49. 偽物について(その一)  正行(清麿)の偽物

今回から日本刀の偽物についてのお話を進めていきたいと思います。さて、古美術愛好家から「日本刀には偽物が多い」という事をよく聞くが、古美術品全般の中で、唯一、日本刀はかなり真偽がわかる、或はわかっているからこそ「日本刀には偽物が多い」という評価が多くでるだけです。

つまり、日本刀以外の古美術品ではごく限られた専門の人達にも、果たしてどこまでその真偽がわかっているのかは疑問でありましょう。本物(真)か偽物・贋作(偽)か、それさえも定かではない混沌とした状況なのである。

併し、皮肉にも日本刀以外の古美術品(絵画や焼物)には科学的検査がかなり浸透してきていると聞くので、日本刀にも早く普遍的に実施されることを望みたい。

さて、今回は日本刀の基本的な事から偽物を見ていくことにしたい。日本刀の銘を一番最初に書くべきというのが皆様の意見ではないかと思いますが、銘に関しては殆どが人間の感覚というか直感というか、表現しにくい感覚に負うところが殆どであるので、その分野は後日必ず触れるとして、今回は合理的な理屈で偽物をみていく事にします。殊に、基本である日本刀の中心(ナカゴ)の形状から、、、。

では(1)図を見て下さい。但し、この銘の真偽ではありません。中心の鎬幅に注目して下されば、すぐ気付く筈であります。中心の表裏の鎬幅がかなり違っています。中でも一番気付きやすいのが目釘孔の周囲と鎬筋の間隔(表は目釘孔の右端、裏は目釘孔の左端)が表裏にかなりの差があって、それが在銘部分の鎬幅の差(広狭)となっています。

どのような刀工でも、中心を作る時にこんな事は絶対にしません。必ず表裏ともに同じ幅に作ります。確かに、表裏の鎬筋の立ち方にはごく僅かの違いが出るのが本当でありますが、これは中心を形成する際の鑢の使い方によるものであって、殊に在銘部分の鎬幅の広狭や鎬の高さが表裏違ったり、厚さや肉置の相違も絶対にありません。むしろ、広狭があってはいけないし、許されないというのが大前提であります。

では、この日本刀の中心の状態はなぜこの様になったのでしょうか。それは中心に改変・改造工作がなされたという事であります。この脇差には清麿の前銘(正行銘)がありますが、正行銘をいれる為に、偽物作りの材料として選んだ脇差の中心の仕立直(改造)をやった結果、中心の肉置が崩されて変形した為に、生じた形状なのであります。最初から本科の形の通りに作った刀身、中心なら作風と銘で鑑別しなくてはなりません。

つまり、日本刀の中心が異常な形状をしているという事は、この脇差が偽物という結論になっていく訳で、銘の真偽を問う以前から偽名であり、偽物なのであります。

日本刀の中心というのは刀工が自分の存在を後世まで残せる唯一の所であって、中心に銘を入れる慣習が出来た時から、刀工は中心の仕立(したて)には注意を十分に払っています。又、刀は武器でありますから表裏の鎬幅が違ったままで上の刀身の形状に移行していく事は絶対に考えられません。よく刀身の鎬の高さや幅について解説されますが、生中心の鎬の高さと幅が基準となって刀身の形状が作られております。在銘の中心の造込は、例え経年数が何百年でも研磨では変化しません。刀身は研磨により変形していく事はご存知の通り。但、磨上げた時は在銘部分の中心の造込もある程度は変化・変形せざるをえません。

従いまして、(1)図は明らかに変形する筈のない所が顕著に変形しているのですから、偽物であり、その中心にある銘は偽名となるのであります。併し、「目釘孔が少し曲ってあけられた可能性は、、、」とか「たまたまそのような造込になったのでは、、、」という意見がありましても、清麿だけではなく全刀工がそんな不合理、不恰好な考えも腕も持っておりません。銘も含めて日本刀の中心仕立は最も重要な所である事を今一度再認識して下さい。

但、偽物や偽名に関しての説明には押型を使用するしかないのですが、押型はある意味での万能に近いものです。(1)図をみてもこの中心の鎬は高いという事がわかりますし、化粧鑢の状態もよくわかります。押型からはかなりの情報を読みとれますが、唯一完璧に読みとれないのは中心の錆色だけであります。写真はどうかといいますと、錆色に関しては確かに押型より少しはましかも知れませんが、撮影の際の光線の具合によってかなり違って写る可能性が大であります。従って、これからも一応押型を基本に話を進めていきたいと考えます。

では、その日本刀の押型に関しての実話を、、、。今から四十年以上も前、日刀保の地方審査での出来事であるが、O氏(偽名切りがうまかった)が無銘の刀を審査に提出して合格、そして極がついて目出度く丸特になった。O氏は審査から返ったその刀を、審査席に近い場所で中心の改造(仕立直)を派手にやり始めた。鑢をかける独特の金属音が止まったと思ったら、今度はコンコンという金鎚で鑚を叩く音がする。暫くして、先程、無銘で提出した刀の中心が、審査員が極めた通りの刀工銘が入れられ、審査に再度廻ってきた。さすがに審査員のY先生(戦前からの刀剣商でもあった)がO氏を呼んで「いくらなんでもピカピカに光った中心だから合格させる訳には、、、」と言ったところ、O氏は「Y先生、審査調書と証書に貼る押型には錆色は必要ないので、中心が光っていても良いだろう、、、」と応酬した。Y先生は「成程、それもそうだな。じゃあ今回は合格にしようか、、、」とすぐに納得?した。

これは本当にあった話である。この話を私はO氏からも、その時に周りにいた人達からも聞いたから嘘ではない。O氏もY先生も既に故人になられたが、こうした事例は刀剣社会のごく一部のものであったのだが、もし、現在も同じ様な偽物作りや、無責任審査があるとすれば、かくも低次元な社会的意識から早く脱却していかなければいけないという事が、我々に課せられた責務である。

(平成二十五年 七月 文責 中原 信夫)