57. 偽物について(その九)  正行(清麿)の偽物

前回(その八)では天保十一年紀の清麿(正行)銘、殊に「正《と「行《の銘字について述べたが、今回は前回の(19)図(21)図に共通している年紀の「八《について、さらに資料を加えて述べていきたい。

前回の(20)(21)図の年紀のある「八《と、そして本欄(その五)で掲出した文政十三年八月日の裏年紀のある(13)図の「八《を集めて(23)-(A)図として掲出しておく。

さて、(23)-(A)図に掲出した「八《の銘字が全て二等辺三角形の様な三角形が2個でいとも単純に構成されており、「八《の第一画目が左斜目下に向かって尖っており、第二画目は左斜目上に向いて尖っているという共通性があるのがわかる筈である。

そして、(24)図をみて頂きたい、(19)図(21)図と同じ天保十一年八月の年紀であるが、この「八《は(23)-(A)に掲出した三例の「八《と全く同じである。ということは(24)図にも?がつく。この(24)図の鎬幅(中心)について言うなら、中心幅に対する鎬幅が広すぎであって、正行の中心仕立とは違うと思われる。この事は本欄で繰返し述べた最重要な事である。さらに、(24)図は前回に述べた「正行《銘が「正《は行書体、「行《は楷書体となっている点、そして「正《の第四画目の縦棒が第五画目の左端にほんの少し下へはみ出しているという点である。又、「行《の旁(つくり)の「亍《が妙に右上りになった形となっている事も極めて大事であり、同じく致命的な?であろう。

次に(25)図を見て頂きたい。同じく天保十一年八月日の裏年紀がある作例であるが、前述の「八《の作例(23)-(A)よりは少しはまともな字体の「八《であるが、「正行《銘を見ると行書体と楷書体のものであり、「正《の第四画目の縦棒は(20)(21)(24)図と同じくはみ出しています。加えて、(25)図でも目釘孔と鎬筋の距離には表裏に差がみられる事も感じて頂ければと存じます。

又、「行《の偏(へん)の「彳《は(21)(22)図程のお粗末な銘ではありませんが、同じ天保十一年八月年紀でも、これだけ各自バラバラの銘字であること、そして表銘と裏年紀の位置が一定していないのも、謹直な銘字をきる清麿にしては極めて上自然で上合理であります。併し、こうした上自然さや上合理な?のある銘振を評して”天保十一年頃は己の銘を確立するために迷いながら鑚を進めている、、、”などと解説されたのなら、もはや付ける薬がなく、呆れ果てるほど低次元な勘違いもいいところの間違った解説である。

それでは正行銘の中で「八《という銘字の中で、恐らく基本とするべきと思われる作例を示す。それは(19)図の「八《、(23)-(B)であり、(26)図であろう。殊に(26)図は天保十年紀ではあるが清麿(正行)の銘の謹直さ、端正さ、力強さ、上手さの典型であろうし、他に「以玉川水?刃 天保十年八月日《「於吾妻 山浦環源朝臣正行《という作例もあるが、紙面の都合もあり、今回は押型を略させて頂く。

但し、(26)図を基準として捉えていくと、(23)-(A)(24)図(25)図の稚拙さを理解して頂くために、同じ年紀のことでもあり、分かりやすく比較するために引用したまでであることをお断りしておく。

(平成二十六年四月 文責 中原 信夫)