52. 偽物について(その四)  豊前守清人の偽物

前回までは中心(表裏)の鎬幅の相違について話を進めてきた。勿論、鎬筋の事についてもこれから回を追う毎に話していきたいのであるが、今回は中心の棟角の事と鎬幅・鎬の高さとの関連を話していきたい。

さて(9)図を見て頂きたい。銘は表に「薩州住伊藤入道清吉作」とあり、「二月吉日」と裏にあるが、裏銘の「二月吉日」の上に何らかの年紀があった筈である。つまり目釘孔の下部辺から「二」の上部辺の鎬筋が鮮明ではなく、不分明になっていて、その部分の鎬幅がほんの少し広くなっている。表銘の”薩州住”の裏側に位置する所である。

では、その部分を中心尻から棟区の方へむかって、棟角と同じ高さのレベル(水平)にして肉眼(目線)で見ていくと、中心(表裏)の棟角の線の状態がつぶさに見られます。(9)図-①参照。表裏の少なくとも一方の棟角の線が反対側に凹んでいる(カーブ、湾曲している)と、凹んでいる所の鎬地の肉置きが取り去られて(薄く)いるのです。殆どはその凹んだ部分にあった銘を除去した可能性が大であります。念のために(9)図の中心押型(裏)に、棟角の線(中心尻から棟区方向へみえる湾曲した線)を少し誇張して太線で書き入れておきました。しかも、この部分の鎬は高くなっている訳で、従って、表面積が多くなっていますから、押型(平面的、二次元的)には当然このような棟角の線の不自然な湾曲となって、明瞭にあらわれてきます。(9)図-②参照。この刀には銘鑑より新しい年紀があったのでしょう。いつの時か、不都合なその年紀の一部を消し去ったと考えられます。本当に残念なことであります。破壊行為である事は十二分におわかり頂けると存じます。

つまり、元来の中心を改造(悪)すると、鎬の高さ、鎬筋の通り方、鎬幅の違い、棟角の線の異常があらわれますし、錆や、鑢にも異常が出てきます。又、刃方の線も棟方と同様の方法で目視して頂ければ、その線と刃方全体(刃区から中心尻迄)の厚みの異常が発見されるケースもあり、その場合には中心全体が大改造されていると考えて差支えがない程です。

ちょっと前置きが長くなりましたが、押型から極めて多くの正確な情報が発見出来ます。押型だけ見て真偽の判断が出来るなんて大嘘だと考えている方が時々おられますが、本当の事を教えられていない、又、わかろうとしない可哀そうな人達です。

次に(10)図を見て下さい。源清麿の門人である斉藤清人の明治三十年紀ですが、明治三十年は清人のほぼ最終年紀でありましょう。そしてこの頃の作品は殆どみかけないのでありますが、この銘は一見して偽銘であります。勿論、銘字のみをみても?でありますが、それよりも前から本欄で述べました事、つまり目釘孔と鎬筋の近接度を見てください。表は目釘孔と鎬筋がくっついていますが、裏は離れています。併し、鎬幅に全くといって差はありません。どうなっているのでしょうか。目釘孔が斜目にあけられたのでしょうか。そんな事はありません。目釘孔を斜目にあける事自体が基本的に×だからです。つまり、中心棟の厚みを利用して鎬の高さを改変しているのです。表の”豊前守藤原清人作之”の所の鎬筋が、裏や表銘以外の所と較べてやや不鮮明ですから、此のところを主に改造したとしか考えられません。いづれにしても鎬筋と目釘孔との状態は致命的?です。

因みに、この明治三十年頃の押型(正真)さえ見ることも極めて少なく、適当に銘をきっておいても恐らくバレないと考えたのでしょう。私の手許に同年紀の短刀押型がありますが、銘字そのものが(10)図の銘に較べて謹直で流暢です。又、(10)図の銘字の「前」ですが、第三画目の横棒を鎬筋の所できり損ねているのも?であります。(10)図-①参照。

では(11)図をみて下さい。中心(表裏)の鎬幅が微妙に相違しているのがわかります。中心尻の方から棟区の方へむかって目視して下さればすぐに納得して頂けると存じます。棟角の線も表裏の曲り具合が違っています。従って?のつく作品でありますが、更に、補足しておきますと、表裏の銘字、殊に表銘に極めて強弱があり過ぎるのはどうしても納得のいかない点であり、加えて、最大の?は銘字の「津」の最終画で湾曲した縦画が途中で途切れています。こんな例は全くありません。(11)図-①参照。「守」の同じ様な縦画はスンナリときられていますが、、、。

(平成二十五年 十月 文責 中原 信夫)