28. 切先(きっさき)について
日本刀を見たりする時に余り注意する事がない部所に切先がある。切先とは”鋒”とも表記するが、 これは切先をも含めて刀剣用語は全て当て字であるので、気にする必要はない。”沸”を”錵”と したり、”中心”を”忠””茎”、”移(うつり)”を”映”とするのと同じである。
さて、切先は横手(筋)から上の部所を指すのであり、切先の中にある焼刃(刃文)を鋩子(ぼうし)、 (帽子)というのであり、よく「鋩子が延びている」とか「大鋩子」という表現は間違いであって「切先が延びている」、「大切先」と表記するのが正しい。
日本刀の姿を見て時代を捉えるとされるのは、入札鑑定上の常識であるが、中でも切先の大きさは殊に重要である。併し、別の大きな意味で昔から急所とされるのが、この切先である。つまり、切 先の形がまずいと、日本刀の品位を損ねるとまで言われていて、本阿弥光遜などは必ず何度となく講義 をしているし、その著書にも書いている。又、研師が切先の形に如何に注意すべきかも力説してい るが、何故にここまで強く説いているのであろうか。
それは切先の形が日本刀の全体の姿での唯一の盲点であるからである。盲点という言葉は不適当かも 知れないが、言うならば一番の見せ場であると解釈して頂きたい。その理由は簡単である。
日本刀の姿を造形している全ての線、例えば、刃先、鎬筋、棟角、棟筋等、中心尻から出発して各々 の線のみならず、全ての平面、曲面が一体となって上へ行き、最終的には切先の尖った所の一点に 集約、集中される。つまり、焦点となるのであって、刀を垂直に立てて、順次、上の方(切先の方) へ眼をやっていけば、自然と切先にたどり着く以外にはないのであるから、この切先の部所は一番 の目立つ所であり、いわば”華”であり、盲点でもあり得る訳である。
従ってその切先の形の巧拙は、すぐに日本刀全体の品位に直結すると従来から言われている。
切先で一番嫌われる形がある。それは詰まった切先とされるものである。理想の切先としてはフク ラのカーブ(曲線)と小鎬のカーブは互いに平行した二本の円弧状の形(扇状)になるのが良い。(A)
併し、良くないのは小鎬のカーブが切先の先端に近くなり、小鎬先が上にあがってしまいフクラと 平行しない形である。(B) 併し、実用上は何ら差し支えはないのであるが、美観上からは(A)が良いとされているのである。
それが人間の眼から見た急所であり、盲点であり、華ともなり得るのである。
では切先の中にある鋩子はというと、これは極めて厄介である。切先(主に先端の方)が刃コボレ によって欠けたので、形を修正していくと(B)のようになってしまうのは研磨技術の拙劣さもある が、ある程度は避けられないのである。だが鋩子はというと、先端から段々と刃幅が狭くなりフク ラが迫ってきても、鋩子全体が下の方へ移動していってくれる訳ではない。
つまり、こうした変形が度重なり、フクラ上部の刃幅が狭くなり、やがて鋩子の先がフクラを超 えてしまって、果ては鋩子全体が無くなる。これが日本刀の宿命である。当然、鋩子の返(かえり)もな くなるし(焼詰)、横手下からの棟角の線も段々と内側(刃方)へうつむいてくるようになる。(C)
簡単にいうと、これが本当のプロセスであって、最初から(C)のように内側(刃方)へうつむく形 (姿)はないのである。但し、写物は別であって、本歌(本科)の姿がうつむいたのをそのまま写した ものとは区別しなければいけない。
いづれにしても切先の形というのは極めて重要であって、(A)のような形が基本的に尊ばれるので ある。とはいっても研ぎの技術が劣るために(B)のような切先の形(鋩子ではない)となったのを本阿 弥光遜は、”品位がない”と解説するのであって、いくら天才研師の光遜であっても(C)の鋩子を元の健全な鋩子に直すことは不可能である。
実際に出来る事といえば、(B)の小鎬のカーブを(A)の如く平行にしてしまう事のみである。つまり(D)にならざるを得なくなっていく。この(D)を見て下さい。古い太刀にあるとされている猪首切先で あります。光遜はこの猪首切先を説明する時、自分の首が太くて短いのを引用して、「皆さん、この 光遜の首の形のように鈍重になっているのが猪首切先で、古名刀に多いものです。力強く品位があり ・・・」などとユーモアたっぷりに解説したと聞かされております。
確かに十分に理はありますが、この(D)が原形(オリジナル)の切先と考えてはいけません。(D)は研 師が苦渋の選択をした上で、日本刀を生かす唯一の方法であったのであり、このような形になるまでには何百回と少しづつ研にかかってしまった結果であり、ひいてはそれ程多くの修理がなされるのは、古い時代の太刀であったからという事であります。
こうした考え方を昔は説明しなかったのでありますが、切先が一番眼につきやすい所でもあります。
また、実用上でも一番使われた頻度が高い。つまり変形しやすい所であるが故に、美的鑑賞が主になった近代では殊さらに形を整えていかねばならないという事になっていくのであります。
以上、簡略に基本を述べましたが、実際の切先の形の修正には極めて高技術を要します事を附言しておきます。
因みに”品位”という言葉は余りにも不確定な表現でありまして、私は絶対に使わないようにして おります。何を基準に上品とするのかという明確な定義、基準がないのに、単に自分の好みとか思い 込みから「上品」とか「品位がある」との表現は不適当であります。元々、日本刀に上品も下品もないのであります。
強いて言うなら最初に刀工が作った姿(オリジナル)が一番良い姿であって、変形していくに従って 品位がないというなら少しは理解が出来ます。併し、そうかといって作者にとって後世にわたる不可 抗力による変形はどうにも対処出来ません。
”上品な筍反の短刀””優美な太刀姿””下品な先反”という表現は今までの多くの解説にありま すが、全て的外れとしか言えません。
今一度、愛刀家自身が冷静に考え直して下さる事を希望してやみません。
平成23年2月3日 文責 中原 信夫