46. 刀剣・日本刀中心の鑑別法 再刃編(その十 重文 粟田口国吉の検証)

本欄において再刃の見所を縷々述べてきたのであるが、物理的、合理的に考えて みて、再刃と考えたならば理屈が通る。それが本欄の真の趣旨である。

併し、私が再刃と断定した事に対して、必ず感情的のみの反論を展開する人達が いる。それらの人達の苦しまぎれの最後のセリフは「再刃を施した現場にいた訳で はないだろう、、、」であり、又、「権威者が認めているのにどうして、、、」で ある。更に、低級な誹謗中傷では「あの人(筆者)は文化財指定の良い刀をみていな いから、刀が解らないのだ、、、」などと陰口を言う始末であるが、私はそんな人 達を哀れに思っている。

二流や地方作とされるランクの日本刀に対して、正確で公平な鑑識眼のある人は、一 流の来や一文字を見ればすぐ良さは解る。本欄で取り上げた国宝・三日月宗近など を本当に素晴らしいものと信じ込んでいる、否、信じ込まされている人達には金も鉛も同じに見えるらしい。

私のお願いしたい事は、今迄に権威者とされている人が言った先入知識、観念を 一度全てリセットして、基本的な見方に立って欲しいという、この一つである。又、 文化財に指定された全ての刀が不良であるとは、絶対に考えていない事も併せて言 明しておく。

では、再刃鑑別法の仕上げとして次の押型(1)と(1)のAを見て頂きたい。重要文 化財の粟田口國吉の短刀であるが、銘は正真であるが、中心の状態が不良である。 数年前に実見した折も同様の記憶がある。銘字が鮮明に残りながら、錆や鑢が不審 である事はこの押型からも十二分に看取出来よう。

解説には刀樋の横に添樋の痕跡があるとしている事は、それらの樋が生彫ではな く後彫であったとしても、それだけ刀身が減っているという証となりうる。更にそ の減りを裏付けるのが目釘孔辺から刃区に至る中心の刃方の線であり、殆ど直線状 となって、むしろ棟方の方へ喰い込み気味になっている。従って本刀は相当に減っ ているとみる他にはない。尚、本刀は少し区送の気味があるが、刃区の上の刃文の 方向がどうも現状で生ぶ中心の刃文の形であり、これも不審である。

又、ハバキ元に刃文がないのも同様に不審である。更に、先の方がわずかに内反 と解説にあるが、本刀で刃幅が一番深いのは切先である。これも不審であり、殊に 指裏鋩子の返も同様に不審である。姿、中心の状態、刃幅、刀身の減りからいって、 再刃とみれば全てに合点のいくものとなる。

では次の押型(2)と(2)のAをみて頂きたい。(1)と同じ粟田口國吉の特別重要刀 剣である。銘は一応正真としても中心の状態をみて下さい。これが普通の状態でし ょうか。(1)と同様に見ていきましょう。一番上の目釘孔辺から上、刃区に向う刃 方の線は(1)と同様に殆ど直線状となり、むしろ棟方の方へ喰い込んでいます。し かも本刀は中心の先の反を伏せた形状を示している事もわかります。

又、指裏の方がより鮮明に押型に出ていますが、下の目釘孔から上の研溜(錆際) までの中心の表面が滑らかな状態からみて、砥石によってこの部分の重(かさね)を 取り去ったと思われる。それ程、本刀は刀身が減っている事を如実に示している。 従って刀樋と添樋は後彫となる。さらに指裏の中心押型に鮮明にでているが、下の 目釘孔の右斜目下にかかって目釘孔を部分的に埋めた跡があり、恐らくこの埋めた 目釘孔が生孔と思われる。何故なら前述の如く現在の中心幅は相当狭くなっている、 つまり細くなっているからで、それは中心の上半分の刃方の状態が直線状になって いる点からも、かなり削られている事が容易に想像がつく。

ならば現状の下の目釘孔の位置(左右)は不自然であり、目釘孔の中心点が右斜目 下にある埋めた目釘孔が自然な位置となる。但、本刀も区送の可能性が大であるか ら現在の刃区下から描かれている移の方向と角度、位置からして不自然さを感じさ せる。いづれにしても(2)の短刀の中心状態は押型(2)のAの通りで、数年前に実見 した折も強く印象に残っている。まだ(1)の短刀の方が少しはましか。この様なも のを名品と解説したりした意図が不明であり、解説者の能力を疑う。所有者へのゴ マスリならやめた方が良い。

私はこの二振りを国指定、特別重要指定にした人達にはあきれ果てて意見を言う 気にもなれない。知ってか知らずか指定したのであっても、後に続く愛刀家に間違 った先入知識、観念を与え、一生消し去ることのない禍根を残した。

(1)(2)短刀の解説は二人であるが、(1)では姿、反について「内反のもの、浅く 反るものなどがあって、、、(中略)、、、国吉、吉光の時代は短刀の形状を求めて 試行していた時期であったのかもしれない」などと、何を根拠にしたのか意味不明 の内容である。これについてはもう説明しなくとも、切先辺の欠損による変形変化 である事はおわかりの筈。

又、(2)では「フクラ辺に至って刃幅を狭くしたものも経眼される」とあるが”狭 くした”という表現は明らかに”狭く焼いた刃文”の意味であり、本末転倒した考え 方である事は前回の本欄”吉光”の短刀で既述済みであります。

では、最後に(3)を見て頂きたい。もう私が結論を述べなくてもおわかりになる と思いますが、全くひどいものです。左国弘の重要刀剣指定となっています。この 底銘になった銘字と中心の錆と鑢目の不良さをどの様に弁明するのでしょうか。こ れら三振ともに既に刀剣商を通じ売物として販売されていたとしたら、この三振を 機関紙の口絵に掲載し、又は掲載させられた?日刀保の鑑識力と道義的責任はどう なるのでしょうか。

(平成二十五年 四月 文責 中原 信夫)