81. 偽物について(その三十三)  磨上について

今回から磨上について実例を示していきたい。この磨上というのは、従来からいとも簡単に図示、説明されているが、実際は極めて高技倆を伴う慎重かつ繊細な作業である。従って、我々はその原理と結果だけを学びとることを考えれば良いのである。但、磨上を施す刀(太刀)の状態(法量や健全さ)が各々に違っているので、一概に同じパターンとはならない時もあるので、ひと通りの基本的なことを理解して頂くだけに留めておく。

さて、磨上で一番厄介なものは太刀である。概ね、太刀の中心は反が深いのが多く、磨上前の古い錆、肉置をどれだけ損なわない様にするかであるが、中々その好例を示せない。よって今回は刀の磨上の実例を紹介してみたい。

では(1)を見て頂きたい。現状は二尺三寸八分五厘、反五分七厘の法量で、約一寸五~六分の磨上をしてある。指裏の中心(在銘部)の刃方に矢印で示した所がある。それは指表の方にも同じく矢印で示しているのが(2)である。

(3)を見て頂きたい。(2)の目釘孔(2個)辺を写したものであるが、刃方の方に直線状の所作が写っているのがおわかり頂けるかと存じます。押型と見較べて頂けばその位置関係がすぐにわかります。この所作は何かといいますと、この刀の刃文(匂口)であります。つまり、約一寸五~六分を磨上たために、現在の中心の約1/3は元の刀身の部分なのであります。

つまり、直刃の状態がこの辺りまで肉眼ではっきりと見る事が出来る程残っているということで、これが一番大事なのであります。磨上る前の刃文が、中心の上部に残っているのが正常な磨上でありまして、この様になっていないのは生中心か、又は生中心に近い状態と断言できる程です。この事は拙著『刀の鑑賞』にも写真で図示してありますので、今一度参照して下さる様にお願い申し上げます。

では、どうして新しく造形された中心にこの様な刃文が残存するのでしょうか。(3)をよく見て下さい。一本の白っぽい線の左側には、右側に較べてヤスリ目なども少なく、錆色も薄くなっています。右側には現在既に立派な錆がついているのです。併し、左側の方はそうなっていないのです。つまり、刃文(直刃の刃中)はいまだに地肌よりかなり硬い状態なので、ヤスリ目も錆も中々受け付けにくいのであります。磨上の時に一番困るのが磨上る長さ分の刃文であり、その刃文(匂口)を消せば問題はないのですが、刃文を部分的に消すというのは極めて難事であり、ヤスリがやっとかけられる程度に刃文を戻す(熱を加える)のですが、熱を加えすぎると、もっと上まで刃文の匂口はなくなってしまいます。刀身の表面を水で冷やしても内部から熱は伝わりますので、従来の本の説明の様に簡単にはうまくはいきません。

さて、磨上というのは従来の説明の様に長さをどうするかではなく、新しく作る中心の肉置、つまり重ね(厚み)をどう加工・処理するかです。(2)をみて下されば、在銘部分と同じヤスリが残っているのは下の目釘孔(生孔)の少し上までです。そこから上の方は新しいヤスリで仕立てあります。又、(1)の「肥」の銘字のすぐ上あたりからは新しくヤスリはかけられていません。これが一番の見所です。磨上の工作では殆んど片面にヤスリをかけて、重ね(厚み)の微調整を行うのが大原則です。従いまして、磨上る前(生)の時の鎬筋が残っているのは(1)の鎬筋のみで、(2)の鎬筋は磨上った時に新しくできたものです。(1)の一番上の目釘孔を見て下さい。鎬筋と目釘孔の間に少し間隔がありますが、(2)の同じ所では鎬筋と目釘孔がくっついています。(1)(2)の鎬幅を較べて頂ければ生孔(一番下の孔)より上の鎬幅の差がよくわかります。

つまり、(2)の鎬幅が広く、鎬も少し高くなっているのです。(1)の「肥」の銘字の少し上は生中心の時の研溜が厳然としてある訳で、その研溜が一番分厚いのですから、この研溜を削り去る(取る)以外にはない。そのために、生の研溜のあった辺から(2)では鎬幅が広くなっているので、その原因は前述の理由であります。

この様に(1)・(2)の刀は反がそれ程ないので厄介さは少ないのでありますが、磨上の時は銘は極力残すのが大原則ですから、(2)の様に銘のない方を工作するのであり、その工作も出来る限り最小限にするのが大原則です。

(2)で鎺元から矢印の辺まで元の匂口(刃文)がごく薄く僅かに出ていますが、これは私が参考資料としてよりわかりやすくするために書入れたまでで、嘘の所作ではない事を御理解ください。併し、場合によっては石華墨でとってもこのような所作が墨の濃淡として出現する事はよくあります。この理由は2つあります。まず一つは錆のつき方が(3)の刃文の左右で違う、もう一つは刃文が残っている所、つまり匂口の刃縁から刃先へかけて地肌の部分よりも極々僅か肉が残り高く残されているからです。又、今回の様に磨上でも新しい中心のヤスリ目は部分的に違うのですから、大磨上になったら必ず表裏のヤスリ目(筋の相違、つまり筋の太さや角度)が全く同じである筈は絶対にありません。大磨上にしても絶対的に片面に新しくヤスリをかけて工作するしかないからです。これを必ず覚えて下さい。従って、表裏全く同じヤスリがかけられている大磨上中心と称されている作例は絶対に信用しない事です。

平成二十八年八月 文責 中原 信夫