星光を継ぐ者ども 第六回

星光を継ぐ者ども 第6回 森 雅裕

 数日が過ぎ、まだ明るいうちにその日の作業を終えると、弟子の良吉が千早に、

「お送りしましょう」

 と声をかけた。

「筥崎宮へついでもありますから」

 ついでとは何か、と安吉が良吉へ無言の視線を送ると、

「酒殿から今年の米で作った新酒ができたと知らせがあったもんで、もらってきます」

 筥崎宮の酒殿といえば、大森彦七が投宿しているところだ。

「俺も途中まで行こう」

 安吉は他の職人のところへ出かける用事があった。筥崎宮の境内を突っ切る道筋である。

 太陽の燃えさしが西の空を染めている。安吉は茜色の空気の中に千早を見やった。

「先日、正宗の弟子だという左文字の作を見ました」

 そう切り出したが、誰の持ち物であるか、質問の隙など与えずに言葉を続けた。

「太宰府の左馬亮とはまったく別物だった」

「あら。どうでしたか」

「品格と面白味の両立はむずかしいものだが、どちらも損なわれていない、たいした刀だった。あれが弟子の作とすると、正宗はどれほどの刀工なのか……」

 筥崎宮を覆う雑木林の中を進む彼らの視野に、武士たちの影がゆらめいた。屈強な男たちだ。猿楽の舞台にでも並ぶように立ちふさがった。

「楠木家の千早殿ですな」

「千早です」

「兄上はどこかな」

 千早は答えず、

「私どもに無礼な御用らしいですね。一好神社をお訪ねになったのですか」

 武士の一人が持っている長い布袋に目を留めた。刀だろう。

「その長いものは、もしや私の荷物から盗み出したのでしょうか」

「いただいて行く」

「お断りします」

 断ろうが承知しようが関係ない。武士たちは殺気しか発散していない。安吉は千早の肩を叩き、叫んだ。

「逃げろ!」

 武士たちが抜刀した。安吉は一尺五寸の腰刀を差している。これを振り回して白刃をかいくぐり、千早のあとから走った。千早は敏捷で、勇敢だ。石を拾い、襲撃者に投げつけた。

 目前には酒殿の建屋が並んでいる。こけつまろびつ、弟子の良吉がそこら中の戸や窓を叩いて、助けを求めた。

「何事かっ」

 顔を出した男があった。痩身だが、大男である。その体型から、大森彦七だとすぐに知れた。
 
 彦七は事態を即座に理解したが、帯刀していなかった。どこから持ち出したのか、心張り棒を手にして、豪快に振り回した。

 一方、千早は武士に追いつめられ、太い木をはさんで、右へ左へと繰り出される刃を避けていた。そこへ彦七が駆け寄ると、たちまち武士たちは総崩れとなり、

「引け、引けっ」

 負傷した仲間を抱え、逃げ腰となった。

「あ奴、あ奴!」

 千早は叫びながら、長い袋を持っている武士に追いすがり、彦七が加勢すると、男は荷物を投げ捨てて遁走した。
 彦七は心張り棒を身体の前に突き、背を丸めて安吉たちを見回した。

「誰が襲われているのかと思ったら、安吉殿か」

「これはどうも……」

 大森彦七の名前を出すのはためらわれた。そのかわり、

「こちらは楠木様の千早姫です」

 あなたに遺恨を抱く姫君だと暗に注意を与えたのだが、

「おお、左様か。私は伊予の大森彦七だ」

 この能天気な武将は平然と名乗った。安吉は力が抜け、肩を落とした。千早はと見ると、武士が落としていった袋を拾い上げている。やはり、刀だ。

 その様子を視界の隅にとらえながら、安吉はこの場を取り繕うように彦七へ話しかけた。

「あの侍どもはどこの家の者でしょうか」

「少弐家で見かけた顔もあったな。少弐頼尚の家臣ゆえ、私とはコトを構えたくなかったのだろう。それで逃げた」

 千早が刀を抜き、近づいてきた。いきなり、斬りつけた。

「父の仇、この遺恨覚えたか!」

 彦七は苦もなく太刀筋をかわし、安吉は懸命に千早を抱き止めた。

「やめなさい。恩知らずですか、あなたは! この人は助けてくれたのですぞ」

「いずれ……」

 決着はつける、といいたげに千早はそっぽを向き、安吉は刀を取り上げた。夕陽はすでに西の空にもなく、筥崎宮の境内は暗くなり始めているが、この刀だけは独特の光を放っていた。刀身には強い輝きが糸のように何本も流れている。

「これは……」

 星鉄刀である。

「千早殿。これは正宗刀匠が弟子に餞別として与えたという星鉄刀ですな。茎にはサギリの銘があるはずだ」

 それを聞きつけた彦七が、安吉の手から刀を奪い、見入った。無礼だが、あまりに自然な動作だったため抵抗はなかった。

「これが噂に聞く星鉄刀か。少弐頼尚は力ずくでもこいつが欲しかったようだな。いや、誰もが霊力宿るこの刀を求めているだろう」

「うるさい!」

 千早が怒鳴るので、安吉は刀を取り返し、

「彦七殿。行ってください。早く!」

 救ってくれた恩人ではあるが、追い払った。

「そうか。また会おう」

 その捨てゼリフに、千早は石を拾おうとした。安吉は彼女の肩を押さえながら、這うように近づいてくる良吉を見やった。

「腰が抜けたのか」

「冷たいお言葉ですな、師匠。何度も転びました」

 全身すり傷だらけで、転んだ拍子に手首を傷めたらしく、腫れ上がっている。

「師匠。これでは大鎚を持てません」

 鍛錬は終えているのだが、まだ素延べに先手が必要だ。

「仕方がない。先手は千早殿に頼もう」

 安吉は千早を横目で睨んだ。目つきはよくない男である。

「正宗の弟子の左文字とはあなたですな、千早殿」

 千早はどう反応したものか、しばらく迷ったようだが、結局、

「あははは」

 声をあげて笑った。安吉は苦虫を噛みつぶしている。

「あなたが作刀をやたら見たがったのも単なる好奇心でなく、私のやり方を学ぶためだ。なら、先手をやってもらうのが手っ取り早い」

「承知しました。やらせていただきます」

「私も正宗一門の流儀を拝見させてもらう」

「それだけですか」

「……何か?」

「また襲われるかも知れません。宿泊先の一好神社には戻れません」

「兄の三郎様は?」

「博多におりません。九州各地を回り、博多には寄らずに長門へ渡る予定です」

「では……うちの物置小屋の屋根裏にでも潜むしかありませんな。ええと、良吉」

 疲れ切った表情の弟子を呼んだ。

「千早殿の身の回りの品を運んで差し上げろ」

 良吉は無言で、腫れ上がった右手を掲げた。安吉は嘆息した。彼が運ぶしかなさそうだ。さらに良吉は意味ありげに微笑んだ。

「お忘れですか、師匠。私は酒殿の新酒をもらいに来たんで……」

 安吉は安吉で、職方を訪ねる予定があったのだが、そちらへは良吉を使いに出し、千早の私物と酒殿の新酒は安吉が運んだ。

 千早に提供したのは、独立した弟子が使っていた空部屋である。

「狭くて汚くて不満だろうが、風呂は近い」

「風呂とは、もしかして外のアレですか。たたら炉にしては小さく、卸し鉄の炉にしては大きいと思っていましたが」

「あなたが最初から正体を打ち明けてくれたら、もっと早くからここで仕事してもらったし、風呂に屋根も壁も作ってお迎えしましたよ」

「楠木兄妹といえば、命を狙う物好きがおりますから。呉越同舟の九州では、初対面の方に気安く正体は明かせません」

「命を狙う物好きとは、少弐か一色か。おおかた彼らは表面上は敵対しているが、裏ではつながっているのだろう」

「兄の目的はそうした武将たちとの会見。私は自分と同じ左文字を名乗る刀鍛冶に興味があったので、九州へやってきました。幸か不幸か、女子はその存在も名前も世間は気にとめません。安吉師にも内緒にしましたけど、あなたに作刀をお願いしたかったのは事実」

「命を狙う物好きについて、少し考えてもよろしいかな」

「どうぞ」

「太宰府の左馬亮は以前から正宗の弟子の左文字を詐称していたが、それを『物好き』は利用しようとした。楠木兄妹をおびき寄せる囮だ。つまり、正宗の弟子である左文字は楠木正成の子と……その性別はともかくとして……嗅ぎつけられていた。兄妹が博多の『左文字』を訪ね歩いていることも知られていた。正宗の弟子なら、武将たち垂涎の星鉄刀を持っているはずであることも『物好き』の強欲を刺激した。それを知ったある一本気な武士が、許せぬ謀略であるから左馬亮を斬り捨てたとは……考えられませんか」

「一本気な武士とは、大森彦七ですか」

「敵とはいえ、あの人物は楠木正成公に思い入れがあるようだ」

「左馬亮とて職方の矜持はあったでしょう。『物好き』の企みに手を貸すことを拒否したので、その『物好き』に殺された……というのはどうです?」

「その場合は、少弐、一色が下手人ということですか。彼らが裏でつながっているという秘密保持のためにも、左馬亮が邪魔になった……と」

「そのいずれかが正しい答なのでしょうが、でも、そんな物語が必要あります? 左馬亮は単に嫌な奴だったので、どこかの誰かに殺されただけかも」

「まあ、知らぬ者の悪口はいえないが……」

「そうですね。悪口は知っている者でなければ楽しくない」

「うちの親父殿の悪口でも並べますか」

 外で、実阿が声をあげている。

「おおい、飯の支度を始めるぞお」

 そんなことを叫んでいる。普段は安吉や弟子にかまわず勝手に食っているのだが、千早の存在を感知したらしい。

「とりあえず、飯を食いましょう」

 安吉は千早を母屋へと促した。命を狙われた直後で、千早は顔面蒼白ではあるが、安吉は気づかぬふりをした。

 

 

 千早という先手を得て、安吉は素延べを行った。千早は有能な先手だった。安吉が何を求めているか、的確に判断して大鎚をふるう。弟子を見れば師匠がわかる。正宗という刀鍛冶は見識ある名手だろう。

 素延べを終えれば先手は必要ないが、手伝いや雑用は他にいくらもある。千早はいちいち指示されずとも、よく働いた。

 千早と一緒に生活することにも慣れた数日後、大森彦七がのっそりと現れた。土間の入口に頭をぶつけそうな長身である。

「少弐頼尚殿に会って、釘を差しておいた。楠木の姫に手を出すな、と。もっとも、向こうは何のことかととぼけていたが」

 無邪気に自慢でもするようにいい、振り返った。庭先で風呂の薪割りをやっていた千早が、斧を片手に背後に迫っていた。

「おお。楠木の姫か。お近づきになれたが、私は明日、博多を去る」

「では、大森彦七殿。父の仇として、果たし合いを申し入れます」

「兄の三郎殿も一緒か」

「兄はすでに九州を離れ、畿内へ向かいました。今、私一人で父の仇を討ちます」

「左様か。承知した」

 彦七の声は冷たいほど平静だ。安吉には制止するすべがない。昼過ぎというのに暗い雲に覆われた鉛色の空を見上げ、

「仇討ちには悪い日和ですなあ」

 そんなことを口走る程度である。むろん、無視された。

 彦七はさっさと西の方向へ歩き始めている。

「日が暮れる前に終わらせよう。博多湾の浜の方なら邪魔も入るまい」

 千早はサギリ銘の星鉄刀を持ち出し、刀鍛冶の仕事着のまま、彦七のあとを追った。安吉も追わざるを得ない。
 薪割り場で手持ち無沙汰げに立っていた弟子の良吉が、

「お揃いでお出かけですかあ」

 のんきに声をかけてきたので、

「風呂を湧かしておけ」

 と、命じた。

 筥崎宮の雑木林を抜ける途中で、雨がぽつぽつと落ち始めた。頭上では雷鳴さえ聞こえる。

 浜には人の気配はなかった。彼方に陸揚げされた漁船のあたりで、小さな人影が見えるだけだ。蒙古襲来のあとも幕府が構築を続けた石築地が、今は見渡す限りの海岸線にむなしく続いている。

 雲は低く重く、空そのものが海へ落ちてしまいそうだった。波と風の音に彼らが砂を踏む足音が混じり、さらに雨音が加わった。

 彦七と千早が足を留め、刀を抜いた。

「鞘を預かります」

 と、安吉は二人から鞘を受け取った。鞘に雨水を入れると、あとの手入れが面倒だ。もっとも、死んでしまえば何の意味もないが。

 千早は一切の躊躇もなく距離をつめ、猛然と斬りかかった。火花が散った。彼女の武器はサギリ銘の星鉄刀、それを跳ね返す彦七の佩刀は千早が南木神社に奉納した自作である。皮肉な因縁だった。

 千早は驚くほどの手練れで、激しく剣先を繰り出し、彦七を後退させた。砂浜は互いに足場を悪くした。鐔迫り合いでもつれ、千早は転びそうになって、刀をザックリと砂に突いた。彦七の太刀が唸りをあげて彼女を襲い、千早は転がって避けた。刀は手から離れ、突き刺さったままだ。

 彦七は丸腰となった千早を追いつめることはせず、雨の中に仁王立ちしている。

「勝負はついた。まだやるか」

「むろん」

 千早は両手で盛大に砂をかき、彦七の顔面へ見舞った。

「何をするか」

 彦七が怯んだ隙に、千早は刀を取り返そうとしたが、彦七はそんな隙は見せない。彼女の前に立ちはだかり、彼も砂を蹴り上げた。千早は石まで投げた。もはや子供の喧嘩である。

 空が閃光をほとばしらせ、空気が震動し、轟音が耳を貫いた。蹴られたような衝撃を受け、安吉は尻餅をつき、千早と彦七は膝をついた。呆然と周囲を見回し、彼らの視線は砂上の刀で留まった。これに落雷したのである。

 サギリ銘の星鉄刀は柄が燻っており、刀身は曲がり、黒ずんでいた。千早が引き抜き、小さく悲鳴をあげて取り落とした。刃は割れており、この有様では焼きも戻ったかも知れない。

 彦七はすでに冷静さを取り戻している。

「あたら名刀を……惜しいことしたな。私は引き上げる」

 そういい、千早を挑発するように見やった。目元は明るい。

「なおも私をつけ狙うというなら、伊予まで追って来られるがよい」

 彦七は安吉が差し出した鞘を受け取ったが、水が入らぬよう鯉口を下に向け、濡れた刀は納めなかった。

 その後ろ姿を千早は追うこともできず、曲がった刀を拾い上げて、よろめいた。

「安吉師匠。サギリの星鉄刀は御臨終です。あなたに作ってもらった腰刀、星鉄の方をいただきます。それでよろしいですか」

「お好きなように」

 千早は長身だが、今は小さく見えた。 

「疲れた」

 命のやりとりをしたのだ。彦七は手加減したようだが、千早は全力で刀をふるった。精根尽き果て、砂の上にへたり込んだ。全身ずぶ濡れだ。安吉はそんな彼女を引きずり起こし、強い雨足の中を泳ぐように、帰路についた。

 

 

 それから半月ほどで、二尺未満の星鉄刀を打ち上げた。陰打ちの用意もしていたのだが、途中で傷が出たのでこれは捨て、仕上げたのは一本である。研いでいない打ち下ろし状態で千早に納める約束だから、最終的な出来不出来は確認できないが、ここまでの手応えは悪くなかった。刻んだ銘は「筑州住 左」である。

 刀を納めた日が千早との別れの日だった。千早は代金を置き、宣言した。

「伊予へ行きます」

「湯治ですか。……そんなわけないか」

「大森彦七を討ちます」

「兄上と力を合わせるべきですな」

「兄は京都の奪還しか頭にありません。足利直冬様をかつぎ、九州・中国地方の武将たちと呼応して、上洛する考えです。彦七は私がやります」

「彦七殿の佩刀はあなたの作ですぞ。南木神社の奉納品が気に入ったらしい」

「なかなか見る目のある奴……。しかし、親近の情など湧きません」

「刀鍛冶に専念した方がいいと思うが」

「鍛冶屋はやめません。左文字の名前も返上しません。後世には、左文字は正宗の弟子といわれ、あなたと私は左文字の初代と二代だといわれるでしょう。腕のいい方が初代です」

 千早はまとめてあった荷物から折り畳んだ布を取り出した。

「私の左袖です。受け取ってください」

「私も左文字の名乗りをやめませんよ」

 安吉も着ていた小袖の左袖を引きちぎり、千早に渡した。そして、屋敷の外の林道入口まで送り、別れた。

 夕刻、雑用で出かけていた実阿が戻り、千早が旅立ったことを知って、

「やっぱり風呂に屋根と壁がなかったのがいけなかったか……」

 ぼんやりと呟いた。

 

 

 翌年の正平九年/文和三年(一三五四)、楠木三郎(正儀)は足利直冬が反尊氏派の武将たちを率いて上洛した際に共闘し、京都を奪還するが、足利義詮の反撃を受けて撤退した。

 以後も京都奪還を試みて失敗、さらに南北朝の和睦を画策したために孤立し、北朝へ投降、南朝へ帰参など変転するが、元中六年/康応元年(一三八九)から元中八年頃に死亡したと伝わる。

 大森彦七はその武名よりも「太平記」の怪異話で有名となるが、没年は不詳である。ただ、その子孫は伊予国風早郡小川村の庄屋として、明治に至るまで続いたという。

「太平記」を素材として、大森彦七と千早姫の舞踊劇「大森彦七」が初演されたのは、はるか後年の明治三十年のことである。新歌舞伎十八番の一つであるが、批評家は彦七の「忠臣義烈」というセリフをもじり「忠臣愚劣」と酷評した。