20. 刀剣偽物の鑑別について(その二)

 前回は主に中心の肉置・形状・そして錆について述べてみました。
が、今回は銘と鑢について少し述べてみたいと思います。

 今回、材料に使った刀は現在、持主がおられるのですから中心をすべて公にする事はできるだけ避けました。
従って、わかりにくい文になるかも知れませんので、その点はくれぐれも御了解願いたいと思います。

 さて材料にしたのは江戸時代後期の地方刀工であり殆ど地元の人しか知らないようなランクであることをお断りしておきます。何故、このような二流地方刀工を 論じるかというと、要は二流刀工を正確に鑑別出来るようでなければ一流刀工は絶対に鑑別できないのです。一流刀工の銘などは既に完璧に近く研究されている からです。

 併し、そうでない二流地方刀工は殆ど研究がなされず且つ地元の人達の評価も極めて低く意識もゼロに等しいので偽作者は本歌と思われるモデルに合わせて時には少しアレンジを加えて偽銘を切れば愛好家は無防備であって 中々見破られる事は少ないものです。そして困ったことにそれらが地元へ回ってくるのです。

 では、本論に入りましょう。

 (A)-①図を見て下さい。前回に説明しました様に中心尻から棟区に向かって
水平の目線で棟角のカーブを追いかけて見て下さい。
表裏2本ともにそのカーブが不自然に直線に近くなっています(矢印の間)。
これは中心の肉置が加工されている事を示します。
本来の棟角のカーブは自然に平均にカーブした曲線になっている筈です。
又、中心の下の方(中心尻に近い方)を見て下さい。
直線で鑢の角度を示しましたが表と裏の角度がかなり違います。
中心の表裏を対称にしてありますので三角定規を使って
平行移動して下されば角度の違いがわかります。
この事は(A)-①の中心が加工されている事を示しています。
(A)-①では目釘孔の少し上の鑢が判然としていないのですが
後掲の(A)-②は判然とした化粧鑢があります。
鑢を含めて中心仕立は銘より刀工が気を使う所ですので
銘の些細過ぎる一点一画よりも比較にならない程の大事な見所であります。
殊に新刀以降にはその傾向が強くなります。

 では、次に(B)-①、②、③、④を見て下さい。「国」の銘字ですね。
この「国」の銘字が二種類に大別出来ます。おわかり頂けますでしょうか。
①、②、③が同じで④がそれらと相違します。
つまり「国」の最終画(国構えの下の横棒)の有無で区別します。
この④が(A)-①の中心にある銘字です。
とすれば、この④は中心の肉置が×である刀にあるから銘も?となります。
(A)-①の銘((B)-④)は誠に流暢で一見しただけでは?とは感じにくいのですが
肉置と錆色を見た瞬間に私は付錆であると直感しました。
この(A)-①に認定書が付いていれば皆様はどう考えますか。事実付いていたのであります。
(A)-①を経眼したのは平成十一年(初見)でしたが、その七年前の日付の認定書でした。

 では、(B)-①、②、③はどうでしょうか。
殊に(B)-①は平成六年に経眼(初見)したもので中心の図((A)-②)を出しておきます。
(B)-②は平成二十年に経眼した小刀の銘です
(小刀の銘は淬刃前に刀身に切りますので刀の中心の様に後世の加工は難しい点をご理解下さい。
又、この小刀は水心子正秀流の造り方です。)。
(B)-③は昭和四十九年刊の本に所載の押形ですが未見です。
最初、(B)-①((A)-②)を経眼した時にも、殊に平成二十年に再見した時にも
中心の肉置、鑢、錆色、銘字になんらの不審もなく正真作との
確信をえました。従いまして(B)-①を信頼して、それを基準にしますと
(B)-②、③は正真銘であるとの結論になります。
(A)-②の全体の銘字はまことに流暢であって中心全体の形や切銘からも
水心子正秀のある時期に酷似したものです。(勿論(A)-①も同様に
仕立ててあります。)恐らくこの刀工は短期間にしても水心子正秀に直接師事したか、
師事した刀工に直接指導を受けたと考えられます。
そのような流れをくむ刀工ならば銘字の欠画は十二分に肯けるものであり
欠画があるから?とは絶対に考えられません。
むしろ好感の持てる銘字でありますことは、ある程度勉強し経験を
積んだ人であれば等しく認める見所でもあります。
それを裏付ける様に(A)-②にも最近の認定書が付いています事も付記しておきます。

 では、(A)-①と②及びその他の銘字で比較をしておきたいと思います。
次の図を見て下さい。三つの銘字を比べてみました。
左側の方は(A)-①の中心銘であります。右側に2個~3個あるのは(A)-②と(B)-②、(B)-③にある銘です。
つまり右側の方が正真銘であるという事です。

 まずヱの①「文」の銘字を見て下さい。
左側は第三画目の先を大きく真上に跳ね上げた鏨を打っていますね。
併し、右側の2個の銘ではそのような事はまったく見られず自然に先へ細く流しています。

 ではヱの②「六」の銘字を見て下さい。
左側は第三画目を最初に太くドンと真下に向かって力強く打って左の方へ極く細くスーと流しています。
併し、右側の2個では最初からやや左斜目下向きに鏨を打って自然に細く流しています。
つまり左側はこれ見よがしに抑揚をつけ過ぎています。

 又、ヱの③「林」の最終画の右斜目の銘字を見て下さい。
右側の3個では殆ど抑揚をつけないでサラリと流していますが
左側は途中の右払いを不自然に力を入れて太くゴンと切っています

 これらから見て行きますと銘字を鑑別する常識として
“あまりにも力を入れ過ぎたり抑揚を付け過ぎたり端を跳ね上げたりするのは良い銘、正真銘とは見るべきではない”
という事を昔から教えています。

 例えば同じ事は来国俊にも言えます。
「俊」の銘字の最終画である右斜下への払いの終わり(先端)を上へ長く急角度で跳ね上げている状態の銘を
見ますがこれなども?の類でありましょう。古い銘であればあるほどこうした事は考えられません。

 もう何十年も前に”永仁の壷”事件がありました。
鎌倉時代の年号である永仁年紀の壷が国宝に指定されたのですが指定直後に偽作と判り指定を解除。
指定を強引に推進した人はその職を辞しました。
私は先年、当該物件の壷を拝見しましたが何故に国宝に指定したのか理解に苦しみました。
というのは我々刀関係の人間から見ると永仁年紀は一目見ただけで偽銘であったのです。
こんな銘では当時から?が出るのは当たり前です。刀の銘にも関連しますので図示しておきます。

 現在、我々の永の字を「永」と書きますが鎌倉時代のような古い時代には※※のように書きます。
勿論。刀の銘も同様です。従って永仁年号に「永」と切ってある壷は×としかいえません。
つまり鎌倉時代には「永」の字はないのです。
刀の銘だと末備前では「永」を使っていますが地方刀工では少し後まで※※を使っている場合もあります。
偽作者の陶工がそれを知っていたかどうかは謎です。

 因みに鎌倉時代の手掻包永の永銘を示しておきます。

 実はこの永仁の壷は伝来として工事中に土中から発見されたとされていますが
その痕跡はまったく見られない伝来(伝世)状態とされていますし土中から掘り出した事実もないようでした。
しかも指定前に内々に刀剣鑑定家の何人かに意見を聞いたようですが誰一人賛成しないというか全員が×を
呈したと聞いています。

 焼物(陶器)ですから壷を焼成してから年紀を切ることはできません。従って、その年紀が×なら壷本体も同様です。
陶器関係の人より刀関係の人は古い年紀を見かけることが多く真偽の基本が確立されていると考えられます。
併し、そうした点も最近は緩んできたというか、ちょっと芳しくない方向にのみ進んでいる傾向もあります。

 さて、本題に戻しますと以上銘字について色々と申し上げましたが今回の刀工に付きましても
二流の地方刀工であってもこれだけ上手で流暢な銘を切る刀工ですから中心仕立などは勿論の事として
理にかなって上手に施している筈です。
銘は上手でありながら中心仕立に叢があるのであれば、これは疑う余地が十分にあります。
まして(A)-①では銘が完璧に残っているのに鑢などが部分的にもせよ不鮮明であるのも?であります。

 因みに(A)-①と②には既に認定書が付いていました事は前述の通りでありますが、現在の審査側見ると
銘の一点一画、跳ね方や向き方など極めて些細な否、厳格?な見方をしておられるやに仄聞しますが、
では何故に「国」の欠画を考慮に入れられなかったのでしょうか。

 これは大問題であります。銘字の太さや大きさなどの問題ではなく一本横棒が歴然としてあるのであります。
(A)-①を是とする、つまり(B)-④銘を○とするなら審査基準から言えば(B)-①は明らかに×である筈。
このような曖昧さはどこから来るのでしょうか。それは木を見て森を見ないからであります。
銘は年代によって変化しますが中心仕立の方は完全な仕立をやります。
後世に改変すれば必ず錆が問題になります。

審査側から言えば「認定年月が何年も離れているし同一審査人が鑑定したとも限らないから、
それを追求されても・・・・」ぐらいを弁明するでしょう。
あるいは、本阿彌光悦よろしく「私の鑑定眼は日々進歩していますので必ず何年か前と鑑定が同じとは
限りませんとお心得下さい・・・・」とでものたまうつもりであろうか。

 茲で強調しておきたいのは、私は銘字の欠画のみを取り上げて針小棒大に言ったのではないという事である。

 又、認定書についてもあくまでも世間的評価から考えて敢えて引合いに出したのであるから両刀に認定書が
付いていなくとも同じ考え方で刀を見ているのである。
但し、(A)-①に対して何らかの情実があって認定書を出していたのなら、これは大問題であろう。
鑑定眼が行き届かない事より悪影響を及ぼす。

 併し、審査は合議制で全員一致が原則と仄聞するが如何なものか。

 尚、本刀((A)-①、②)には初見の俗名があり当然、従来の銘鑑や郷土刀の刊本等にも記載や記述はなく、
そうした点での真偽の判断は極めて難しいものと思うが本刀に限らず刀そのものの出来と中心仕立、
錆を勘案して初見のものでも是非を論じるべきであろう。

 蛇足になるかもしれないが(B)-①と③は④と同年作年紀である事を付記しておく。
又、(A)-①((B)-④)は(A)-②(現物)と(B)-③(押形)を参考にして少しアレンジした切銘の
ような気がしてならない。

 但し、注意しなければならないのは偽作者の方は日々進歩しているから以降(既に)出現してくる同作は
もっと巧妙になっていると思われる。
それから通俗的ではあるが刀の所有者が理由もなく短期間で転々とするケースや刀剣商の間で転々としている
ものは一応要注意であります。

 因みに、これからは刀に認定書を付けるのではなく既に付いている認定書に適合マークを付けるか否かを
愛好家が検証する時代に入ったという事がいえます。

(文責 中原 信夫)