第1節 先行研究と課題設定

序章

第1節 先行研究と課題設定

 現在、日本のイエズス会や宣教師に関する研究は数多くの蓄積がある。例えば1549年以降、日本で活動したイエズス会士らの書簡を集めた「イエズス会士日本通信」を日本語に翻訳した村上直次郎は、そうした史料翻訳のみにとどまらず、「日本通信」に関する詳細な分析も試みた。

 その後、高瀬弘一郎が大航海時代におけるスペイン・ポルトガル(イベリア両国)の世界的な征服活動の中に日本を位置づける形で研究を進め、近年では宣教師という外国人の視点から当時の日本の社会や人々を見直すという方法も改めて注目されている。

 こうした先行研究の成果を受けて、本研究において特に重視する視点として、当時の日本社会を描写した宣教師らの書簡が、日本で残された日本人による史料では決して記されることのない多くの特徴を指摘しているという点である。すなわち、外国人である彼らだからこそ、極めて客観的に日本の社会状況を書き表すことができるという画期性である。

 この点について神田千里は、まず寺院や教団に残された日本側の史料が、当時の社会の実態を示しうる有力な手がかりであることを認めた上で、それら史料で一般人の実態についてはほとんど分かりにくいという特徴を持っている点を指摘する。その一方で、宣教師らの残した日本に関する多くの報告書について、宣教師らが極めて客観的に仏教団体や仏教徒の行動や意識について詳述している点について注目している。

 以上を踏まえ、本研究では、16世紀に初めて来日することになった宣教師らによって残された史料から、これまで語られてきた日本社会とは違った新たな様相を明らかにしていくことを目的としたい。これが第一の視角である。

 次に、先述した先行研究などにおいても使用される宣教師の史料について言及しなければならない問題がある。それは、宣教師らが残した原文の史料には彼らが実際に日本を訪れて目の当たりにしたものの数が非常に少ないという点と、それらが日本語に翻訳されて使われる場合に元々の言語であるポルトガル語やスペイン語から直接日本語として翻訳されたものは少ないということである。例えば、ルイス・フロイスによる『日本史』に収められた書簡は、1549年にフランシスコ・ザビエルが最初に日本での布教を開始した頃からの日本社会の様子が詳述されている。しかし、上記の書簡集が書かれた当時、それぞれの著者は全く違う時期に日本に滞在しているという問題(後述の表参照)を抱え、また、記述に際しては、彼らは自らが直接的に目撃した情報によるものだけでなく、第三者から聞いた情報や、あるいは他の宣教師から書いた手紙を参考しながら書いたという問題がある。そのため、こうした宣教師らによって記された史料が、どの程度まで当時の日本社会の出来事や情報を正確に書き表しているか、大きな議論を呼んでいる。

 ポルトガルの国家政策と結んで布教活動を開始した宣教師らが直面した問題は、日本で既に十分に展開していた神仏への信仰であった。こうした状況にあった日本において布教を推進していくためにも、これらの書簡は事実を誇張していることが十分考えられる。特に、キリスト教へ改宗した日本人の数などについては水増しがあったであろう。たとえ本国からは客観的に報告するように命じられていてもである。また、それぞれの宣教師が日本の宗教や文化を描写する際に、無意識のままにキリスト教的な見方をしていることが推測できる。

 このようなキリスト教的な先入観を含んだ宣教者らの書簡のもつ問題に対して、本研究で新たに提起したいのは、当時、宣教師らと同様に来日したポルトガル商人に注目する方法である。

 とりわけ本研究においては、1546年から1547年にかけて来日したポルトガル商人のジョージ・アルバレスによって記述された書簡に注目したい。彼はザビエルに宛てて、自らの日本での経験と、とりわけ日本の宗教に関する詳細な報告を行った。しかし、彼の日本に関する描写は、あらゆる宣教師による叙述とは異なり、いわゆる“日本の宗教=悪魔崇拝”とみなすような偏見が見られないのである。これはまさにアルバレスが宣教師ではなく商人という性格をもった存在であったからではないだろうか。アルバレスは自らの叙述において日本の宗教についてより客観的な描写をしている。アルバレス自身は、何度も「como nos fazemos」、つまり、「彼ら(日本人)は私たちと同じように」という言葉を使い、日本人の習慣などがポルトガル人と同じであることを主張していた。

 これらを踏まえて本研究では、16世紀に宣教師と同様に日本へ訪れ、彼ら宣教師とは異なった観点から当時の日本社会を書き表したポルトガル商人の1人であるアルバレスの書簡に注目し、彼の記述の画期性を意識しながら、多くの宣教師たちの書簡と比較し、より豊かに当時の日本社会の実態を明らかにしていきたい。これが第二の視角である。

 さらに本研究では、先に挙げた翻訳の問題を克服するために、具体的には1549年から1562年までを対象として、とりわけ、未だかつてポルトガル語やスペイン語から直接日本語として翻訳されていない書簡集に注目し、これを初めて日本語として翻訳して発表しながら16世紀の新たな日本像を分析したい。