27. 鞘書について

日本刀社会において鞘書(さやがき)はポピュラーな言葉となってしまっているが、鍔小道具における箱書(はこがき)と同じである。又、茶道具などや掛軸にある 箱書というのもあって、それ等のいづれもが中身の品物の正真の保証や作者の鑑定、極(きわめ)を表示したと受け取られているのが現状である。むしろ、そう した正真保証という意味をもって鞘書、箱書が施されているし、愛好家からの求めも最低限そうであるといえる。  鞘書と同じ様なものといえば認定書と言うようなものがあるけれども、認定書は何となく機械的無機的な付属物というニュアンスが感じられるので鞘書はそうし た感じより一等上のような感じがするようである。

元来、鞘書というのは江戸期の大名家等の数が多い蔵刀を整理しておく為の、いわばメモ書きともいうべきものであった。大名家には先祖以来の傳来刀の他、将 軍よりの贈刀や大名間の贈物などがあって、その扱いは厳重かつ丁寧なものであった。つまり、御家の体面を保つ表道具(おもてどうぐ)であったのである。そ のようなケースでは誰から下賜されたか、誰の指料であったか、どのような儀式で指すのかが重要であった。そうした点をすぐに解るように白鞘に番号まで記さ れたのが鞘書の起源であったという。

さて、江戸幕府崩壊を経て明治という御世となり、日本刀が美術品としての使命が多くなって来ると同時に鞘書も前述のような使命の他に正真保証、作者の保証という色彩が強くなり、明治時代に残った本阿弥諸家(分家)などが愛好家の求めに応じて鞘書を施すようになった。
本阿弥長識、親善、琳雅、忠敬、天籟などの鞘書は割に見かけるものであり、後に本阿弥光遜、神津伯、平井千葉、小比木忠七郎なども見られる。殊に戦後は本 間順二(薫山)、佐藤貫一(寒山)、本阿弥日洲などはよく見かけるものであり、殊に佐藤貫一は極めて多いようである。他に高瀬羽皐、村上孝介(剣掃)、宮 形武次(光廬)、近藤鶴堂、川口陟、柴田光男(喘喜堂)、福永酔剣、吉川賢太郎(敬称略)などが挙げられるが、概して日刀保関係の人物が圧倒的に多いとい える。

さて、その鞘書には一定の様式を一応持って書かれているのであるが、白鞘は刀身の反りの通りにカーブしているので単なる能書家では中々、字配のバランスが とりにくく美観を呈しない状態になってしまう。つまり、鞘書には独特の技術と感覚が要求される。又、白鞘のどちら側に書くかであるが、太刀以外では指表側 の片面に書くのが殆どだが中には両面に書くのもある。太刀は佩表とするケースが多いが無銘はすべて指表となるのが多い。

さて、その様式として最初は作者名(在銘か否か)を書き、刃長となるがその間に“正真”の文字を入れるケースもある。次に鞘書の年月日を書き、最後に鞘書 した本人の名前や花押、果ては印を押すケースもある。但、これらの最低限の書入はそれぞれ白鞘の長さの割合に応じ項目別に微妙な間隔をとっているべきもの が普通であり、ダラダラと長文形式には書かないケースが多い。又、傳来や鞘書依頼人の名前、鞘書をした場所、果ては付属している認定書、指定書の肩書等を 書入れるケースもあるし、出来具合(不出来などとは絶対に書かないが)例えば上出来や白眉とかを書入れるのもある。稀に“経眼此一振已而”や“年紀珍重 也”とか“出来珍也”などの資料的書入れもある。
いづれにしても一番大事な点は、刀工名、刃長、日時、鞘書人の項目が適当に間隔が空いて書入れてある事が重要であり、前後の項目と余りにも間隔が空いた所 には何らかの書入れがあったと見るべきである。つまり、最初に鞘書された時から所有者が転々とする間に空いているスペースの項目が消されていると見て良 い。私が見た例で多いのは依頼人であるが、別の大問題を含んでいるケースもある。つまり、消されている項目の場所に鞘書人の所謂鑑定上の“逃げ”がある ケースである。

鞘書を依頼してきた人物との関係で鞘書を断り切れないし、しかも問題ありとは書けないので、それを何となく臭わせる文句を使っている。例えば元々、逃げ腰 の極でよく使われる“伝”(“伝 正宗”とか“と銘あり”)や、どこかの本に所載、もしくは某名家の傳とか言うように、果ては誰々の極に同意とか、甚しい のは片面にある古い鞘書きに同意とか付属の認定書の極に同意等、このようにして逃れている。又、“伝 正宗”の“伝”や“と銘あり”を消したりする。もっ と酷いのは自分が書いた鞘書の途中に「余の誤鑑也」と追書していたのがあり、その鞘書が消されて流通し、又本人に中身の真偽を求められ、更にまた「余の誤 鑑也」と消されたスペースに追書したという人もあると聞く。その度毎に、その鞘書人は代償を払ったといわれている。
尤も刀が偽物と指摘されても、「私は中心に虎徹とあったので、ただその銘を観てそして誌しただけ・・・」といった人もあるし、「正真とは書いていないだろ う!」と開き直るケースもある。“研并誌”とあるケースでは別人が研直したケースもあるので、この鞘書人の研とは断定しにくいケースもある。更に「正真と 私は観ました。いけないと言う人とは見解の相違ですね・・」茲までくると、どこかの学芸員と同じであるが、鞘書の一般的に認められるべき使命は中身を保証 するべき真摯な鑑定であろうし、必ずそうあるべきである。逃げた鞘書をしながらこの意味を察して下さいとは言えないであろう。それなら鞘書などしない方が 良い。
但し、右の様な不届なケースだけではなく、ちゃんと本来の鞘書の使命を全うしているのも多くある事を判って欲しい。

さて、角度を変えていうと鞘書の偽物があるという事もよく認識して欲しい。勿論、偽筆の鞘書の中身が正真だったという例はまずないと思うが・・。よく見か ける鞘書をする人々(前述)の中で、私が今迄に偽筆を見かけているのは少ない。某氏の如きは前日酩酊状態で本人の目前で鞘書し乍ら、審査当日(翌日)、 「君、この鞘書はいけないよ!」といったそうである。
偽筆の鞘書をするのは偽銘を切るのと同じで、運筆や字体をよく研究している。従って過去に真筆を何例かみていれば悪いのは判ってくる。例えば何となく大仰 すぎたり書きすぎたりしているのが目立っており、臭いと感じる。鞘書人が故人なら本人の確認が出来ないケースが多いので、その場合の一応の見所は第一に墨 色が悪い事である。つまり、墨の色が黒々としていない質の良くない墨や墨汁を使って大量に偽作するケースが多いからである。第二に字のツケトメ(起点と終 点)は鋭角にキリッとして、最後の跳ね方は大仰に跳ねたりしているなどである。ひとかどの人達は墨と筆と紙は吟味するものであって、本阿弥光遜の墨色は 至って美事である。どのような墨を使用したか判らないという。歴代の本阿弥家の折紙も同様である。分家も如りであるから、本家は直更のことである。
又、字体に抑揚がありすぎたりしたのもいけない。各人の字体のクセを大仰に強調したのも同様である。このような点は偽銘を観破するのと全く同じである。

以上が大体の見所であるが、一番大事なことは中身がどうかという事であって、鞘書だけをみて信用し真偽や出来具合の判断という一番大事な点を他人まかせにするのは早計すぎる。

鞘書はアクセサリーと同じで無くとも刀が良ければいいし、あって尚良しと考えるべきである。私が一目見て判る鞘書は師・故村上孝介(剣掃)先生と福永酔剣 先生である。福永酔剣先生の偽鞘書はみた事があるが、村上先生のそれは無い。併し、これからは判らない。因みに最近、私の鞘書?がある例をインターネット 上でみたと知人が私に知らせてくれた。私は過去においても、これからも鞘書などは絶対にする事はない。鞘書なる行為が刀剣社会にとって何の“益”がある か。勿論、無いとはいえないが、逆に“害”や“罪”の方に転用される例を多くみて来た私にとって、ならば小さな“益”のための鞘書など無くても結構である と考えるからである。元々、白鞘に自然に鞘書が発生する訳ではない。職業鑑定家と云われている人達の鞘書がいかに多くの“罪”を作り“害”となるタネ(根 源)となったか。鞘書代を稼ぐのが悪いとは言うつもりも資格もないが、同じ刀剣社会にいる私にとって今でも同じ愚行を繰り返す人がいるならむしろ愛刀家側 から利己的な目的で鞘書を求めないようにするべきであろう。

愚かなツケを払うのは愛刀家全体である事をしっかりと認識して、刀剣社会全体の精神レベルを上げなければいけないと思う。
(平成二十二年師走 文責 中原 信夫)