骨喰丸が笑う日 第十二回

骨喰丸が笑う日 第12回 森 雅裕

 清矢は日本美術を流出させた多くの外国人の中でも著名な一人の話を始めた。

「観光のつもりで日本へ来て、七年も滞在したという道楽者の医者だ。去年、帰国してしまったが、日本美術を買い漁ってくれた。今でも何かと注文をくれる。以前、さる日本の実業家が秘蔵していた加納夏雄の鐔がビゲロー氏に納まったんだがね、仲介したのは私だ。ところが、キップリングとかいう旅行中のイギリスの小説家が偽物だとケチつけてね」

 のちのノーベル賞作家ジョゼフ・ラドヤード・キップリングは明治二十二年の春、世界旅行の途中で日本に滞在し、日本美術を買い漁る金満旅行者たちを「特権的ディレッタント」と呼び、「生きているうちは世間で羨ましがられても、死ねばそのコレクションは偽物ばかりと評価が下がる」と嘲笑した。

「この小説家はシロウトのくせに、日本かぶれの外国人は悪徳骨董商のカモになって偽物を売りつけられていると悪態をつく根性悪だ。こんなホラ吹きのいうことなんか取り合わなきゃいいものをビゲローは外国人仲間のツテを頼って、夏雄本人に鐔を持ち込み、真贋をただした。作った覚えはないという返事だった。鐔を突っ返された私は、仕入れ先の実業家にこいつの出所を尋ねた。府川一則から買ったということだった。……これだ」

 清矢は一枚の鐔をニイナに手渡した。 

「なるほど。見覚えあるわ、これ」

 夏雄の銘が巧みに入れられているが、一則の作である。四分一地の板鐔で、巨象を片切り彫り、群盲を素銅や赤銅の平象嵌で表現している。ニイナも下仕事を手伝っている。ただ、どこかに悪戯心を入れるのが一則の贋作である。

「いい出来だけど、そもそも群盲象を撫ずの図を夏雄が彫るとも思えませんねぇ。あの先生は花鳥風月の気取った作ばかり。ほほほ」

「ほほほ、じゃないっ。良心的な骨董屋いや美術商である私は、帰国するビゲロー氏へかわりに素晴らしい日本美術を送るからと約束した。へっ。遠いアメリカに帰ったなら、知らん顔すればいいのに、と思うだろ。思っている顔だな」

「別に」

「ビゲロー氏のような蒐集家に偽物を売りつけたと悪評が立つと、今後の外国人相手の商売に影響するんだよ。ボストン美術館じゃ日本美術部門が近く発足するという話だが、モースやらフェノロサやらビゲローやらはこの美術館と密接なつながりがあるらしい。私が君に対して紳士的に振る舞っているのは、君のお雇い外国人の血筋に敬意を表してのことだ」

「だからさあ、私にどうしろっていうの?」

「今いったろ。素晴らしい日本美術をビゲロー氏へ送らなきゃならんのだ。君に提供してもらいたい」

「まさか……私自身を人身御供に」

「違うっ。頭、大丈夫なのか、君は」

「たぶん」

「持っているだろ、短刀だよ短刀」

「短刀……?」

「私はね、知ってるんだよ。清麿師の弟子だったんだからね。わが師匠が作り、葛飾北斎の歯の細片を埋めてアサヒが地蔵尊を彫った短刀だ。ゆえにその号を骨喰丸という。師匠が自刃に使った短刀でもある。日本美術史の歴史的遺産だ。北斎の娘のお栄さんからアサヒへ、その子である君へと受け継がれたはずだ」

「ふーん。そんな因縁があったのか、あの短刀」

「持っているんだな」

「はい」

「持っているのに由来を知らんのか」

「誰も教えてくれなかったし」

「まあいい。それを寄こしなさい。さもなきゃ、一則の目をつぶして、二度と彫金などできなくしてやる。偽物を作るくらいなら廃業するのが職人の矜持というものだ。私を見ろ。本物の刀鍛冶だったことがあるのかと榊原鍵吉からも馬鹿にされたが、偽物作りだけはやったことがないぞ」

 語り終えた清矢が一則とニイナを見やると、顔を突き合わせて話し込んでいた。

「狩野芳崖も加納夏雄も栄職に就きたいだけの俗物だったな。絵描きの世界も龍池会だの鑑画会だのと対立してるじゃないか。美校ってのは鑑画会のなれの果てだろ」

「入学させてくれたら、ひっかき回してやったんですが。あははは」

 勝手な雑談をしている師弟に、清矢は苛立った声を投げた。

「おい。こっちの話を聞け」

「聞いてるわよ。短刀持ってこなきゃ師匠の目をつぶすって話ね。いいわよ。短刀はあげる」

「君は……少しはためらうとか抵抗するとか、ないのか」

「モノに執着はしない。執着はそれが人の弱みになると母親にいわれてきたからね」

「どこにある?」

「私んち」

「よし。今すぐ取りに行こうじゃないか」

「ついて来る気?」

「ここから出て、警察にでも駆け込まれちゃ面倒だ。むろん、そういう場合には一則先生も無事ではすまないが」

 外に出ると、待たせていた俊五郎は子供たちから竹馬を取り上げ、駆け回って遊んでいる。

「何だよ、このオッサン、仕事もしないで遊んでる駄目人間かよ」

 俊五郎は指差して嘲笑する子供の指をつかみ、

「人を指差すんじゃねぇ。しかもオッサンじゃねぇぞ」

 ひねりあげたものだから、子供は火が点いたように泣きわめいた。

「けっ。折れちゃいねぇ。泣けば助けてもらえると思ったら大間違いだ。世の中そんなに甘かねぇぞ」

 ニイナは竹馬を子供たちに押しつけ、

「こんな大人になりたくなかったら、さっさと逃げな」

 追い払った。捨てゼリフに「馬鹿女」と罵倒したガキの背中には石を投げた。はずれたが、水たまりに落ちて派手にしぶきをあげた。二発目を拾ったが、すでに射程距離を離れている。

「短気な女だな」

 呟く俊五郎に、ニイナは冷たい視線を向けた。

「何やってんだよ、兄弟そろって」

「兄貴が何やってるか、俺が知りたいよ。ここにいるんだろ」

「お使いを頼まれた」

「そっちの旦那は?」

「刀屋だか骨董屋だかだよ」

「美術商だ」

 と、清矢。俊五郎は愛敬ある男なので、ニコニコしている。

「彫金なんかやってると、骨董屋とか美術商というのは借金取りと同義語だぜ」

「あんたは何だ。用心棒か」

「俺は府川一則の弟だ。彫金もそこそこやるぜ」

「そこそこじゃしょうがねぇ。一流になったらお付き合いしよう」

 ニイナは俊五郎の肩を叩いた。

「あんた、もう船宿へ戻っていいよ」

「何やら危険だから俺を同行したんじゃないのか」

「まあね。いざという時、私が頼りにしてるのはあんただよ」

「迷惑な女だなあ。何でお前なんかと出会っちまったのかなあ……」

 ぼやく俊五郎を置き去りに、ニイナは裾を翻した。小袖に靴というこの時代には奇異でもない和洋折衷の身なりである。地べたへ噛みつくような足取りで、隅田川の方向を目指した。

 

 日本橋の酒屋「旭屋」の本所別宅はかつては寺地と畑に囲まれていたが、明治以降は宅地化、工業地帯化が進んで、落ち着かない町並みになっている。

 ニイナが帰り着くと、門前に警官が立っていた。

「おい。何だありゃ」

 清矢はたじろいだ。

「よ、余計なこというなよ。わかってるな」

「…………」

 ニイナは嫌な予感とともに足を早めた。警官に誰何されても、ほとんど止まらなかった。

「ここの住人です。何かありましたか」

「泥棒が入った」

「え」

 屋敷の内外にも警官がうろついていた。古いボロ屋とはいえ、維新前から御先祖が収集した美術品の一部が置いてあり、物置となっている部屋もある。

 住んでいるのはニイナの他、親戚と使用人が数人である。どういう血縁なのか、ニイナもよく知らない同居人の老婦人がいった。

「昼間、皆が留守にしてる間、入られちゃったのよ」

 今日の昼、ニイナは博覧会の会場におり、親戚は芝居見物、使用人は日本橋の本宅へ使いに出ていた。

「人が襲われなかったのは不幸中の幸いだわ。でも……」

 ニイナの部屋も荒らされていた。彼女は蒐集家ではないが、仕事の参考にするために刀剣、刀装具が置いてあった。それらが根こそぎ持ち去られている。

「あらまあ……」

 ニイナはしゃがみ込んでしまった。清麿系清矢堂が御所望の骨喰丸も消えていた。

「ど、ど、ど、どうするんだ。無駄足かよ。計画がぶち壊しだ」

 ニイナよりも清矢が焦っている。

「へっ。誘拐やら脅迫やらしといて、計画もへったくれもあるもんですか」

「こりゃもう、一則の運命は風前の灯火だな」

「夏雄の偽物をつかまされたから落とし前つけろというなら、夏雄の真作を差し出せばいいんでしょ」

「あるのか、本物が」

「偽物作りはまず本物を手元に置いて研究すること。師匠の仕事場には夏雄の鐔があります」

 嘘である。あるのは偽物だけだ。しかし、とりあえず清矢をだますしかない。

「行ってみる?」

「もちろんだ」

「ちっ」

「舌打ちするな、舌打ちを!」 

 

 大横川の東側に一則の屋敷と仕事場がある。屋敷といっても長屋よりマシという程度の粗末な家だ。

 妻のマサヨは勝手口に七輪を置いて、アジの開き干物を焼いていた。夕食の支度だろうが、のんきなものだ。しかし、清矢を見るなり、

「ひえっ」

 追い払うつもりか、団扇を振り回した。

「ニイナちゃん。こ、この男はうちの亭主を……」

「はい。連れ去った一味です。自称美術商です」

「なんでまた来たの?」

 身の側から焼く干物の皮がめくれ始めているので、ニイナはひっくり返しながら答えた。

「師匠がこの人に借りを作っちゃったもんで、ちょいと仕事場を見てもらいます」

「何? 金目のものを持ち出す気じゃないでしょうね?」

 この女は亭主の一則が拉致されたのは、どうせ金がらみの問題だと思っている。面倒なので、ニイナは一笑に付した。

「あはは。ここに金目のものなんかないことを見てもらうんですよ。納得してもらえりゃ、師匠は帰ってきます」

 ニイナは清矢を仕事場へ案内し、適当に道具や備品を見せるふりをした。マサヨは干物を焼くのを中断して、疑わしそうに監視していたが、そのうち飽きて目を離した隙に、ニイナは桐箱をひとつ着物の袖の中に落とした。一則の手になる贋作の中でも上出来の鐔である。

 外へ出て、大横川の川っ縁でそれを清矢へ渡した。

「これか」

 赤銅地で、花弁を落とした蓮が蜂の巣のような花托となり、その茎を蛙が這い上がる図である。あまり気持ちのいい画題ではない花托を見栄えよく彫り上げている。

「ううむ。俳画的だ。外国人が喜びそうだ。しかし、夏雄にしては諧謔趣味ではないかな。本物という証はあるのか」

「自分の目で見極めなさいよ。美術商なんでしょ」

 ハナっから清矢にはそんな気はないらしい。打算しか顔に浮かべず、いった。

「君は帝国博物館で加納夏雄に会ったといっていたな」

「挨拶しただけだけど」

「面識があるわけだ。なら、この鐔を見てもらおうじゃないか。真贋を本人に尋ねたい」

「今から? いつまでも博物館にいるとも思えないけど」

「急いで行こう。さあ行こう。私も夏雄先生とお近づきになりたい」

「相手にされないと思うわよ」

「商売というものは九十九回の無駄足を踏んで一回成功するんだよ」

 清矢が先に立って歩き出した。ニイナの足取りは重い。

 

 帝国博物館は西陽の中にたたずんでいる。閉館が近い。広い通路を出口へ向かう来場者をかきわけつつ、清矢がいった。

「そうだ。君の作品を見ようじゃないか。どこだ?」

 自作の鐔の前へ案内した。清矢はガラス越しに覗き込んだ。

「ふむ。君はそこそこ以上の腕だな」

「自分には見る目があるといいたいわけ?」

「人間の格がわからねぇ奴に美術品の格はわからねぇ」

「名言集でも出す気?」

「いい気になるなよ。失敗は成功のもとだが、駄目な奴には成功も失敗のもとなんだ」

「うわあ。岡倉天心に説教されてるかと思ったわ」

「いちいち腹の立つ娘だなあ」

「この状況でお互い上機嫌じゃいられないでしょ」

 もともと夏雄に会いたくないニイナは会場をおざなりに探しただけだが、こうしているうちに顔見知りの彫金家に見つかり、

「何してる? 加納夏雄先生? 美校へ行ったぞ」

 と、余計な情報を得てしまった。博物館の隣といえる立地だ。そちらへ回らざるを得ない。

 美校が近づくにつれ、ニイナは引き返したくなった。鐔を夏雄に見せ、偽物だと宣告されたら、もはや警察へ駆け込むしかなさそうだ。その場合、一則は視力を奪われるばかりでなく、贋作家であることも公になってしまうが。

 教務は勤務時間を終えて無人だったが、通りかかった学生に夏雄の制作室の場所を尋ね、西陽の射す廊下をたどって、目当ての部屋前に立った。

「こういう洋式の扉はな、ノックということをするんだよ」

 と、清矢が叩くよりも早く、ニイナは大声を発していた。

「加納先生、失礼します!」

 膠の匂いが薄く漂う部屋で、夏雄は机に向かっていた。

「おや。君、よく会うね」

「お会いするつもりはあんまりなかったんですが」

「よんどころない事情ができたという顔だな」

「こちらがお目にかかりたいと……」

 清矢を引き合わせようとしたが、夏雄はそれをさえぎり、

「これ、どうだ?」

 描いている途中の彫金下絵を示した。夏雄は円山四条派を学んでおり、画才も一流だが、見せられたのは額装する彫金板の下絵で、海辺松の図だった。もはや彫金は道具類を飾るものではなく、独立した美術なのである。

「これ、地板は何です?」

「銀だ。それに象嵌を施す」

「となると、銀地の厚みは……」

 そんな問答を始めたので、傍らの清矢はわざとらしく咳払いした。夏雄は彼には目もくれなかったが、とりあえず、ニイナはこの男を紹介した。

「えーと、この人は刀屋というか骨董屋というか……」

「美術商です」

 清矢は胸を張ったが、夏雄はカケラほどの愛想も洩らさなかった。

「日本美術を海外へ流出させている売国奴か」

「恐縮です。もともとは日本一の刀鍛冶だった清麿の弟子でございます」

「師匠が日本一なら、あんたも日本一の弟子でなきゃおかしいよな」

「あ、いや、そんなことより」

 清矢は桐箱を差し出した。

「つきましては、加納夏雄先生にこれを見ていただきたく……」

 夏雄はたいして興味もなさそうに蓋を取った。

「ふむ」

 中身を確認しても、顔色も変えない。

「見たぞ。それで?」

「御意見をうかがいたいのですが」

「我ながら面白い出来だ」

「えっ。ということは……」

「うん。そういうことだ」

 そんなはずはない。これは間違いなく一則の手になる偽物である。ニイナは思わず夏雄を睨みつけたが、彼は涼しい顔だ。

 清矢は清矢で、当然のことのように証拠を求めた。

「先生、先生。それでは、箱書きをいただけますか」

「箱書きなんぞつまらん趣向だ。箱書きが本物でも中身を取り替えられたらどうする?」

「はあ……」

「箱書きなんかよりも……」

 夏雄は箱の中の鐔に親指を押し当てた。磨地の赤銅は指で触れると皮脂がついて酸化し、指紋が残る。これはもう拭いたくらいでは取れず、磨いて色上げをやり直すしかない。通常なら、こんなものは鐔の美術的価値を下げる汚れであるが……。

「私の拇印がわりに指紋をつけておいた。これでよかろう」

「ははっ。名人の指紋つきとは、ありがたき幸せでございます」

 指紋による個人識別は研究が始まったばかりだが、日本には古くから拇印という習慣がある。しかし、冷静に考えれば、この鐔が市場へ出た時に指紋が夏雄のものという証拠はなく、付加価値になるのかという疑問があるが、清矢は名人の前に出て、舞い上がってしまっている。あとで首をかしげることになるだろう。

 ニイナも首をかしげたくなる。なんだって、夏雄はこの偽物を真作と認めたのだろうか。

 清矢はもう夏雄と友人にでもなったかのように図々しい。

「先生。これを機会にひとつ、清麿系清矢堂めをお見知りおきください」

 清矢は懐紙に包んだものを差し出したが、夏雄は突っ返した。

「最近、物覚えが悪くてな、特に嫌なことはどんどん忘れる」

「あーそうですか。お互い様ですな」

 清矢は開き直ってしまい、笑顔を閉じた。商人にしては愛想に乏しく、手揉みしながら夏雄に近づくでもない。自分が刀鍛冶として挫折したものだから、名人に対して反感があるのか。根は横柄な性格のようだ。

「私を売国奴呼ばわりなさったが、美校と威張っても、日本美術を外国に売り込むのが目的でしょうが。外国の音楽を吸収しようという音校とは真逆で、不純だ」

 もはや喧嘩腰だが、夏雄は歯牙にもかけない。

「ふふふ。ヘソ曲がりな美術商の意見として承っておくよ」

 用務員がやってきて、夏雄の分だけ茶を淹れた。それをきっかけにニイナと清矢は夏雄の前を辞した。

「お墨付きならぬ指紋はもらえたし、九十九回の無駄足ではなかったわね」

「ふん」

 西の空が茜色に染まっている。