33. 目釘孔について

 目釘孔といっても、恐らく刀剣愛好家の方の中でも注意を払っている方は、決して多くはない ようである。

 まず”孔”という字から話をはじめると、普通は”目釘穴”と表記しているのが圧倒的に多い。併し、 厳密に漢字の意味からいうと、地面に掘るようなのは”穴”でいいのだが、中心の表から裏まで貫通 するような場合は”孔”である。

 さて、目釘孔の大きさから話をしていきたいが、通俗の刀剣書には「南紀重國の目釘穴は大きい ・・・」と記述されていて、一般的にすんなりと受け入れられている。これは決して間違いではな いが、孔が大きいのは南紀重國だけではない。むしろ、孔が大きいのを特別扱いするのではなく、 孔が小さいのが一番いけない事を認識するべきである。孔の小さいのは、そのあけ方をよく観察す ると、真直ぐにあけられていないのが殆どである。

 では、小さかったり、真直ぐになっていない孔は何故いけないのか。

 それは、刀身にかかる打突の際の圧力や衝撃に対して、刀身そのものが柄から脱けないようにす る唯一のものが目釘だからである。目釘孔は刀匠各々の経験と伝統から、あける位置を工夫して、 武器として一番支障の少ないと思われる位置の辺りにあける筈である。

 併し、いくら工夫しても全く何らの衝撃も目釘にかからないかというと、それは絶対にない。だ から細い目釘では危険というか、心もとないので太い目釘を通せる真直ぐな孔をあける。つまり、 真直ぐではなく少しでも斜めに孔をあけていたら、必ず目釘は折れやすくなる。

 又、目釘自体も真丸の形でなければならない。すべての圧力、衝撃に一番強いのが丸形(球形)で あることはおわかりの筈である。

 又、目釘孔の周囲(表裏)にも微妙な工夫をしている。当然、目釘孔をあけた時に立つバリもなく、 かといって鋭角すぎる状態でもない。

 従って、生ぶの目釘孔の形は方形や歪んだ形には絶対にあけない事は自明の理。

 又、目釘孔の真中が明らかに狭くなっているのも、狭くなっている所から一気に衝撃が集中して 目釘が折れる可能性がは極めて高い。従来の刀剣書に記述されている”両グリ”の目釘孔の形状がそ うである。

 又、一見、古雅に見える小さい目釘孔は数打の典型である場合が多いのであって、昔(実用時代) の太刀(刀)は形(姿)や造込みのみならず、目釘孔まで考えぬかれ、そして実践に基づいた方法で作 られているのである。

 では、目釘孔の位置について話すと、太刀、刀、脇差、短刀、薙刀、槍等によって、生ぶの刃区 と棟区を結んだ位置から、どれだけ下(つまり中心尻の方)にあけるのかは、各々で相違している。 勿論、時代によって拵(殊に柄)の違いがあるのでそれによっても違うが、刀にしても二尺三寸と二 尺五寸では少しあける位置も下へいくようである。太刀も、刃長によって違うのであるが、刀より も下になる。

 このようにどうして孔の位置にこだわるのかというと、区送(まちおくり)をしたり磨上(すりあ げ)をしたような中心の吟味の時に、生(うぶ)の目釘孔がどれであるかを見極めなければいけない のである。

 中心が磨上であるのに、刃文は現状の刃区の所から始まっているような例があれば、これは正常 な中心ではないのである。偽名か継中心か又は再刃か、の可能性を探ることになる。

 従って、良い磨上中心には必ず生孔の一部でさえも必ず残すのである。では、大磨上(銘がなく なる程の長寸の磨上とされる)の時は銘と生孔は残らないじゃないかと反論されようが、銘は額銘 にでも出来る。それを敢えて銘を切り捨ててしまうであろうか。そこに有名刀工の無銘大磨上と 称する作例の如何わしさと不合理さがある。それ程、目釘孔は中心をみる時の重要ポイントなの である。

 因みに、生中心の時でも、僅かでも区送をしてあるケースが大であるので、古い太刀などは殊に 刃文がどの辺から、どの角度で入っているかを見極めて欲しい。

 次に目釘孔の左右の位置であるが、ちゃんとした刀匠であれば原則として、生中心の真中の位置 に孔をあけるという事である。

 刀を垂直に立てて、刃先を左側にみた時、中心の右側は棟方であり、左側は刃方であるから、そ の棟方と刃方の中央にあける。この原則を勘案すれば、刀身全体、殊に?元の辺がどれだけ減って いるかを十分に推測出来る。

 このように目釘孔の大きさや、上下左右の位置をよく考えることによって、本当の磨上か否かの みならず、大磨上と説明表示してあっても、それが的を得ているか否かでさえも大体わかってくる。
それ程に重要なものがこの目釘孔、殊に生中心の時の目釘孔なのである。

 勿論、このような事だけではなく、以前から本欄で度々触れている点をも総合して判断していか ないといけない事も忘れないで欲しい。

(平成二十三年九月 文責 中原 信夫)