すぎる程に強調する傾向が強いものです。但、(38)図の「作」と同じ様になっているのを全てが?という様な事を言うつもりはありませんが、(38)図は何といっても中心仕立、殊にヤスリが乱れているという点は絶対に見逃す事が出来ません。

細かい点、一点一画に余りにもこだわり過ぎるのは良くありませんが、「荘」と「庄」の文字の件でありますが、清人の故郷では、二つの文字を各々適宜使い分けを正確にしていた気がするので、当時の地方史や古文書の分野の知識とドッキングして考えていくべきが本当と考えております。本欄を見て下さっている各方面分野の方々の御指摘をお願いしたいと存じます。

(平成二十六年九月 文責 中原 信夫)