17. 拵の時代について

 今まで本欄には日本刀についての事ばかりを取り上げてきたが、今回は少し刀から離れてみようと考えた。

 最近、日本刀の 拵〔こしらえ〕を見ることが割りに多くあって、私の周囲にも拵を製作してみようという人達が何人かいるので何か参考になればと思い今回は既に製作されている拵について私見を述べてみたい。

 もう十数年前になるが、重要刀剣に指定されている慶長新刀に付属している肥後拵の時代について知人から意見を聞かれた折に指定書には付属の肥後拵の時代を「江戸中期を下らない」とされていたかと記憶する。

 私はこの肥後拵については果たしてそれ程の時代を肯定出来うる根拠を見出しえなかった。古く見えるとか古雅な趣とかとの説明は可能であろうが、私の第一の疑問は肥後の殿様が指す拵と同じ型式のものが果たして臣下の立場で指せるのか。否、こしらえるという事が可能か。

 もっと言うなら例えば信長〔のぶなが〕拵や歌仙〔かせん〕拵と同じ型式は殿様専用のものであって臣下は絶対に作ろうとさえしないと、むしろ作ろうという概念そのものがありえないと考えるのが順当である。

 幕藩体制下においては身分の上下や区別は峻烈に定められていた筈であり、武士は各々の家の身分と格式・禄高に応じてふさわしい拵を指した。

 こうした点からみて肥後拵(本歌の歌仙・信長拵)と同じ型式の拵は恐らく幕藩体制が崩壊した時点、つまり明治以降の時代の製作と考えるべきが筋であろう。

 細川家では信長・歌仙拵を”御家流拵”と称して極めて大事にしていたようで、確か歌仙であったかと記憶をするが(少々不確かで信長拵だったかもしれないが)七本の替鞘が保存されていたと熊本の古参愛刀家から聞かされた。その方はその替鞘を見たそうであるが・・・・。

 この信長・歌仙拵は肥後伯耆〔ほうき〕流の名人・細川三斉の指料とされて世に有名なものであるから明治以降、膨大な数の模作がなされたとみるべきで古くみえるから江戸中期を下らないなどとは全く根拠がない。

 このような考え方を少し展開していけば肥後金具の区別も当然の事触れざるをえないのである。つまり林(春日)や西垣・平田・甚五などの時代鑑別も現在に至るまで極めてズサンである。

 これは廃刀という時代の悲劇から生じ、生計をたてるために拵を小道具をネタに稼がざるをえなかった人達の大嘘でもある。

 とにかく幕末の頃の拵が完全な形で残されているのは私見では極めて少ない。この頃は簡単に幕末というが、その時代を確定しえる証拠はどこにもなく、まして 江戸中期をさかのぼる拵などは極めて稀と思われる。唯一時代をかなり確定出来るとするならば戦前迄の大名家の売立目録に写真が掲載されていなければ信用は 出来ない。

 それとて伝聞の誤りとかがついて回る筈であるから、その他のものに至っては何かをかいわんやという事になる。

 以前、将軍○○が某大大名家に遊びに来た折に持って来た太刀拵を見る機会があったが、その鞘の鯉口の状態や塗り方に?を感じたものである。その太刀拵は江戸最初期とされているものであるが、あるいは後世の修理があるのであろうか。それとも伝来の間違いとも・・・・・。

 又、拵では鍔や小柄・笄・縁金〔ふちがね〕が必ずといってよい程に入れ替えられているものが多いようで甚だしくは柄前と鞘が合わせである場合も往々にしてある。目貫に至っても安心は出来ない。

 近来、大流行の天正拵にしても天正拵という掟がある訳でもないのに今の職人の一部が勝手な理屈で作っては世に出してしまう。

 かなり以前から私が指摘し続けたのだが本来、天正拵とされる拵は決して上手(特権階級の特別注文)ではなく恐らくは明智拵のような粗雑で下手な拵であったと考えた方がよく、鞘の塗も研出〔とぎだし〕ではなく”花塗〔はなぬり〕”(塗りっぱなし)であろう。

 従って小柄・笄に古後藤の立派なものを装着してある今の天正拵写は、そうした点からも、もっと考え直していくべきであろうがコンクールで無監査になってしまえば、その職人の作る拵が正解とされてしまう現状である。

 このような考え方から現在残されている僅かな伝来の確かな拵から今一度見直すべき時期が来ている切実に考えている。まして実際に帯に指しにくい鞘の肉置であるのにキレイとか機能美があって美しいとかの抽象的なコメントを絶対に鵜呑にしないで頂きたい。

 鞘と柄の肉置は拵の生命そのものであって、日本刀を指す武士の生命を握っているのである。あの柳生連也斉の晩年の指料を手にさせて頂いた折、柄を自分の手 で握ってみて、その連也斉の工夫に全く恐れ入ったものである。武術の事しか考えなかった名人・連也斉にしてやっと、このような握りの出来る(握らなければ ならない) 柄形〔つかなり〕にしたのであろうかと思われる。

 単に見た目の外観のみの形ではない。人間工学の粋であろうと考えるのが各々の流儀から発達した拵の各々であると、つくづく考えさせられた。

 要は古い作、例えば柄・鞘の一つにでも学ぶという態度が必要で、今の人間の勝手な作り方と作り話を全て鵜呑にして信じてはならない。そして古い柄や鞘だけでも大事にして頂ければ幸甚である。

(文責 中原 信夫)