50. 偽物について(その二) 源清麿の偽物
前回は中心の鎬幅(表裏)について考え、そして結論を書いたが、今回は二振の刀を材料にして、前回の復習をしていく事にする。
では(2)図を見て頂きたい。前回(1)図で説明したように在銘部分の鎬幅に注目してみれば、(2)図も目釘孔の周囲と鎬筋との間隔が明らかに相違している。つまり、指表なら目釘孔の右端と鎬筋との間隔。指裏は目釘孔の左端と鎬筋との間隔をみて下さればよい。これは誰がみても差違は歴然としている。
鎬幅の差を見て頂くのに、もう一つの方法がある。それは(2)図(約86%に縮小)をプリントアウトしたものを、中心尻の方からハバキ元に向かってほぼ水平角度(レベル)にして目線で見比べて下さい。中心尻にある鎬地の幅を目線で追っていくと本当に表裏の幅に差がある事が明瞭にわかります。又、拡大するより縮小した方がよりわかる様な気がします。
併し、実物の中心を手にとってみますと、鎬の高い造込の中心の鎬幅に差があっても、殆ど気付かないのです。つまり、眼の錯覚でありますが、この様な中心を押型にとって二次元(平面的)でみますと、明瞭にわかってくるのであります。こうした点は押型の最大長所であります。
それから、中心表裏の棟角の曲線を先程と同じように目と水平レベルにして、目線を中心尻の棟角の所から棟区にむかって追いかけて見て下さい。何となく表裏ともにキレイな一定の曲線とは言えない不自然なカーブを描いています。つまり、中心の肉置に?ありという事になってきます。この(2)図も、次の(3)図も恐らく日刀保の学芸員のとった押型と思われますから、中々上手?で刃文以外は正確にとっていると存じます。
このように押型は色々な情報を得る事が出来るものですから、今一度、押型の重要さを再認識して頂ければ幸甚。
さて、(3)図へ目を移して下さい。(2)図と同じく目釘孔の所を見て下さい。と言いたいのですが、残念ながら指表の年紀「嘉永」附近が朽込んでいて明瞭に鎬筋がみえません。中心尻と鎬筋の接点には矢印を入れておきましたので、そこから先程のように水平レベルで鎬筋を目線で追いかけていって下さい。(この矢印の位置をみても、既に表裏に差があるのがわかる筈です。)
朽込んで不明瞭な鎬筋は、「永」の銘字の第二画目の縦棒のすぐ左側を通っていることがはっきりとわかります。ではその所と指裏の同じ位置(場所)での目釘孔と鎬筋の間隔を見比べて下さい。明らかに指裏の方が広くなっています。尤も、中心尻から上にむかっている鎬幅に、明らかな差がみてとれますし、指表の「嘉」の銘字の所から鎬筋がほんの少し左側(刃方)へ歪んでいるのがわかります。つまり、錆際の附近です。
併し、この押型をとる際の不手際なのではないのかという反論もあるでしょうが、錆際までの鎬筋は極めて自然な線ですし、錆際より上の鎬筋は実際に石華墨を鎬筋の真上にあててとった、実物そのものの線であることは、押型を長年とっていればいとも簡単に了解出来るものです。
従って、この押型は正確であるという事であります。指裏の控孔の上から中心尻辺りまでの、鎬筋が不明瞭に押型にあらわれていますが、反対(指表)は中心尻まで明瞭に出ています。この事からも指裏のこの辺りの肉置が少し崩れていると思われます。(その辺の棟角の線も不自然である。)
このように、在銘部分の鎬幅が違っていたり、又、中心仕立がぞんざいであるという事は、前回述べましたように銘字に?がある。端的にいえば偽物である可能性が大であるという事にならざるを得ません。つまり、ちゃんとした仕事をする名のある刀工の作刀ではあり得ないのです。逆にキチッとして絶対に手を抜かない仕事(仕立や細工)をする定評があるから、一流といわれるのであります。
因みに、私が清麿銘の標準かつ典型としている作例(中心)を(4)図として挙げておく。勿論、年代による銘字の変遷や造込の僅かな差、変化はあるにしても、この(4)図が今迄にみた同作中のトップであると確信している。(2)図、(3)図の押型と(4)図を較べて下されば前述の私の意図は十二分に理解して頂ける筈である。
(平成二十五年 八月 文責 中原 信夫)