37. 刀剣・日本刀中心の鑑別法 再刃編(その一 火肌と錆について)

日本刀にとって一番の天敵はなにかと言うなら、答えは唯一”火災”であると答える事が出来る。否、もっと正確に言うなら”火災しか無い”と答える以外には無いのである。一般的に日本刀は鉄であるから、木材や紙などと違い鉄は燃えないから‥‥と 考えているが、鉄は確かに木材、紙のように灰にはならない。唯、日本刀には刃文、つまり焼入れによって生じた結晶(沸、匂)があるが、それらは火災に遭うと消滅してしまうのである。つまり、刃文が無くなり刀は殆ど単なる鉄の包丁と化してしまう のである。

従って、刀の分野において刀が過去に焼けたかどうかを吟味することは、かなり神経質に行われてきたフシがある。つまり、古い日本刀の中心をみるという事であるが、では、具体的に中心の何処を、どうみるのかという事は残念ながら殆ど詳しく言わ れていないのが実情であろう。

次にその見所を実例を引用して総体的な指摘をしていくが、以下の文章は特定の日本刀を単に誹謗中傷するものではなく、愛好家への警鐘、かつ注意喚起を目的とするものである事を十分に理解して頂きたい。

中心を見る時の一番は錆色である。何百年も経過した中心にはチョコレート色(赤褐色)の様な色をした、そして潤いのある光沢をもった色合いになるのが自然かつ正常なものである。此の様な錆色は安定した錆状態の上に、刀身の手入れをする時、 中心を持つ人間の手脂などがまざり合って自然な光沢を呈すると考えられる。古い鉄鐔の色合い、光沢と同じである。

従って、その様な色合いではない、つまり黒っぽい色(独特の臭いがする)とか、世上よく宣伝される紫色と称する錆色は殆どすべて人工的な急激な錆付による方法に由来すると考えられる。つまり、付錆である。

中心の錆は年数を経るに従って順次その厚みや色合いを整え、一種のメッキ状態となり、結果的にそれ以上の中心の腐蝕進行を防ぐ役目をもっていると考えられる。要はその錆色の良さを愛でたのであり、反面、警戒したと言える。その理由は火災 に罹っているか否かという事を一番端的に示すものが錆色である。

ある程度以上に状態良くついた錆が火災に遭うと、安定した錆から酸素分や手脂が奪い取られて、人間の視覚的には”乾いた錆”(異常な錆色)つまり”火肌”となって残る。つまり、本来の自然な光沢が無くなるのである。光沢の成分は手脂など であって、ではその手脂を光沢の無くなった中心の錆に擦りつければすぐに元に戻るかというと、答えは”ノー”である。それでも何百年も経てば少しは戻るかもしれないが‥唯、その色合いや火肌の色を本欄のみならずどんな写真にも示せないの が実情である。それでは何の役にも立たないのか、そうではない。色については本欄で後日改めて書くつもりである。

では火災に罹った中心をどの様に見わけるか。中心には基本的に鑢と銘が施されているのであるが、その鑢がまず最初に段々と消えていくのである。というか、中心が火災に遭うと整えられた肉置の中心の表面を剥ぐようにとれて凸凹状態とな っていくのである。夏に海水浴をして皮膚がむけていく様な状態を想像すればよいのである。当然、中心も少しは鍛えてある(刀身に比べてはるかにその鍛錬は少ないが)ので、平均に一枚皮として剥がれるのではなく、部分的にボロボロと剥離す る。鑢目は銘に比べて浅く刻まれているから、中心が火災に罹ればまず第一に鑢目が消えてゆく。それにつれて銘の字の部分もボロボロと剥離していくことになる。

さて、図をみて頂きたい。現状の中心の約七〇パーセントが今述べた通りの状態になっている。中心の表裏が凸凹していて鑢が全く見られない。上から二番目の変形孔の左斜め上に一字が残って?いるが、刀工銘に一字のみは絶対に考えられない。 一字の上か下かに必ずもう一字以上あった筈である。かくも都合よく一字のみが残る筈もない。

従って、この一字も後刻の可能性が十分にある事を指摘しておく。この図の状態は、火災に罹って焼けた中心の典型例である。しかも前述の通り”中心の表裏が 凸凹”という点が一番大事である。例え写真であろうと押型であろうとこの中心は錆 色が乾いて、光沢の感じられない色合いの錆色となっているのは慣れればすぐ気付く。 一番上の目釘孔の周囲は凸凹していないでツルツルしてキレイではない かという意見もあろうが、この中心は磨上という説明の鞘書がついている。つまり火災で焼けた後に磨上をした可能性がある事は否定しない。

さて、日本刀が火災で焼けた場合、火は一応平均的に中心にかかるので、中心の表だけ、又は裏だけがという事はなく、表裏が共に焼けてしまう。この典型がこの図である。

ではこの中心が長年にわたり白鞘か拵の中で錆ついた結果とは考えられないのかという反論があるであろう。併しその可能性は無い。つまり、本刀は民間団体による指定品であるが、江戸時代が終るまでは必ず大事に手入れされた筈であって、こ の太刀が柄を外して手入れされる事もなく、放りっぱなしで錆付くままにされたとしても高々百年位。その間に柄に錆びついたとしても中心の表裏が同じ様に凸凹(これは正確に言うと凸凹ではなく凹凹である)になる事は柄の構造上からも保管方 法上からもまず考えられない凹凹状態である。

表面が凹凹状になったのは古いのではないかという考え方は一面的には間違ってはいないが、上辺だけ見るとそうなるのである。こうした点は図解をもって好例を示したいが、本欄が余り長くなるといけないので次回に述べることにする。

但、本太刀は現在、刃文があるようであるが、中心がこの様な状態であるが故に再刃と考えるのが順当かつ自然であるし、これ程簡単に異常な状態を指摘出来るものはない。因みに鞘書の内容を表示しておくと

『第○○回重要刀剣指定品(刀工銘略)磨上而中程ニ同工ノ銘字ノ特徴ヲ示ス国ノ一字残存ス 凛々タル姿態ヲ呈シ地刃ニハ彼ノ真面目ガ存分ニ発揮サレ総体ニ高雅而泰然タル風情ヲ醸ス優品也 可然珍重哉(以下 刃長、日時、鞘書者名略)

となれば鞘書者はこの銘と刃文を是(正真)とし、この刀工ではなく第三者による後世の再刃とは見ていない事になる。又、本太刀は最低でも二回は火中に入っている。
つまり、最初に焼けた時と再刃された時にである。併し実際はこの中心状態からみて二回どころではないと推測している。

(平成二十四年三月 文責 中原 信夫)