骨喰丸が笑う日 第十三回

骨喰丸が笑う日 第13回 森 雅裕

 悪人どもの巣窟となっている浅草の印刷工場に戻ると、暗くなり始めた部屋に石油ランプを点し、徒者どもは飯を食っていた。稲荷寿司だ。縛り上げられた一則の口にも押し込んでやっている親切さだ。

「何、このほのぼのとした光景」

 ニイナが呟くと、一則はいかにも苦しそうに口を動かしながら、いった。

「俺は稲荷寿司が物凄く苦手だ。吐き気さえする。近づけないでくれとお願いしたら無理矢理食わせやがるんだ。もう勘弁してくれ。あ、お茶も苦手だ。稲荷寿司もお茶も恐い」

 もうこいつ、置き去りにして帰ろうかとニイナは嘆息した。

 清矢も一則には敬意なんか払わない。

「短刀は駄目だったが、夏雄の鐔が手に入った。そもそも、葛飾北斎の歯のカケラを埋め込み、清麿師が自刃に使った短刀なんて、外国人にはもったいないってもんだ。一則さんよ。これで勘弁してやる」

「へ?」

 清矢は桐箱の蓋を取り、中身を示した。

「上野へ行って加納夏雄自身に認めてもらった。本物だ」

 清矢の浮かれぶりに一則は一瞬だけ怪訝な表情を走らせたが、縄を解かれたので、深く考えるのはやめたようだ。

「そうか。そういうことなら、帰らせてもらうぞ。履物をくれ」

 一則は自宅から拉致されてきたのだから裸足だ。清矢は左右違うボロ下駄をそのあたりから見つけてきて、彼に履かせた。

「下駄は進呈するよ。一則さんよ。また何かあったらよろしく」

「また何か……?」

「俺はね、偽物を作ったことはないが、偽物を売ることは絶対ないとはいえない。美術商である以上、清濁併せ呑む度量も……」

「断るっ」

 一則は折り詰めから稲荷寿司を取り上げて口へ運びながら、ニイナを外へ促した。

 すでに日は暮れており、空気には墨が流れ始めている。一則の足元はふらついていたが、口数は減らない。

「ニイナ。そのへんで一杯やっていくか」

「その腫れ上がった顔で?」

「そんなにひどいか」

「お金だって持ってないでしょ。私に払えなんていったら、もっとひどい顔になりますよ。飲むより病院が先では?」

「それこそ金がかかるって嫁に怒られらあ。こんなものじゃいくらにもならねぇし」

 一則は鉛の四角い塊を握っていた。印刷工場からかすめ取ってきたらしい。鉛は彫金の仕事場で地金を叩く台などに使うことがあり、必要なものである。

「しかし、夏雄があの鐔を本物と認めたというのはどういうわけかな。呆けたのか」

「まあ、私を目のあたりにして、男が呆けるのも無理はないけど」

「とにかく本人のお墨付きが出たんだ。これからも偽作を続けてやるぜ」

 一則は何をどう勘違いしたのか張り切っているが、ニイナは相槌を打つのも面倒になってしまった。

「ところで、あの自称美術商め、短刀は駄目だったといっていたが、どうかしたのか」

「旅に出たみたいよ。運があればまたわが家に戻るでしょ」

 ニイナは早足なので、二人の距離が開いた。一則の耳には届かなかったかも知れない。

 

 翌日、ニイナは美校を訪ねた。小袖に行灯袴、編み上げブーツという活発な若い娘たちに流行り始めた格好で、美校よりも一年遅れて開校した音校の女学生に見える。

 夏雄は実技の授業中で、終わるのを廊下で待った。窓の外には陽光が跳ね、鳥の声が葉擦れに混じる。ここで勉強したかったと痛切に感じた。

 やがて鐘が鳴り、教室から夏雄が現れた。

「おお。君か」

 ニイナを認めたが、足は止めない。ニイナは夏雄を追うように廊下を歩きながら、この娘らしくもなく肩をすぼめ、恐る恐る訊いた。

「先生。あの鐔ですけど、どうして……」

「ああ、うん。蓮に蛙だったな。河野春明にあれと同様の構図がある。私もやってみたいと思っていた。その手間が省けた」

「そんな理由で自作とお認めになったんですか」

「本物ということにしないと、君が困りそうだったからな。噛みつきそうな目つきに負けた。あの美術商とやらに本当のことを教える義理もないし」

「でも……」

「私に借りができたと思うなら、ひとついわせてくれ。今さら一則に偽物作りをやめろといっても聞くまい。しかし、君は聞くべきだ。やめろ」

「……はい」

 夏雄はそれ以上いわず、自分の制作室に消えた。閉じられたドアに向かって、ニイナは頭を下げた。

 この事件はこれで終わらなかった。一月ほどのち、ニイナが自宅で仕事をしていると、同居の老婦人が覗き込んだ。

「今ね、あんたに届け物を頼まれたって子供がね、これ持ってきたけど」

「届け物?」

 差し出されたのは一尺を少し越える荷物である。包みを開くと、拵に入った短刀だ。盗まれた骨喰丸だった。すぐに外へ飛び出して近所を見回ったが、子供とやらはもう見えなかった。通りすがりに小遣いをもらっただけの使い走りなのだろうが、どんな人物に頼まれたのか、尋ねたかった。それが誰か、直感のようなものがあったからである。

 

 八年後、明治三十一年(一八九八)の正月から帝国博物館の一室で「婦人美術家展」が開催された。ほとんどは絵画だが、それさえも出品数は少なく、来場者も他の展示を見るついでに立ち寄る程度で、閑散としていた。女流作家にはまだ偏見が強かった時代である。ニイナは破れ傘を背負った鬼の彫金置物を出品した。

 ある日の会場受付の当番はニイナと上村津禰(松園)だった。津禰は京都府画学校(のち京都市立芸術大学)で学んだ閨秀画家で、ニイナより五歳の年少である。

「年末に夏雄先生の高齢祝賀会があったのやろ。百八十人の金工が大集合やったて聞いたけど、ニイナちゃんは出席したんか」

「私なんかに声がかかるもんですか。うちの師匠は顔だけ出したけど、誰とも口をきかずに帰ってきた。はぐれ者に居場所なんかないってさ」

「いやいや。美術界の王道を歩いとっても、足の引っ張り合いはあるみたいやわ」

 津禰は会場へ靴音も高らかに現れた人物を指した。前髪を塔のように立てた三十代後半の婦人が大名行列よろしくお伴を従えている。関係者たちは総立ちで迎えた。

 彼女は展示をおざなりに一周し、「御苦労様」とか「女流作家に期待しています」という主旨の社交辞令を笑顔とともに残して、風のように去った。

「歩く厄介だね、あれは」

 ニイナも作り笑いで彼女を見送った。名前は九鬼波津子。文部官僚・九鬼隆一の妻で、九鬼は男爵にして駐米公使、宮中顧問官を歴任した帝国博物館館長である。波津子については花柳界の出という噂もあるが、真実は定かではない。彼女が有名なのは岡倉天心との不倫を暴き立てた怪文書が出回ったためである。

 津禰が呟いた。

「美校も何やらややこしいことになってるみたいやないの」

「そうだねぇ」

 ニイナは美術界の情報に疎い……というより興味がない。それでも新聞ネタにもなっており、美校に内部抗争が起きていることは仄聞している。ニイナには美校に隣接する音校に情報源があった。

 数日後、ニイナは谷中の画材屋に赴いた。一歳近いわが子を抱いている。三年前、実家「旭屋」に珍しい酒が入ったからと音校へ配達に行かされ、若い教官に見そめられた。実は仕組まれた見合いであった。

 画材屋へは手製の筆を納品に来た。穂は普通に獣毛だが、軸を無垢の鉄で作り、ずしりと思い。ニイナは単純に金工の遊び心で作っただけだが、画材屋が隠し武器にもなると面白がり、何本かの注文をくれたのである。軸には大津絵風の鬼が彫り込んである。

 店主と世間話などしていると、見覚えある老人がゆらりと入ってきた。加納夏雄だった。ニイナとは八年ぶりの再会だが、夏雄は彼女の顔をジッと凝視したものの、驚きも喜びも怒りも表に出さなかった。

「お。知った顔だぞ。うーん。誰だったかな。まあいい」

 とぼけているのか、忘れたのか、わからない。彼は緑青を求めに来たのだった。日本画の顔料であるが、タンパン(硫酸銅)とともに色上げに使う。

「御自分で色上げなさるんですか」

 夏雄ほどの金工になれば、下地作りや蝋付け、色上げなどは専門職にまかせるものだ。

「この年になると、初心に戻りたくなってね」

 夏雄は七十歳を越えている。以前に会った頃よりもひと回り身体が小さくなっていた。シワの奥の目線がニイナの腕の中の子に注がれた。

「その子は君の子か」

「はい。もうすぐ一歳になります。名前は環。源清麿の名前をもらいました。男女どちらにも使える名前がいいかな、と」

「ふむ。女の子だな。父親は何者かね」

「音校で助教をやっています」

「ほお。音楽家か」

 明治二十三年(一八九〇)に美校より一年遅れて開校した音楽学校だが、国費節減のため明治二十六年(一八九三)には高等師範学校へと移管され、付属学校に格下げされてしまった。明治三十一年現在、初代校長だった伊沢修二を中心に独立運動が起きている最中である。

「音校も美校も大変だな。創作活動よりも猟官運動にいそしむヤカラが多いからな」

 いいながら、ごく自然に夏雄は骨張った両腕を差し出し、ニイナの赤ん坊を抱いた。

「いい子だ。私がもっと若ければ、将来は弟子にとってやるのにな。母親や府川一則より上手になるぞ」

 やはり、夏雄はニイナを覚えていた。

 この時から間もない明治三十一年二月、加納夏雄は七十一歳の生涯を閉じた。それを待っていたわけではあるまいが、三月、東京美術学校騒動が勃発した。美校創立に貢献し、初代校長でもある岡倉天心が免職となったのである。

 ことの起こりは図案科教授・福地復一の数年来の横暴が学内の反発を招き、辞職勧告された事件である。怒り狂った福地は、岡倉天心に妻を奪われた九鬼隆一を巻き込み、恩師というべき天心の私行を暴く怪文書をばら撒いて、美校の教育を「国財を費して有為の青年をして悉く魔道に陥らしむ」と激しく罵倒した。

 九鬼は美術行政の有力者であり、さらに鑑画会系の美校と対立する龍池会系の日本美術協会の圧力を受けた文部省は、天心の免職を決定した。これに反発した美校の教職員三十四名が一斉辞職を宣言し、文部省はあわてて説得にかかったが、結局、十七名が美校を去り、学生たちにも退学者が出た。

 天心は彼に続いた橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らとともに日本美術院を谷中初音町に設立し、この年から日本絵画協会と合同で日本美術院連合絵画共進会展を開催した。しかし、輪郭線を用いず色彩の濃淡によって空気や光を表現しようとする新しい日本画の試みである「朦朧体」描法は酷評され、「日本美術院怪画狂進会」と揶揄される有様であった。

 

 家庭人となったニイナは池之端で暮らしていた。この年の夏が終わる頃、山田吉亮が訪ねてきた。固山宗次一門のつながりで、幼い頃からの馴染みである。この元・首斬り役も数えで四十五歳になる。

「お前、山浦時太郎を覚えているか。清麿の息子だ」

「しんねりむっつりしたお兄さんがいたのは覚えてるけど……私が小さい頃、行方不明になった人でしょ」

「今、鍛冶橋監獄署にいる」

「役人?」

「そんなわけあるか。大泥棒一味の幹部として、ぶち込まれているんだよ」

 そういえば、東京や大阪を荒らし回った盗賊団がつかまったという新聞記事をしばらく前に見た記憶がある。

「俺は囚獄掛だったから、警察にはコネがある。こんな囚人がおりますが……と知らせてくれた」

「時太郎さん、生きてたんだね」

「まだ四十半ばだからな。しかし、将来は真っ暗だ。樺戸集治監へ送られることになっている」

「何、それ」

「北海道開拓の強制労働だよ。奴は罪人である前に脱走兵だ。北の大地に骨を埋めろというお裁きなのさ。こっそり面会させてもらうことになった。奴はお前に会いたがっているようだ」

「どうして?」

「娑婆の見納めに昔の知り合いに会いたいんだろう。自分が何者なのか、自分を知ってくれている人間に会って実感したい。人生に希望を持っていた頃を思い出したい。俺は多くの罪人を見てきたから、そんな気持ちはわからんでもない」

 ニイナにはわからない。

 翌日、彼女は吉亮に伴われ、鍛冶橋へ出向いた。

 鍛冶橋には明治末まで使われる警視庁の庁舎があり、その並びに鍛冶橋監獄署がある。前に架かっているのが八重洲橋だ。

 机と椅子があるだけの殺風景な部屋で待たされ、吉亮とニイナが風の通らぬ空間で暑さにうんざりしていると、男が入ってきた。髪をととのえ、髭も剃っているが、身なりは垢じみている。もはや若くもない時太郎だった。吉亮は差し入れに着替えを持参していた。さすがに囚獄の実情に通じている。吉亮とて懐具合に余裕はないはずだが。

 ニイナも何かしらお守り的なものを差し入れたかったが、囚人が私物を自由に持てるとも思えず、上野でシュークリームを買い、時太郎は甘いものが苦手かも知れないので、数種類の握り飯も手作りして持参した。

 時太郎は人相が悪くなり、ギョロリとした眼差しで、食い入るように面会者を見つめた。昔は他人と正面から視線をぶつけ合うことは苦手だった男だ。吉亮は彼の変貌に少々驚いたが、およそ二十年ぶりの再会である。変化があって当然ではあった。

 まるで喧嘩でも売るように、時太郎は言葉をニイナに向けた。 

「ニイナか。俺を覚えているか。おしめを替えてやったもんだ。いや、そんな昔のことを持ち出してもしょうがない。立派になったな」

「こんなところで会いたくなかったです」

「うん。ハッキリしているところはアサヒさんと同じだ」

 時太郎はボソボソとしゃべるが、若い頃より饒舌になっている。吐き出したい鬱積があり、興奮もしているのだろう。

 時太郎は握り飯を食い、シュークリームは同房の者と分けるといい、見張りの警官を見やった。時太郎の言葉を咎める様子はない。

 ニイナは長年の疑問を口にした。

「時太郎さん。帝都を荒らし回った盗賊一味だそうですね。八年前、私のうちに泥棒が入りました。短刀の骨喰丸も盗まれましたが、後日、どういうわけか、戻してくれた。あれは……時太郎さんですね」

「あそこがアサヒの実家の別宅であることは知っていたが、娘のお前が住んでいるとは思わなかった。なるべく人を傷つけたくないから、誰もいない留守を狙ったんだが」

 留守の情報は使用人から得たのだろう。内応者がいたのか。しかし、今となっては追及しても詮ないことだ。

「手分けして家捜ししたから、俺は骨喰丸には手を出していない。あとで収穫品を調べていて、気づいた。この短刀だけは持ち主が決まっている。だから返した」

「あの時、盗まれてなきゃあ、悪徳美術商の手で外国へ売り飛ばされてた。裏稼業の人たちにはつながりがあって、それを知ったあなたが先回りして持ち出したのかも、と思わないでもなかったけど」

「考えすぎだ。俺はそんな気のきく人間じゃない」

 話題を逸らすように、時太郎は吉亮へ向き直った。時太郎が一歳年上である。

「固山家の皆さんはどうされている?」

「宗一郎さんは白河で亡くなった。源次郎さんはハサミ鍛冶を息子と一緒に続けているが、お前がこんなことになっているなどとは知らせぬ方がよかろう。あの人も七十近い。年寄りにこの世の心残りを背負い込ませるもんじゃねぇ」

「清麿の道楽息子も落ちるところまで落ちたからね。皆さんは俺に親切にしてくれたが、駄目な奴だと蔑んでもいた。そんな俺になついてくれたのは小さかったニイナだけでね。俺には子供もいないし、他の人たちに会いたいとは思わないが、ニイナのことはずっと気にかかっていた」

 それが彼が強制労働へ送られる前に彼女に会いたがった理由か。

 吉亮は素っ気ないが、明朗な声で、いった。

「どんな家でも一族を見回せば問題児がいるもんさ。だが、時太郎よ。名誉な話もあるんだぜ。もう十年以上も前になるが、榊原鍵吉先生が天覧兜割りを成功させた。噂じゃ同田貫ってことになってるが、実はお前が作った刀だ」

 その榊原鍵吉もすでに明治二十七年に没している。

「兜割りのことは新聞で見たが……俺の刀だったか」

「今は宮様が所有している」

「そうか。冥土への土産話ができたよ」

「まだ冥土へ行く必要はなかろう。刑期を終えたら東京へ戻れる」

 囚人とはいえ、過酷な強制労働は社会問題となっており、刑期を満了する見込みは少ない。そして、その時は時太郎を知る者たちの多くは生きていないだろう。

「幸か不幸か、ふさ(吉亮)さんに首を斬られずにすんだな」

 時太郎は抑揚のない声で、そういった。ほとんど無表情であった。しかし、この男が過ごしてきた年月がどのようなものだったのか、異様に強い眼光が語っていた。

 こののち、山浦時太郎は彼らの前に戻ることはなかった。

 ニイナは婦人金工として実績を重ねたが、作品数は少なく、その名は一部の数奇者が知るのみである。

 そして、大正十二年(一九二三)九月の関東大震災でニイナこと川村(旧姓)丹奈は命を落とした。五十四歳だった。娘の環は結婚して神奈川に住んでおり、難を逃れた。環には男子があり、彼はやがて来る激動の昭和に生きることになる。