第2節 使用史料

序章

第2節 使用史料

 本研究を完成させるために、主にルアン・フイズ・デ・メディナ(Juan Ruiz-de-Medina1927-2000)によって編まれたJ. Ruiz-de-Medina ed., DOCUMENTOS DEL JAPON 1547-1557,Roma, 1990.、J. Ruiz-de-Medina ed., DOCUMENTOS DEL JAPON 1558-1562,Roma, 1995.を使用する。このいわゆる『日本史料』はとりわけ、今まで日本語で直接原文から翻訳されていない様々な宣教師の手紙などの史料がメディナの編集によって収録されている。

 ここで、ルアン・フィズ・デ・メディナについて述べたい。彼は、1927年、スペインのマドリードに生まれ、第2次世界大戦の終了後まもなくの1946年、当時19歳の若さで母国スペインのイエズス会に入会した。司祭への初期養成期間(修練期間。修練期や哲学勉学期などの期間。)の8年間を当地で過ごして研さんを積んだ後、宣教師を志して、遠い日本に旅立った。1954年に来日し、上智大学の講師に就任し、次いで同大学院で修学、1961年には司祭叙階に。それ以降、日本各地の教会に赴任した。福山教会や萩協会、細江教会、彦島教会、山口教会ザビエル資料館準備担当、同資料館長を歴任し、次いで、ローマのイエズス会歴史研究所に転任して、日本キリシタン研究部の責任者として、同会古文書館(ARSI)所蔵の日本・中国関係史料を駆使した史料集や研究所を編著されたという。ローマにある史料を日夜探索し、貴重な文書を発見し、キリスト教史学の専門家たちに新たな問いを提示した。こうした中で編まれたのが今回使用する『日本史料』である。

 ちなみにメディナは多くの宣教師らの書簡を編集する上で、当時のポルトガル語が現代で用いられるポルトガル語と大きく異なるために、『羅葡辞典』(dicionario latin & portugues)(BLUTEAU,Raphael,1728)を使用した。当時、書簡の著者は日本語とポルトガル語をローマ字で表記したとき、現在のように決まった表記のしかた(Hepburn system)を使用せず、日本語の言葉を聴いたまま自らの認識で適当に記す場合が多かった。そのため、宣教師らによって記された日本語の発音は現在の日本語とかなり違う。この点に注意して翻訳していきたい。

 以上『日本史料』という史料に関する説明を述べてきたが、ここに収録された様々な書簡を比較することを通して、16世紀に来日した宣教師や商人といった様々な主体によって捉えられた日本社会の様相を分析していきたい。

 『日本史料』に収録された書簡を以下にまとめる。