4. 備前伝について

日本刀の鑑定法における備前伝は、丁子乱という事になるかと存じます。併し、それが果たして正鵠を得ているかというと、否でありましょう。第一に丁子乱とは恐らく鎌倉時代の一文字系を暗に指していると思われますが、福岡一文字にしろ吉岡一文字にしろ在銘正真は極めて希少であります。このように書くと必ず 「何を言うか重要や特重、重美はじめ多くあるではないか」 という反論がありましょうが、でも冷静に見てください。在銘正真と断った筈でありますので無銘は含みません。さて、では重花丁子乱、大丁子乱など日本刀の華と賞美されてきたあの一文字に何本在銘正真がありましょうか? 曰く、重花丁子、大丁子は無銘の極めになります。およそ無銘は正体不明であります。では何を持って備前伝の要とするか。ズバリといえば「移」になります。 つまり、備前伝は、「移」が中核であります。そして備前伝の主体を形成するのは長船であり、一文字ではありません。私見ですが、一文字は備前の中でマイナーな刀工群と考えられます。だからこそ現存が希少なのであります。併し、一文字などと*人口に膾炙していて語呂がよいために珍重された結果、多くの無銘極を濫造するに至ったと考えています。

*備前物の総体的な捉え方

歴史的に見てみると恐らく平安最末期頃から江戸時代最初期に至るまで、連綿と存在し続けた大刀工集団であります。それは各時代のどのような勢力からも潰さ れずに繁栄を続けたという事実、今でいうならトヨタと日産とマツダ、三菱、ホンダなどを一つにした如き大規模工房(工場)を形成して、巨大兵器産業であったという事であり、どの勢力も長船を潰せなかったのでしょうし、潰すと逆に兵器(刀)が調達不可能になります。例えば足利尊氏が九州へ落ちて行く途中に長船兼光の屋敷に立ち寄ったという伝説がありますが、それが事実なら尊氏は何のために立ち寄ったのか?恐らく再度上洛のための武器調達の狙いがあったとした考えられません。

長船の地理的な条件は誠に恵まれています。瀬戸内海に面していて、大陸や西国からの物流の要になりますし、吉井川を利用しての中国山脈からの玉鋼、木炭等の必要資材の確保に至便であります。但、恐らく吉井川上流での森林伐採があった(恐らく玉鋼生産量の上昇における木炭需要のため)のでしょう、そのために天正年間に大洪水で壊滅するという結末を迎えてはいますが。

このように備前物は四百年以上にわたり繁栄したのは武器としての日本刀に対するリコールがなかったからこそでもあり、それは高技量、高品質であった証明ですから、古刀期においては現存刀の80%近くは備前物と言えるのであります。こうした点からみても古刀の鑑定は即、備前物の鑑定となり、備前物の最大特徴 は「移」であります。つまり、「移」を最重要視することが肝腎です。

*「移(うつり)」について

「移」といいましても室町中期までは必ず備前物には見られるもので、「移」のないものは?となります。では室町中期以降はといいますと、殆ど「移」はなくなると考えて下さい。但しゼロではありません。恐らく鉄の質か製作技法に以前とは全く違う技術を導入したのではないかと考えています。さて「移」には乱移と棒移(直移とも)の両様がありますが、基本的に鎌倉時代の太刀は乱移であります。棒移は大体室町最初期頃からの出現と考えて下さい。但し、造込(本造 か平造)によって多少の相違があります。何といっても備前は「移」の本場でありますが「移」があるから名刀とは申しておりませんので誤解のないようにして下さい。

*長船について

長光に始まり景光、兼光と続き盛光、康光となり室町中期以降の則光や忠光、そして祐定、清光などの末備前刀工となりますが、これらは当時の代表刀工で あり、恐らく与三左衛門尉祐定などは当時の末備前刀工の中の大社長のような存在であった筈です。さて、長船といえば何故に光忠をあげなかったかというと、 在銘正真が極めて希少であり織田信長でさえ無銘物をも含めて二十数振しか集められなかったとの事ですから、いわんや現代においておやであります。又、光忠が長光と直結するのかというのも私は疑問視しております。私見ではありますが、長光の時代から恐らく工房制を確立し始めたのではないかと考えておりまして、景光、兼光と降るに従ってその規模は巨大化していったように思います。

*多くの無銘極めについて

中々簡単には申せませんが、日本刀の価値が高くなるにつれてその無銘の数が膨らんでいったといえます。つまり、長光という巨人がいれば、その巨人長光の周囲には多くの無名の工人がいたと存じます。この人達の作刀でよく出来たもの、否、当時の主流刀工によく似たものが、無銘にされて主流に化けさせられたと考えれば、今日の状況がよく理解されましょう。例えば、長光の在銘正真を無銘に加工(銘を消す)する筈は絶対になく、無名傍系刀工の在銘で長光に近い作風を示す作刀の銘を消して長光極めとする。これが順当なケースでしょう。今風にいえば産地偽装ということになりましょうか?古来より日本刀の鑑定法は在銘に適用されるのではなく、無銘に適用されて、然るべき戸籍を作り、市民権を得させて来たのであります。但し、他国の刀工の極めと違い備前物には必ず「移」がありますから長光の極めがあるがこれは実は相州刀工の作であったなどというような事にはなりません。それ程、「移」というものが重要なものである訳で、その 「移」をもって備前伝の要となす訳であります。

*工房について

例えば、末備前刀工をみると、その品質は安定しています。つまり、現代刀工のように一人で全工程をこなせば、当然不得意な工程が出てきます。これを解決するのは、例えば鍛錬が上手な工人にはそれだけを毎日させ、土置が上手な工人にはそれをというように、各々の工程ごとにエキスパートを配置すれば、経済的損害も少なく品質も安定し定評を得る事となります。こうした工程を工房と私は表現したのであります。これと同じ事は、佐賀県の酒井田柿右衛門の工房で行われていますが、江戸時代の伊万里焼きはすべてこのような工房作と考えられます。又、同じ佐賀県で作られた肥前刀には、このシステムがあって作られたと推測されます。肥前刀と伊万里焼は佐賀鍋島藩の最大の外貨獲得商品であった事は有名なる事実であります。まさに何百年も前に日本人は現代以上の有効なる生産体制を作り上げていたことになるのであり、過去の歴史感を大いにあらためる必要がありましょう。それと同時に昔より恵まれた環境条件にいながら、昔のものに勝る製品を我々は果たして作っているのかと、自分の心に問いかけると、全くもって*忸怩たるものが去来するようです。

皆さん備前刀を楽しみましょう。日本刀を楽しみましょう。それが一番であります。

(文責 中原 信夫)

*人口に膾炙(かいしゃ)して 世の人々の評判になって知れ渡る事。

*忸怩(じくじ)深く恥じること。