7. 末備前小話

永正頃から天正頃までに備前で作られた日本刀を末備前と呼んでいます。戦国時代に武器としての日本刀の大需要に応じた為、質・量共に備前刀の製作された期間中で最大です。そんな理由で、かつては日本刀の代名詞でもあった備前長船を楽しめるのは何と言っても末備前でしょう。なぜなら末備前は日本刀の中でも製作本数が多いので健全な物が比較的多く残されているからです。また、この時期は数打ち物と呼ばれる粗悪な日本刀も製作されましたが、それらは長い日本刀の歴史の中で淘汰(秀吉の刀狩りなど)されてきました。それに対して、俗名入りを含む注文打ちの日本刀は地鉄の鍛錬が優れていますので大切にされたのでしょう、状態の良いものが多く残されています。

そんな末備前を代表する刀工の双璧とされるのが与三左衛門尉祐定と五郎左衛門尉清光です。この時代には、彼らの他にも勝光、忠光など名工達が多数いますが、どういうものかこの二人が末備前の代表刀工のように言われることが多いようです。やはり末備前の場合、祐定の乱れ刃と清光の直刃に日本刀として見るべき物が多いので両刀工の技術力の高さを称えてのことなのでしょう。

両刀工の特徴をもう少し詳しく言います。まず祐定は乱れ刃を得意としています。ですから直刃の様に見える刀でもどこかに乱れ調子が出る事が多いようです。 その刃文は、盛んに足が入り、葉も働き、直刃に丁子乱れを押し込んだように華やかな物です。次は清光ですが、その作刀した日本刀の中には古作の青江を見るかのような出来口があります。これら祐定、清光の両名工は作風も多様で互の目丁子乱れ、中直刃、皆焼、湾れ、太直刃など、その注文打ちの多さからも当時の大変な繁盛振りが窺えます。

もう少し五郎左衛門尉清光について補足します。毛利元就をご存知でしょうか。彼は厳島の合戦の折、五郎左衛門尉清光に陣太刀を一振り打たせ大勝利を納めています。また維新の英雄、桂小五郎の佩刀も藩祖に習ったのでしょうか、やはり五郎左衛門尉清光でした。彼は、かの清光を寸時も身体から離さず維新の大業達成のため国事に奔走いたしました。

このように末備前は、多くの武将、偉人が選んできたことからでもわかるとおり大変な名刀が多いのです。そして末備前のように健全な状態で残っている刀剣はその刀の本来の匂い口(刃の状態)を見る事が出来るので刀剣鑑定上も大変重要な位置を占めています。