53. 偽物について(その五)  一貫斎正行(清麿)の偽物

前回迄は中心における鎬筋について述べてきたが、この鎬筋が中心のどの部分を通っているかというのが、中心の真偽について一番大事なことであった。

つまり、目釘孔と鎬筋の位置関係をみるだけでもというか、それが唯一、一番大事な事であって、銘字の真偽については余り触れなかった。併し、今少しその鎬筋について大事な事をこれから述べていきたいと思う。それは鎬筋の立ち方である。

では、(12)図を見て下さい。正行(清麿)と兄の完利(真雄)の合作です。中心の鎬筋は全体的にスウッと通っていて、全く歪むことなく鮮明に押型にあらわれています。この様に中心の鎬筋というものは清麿に限らず、ちゃんとした刀工の作刀には必ず歪まないで通っているのが当り前でありまして、その様になっていない中心は銘字の真偽よりも前の段階で×という断定を下さざるを得ません。(12)図はそれこそ清麿の最初期作であり、真雄が師事した浜部そのものの出来ですが、それでも中心の仕立は完璧であります。但、この合作が例えば浜部寿幸の在銘であったら、高い世評は得られないでしょう。清麿の作であるから褒められたとしか考えられません。

つまり、私が指摘しているのは刃紋の出来、不出来や、作風の違いではなく、中心仕立の丁寧さであります。

さて、次に(13)図を見て下さい。この(13)図(12)図から約四ヶ月後の正行の作刀とされています。この二振は最近の展覧会で詳しく拝見しましたが、(13)図は一見して?の中心でした。では、(13)図の中心押型にあらわれている鎬筋を見ますと、まさに不自然に蹌踉(よろ)けて、鮮明なキリッとした歪みのない曲線状態とはお世辞にもいえないものです。

(12)図より(13)図は技倆的に上手になっている筈ですし、又、そうなっていなければいけません。まして下手になっていては不合理です。さらに、(13)図の鑢目は乱れていて整然とした感じが全くなく、化粧鑢の部分に至っては切鑢が筋違鑢の中にまで広範囲に乱雑に残されていて、技倆が拙劣で(12)図とは全く別次元の技倆であります。こんな状態で(13)図の刀を正真とするのは大きな間違いであります。

刀工が自分の名前(銘)を残す唯一の場所、それが中心であります。いや、そこにしか残せないと言った方が正確であります。従って、刀工は中心の形状等に極めて細かい神経と、多くの労力を注いできました。そんな大事な中心をぞんざいにしておく事は考えられません。人力でコントロールしにくい焼刃は別として、中心にはズサンな仕事は死んでも施さなかったと考えるべきが本当です。

清麿については、戦前から特定の人によって作り上げられた神話に近いものが、現代にまで横行しています。姿の鋭さにしても同様です。こちらについては後日触れるとしても、清麿の作ならば刃文の匂口に叢や崩があってもOK。(14)図参照。むしろ逆にアバタもエクボとみて覇気や働があるなどと褒める様な解説は、真の刀の良さを間違った方向に導きます。清麿の他にも名工はいるのですから、人の尻馬に乗って無闇に清麿のみを重要視、愛好するのは罪であります。もっと自分の両眼で刀の本当の良さを確かめて下さい。そうすれば清麿の本当の良さが一段とおわかり頂けると存じます。併し、刀身の中でも中心に対する見方は決してゆるかせにしてはいけません。名工(一流以上)であればある程、中心仕立が良いのであります。

加えて(13)図について指摘すれば、全体的に鎬幅が少し違っているが、殊に中心尻に近い部分(表裏の銘の下部)の鎬幅が違うことに注目して下さい。殊に表銘の「行」の下から鎬筋が棟方へ湾曲しており、鎬幅が一層狭くなっています。裏銘の「三」の上部から「年」の下、「八」の上部あたり迄にわたって、鎬筋が明らかに刃方の方へ湾曲しています。更に、鎬筋の立ち方や通り方以外の点でありますが、(13)図の中心の全体的な外形は歪んでおり、殊に刃方の線の歪んだ状態は、いくら清麿の最初期作の時代といっても絶対に容認出来ませんし、してはならないものです。

戦前から雪だるま状に作り上げられていった清麿に対する名声は、現代に至り却って「贔屓(ひいき)の引き倒し」となっている。関係者に猛省を促したい。因みに、中心仕立で鎬筋が歪み、鎬筋がキリッと立っていない実例を(15)図としてあげておく。但し、この刀工については何ら特殊な感情で私が掲載したのではなく、手近にあったわかりやすい資料として使用しただけである事をお断りしておく。(13)図(15)図を見比べて下さい。

最後になったが、押型と写真による中心の捉え方は一長一短である。(13)図の刀を写真で掲載した「生誕200年記念 清麿」のカタログの13頁には、前述の化粧鑢の拙劣さが鮮明に写されているし、私も自分の眼と単眼鏡を使って確認済。併し、同書12頁の解説には「世上第二作目の作品ながら、名工への片鱗を見せ、茎仕立、化粧鑢も見事なまでに美しい。殊に棟方、刃方の仕上げも丁寧で、、、」とある。この解説者が誰かは知らぬが、恐らくこの刀の所有者であろうか、それにしても文責として名前を明示すべきが筋であろうし、主催者側もこの解説に同意したと受取られても致し方ない。

又、本図録の最初にある文を読んでいくと「幕末期の名工清麿は今正宗と呼ばれ、、、美しい”そりのあるかたち”を生んだ」とか「清麿の名刀は、正に隙のない江戸の粋な立姿ではないのだろうか。」などとしているが、これを書いた方は何か勘違いをなさっている様である。”美しいそりのあるかたち”は全て刀が作られた時、つまり、打卸の時のみである。現存の清麿は立派に姿、恰好を崩されて変形している。崩され、変形した形を美しいというならば、打卸そのままの生姿は美しくはないのであろうか。

又、刀に関して”粋”や上品などの修飾詞での抽象的な表現は本質を見誤る主原因である。まさに「贔屓の引倒し」ではないだろうか。刀は江戸時代が終る迄は実用品であった。従って、刀に要求されたのは機能のみであって、その機能を満たすために刀工は腐心し続けた。清麿はその典型かも知れない。従って、機能本位の刀の解説に抽象的な修飾詞は必要ない。「美」はつまり「機能美」であり、機能が要求されなくなってから「機能」が取り去られ「美」という表現が出現してくるのである。姿、恰好を崩されていても、欠点をも抱えながら何百年も生きつづけている刀に”美しさ”を感じるのではないだろうか。私はこの様に刀や小道具を捉え楽しんでいるのであり、同じく、古い建築物や仏像等を捉えている。

(平成二十五年 十二月 文責 中原 信夫)