第3章 ポルトガル商人アルバレスがみた日本社会(3)

第3節 アルバレスがみた日本の女性
 
 上述したように、アルバレスは自らの書簡において、当時の日本で出会った多くの女性たちの様子を極めて豊かに記述している。まず、次の[史料16]をみたい。

 

[史料16]
 “Asi taobem vi no rio e no mar, asi no inverno como que no verao, as mais das molheres do lugar, pela manha antes que naca ho sol ou em nacendo, meterem-se na agua nuas. E metem a cabeca tres vezes debaixo da augoa obra de um momento de cada vez, inda que neve. Antao vestem-se e enchem uns vasos de pao desta augoa e vem-na spargindo com os dedos pelas ruas, rezando palavras que eu nao entendi, ate chegarem a suas casas. E nas mesmas casas tao bem a espargem. E isto me pareceu devacao, por ho nao fazem todos. ”

(日本語訳)
 “季節に関係なく海や湖において裸で水に入る女性たちを目の当たりにした。たとえ雪が降っていたとしても彼女たちはが決まって3度、水に頭を沈めるのである。そうした後で着替えをして、木材製の入れ物に水を入れて、家に帰るまでの間で意味不明にも祈りをささげながら道路や家にその水をかける。ただこれはすべての女性がやるわけではないので、おそらく一種の崇拝の方法だと思われる。”

 

 [史料16]では来日したアルバレスが出会った非常に奇妙な女性たちの行為について書き表している。季節の変化によることもなく海や湖において沐浴する女性たちを目の当たりにしたアルバレスは、それだけでなく彼女らが家までの帰途において全く意味の分からない水まきの行為をしている様子を非常に興味深く観察している。ヨーロッパにおいては決して見られなかった異国の女性の様相はアルバレスにとって非常に関心をもたせたに違いない。

 

[史料17]
 “He he gente que nao tem mais de huma molher. Os onrados e riquos tem escravos e escravas para seu servico. Sao casados pelos padres da terra. Se as molheres sao preguicosas ou mas moulheres, antes que delles tenhao filhos, por qualquer tacha destas ha podem matar sem nehuma penna. Por esta causa sao ellas muuito amigas das onras de seus maridos e muuito molheres de suas casa.”

(日本語訳)
 “彼らには妻が1人しか存在しない。偉い人やお金持ちは男女の家来がいる。妻を娶る場合にはその土地の僧侶たちによって儀式が行われる。もし妻が怠け者であったり悪い人であったりすれば、子どもができる前であれば夫は気兼ねなく殺す権利があるようだ。そのため妻たちは自分の夫に非常に忠実である。”

[史料18]
 “As mulheres sao muito bem proportionadas e alvas. Toquao d’arrebiques e alvaiade. Sao muito maviosas he meigas, e as honradas sao muito castas e muito amigas das onras de seus maridos. Ai outras muitas, mas molheres e celestinas. Taobem me parece que ai feiticeiros e feitizeiras. Sao mulheres muito limpas e ellas facem em casa todo ho servico, como tecer, fiar, coser. As boas molheres sao muito veneradas de seus maridos, e os maridos sao mandados por ellas. Sao mulheres que vao onde llhe vem a vontade,sem ho perguntarem aos maridos.”

(日本語訳)
 “日本の女性はとても体格が良くて肌が白い。彼女らは化粧をする。とても人懐っこく優しい女性たちである。偉い女性はとても貞淑で主人に対してとても誠実である。ただ日本には他に下品な女性も存在する。男女の“魔法使い”もいるそうだ。日本の女性たちはそのほとんどが大変清潔で、裁縫などの家事はすべて彼女らによって行われる。男性は良い妻を最も大切にするのである。一方で、夫は妻の言うことをよくきく。女性たちは夫に問わずとも自由にどこへでも行くことができるようである。”

[史料19]
 “Seu trajo sao patallas que lhe chegao ate o peito do pe e atao-se pelas cintas。Debaixo trazem panos como as molheres de qua. Lavao-se muito desonestamente, com as maos, perante a gente, naturaes. Prezao-se de grande cabello, e trazen-no desatado como as malaias. Pellao a testa sao muito devotas, e vao tambem a suas casas de oracao a rezar, e taobem rezao por contas.”

(日本語訳)
 “(女性の)服装は足までの長さまであって帯で締められている。服装の下にはポルトガルの女性のように下着を使っているようだ。彼女らは恥ずかしがらず、自然と皆の前で手を使って体を洗う。彼女らは長い髪を持ち“マラヤ人”の女性のように髪を縛らない。前髪は切っている。彼女らは大変信仰深く寺社へお祈りにも行く。その際には数珠でお祈りする。”

 

 同様に当時の日本の女性について記述したものとして[史料17][史料18][史料19]を挙げる。日本人の男性が妻を娶る際について、まず妻は1人のみ娶り、その場合には当地に存在する僧侶たちによる儀式によって契約が結ばれたようである。ここからが興味深い記述であるのだが、仮にその妻となった女性が怠け者、もしくは悪人であった場合には当時の社会にあっては、夫となった男性が全く遠慮を必要とせずに殺めてもよい権利を保持していたという。そうした行為が許されていたからこそ、日本の女性たちが自分の夫に対して極めて忠実であったことをアルバレスは紹介しているが、ここでは特にその条件として彼ら夫婦間における子どもの存在が1つの指標となっていたことは興味深い。
 また、日本の女性についてアルバレスは彼女らの体格の良さや肌の白さ、化粧に気を遣い、人懐っこく優しさに溢れた豊かな性格を指摘する。同時に、貞淑さや誠実さを兼ね備えた高貴な女性から品の悪い女性まで多様な女性の存在を指摘している点もアルバレスならではである。
 先に紹介したように、男性は自らの妻に対して清潔であって裁縫などの家事をしっかりとこなせる女性を求めており、それに女性も応えている様子を書き表した記述はいくつか散見されるものの、アルバレスの記述においてとりわけ強調したいのは、夫もまた妻の言うことをよく聴く存在であり、夫となった男性たちは女性たちによる寺社参詣などのような自由な行動も一々角を立てたりしないということである。こうした点は非常に注目すべき記述であり、当時の女性の豊かな様相を示す1つの要素となりえるのではないだろうか。

 

第4節 アルバレスがみた日本の宗教
 
 本章の最後として、ここでは宣教師ではなく商人という立場にあったアルバレスからみた日本の宗教に関する記述についてみていきたい。まず、当時の日本人の信仰心を表す史料として[史料20][史料21]を以下に挙げる。

 

[史料20]
 “He gente muito devota dos seus idolos. Todos pela manha se lavantao co’as contas na mao e rezao, e acabando de rezar tomao as contas entres os dedos e dao-lhe tres esfregaduras. E dizem que pedem a deos que lhes de saude he bens temporaes e os livre de seus inimigos. Isto em suas casas, aos idolos que nellas tem”

(日本語訳)
 “彼らは自分の神に信仰深い民族である。毎朝早く起き、数珠を持ちながら祈り、祈りが終われば、同じ数珠を3度指の間で擦る。神に健康と平和な時間を求め、敵からの保護も祈る。自分の家ににある神を賛美する。”

[史料21]
 “E gente que por algum nojo、depois de velhos, se tornam padres, principalmente se lhes morre a molher ou filhos ou cousa que muito amasem, e prometem castidade.. E se tem molheres apartao-se delas e nao as vem mais. Isto tudo[hazem] depois de muito velhos. Dao estes muitas esmollas, asi aos seus idolos como a pobres.”

(日本語訳)
 “彼らは高齢になると僧になる者が多い。それは恐らく心の悩みのせいによるものであろう。特に自分の愛する妻や息子等が亡くなった際に、独身と禁欲を宣誓する。たとえ妻がいたとしても僧になる決心さえすれば離別し、2度と会わないことにしてしまう。これは老いによる行為である。彼らは僧に寄付を与えるが、同じように神にも寄付を行うのである。”

 

 [史料20][史料21]によれば、まず、アルバレスが当時の日本人について、彼らが自らの神に対して非常に信仰深いという特徴を挙げている。彼らは毎朝早くから、自らの信仰対象に対して健康と平和、保護といったものを求めて祈りを捧げるのであった。ちなみにここでアルバレスが“家ににある神を賛美”という表現した点についはおそらく彼が日本の人々が自らの居宅に設けた「仏壇」、もしくは「神棚」に対して拝む様子をとらえたものではないだろうか。
 次に、当時の日本人の宗教観に関して、彼らの多くが高齢に至って、自らの心の安穏を求めるために僧侶となる様子を紹介している。自分の愛する妻や息子等の死に際して、自らの心意気次第に僧侶となっていくことのできる当時の社会状況についてアルバレスなりの分析から窺うことができるのである。

 

[史料22]
 “Estes japoes tem duas maneiras de casas de oracao. Estas casas tem padres que vivem dentro , e cada padre tem sua cella [onde dormen] e tem seus livros, e chamao-se bonzes.Estes lem a raca da China e tem muitas scripturas dos chins. E tangem a mea noite , bespora e completa. Em anoitecendo tem sinos a feicao de chageis de cobre de cobre e ferro que tangem. Etem tambores como chins. E tenho que lha maneira que veio da China , porque na China vi o mesmo. Quando tangem ajuntao-se todos os que estao nesta casa, e rezao comecando primeiro um mais velho, e os outros respondem com seus livros nas maos. Taobem rezao por contas, como os leigos.”

(日本語訳)
 “日本には寺院が2種類存在する。寺院に住む僧が多く、そのそれぞれが自分の部屋と書籍を所持している。彼らは“bonzes(坊主)”と呼ばれている。“坊主”らは0時に青銅と鉄で作られた鐘をを鳴らし、中国人のように太鼓を鳴らす。これは中国から輸入されたと思われる。というのも中国で同じ形の太鼓を見たからである。“坊主”らが太鼓を鳴らすとき、寺院にいる人々が皆で集まり、順番に一番年上の者から祈り始め、それに続いて他の人たちが本を手に持ったままにお経を唱え始める。一般の人々は私たちのように数珠を使って祈る。”

[史料23]
 “A estes deffendem-lhes molheres, e tem pena de morte se lhe sentem. Usao a sodomia com hos mocos que insinao: nao lhes he tachado. Em geral nao comem nenhuma maneira de carne senao bredos e outras ervas, nem peixe. Sao muito estimados dos grandes e piquenos, de maneira que hos reis sao mandados por elles. Tem nestas casas molheres velhas que fazem de comer, e andao alguns manquos ou emfermos pidindo pelas portas e pelas aldeas para comerem eles. Tao bem trabalhao em suas casas e fazem comntas. Estes bonzos sao seus fisicos.

(日本語訳)
 “彼らは(坊主達は)女と交際はできない。もし交際したら死刑処される。自分の教え子たちと男色をする場合には罪としてみなされない。彼らは穀物と野菜に以外は食べない。つまり、肉や魚を食べないのである。彼らは偉い人にも一般の人々にも大変大事にされている。人々に大いに大事にされるために彼ら坊主たちは領主に対しても命令をしてしまうのである。寺院には料理を作ってくれる年輩の女性がいる。病にある坊主や障害を抱えた坊主たちの多くが村々で食べ物や寄付を頼むのである。また、こうした坊主たちは寺社で数珠も作ったりするようである。彼ら坊主たちははいわば寺院の先生なのである。”

 

 最後に、[史料22][史料23]からは、当時の日本における寺院、とりわけ僧侶の様相についてみていきたい。アルバレスによって当時、坊主と認識された日本の僧侶らが、鐘や太鼓を鳴らし、それに合わせる形で寺院にいる人々が年齢順に一斉に祈りを捧げる様子を表している。彼ら僧侶たちには女性との交際や、食事に関して厳しい戒律の遵守が求められていた。そのような苦境に身を置く彼らは、身分の高い人から一般の人々に至るまで大いに大事にされた存在であった様子を伝えている。一方で、彼らがあまりに人々から大事にされるがために、次第に坊主たちが領主に対しても強い発言力をもつようになったとも紹介されている。寺院内には料理を担当した女性や同じ僧侶でも病を患った者や障害を抱えた者が少なからず存在し、当時の寺院社会の構成について示す興味深いし、かつ村々において寄付を集めたり、または数珠作成に携わったり、寺院の先生としての地位にあったりした僧侶の多様な側面についてもまた、アルバレスは非常に多くの示唆を与えてくれるのである。最後にアルヴァレスが見た山伏の姿と儀式を以下に挙げる。

 

[史料24]
 “Item vi la outra maneira de frades que adorao outros idolos, que nao e da mesma ordem da terra. Tem seus idolos pequenos metidos em seus tabernaculos, que nonca hos veem senao em alguma festa. Estes idolos tem-nos em bosque grande fora do lugar e sao mui venerados. Estes andao como leigos e trazem armas como elles, e na cabeca trazem um barrete quoadrado e tancho coo um punho de barbiquacho debaixo da barba. Este tem cuidado do buzio quando querem ajuntar gente. Sao grandes fenticeiros e tem molheres que que os ajudao a rezar.”

(日本語翻訳)
 “日本で他の神を賛美する、他の種類の僧も見た。自分の神が住んでいる小さな箱を、背中に背負い賛美している。その類の僧は一般の人のような服装をし、いつも武器を持ち、額に四角い形の小さい頭巾を付け、そして顎のところに髭をはやしている。人を集めたいとき、貝の形をする楽器を吹く。定評のある強い魔法使いであり、お祈りの手伝いをしてくれる女の人と一緒にいることもある。”

 

 [史料]には、「山伏」という言葉ははっきりとは記録されていない。しかし、上記に書いてある通り、「神が入っている箱」は、山伏のいつも背負っている一つの仏具の笈と思われ、額に付ける四角い頭巾は兜巾とも思われる。更に人を集めたい時吹く楽器は、確かに山伏が常に持つ法螺貝ではないかと思われる。    
 第2章の第2節では、宣教師が見た山伏とそれを描写した書簡を紹介した。宣教師は(自分の意見を入れない報告書という性質上)客観的に書くはずであるが、そこでは厳しく山伏を批判し、山伏が悪魔と直接関係があると記してある。しかしながら、アルバレスの書簡を分析すると、そういったキリスト教徒の先入観が見られない。それはアルヴァレスの書簡の大きな特徴である。