51. 偽物について(その三)  津田越前守助廣の偽物

前の本欄で述べてきたのは銘字の真偽よりも、もっと基本的で最重要な中心仕立について重点をおいて述べてきた。今回もその続きとして、鎬幅と鎬筋について述べていきたい。

では、(5)図を見て下さい。一番の問題点は表の中心の鎬筋(押型で黒い縦線状となった筋)です。殊に銘字の「津」から上に向かっている所をよく見て下さい。少し刃方の方(左の方)へ湾曲しています。併し、裏の方はそうはなっていません。こう書くと「何らかの事情で湾曲したのでは、、、」という反論がでるかも知れないが、問題点の最大の見所は湾曲した鎬筋を境にして、独特で複雑な化粧鑢が施されているという点に尽きるのである。

更によく見てみると表裏の鎬筋の幅が違っている事に気付かれる筈である。その傾向が殊に著しいのは中心尻に近い所であり、化粧鑢の付近である。但し、(5)図の押型で不正確な所は化粧鑢から上(錆際)の鎬筋である。これは押型をとる時に、ハバキ元の棟角にあててとった便宜的な線(鎬筋)であり、前回の(2)(3)(4)図とは違う。併し、中心の鎬筋だけはその通りズバリと正確にあらわれている。従って、この化粧鑢は?のつくものであり、化粧鑢を施してから銘をきるから銘字に関しても当然?となる。

では(6)図を見て頂きたい。独特の中心押型であるが、鎬筋は割に鮮明にあらわれていて、歪も湾曲も見えない。併しである、殊に在銘部分の表裏の鎬幅が微妙に違っている。(5)図と同様に中心尻の方をみれば明白である。(6)図と(7)図は印刷技術でいう「切りぬき製版」というもので、中心の外形をギリギリに形の通り切りとって印刷するので、(1)図(5)図(8)図とは少し違ってくるが、(6)図がごく僅か不正確な中心の外形になる可能性があるにしても、鎬筋の状態には全く影響はない。

では、(6)図の中心の鎬幅が違うという事は断定出来にくいのでは、という反論があろうが大丈夫、鎬筋が中心尻のどこで終っているか矢印で示しておいた。表は中心尻の尖った所であるが、裏は尖った所からほんの少し棟の方へ寄っている。これは鎬幅が表裏違っているという何よりの証拠である。従って、この様な証拠が押型に出ているのは、明らかに中心が改造、改変されていなければ起こらない事である。

(6)図の年紀は二代助広の最晩年に該当するので、技倆が劣っているが故に起こったという反論もあろうが、そんな事を言っていたら何のために真偽や鑑定があるのかという事になる。又、超一流刀工とされる助広に、そんな事はまづ許すべきではない。何故なら、焼入と銘の力強さと化粧鑢の精緻さは技倆の衰え(体力と視力の衰え)を如実に示すが、中心仕立はそうではない。それこそ助広式そのままに一番の腕利の弟子に助広の指示通りにやらせれば、殆ど問題のない状態にもっていける。

更に、(7)図(6)図と同様の印刷方法であるが、表の中心の目釘孔の上(「津」の上)から上に向かっている鎬筋を見て下さい。明らかに(5)図よりも不自然に曲っています。裏の中心には表のような明らかに不自然な曲りは見られません。しかも表は曲った鎬筋を境にした化粧鑢が施されていますから、絶対に容認出来ない?であります。更に、裏は殆ど真直ぐな鎬筋を境にして化粧鑢が施されている事もわかります。

そして、表裏の鎬幅が違っている事に気付かれる筈であります。つまり、鎬筋が目釘孔のどの部分を通って中心尻へいっているかを見て下さい。表は目釘孔の中央に近い所を通り、裏は目釘孔の左側に接触した状態で通っているのがわかります。(8)図も同様です。勿論、中心尻の所でも(5)図(6)図と同様に明らかに表裏の鎬幅に差があらわれています。

これらの事実は何をあらわしているのでしょうか。中心仕立が不合理なのですから、その不合理な中心に刻まれた銘は容認出来ないという事になります。つまり、銘字の穿鑿(せんさく)をする前の段階での真偽が判明するという事であります。

因みに、(5)図(7)図(8)図は既刊本の所載品であり、(6)図は国指定でありますが、(6)図の刀を実見した時の第一印象は『「ぬるい」中心だなぁ』と感じたと記憶しております。

(平成二十五年 九月 文責 中原 信夫)