鬼鶴の系譜 敗戦編 第二回

鬼鶴の系譜 敗戦編 第二回 森 雅裕

 十八日。

 徹底抗戦を叫んでいた各地の陸海軍部隊はおとなしくなっていた。宮城と放送局を占拠した陸軍反乱部隊はすでに十五日に鎮圧されており、上野公園を占拠した水戸の教導航空通信師団も行き場をなくして孤立し、首相官邸に放火した国民神風隊は憲兵隊に出頭した。もっとも憲兵隊も混乱しており、それどころではないと追い払われているが。

 横須賀や呉の海軍部隊も海軍大臣の訓戒を受けて、動きを封じられてしまい、厚木と呼応して気を吐いているのは埼玉の児玉、狹山基地の陸軍爆撃隊だけという有様だった。

 しかし、厚木はなおまだ士気旺盛である。隣接する整備兵教育部隊である第一相模野航空隊も厚木の影響下にあり、この日、下士官グループが幹部士官を軍刀で脅して決起を表明させるという流血事件が起きた。

 殺伐とした状況ではあるが、広大な厚木基地には少々のどかな部分もある。この不落の大航空基地は、養豚、養鶏、酪農まで自給態勢ができており、当然、農地もあった。基地の一角に作られた畑は荒れていたが、友弥は無事な西瓜を見つけ、戸ノ崎上飛曹と分け合って食った。

「日本がアメリカみたいな国になったら嫌だなあ」

 と、戸ノ崎が呟いた。友弥は飛行場の向こうに広がる緑を眺めていた。

「アメリカがどんな国か知ってるのか」

「自分勝手を自由と勘違いしてるお調子者の退廃的な国」

「俺たちが戦った手応えは、そんな軟弱野郎じゃなかったろ」

「そうだなあ。しかし、お国のために死ぬのが日本男子の本懐と教育されてきたが、それが間違っていたということになるんだぜ。耐えられねぇやな」

 畑を掘り返している隊員の姿が遠くに見える。軍服を着ていなければ、まったくの農耕風景だ。

「国破れて山河あり、飛行場の脇に畑あり。……わが帝国海軍ときたら兵農分離してないんだから、信長以前の戦国時代と同じだぜ」

「お前のいうことはわからん。話していると何だか損したような気分になってくる」

「子供の頃から、そんなことをよくいわれたよ」

 曾祖父は幕臣だったくせに戊辰戦争の折には参戦せず、落語家になったと聞いている。世がひっくり返っても、おのれの道を行く「血」らしい。

「母里よ。中国へ行かないか」

 戸ノ崎上飛曹が持ちかけた。偵察機の彩雲なら航続距離が長い。大陸まで足が届く、というのである。戸ノ崎は大陸の生まれで、向こうに知り合いもいるらしい。

「中国でゲリラ戦をやろう。どうだ?」

 友弥には雲をつかむような話で、現実味がなかった。

「他をあたってくれ」

 背を向けた。この非常事態の中で、誰もが現実と妄想の区別がつかなくなっている。突拍子もないことでも、念じ続けていると「やれる」と思えてくるものだ。戦争もその一例だが。

 

 

 この日の夜には二つの情報が入ってきた。一つは小園司令である。持病のマラリアが悪化し、高熱を発して狂乱状態だというのである。もう一つは、その小園司令がベッドに横臥している間に、山本新司令が赴任してきたことだ。しかし、隊員を刺激するというので、一部の士官に挨拶しただけだった。要するに相手にされなかったのである。

 友弥はそれを零戦隊の森岡寛隊長から聞いた。森岡大尉は元々艦爆乗りだったが、戦況不利にともない、艦爆の出番が少なくなると、戦闘機に転科した。空戦で左手を失ったが、義手で戦い続ける猛者である。

「横鎮(横須賀鎮守府)では、いよいよ厚木に討伐の陸戦隊を差し向ける用意をしているという情報もある。気持ちのいい話ではないな」

「武力鎮圧……ですか」

 横鎮長官の戸塚道太郎中将は終戦工作にあたり、小園司令から「朝令暮改の鉄面皮」と噛みつかれているから、怒り心頭である。当然、海軍省からも早期鎮圧せよという圧力がかかっているだろう。もともと上層部から煙たがられていた小園だから、米内光政海軍大臣以下、手加減はするまい。

「命は惜しくないが、日本人同士で撃ち合うことは避けたいよなあ」

「あとあと、寝覚めが悪くなりそうですからねえ」

 森岡と友弥は、そんな会話を格納庫で交わした。空襲で破壊され、骨組みだけになった廃墟のような格納庫である。

 日本海軍では原則として搭乗員一人ごとに専用機は与えないのだが、森岡が乗る零戦は義手でも操作できるよう改造してあるため、専用となっている。本来なら、左手側にはスロットルレバー、二〇ミリ機銃射撃レバー、燃料タンク切替えコックなどがある。操縦は義手でも可能だが、機銃はそうもいかず、森岡機は操縦桿に射撃ボタンを取りつけてあった。

 友弥はわが道を行くのんきな男ではあるが、好奇心が強く、こうした改造や工夫は探求しないと気がすまない。整備のため森岡機に試乗したこともあり、この改造機を乗りこなせるのは森岡と友弥だけだろう。

「我々が楠木正成なら、横鎮は足利尊氏ですか。しかし、一日も早く復員したがっている兵隊に、難攻不落の厚木基地を攻めろと命じても、尻込みするのでは……?」

「まあ、お偉方もそんな無茶はするまいよ。同士討ちの責任なんかとりたくないだろうからな」

 となれば、小園個人を狙ってくるはずである。むろん、厚木の隊員も心得たもので、従兵は小園に食事を運ぶ前に毒味し、司令公室の近くには士官が詰めているという警戒ぶりだった。

 

 

 十九日。

 この日も早朝から複数の零戦が離陸用滑走路に引き出された。友弥にも哨戒任務が与えられたが、その目的を聞いて、愕然とした。

 終戦手続きのため木更津から沖縄経由でマニラへ向かう軍使一行の搭乗機を撃墜するというのである。軍使機は一式陸攻二機。白塗りに緑十字の安全標識が目印である。

「友軍機を撃墜するのか」

 徹底抗戦には賛成とも反対とも決めかねていた友弥だが、日本人が乗った日本機を攻撃するのは「違う」と思った。一体、何のための抗戦か。

 哨戒用の零戦は弾薬を積んでいない。見つけ次第、連絡を受けた攻撃隊が発進する手はずである。

 たとえ目標を見つけても連絡したくないな、と友弥は思った。

 友弥が搭乗予定だった零戦は、滑走路に引き出されると機嫌が悪くなり、整備兵が懸命に整備したが、エンジンはか細い爆音を吐くばかりで、そのくせ排気煙は火事かと思うほど猛烈だ。

「代替機を用意します」

 整備兵は恐縮して、泣きそうになっている。友弥は内心、安堵しながら、

「しょうがねぇ。これも天運ってやつさ」

 指揮所に近い格納庫の日陰で待機した。しかし、友弥の代替機は間に合わず、哨戒に飛んだのは零戦二機だけだった。

 八時過ぎに犬吠埼南方で軍使機らしき中型機を発見し、攻撃のため森岡大尉率いる零戦隊が急行した。日本人同士で撃ち合いたくないといっていた森岡である。それでも戦意は旺盛だったが、時すでに遅し、大島から伊豆七島上空を捜索しても軍使機は発見できなかった。統合的な防空監視システムの不備という日本航空隊の致命的欠陥がここでも露呈した。

 軍使機は沖縄の伊江島で米軍機に乗り換える手はずだったが、厚木の哨戒機を恐れ、四国から鹿児島という通常コースではなく、南下して鳥島から西へ旋回、種子島上空から伊江島へ向かうという迂回コースをとった。しかも機体を白く塗ったオトリ機を九州へ飛ばすという念の入れようだった。

 日本機を撃墜することなく帰還した森岡は、

「これで寝覚めの悪い思いはしなくてすみそうだ。もっとも、くやしくて眠れないがなあ」

 表情は不機嫌だが、声は明るかった。

 その頃、指揮所の周辺にいた隊員たちの間で、妙な噂が流れていた。今朝、羽田に用意されていたオトリの軍使機を蜂の巣にして飛び去った雷電がいたというのである。

「厚木の所属機か、と海軍総隊はカンカンになって電話してきたが、小園司令はマラリアで人事不省、菅原副長は外出中だったので、山田飛行長が受けたらしい」

「そんなはずはない。今日は雷電は飛んでいない。軍使機を地上撃破したという報告もない」

「じゃあ、どこの機だろう?」

「そもそも、本当なのか、その話」

「わからんなあ。こういう時は流言飛語が飛び交うもんだ」

「俺たちの怨念が幽霊機となって、羽田を襲ったか」

 搭乗員たちは笑い飛ばし、結局、この話の真偽はわからずじまいだった。とにかく軍使機は間違いなく飛び、その任務を果たしたのである。

 この日の昼に山田飛行長が電話を受けたのは確かだが、内容は軍使機に関することではなく抗戦停止の説得であり、相手は海軍総隊でもなく高松宮であった。

「ポツダム宣言受諾は陛下の御意思である」と伝達されたのだが、山田は「よく聞こえません」とこれを切った。事実、回線の状態は最悪だったのだが、このことがのちに生真面目な山田には自責の念となる。

 午後、菅原英雄副長と吉野実整備長は軍令部に高松宮を訪ね、熱い説得を受けて、抗戦の放棄を決意した。そもそも、高熱で錯乱状態の小園司令は、もはや指揮をとれる状況になかったのである。

 

 

 二十日。

 この日の朝、下士官は地下壕へ集められ、菅原英雄副長と西沢良晴内務長から抗戦の中止を告げられた。下士官たちは釈然とせずにふてくされたが、限界を感じている者も多く、騒動は起きなかった。

 すでに、古参の士官には昨夜のうちに根回しされていた。問題は若手士官である。彗星隊の岩戸良治中尉が強硬であり、予備学生出身の士官たちが彼に追随していた。

「横鎮から電文が入った。一切の飛行禁止だ。いいな」

 菅原副長は搭乗員たちにそういい渡した。そして、雷電のプロペラが真っ先にはずされた。

 友弥が格納庫へ様子を見に行くと、

「雷電乗りが一番アブナイからなあ」

 雷電隊の赤松貞明中尉が、武装解除される愛機を見ながら苦笑した。日中戦争から戦い続ける最古参で、遊び好きで喧嘩っ早くて上官にも反抗的、そのため昇進も遅れたといわれる天才肌の人物で、自らエースの中のエースと称し、撃墜数三百五十機と豪語しているが、本気にする者はいない。しかし、間違いなく厚木航空隊を代表するエースである。

「国際法上、停戦協定が成立するまでは自ら武装解除する必要はない。なのに、この手回しのよさだ。恐れ入るね」

 赤松は当然のごとく抗戦派だったが、

「司令はもう俺たちの知っている司令ではない」

 と、もはや冷めていた。

「指揮官がいなくては戦争はできんよ。副長や飛行長では司令の代役はつとまらん。あの人たちは良くも悪くも利口で真面目だからな」

「ではもう……矛をおさめる時でしょうか」

「隊員たちも見切りをつけて、物資の持ち出しに精を出している奴がいるよなあ。俺はな、食い物や衣服よりも飛行機を盗めないものかと思ってる。零戦でも雷電でも、地方の飛行場へ飛んで、掩体壕の中に隠すんだ。何十年かしたら引っ張り出して、かつてこの国に海軍航空隊が存在したことを忘れている連中の頭の上を飛ばす。どうだ?」

「面白いですなあ。厚木に置いといても鉄クズにされるだけですからね。しかし、何十年も隠しておいたら錆だらけになるでしょう。動くように整備するだけでも莫大な金がかかります」

「お前も真面目な奴だな。副長や飛行長と一緒だ」

 赤松は笑い、雷電からはずされた照準器を整備班長から受け取った。飛行機丸ごとは無理だから、照準器だけでも記念品とするようだ。今はガラクタだが、自分たちが老いる頃には博物館級の貴重品になるだろう。

「照準器より五度前を狙え……ってな。子や孫に武勇伝を語る時に、こいつが必要だからな」

 意外にも、このエースは戦後の人生を考えていた。

 この日の夜、山田新司令、菅原副長、山田飛行長が准士官(飛行兵曹長)以上を集め、あらためて抗戦放棄の訓示を行った。

 若手強硬派のリーダーである岩戸中尉はのちに、

「いやしくも、三〇二空なる一海軍航空隊を預る司令官、司令、副長、飛行長にして自信なし、信念なしで全員をひっぱるだけの胆なしと、部下に告白して恥ざる徒輩」

 と、獄中日記で罵倒している。

 

 

 二十一日。

 朝食を終えると、下士官以上の者は本部庁舎前に集められた。新任の山本司令が菅原副長を従えて現れ、寺岡中将からの「解散命令」を伝達した。

 終戦の詔勅から六日経ち、隊員も冷静になりつつあり、あきらめの空気も漂っていた。何よりも抗戦強硬派の士官たちは新司令を無視して、この場に来てもいないため、命令に表立って反発する者はいなかった。

 しかし、

「小園司令はどうした?」

 疑問に思った隊員たちの視線の先で、司令公室前から黒塗りの車が動き出した。正門の方向へと土埃をあげて走る。

「オヤジだ」

 叫ぶ者があり、追いかける者もあった。もちろん、追いつけない。小園は麻酔を打たれ、全身を縄で縛られるという屈辱的な扱いで、運び出された。収容先は横須賀海軍病院の野比精神病棟。

 隊員が本部庁舎前に集合している隙を狙ったのである。抗戦強硬派の士官たちが司令公室の周囲を警戒していたはずだが、彼らは地下壕の士官室で「あること」の打ち合わせ中であった。

 小園司令が拘束された経緯は明らかではない。昨夜のうちに第三航空艦隊司令長官である寺岡謹平中将が参謀を引き連れて厚木に艦隊旗を移し、司令公室の隣室に泊まり込んでいた。三航艦参謀長の山澄忠三郎大佐はもっと以前から厚木に詰めており、彼らは小園を強制入院させる機会をうかがっていた。

 高熱に浮かされた小園が怒号絶叫するので、やむなく麻酔注射で眠らせたとも、小園の部屋に麻酔剤を噴霧して昏睡状態に落としたともいう。それも昨夜、新司令たち幹部が隊員に訓示を行っている隙を突いた。しかし、伝わる情報は曖昧で、真相は厚木の隊員たちにも不明だった。

 海軍総隊航空参謀だった淵田美津雄大佐は、戦後の手記で、これを指図したのは自分であると書いているが、八月二十四日のこととして、他の記録との食い違いを見せている。

 

 

 菅原副長は整備科を集合させ、各機の燃料弾薬をおろせと武装解除を指示した。整備兵は粛々と作業を始めた。これで反乱事件は収束するはずだった。しかし、安心するのは早かった。

 かねてから計画されていた「あること」が決行された。

 友弥は、どうせ不調で飛べない戦闘機が整備兵によって武装解除される傍らで、放置されていた自転車を自分のアシとするために修理していた。遠くでエンジン音が聞こえる。妙だな、と思っていると、 

「母里! 飛ぶ連中がいるぞ!」

 声をかけられて、格納庫から飛び出した。修理途中の自転車を懸命に漕いだ。駆けつけたところで、何をどうするという意思もなかったが。

 滑走路では轟々とエンジン音を響かせて、彗星、彩雲、零戦が続々と離陸していく。銀河、艦爆も動き始めていた。厚木に見切りをつけた隊員たちの「脱走」である。飛行機は奪い合いになっており、

「俺も連れていけ!」

 一機に何人もが飛び乗る混乱ぶりだ。計画を事前に知らされなかった搭乗員は飛行可能な機体を求めて、右往左往している。

「行くな!」

 飛行長の山田九七郎少佐が制止している。友弥はどちらに与するか決めかねていたのだが、山田と目が合ってしまい、

「おい、この馬鹿どもを止めろ! 抗命罪になるぞ!」

 必死の形相で怒鳴られると、態度は決まった。友弥は飛行機にへばりつく整備兵をひきはがし、駆け寄る搭乗員を抱き留めた。しかし、練習機までもが動き出した。

 副長の菅原英雄中佐も自転車で駆けつけ、

「貴様ら、まだわからんかあ!」

 機体へ自転車を投げつけたが、そんなもの蹴散らして、滑走していく。離陸した飛行機は上空を旋回し、いくつかの小編隊を組んで、北西の空へ消えた。

 士官たちの計画は、小園司令の意思を菅原副長が継ぐならその指揮に従い、かなわぬ場合は月光隊隊長の林正寒大尉を指揮官とする。それも駄目なら、かねてから抗戦を呼号していた児玉と狹山の陸軍基地へ向かうというものだった。戦争継続の大詔が再渙発されたなら、厚木へ復帰する計画である。

 バタバタと排気音を吐き散らし、走ってきたオートバイが、静かになった滑走路の脇で停まった。飛行機を盗めないものかと語っていた赤松貞明中尉である。苦笑している。

「やれやれ。先を越されたな」

「あの人たちは後世に残すために飛行機を盗んだわけじゃありませんよ」

「ふん。副長や飛行長は雷電隊ばかり危険視してたのが失敗だったな」

 稼動機はすべて飛んだのか、見渡したところ、破損した機体、プロペラをはずした機体しか残されていない。赤松が所属する雷電隊は一機も飛ばなかった。雷電はバッテリーもプロペラもはずされ、ガソリンまで抜かれていた。

「わが隊の有志は富士山麓あたりで静観するよ。トラックに武器や食糧を積んでいく。農耕具もな」

 赤松は悠然と笑顔を残し、真夏の日差しの中に消えていった。

 飛行機のいなくなった飛行場に埃っぽい風がむなしく吹き抜けていく。暑い。日陰を求めて指揮所の方向へ歩くと、山田飛行長が遠い眼差しで、ここではないどこかを見ていた。

 山田は水上機出身で、北はアリューシャンから南はインド洋まで、太平洋を駆け回り、二度も撃墜されながら生還した歴戦の勇士だが、普段は物静かな紳士である。それが疲労困憊し、目元にどす黒いクマを浮かべている。夏に似合わぬ暗い眼差しが、友弥に向けられた。

「母里。お前は乗り遅れたか」

「小園司令がいなければ、もう部隊の体をなしません」

「お前、復員してアテはあるのか」

「いえ」

 友弥が中学へ入る頃に、父親は大陸へ渡って消息不明、母親は男を作ってこれまた行方不明。友弥は祖父の世話になったが、その祖父もすでに亡くなっている。祖父は菓子職人だったが、この御時世では仕事などなく、ひどい生活をしていた。

「祖父の家は空襲で跡形もありゃしません。子供の頃、小豆を炊き上げて、アンコ作りを手伝わされましたよ。手を止めるとアッという間に焦げるので、怒られたもんです」

「基地には小豆や砂糖の備蓄もある。うまくやれ」

 持ち出せということか。厚木基地には二年分の食糧が備蓄されているという話もあり、解隊ということになれば、物資不足の折、奪い合いとなるだろう。

「盆は過ぎましたが、地方によってはおはぎを食う習慣があるようですね」

「たまには食ってみたいものだな」

 山田飛行長の言葉にたいした意味はなかっただろう。しかし、友弥は「その気」になった。食材が手に入るなら、飛行長や隊員に食わせてやりたいと思った。