26. 刀剣商の責任

一昨年のリーマンショック以来、日本経済は不況とされ、加えて円高である。内閣の無策の影響も多分にあるが、こと刀剣業界において活況を呈しないのは何故か。この問題について、全刀商が常識的 判断をし、本来の姿に立ち戻って頂きたいとの意味で、この文章を敢えて刀剣商である刀剣杉田のサイ トに掲載させて頂く事にする。

ここ数年、自分の店でお客に売った刀を、お客の都合で換金、又は下取りを申し込まれた時に、その依頼に応じないばかりか、中には堂々とその旨を店内に掲げている刀剣店があるように聞く。これはまさに、”ぼったくり”の商売であり、この様な商売が多くなっている現状が続くと、一層の刀離れが進 む。いやもうそうなってしまっている。

下取り、換金が出来ない(或いはしたくない?)ような商品を何故、堂々と販売するのか。認定書が付いていれば何でも良いのか。認定書は免罪符ではない。これではバッタ屋以下である。バッタ商品には元々定価がある。併し刀には定価がない。ないが故にいくらで販売しようと店の勝手。それを承知で買 ったお客の責任・・・などと嘘ぶく。これでは商売上の道理も責任をも自ら放棄したという事である。 お客を喰いものにしている。

大体、ちゃんとした刀に適正な利益を加えて商品とする。これは刀剣商として当り前の事であり、ち ゃんとした商品だから下取り、換金の時には何割かを差引いて買戻す。これが出来ない商品は極力、お店で扱わないのが常識であり、最低限のモラルでもある。自分のお店で売った刀の下取り、換金についてのクレームの噂が度々出るお店は、こうした健全な商売をしていないケースと言える。しかも、売っ た商品に責任を持たないのは、業界全体が低レベルであるとされても致し方ない。

刀剣商のアマチュア化、これが一番問題である。刀剣商が商品の目利きをして、自信と責任を持って商品とし、お客に提供出来るようでないと、前述の様な事が起きる。その際たる例が、無銘重要であろう。誤解のないように断っておくが、無銘の全てがダメではないのであるが、昨今の無銘重要の値下がりは、私が指摘するまでもなく、自然淘汰の自浄作用で、これらはまさに認定書が付いていても付いて いなくても、値段に全く関係のないという結果が天下に知れわたってきた事になる。

無銘重要ほど不良刀剣商にとって美味しいものはない。まさに錬金術、打出の小槌であった。しかも、 値段が下がったので買いたいという人も殆どなく、もうそれらに見向きもしなくなったのである。つまり、無銘重要の正体とカラクリがバレてきたのである。誰の鞘書があろうと「来」だ「一文字」だ「正宗」だ・・・と云っても、もう見向きもしなくなった。こうした事情を知らない人に無銘重要を売りつけて、売りっぱなし、後は知りません・・では一般社会では相手にされない。

又、委託品ですから買戻しや下取りには全く応じません。店の責任もありません。などというような 商法を展開したのではたまったものではない。刀剣商の誇りや責任はどこへ行ったのか。刀剣社会を潰 す気か。その様な店が潰れるのは勝手だが、健全な商売をしている店はどうすればいいのか。お客は刀を買わなくとも我慢できない事もないが、刀剣商は刀が売れなくては生活出来ない。

つまり、末期症状である。
因みに、ちゃんとした商品というのは何百万円もする刀を指すのではないので誤解しないで欲しい。まさに刀の品質に応じて何十万円から上は何千万円という意味であって、それらは売価の何割引き(例えば 一定の期間内であれば三割引き)で必ず引き取ります。という様な商売を徹底して全刀商がやっていけば、 これ程良い社会はない。

刀剣店を支えているのはリピーター客である。勿論、新しい人が客にならなければ将来リピーター客にはなり得ない。つまり、リピーター客を支えるのは適正な下取りを必ず実行する責任ある商売であり、 これしかないと断言しても良い。店とお客との信頼という事が昔から喧伝されるが、その信頼は実はそうした健全な下取り制度の確立しかないのである。

適正な商品としての刀の目利きも出来ないプロの刀剣商がいたのであれば、もう笑いぐさである。しかも、商品である刀の保証書とばかりに認定書発行元である日刀保のせいにし、責任を取らないのでは 全く話にならない。もっとも、日刀保が刀剣商の売品を自分の出した認定書の程度に応じて、下取りでもしてくれれば問題はないのであるが。

さて、この様な理不尽な商売をせざるを得ない大きな原因は他にもある。つまり、刀剣商同志の売買 市場で行われている”延取引”である。戦後の刀剣社会の質を最低にした原因は、極度の認定書依存病に、この”延取引”といえる。これを正常な取引にするには現金一括取引しかない。刀剣商だけがこの ”延”を採用している様であり、他の古美術商の売買は現金一括払いと聞く。従って、他の古美術品商から見れば「何だ刀屋さんか・・・」と蔑まれているのが現状ではないだろうか。果たしてこれで良いのであろうか。刀は最高の美術品である。それを扱う刀剣商にはもっと誇りを持って欲しいし、持って しかるべきと思う。

現金一括取引なら刀そのものの力で取引価格を決める事が出来る。こうした取引には適正な認定書で も添物である事を徹底しなければならない。そうすれば今の時代の需要と供給に応じた正直な価格(時勢 価格)が出てくる。”延”ではそうはいかない。つまり、少しでも高値で取引をしたいが為に”延”(分 割)にするのであろうが、取引を重ねるうちに、売掛金という盲点をついて倒産させてしまうケースが 頻発する。もういい加減、現金一括取引を導入すべき時期である。

そして、刀は、原価の何倍もの利益を上乗せして販売する時代は、もうすでに過ぎ去っている。これからの刀は薄利の商品であり、販売した後の責任も持てる価格システムを刀剣商自らが築かなければ生 き残れない。四十年も前の夢(バブル)はもう絶対に再来しないのである。

さて、刀剣商の最大の武器は、刀剣商が刀の値段を決められる点にある。従って、その値段が不適当ならば自分の首を絞める事になる。こうした点を今一度冷静かつ謙虚に考えて頂きたい。刀剣商が目と 耳を向けるのは日刀保ではなく、刀を買ってくれるお客の方である事を忘れてはいけない。一店舗でも 多くの店が、責任を放棄しない商売をして頂くことが一番望ましいのである。刀剣商協同組合はそうし た指導を出来る限り先頭に立って実践して欲しいと願うのは、私一人ではないと思う。自浄作用の働かない店や組合は無用のものである。

最後に私の理想とする刀剣商同志の取引方法はこうである。
まず、長い時間(午前中)刀身、拵、小道具を一堂にならべ、参加刀剣商に見せて疵や欠点(匂切等)がな いかをみる。午後からセリを行うが、不正誘導等の行為は厳しく処置する。これは今まで偽物、キズ物 などを押しつけていた例があり、それらを多く買付けた(買わされた)者が倒産して(させて)混乱と質と モラルの低下を招いたのを防ぐ為である。もちろん支払いは現金一括のみ。大まかに言えばこうである。 この他に細目規約は作らなければならないが、この方法だと刀の本当の力量の価格を出せるし、逆に刀剣商の力量、鑑識眼が問われるので、今迄のように安堵してはいられない。従って、不適正なる認定書 が付けられたと思われるものは刀剣商の目利きで排除し、尚且つ価格を下げて流通させる事も可能とな る。例えば、無銘重要(大磨上・来系の極)とされるものが、生中心新刀無銘の本来の値段で取引をすれ ば、値段はグッと下がるが、刀そのものはそれなりに生きてくる。鎌倉時代とするから高い値段になるが、新刀以降の無銘ならいくらになるか。これが本来の姿であって、刀を生かして本当に活用する事に もなる。

もっと刀剣社会のレベルを上げようではありませんか。

平成二十二年十一月十一日
中原 信夫 誌