59. 偽物について(その十一)  藤原清人の偽物

前回では、同一作者銘で同一年月日銘の例を引用して、中心仕立の中でも一番重要なヤスリの点を比較検証してみたが、今回も今一度復習をしてみたいと思います。

では(31)図を見て頂きたい。中心のヤスリ(角度)は最初は角度が少し浅目の磨出(すりだし)があり、目釘孔の辺りから一定の角度に近くなっている。勿論、(31)図でも中心尻に近づくにつれて、少し角度は急になっているが、わずかであり、自然な「急」である。こうした現象は全ての刀工の中心仕立に共通のものであって、誤解のない様にお願いしたい。

さて、次の(32)図を見て頂きたい。(31)図と同一年月日であるが、決定的に違うのは(32)図にある化粧ヤスリである。又、銘字付近のヤスリの角度は、明らかに(32)図の方が角度が急になっている。

つまり、この様に明らかに中心仕立が違うとなれば(31)図(32)図の少なくとも一方が×ということになってくる。両図の”万延年紀”に注目すると、万延元年に改元になったのは前年号の安政七年三月十八日であり、万延二年は二月十九日に改元して、文久元年となるので万延二年は二月十八日までしか存在しない。従って万延年間はあしかけ二年、実質は一年間もないのである。よって、”万延二年二月”というのは、ある程度の間隔があっての”二月”ではなく、即、製作、そのものの時という事にしかならないのである。古い刀工の二月・八月というものには、実際の製作(切銘時)より最大限約半年間のズレがあることになるのであるが、この両図の”万延二年二月”には、その様なズレは前述の理由で絶対にない。

以上の理由で全く同年月日で、この様に中心仕立に相違が生じる事は絶対にないという事を認識するべきである。

ではこの両図でどちらが○なのか。恐らく(31)図を○と見て、(32)図を×とするしかない。勿論、両図ともに目釘孔と鎬筋の関係では差違はない事も既におわかり頂いている筈であるし、(32)図は目釘孔と鎬筋の関係も既に周知の見所としていた時代の偽作となる。

そうなると、清人(きよんど)に化粧ヤスリを施した正真例があれば、前述の判定は逆転するが、残念ながら清人に化粧ヤスリの正真作は今のところ確認出来ないのである。又、万延二年二月の前後、万延元年紀の中心仕立にも、文久元年紀の中心仕立にも化粧ヤスリは施されてはいない。しかも、その前後の中心ヤスリの角度は(31)図と同じ角度である。この様に、(32)図の化粧ヤスリと、(31)図より急角度のヤスリは×という事になってくるのは自明の理であり、自然な撰択であろう。

以上の結果から言えることは、清人の中心仕立で化粧ヤスリは存在しないということになり、(33)図(34)図(35)図(いづれも拙劣な化粧ヤスリが施されている)は全て×という断定が可能となってくるし、ヤスリの角度も(33)図(34)図(35)図ともに急であるのも同様に×である。又、くどい様だが(33)図(34)図(35)図の銘字の配置の中心線やバランスもバラバラである点も理解して欲しい。

本欄でも既述した事ではあるが、例えば清麿の天保十一年では、銘字などが色々と目まぐるしく変っているなどという憶測が、いつの間にか正当な市民権を得たかの様に堂々と宣伝された事例もあり、再度の注意喚起という意味あいで、この種の曖昧な定説?にピリオドを打ちたいと思う。

元来から清麿直系門人で化粧ヤスリを施した事例は聞いたことがないが、(33)図(34)図の作例が堂々と刀剣商の販売目録(カタログ)や研究本に引用されている現実は実に嘆かわしいものである。勿論これらには認定証などが付帯している筈であるが、、、、、。

(平成二十六年七月 文責 中原 信夫)