星光を継ぐ者ども 第七回

星光を継ぐ者ども 第7回 森 雅裕

 慶長五年(一六〇〇)の夏。信濃守国広こと田中金太郎が堀川一条に居を定めて一年になる。若い頃から各地を流浪した彼も七十歳となり、仕事は門下生たちに代作させることが多い。多くの人材の中でも国広に劣らぬ実力者は甥の大隅掾正弘。国広とは親子以上に年齢が離れている。
 
その正弘が、

「師匠。ちょっと来ていただけるか」

 国広を自分の住家に呼んだのは六月初め。暑気に騒然とした剣呑さが混じり、徳川家康は会津の上杉討伐を諸大名に号令し、自らも大坂城から出陣する準備を進めている。そんな風雲急を告げる時節であった。

 国広の屋敷は広く、正弘は敷地内の別棟に妻と二人で住んでいる。座敷には三十代と見える男と五、六歳の女子が控えていた。

 正弘は明るい声で紹介した。

「しばらく俺のところに滞在してもらう」

 正弘も各地を点々として技を磨いた刀鍛冶である。そうした旅先で知り合った同業者だった。

「伊勢桑名の刀工で、村正四代目だ」

 そう聞いて、国広は好奇の光を目に点した。

「村正……? 徳川に祟る妖刀という噂の村正か」

 村正は頭を下げた。

「通称は寛助と申します。これは娘のあずさ」

 世評とは裏腹に物静かで好感の持てる男だ。娘も利発そうで、しつけのよさを感じさせる。 

「妖刀の噂のために桑名には居づらくなりました」

「それで京都へ流れてきたわけでもあるまい」

 村正は静かに国広を見つめ返した。

「国広師は星鉄刀というものを御存知ですか」

「ふむ。伝説の名刀だな」

 国広はシワに埋もれた目を細め、いった。

「遠く蒙古襲来の頃、博多で二振りの星鉄刀が作られた。のちの南北朝騒乱の折、一本は足利尊氏の手に渡り、一本は新田義貞が海に投じたが、失われずに正宗刀匠を経て左文字に譲られたと聞く。左文字に渡った星鉄刀は破損し、さらに今の世、尊氏の星鉄刀は織田右府(信長)の所有となったが、本能寺で焼失して、すでに二本ともこの世にない。そのように話は伝わっておるなあ。しかし、もう一本……」

「はい。南北朝の頃、左文字がもう一本を作っています。太刀よりだいぶ短い腰刀となっております。それが現存唯一の星鉄刀です」

「その話の流れだと、見せてもらえるのか」

「いえ。今は私の手元にありません」

「以前はあったのか」

「私の妻が伊予の旧家の出で、嫁入り道具として持ってきました。どうしてまた伊予にこのような名刀が伝わったのか、大森彦七に因縁があるという伝承ですが、はっきりしたことはわかりません」

 妻、と言葉に出した村正の表情に暗いものが走った。国広は見逃さない。

「その女房殿はどうした?」

 村正が硬直したので、正弘は空気を読み、妻を呼んで、あずさをこの場から連れ出させた。娘も母の命運は知っているようだが、あらためて聞かせたい話でもない。

 村正は息も忘れたかと思うほど感情を殺し、いった。

「妻は病に伏せっておりました。星鉄刀は守り刀として身近に置いていたのですが、その星鉄刀を譲れといってきた武将が多くおります」

「大名たちは内府(家康)にすり寄る者、反発する者の二派に分かれ、なにやら骨肉相食む様相だからな。天下をもたらす霊刀ならば、そりゃ欲しいだろう」

「特に執心だったのが本多弥八郎(正純)です。その使いで尾田黄一郎という家臣が押しかけてきました。大坂城の中納言様(秀頼)に上納するのだという建前で」

「本多は徳川の重臣ではないか。豊臣ではなく徳川のためだろう。そんなたわけ者に渡したりはするまいな」

「病身の妻の守り刀だからと断りました。一旦はそれで引き上げてくれたのですが……」

「あきらめてもらえなかったか」

「後日、私が娘と一緒に出かけていた隙に奪われました」

「なんと」

「出先から戻ると、妻は虫のように刺し殺されておりました。尾田の仕業です。その場から逃げのびた飯炊き婆さんがいうには、これでもう守り刀はいらなくなっただろう、と高笑いしていたとか」

「不愉快な話だ。で、仕返しでもするのか」

「娘がおりますから、短慮に走ることはできません」

「そうよなあ」

「石田治部少輔も星鉄刀を求めております。石田家の島左近という軍者は、私の妻の守り刀だと知ると、では新たに作ってくれぬかと依頼してきました。受けようと思います」

「ふははは。徳川に祟る妖刀の作者なら、さぞ御利益ありそうだ。石田というのは徳川と対立して、佐和山に蟄居させられている人物だな。どれほどの武将か知らぬが、大喧嘩になって、妖刀の霊験あらたかに徳川を打ち負かしてくれたら、おぬしの復讐も成就するわけだな」

「そんな他力本願は期待しておりませんが」

「いやいや。たかが刀工には武将は討てぬ。されど刀工。作刀で仕返しをする。それはそれで見上げた性根よな。左文字の星鉄刀に村正の星鉄刀が勝つということでもある。面白い」

「それもこれも、刀に霊力なるものが宿れば、の話です」

「うむ。宿らぬ場合、おぬしはどうする?」

「つまり、石田方が戦に負けたら、ということですか」

「そもそも、戦になるかどうかもわからぬ」

「…………」

 村正は言葉をのんだが、正弘には彼の覚悟がわかっていた。重くなった空気をかき回すように、にこやかにいった。

「その時は娘さんはうちで面倒を見る。本多でもその家臣の尾田でも、心置きなく襲うがいい。ははは」

「聞かなかったことにしておく」

 と、国広は表情を変えない。

「うちへ来た理由もわかった。星鉄が目当てだな」

 国広は諸国をさすらううちに様々な鉄を入手した。星鉄刀も秘蔵している。持っているぞと触れ回っているわけではないが、

「うちにあると俺が話した」

 そういう正弘には屈託がない。何か自慢でもしているようである。

「村正にはここで星鉄刀を作ってもらう」

 国広の屋敷内には鍛錬場が二棟建っており、それぞれに火床が二つずつ備わっている。

「この男の桑名の鍛錬場はもうない」

「廃業したのか。ふむ」

 国広は短く吐息をついた。

「村正殿。おぬし、目を傷めておるな」

「……気づいた者は誰もおりませんが」

 正弘も気づかなかった。村正のうつろな目つきは妻を殺されたためだと思っていた。

「この国広をなめてはいかん。その目で作刀はできるのか」

「おそらく最後の作刀になるかと」

「思いつめて作刀してもろくな結果にならぬぞ」

「俺も手伝う」

 と、正弘。

「よろしいな、師匠」

「好きにせよ。弟子たちには客人のことは他言無用と申し渡しておく。村正殿の名前は縁起が悪そうだからな」

 国広の言葉はきついが、声は柔らかい。

 村正は竹皮の包みを差し出した。

「土産を持参しました。私が作ったものです」

「正弘から、俺が甘いものが好きと聞いたか」

「はい。饅頭です。米粉に山芋を練り込み、蒸してあります」

 国広は即座に口へ運んだ。

「包んであるのは小豆か。砂糖は貴重だろう」

「伊勢神宮の参道にある菓子屋が懇意で、鍛冶をやめて、そこを手伝っておりました。砂糖はその店のものです」

「結構だ。京都でもこれほどの菓子はめったに出会えぬ。鍛冶屋をやめても生きていけるな」

「煮た野菜を包んだ点心なども作りますが、京都までの道中、日持ちが心配だったので、やめておきました」

「じゃあ、滞在中に作ってもらおう」

 国広は微笑んだが、拒否できぬ迫力があった。

「うまければ、京都の菓子屋を紹介して進ぜる。気が向いたら、そこで働くがよい」

 国広の言葉は冗談なのか本気なのか、つきあいの長い正弘にもわからない。
 
 

 

 翌日から、国広に使用を許された星鉄を用い、村正は作刀を始めた。そればかりでなく、国広一門の作刀をも手伝い、実力を見せつけた。

 刃味を左右する焼き戻しの技術は国広一門の誰よりも上手だった。地鉄の違いか、あるいは眼病のためか、失敗する作業もあったが、村正と正弘は互いに教え合い、学び合うことが多々あった。もっとも、廃業を決めた村正には今さら有益でもなかっただろうが。

 星鉄刀はほとんど二人の合作である。彼らは星鉄を扱うのは初めてだった。

 少量を切り取って、まず伸展性や焼入れの感度を実験し、

「星鉄は赤めて叩いても伸展せずにボロボロと崩れてしまうので、塊から削り出すしかないという鍛冶屋も多いが、大嘘だな」

 正弘は巷の刀鍛冶を嘲笑したが、村正は控え目だった。

「嘘とばかりはいえん。星鉄にも色々あるようだ。ここの星鉄は性がいい」

 そういって、星鉄の細片を上鍛えの和鋼に混ぜ込んだ。混入の割合については正弘と村正の意見が一致した。三分である。これ以上は地鉄が冴えぬという予感が働いた。長さは二尺に見たぬ脇差である。左文字の星鉄刀も腰刀であったし、武士が常に帯刀するのは脇差である。

 七月に入り、打ち上げられた星鉄刀は名門の本阿弥に研ぎを依頼した。普段からつきあいのある正弘が、御所の西北の堀川沿いに建つ本阿弥光悦の屋敷まで持参した。

 光悦は本阿弥の分家であるが、本家よりも声望が高かった。ただ、それは刀剣に関してではない。光悦という人物は、書、陶芸、茶の湯など諸芸に幅広く熱中し、本業であるはずの刀剣研磨には飽きている。正弘はそう感じている。あまり好きな類の職人ではない。もっとも、本人は職人ではなく芸術家志向であるわけだが。

 しかし、どうせ研ぎは大勢いる弟子や一族の誰かが代行するのである。光悦の弟子の中に正弘が気に入った者がいるので、その職人を指名した。

 光悦は刀身を見やり、唸った。鍛冶押しを終えただけの段階でも、肌は見える。

「おやおや。ううん。変わった地鉄やなあ。星鉄を混ぜると光の筋がこんなふうに流れると聞いとるが」

「御慧眼の通り。星鉄です」

 この時点では無銘である。村正のことは光悦に知らせなかった。その名前はいらぬ波風を立てる。銘は研磨後に刀の出来具合を確認してから入れることも多いので、光悦は不審には思わなかったようだ。

「注文打ちかいな」

「はあ。まあ……」

「大きな戦がありそうな気配やが、お宅の国広師はどちらに与しとるんかいな」

「どちら?」

「軍陣には刀鍛冶や研師も付き従うもんや。金道師匠は弟子を徳川様に従わせとる。刀槍の修理係としてな」

「金道師は如才ないですからな。しかし、どちらに与するも何も、大名たちはいずれも豊臣家の臣下でしょう」

「何をゆうとりやすか。朝鮮出兵以来、現地の武将と大坂城の奉行衆との間に軋轢が生じ、太閤の没後はこじれにこじれて、徳川と石田の二派が対立しとる。徳川が会津へ向かった今、石田は大坂で画策しとるわ。石田治部少輔では貫禄がないゆえ、毛利中納言(輝元)あたりを御輿にかつぐことになるやろが、すでに近江愛知川に関所を作って、西国大名が徳川様と合流するのを妨げとるという話や。会津征討軍はすぐ取って返すやろ。これからは東軍と西軍やぞ」

「おくわしいですなあ」

 本阿弥光悦は各大名家に出入りする名士であるから、見聞することも多い。しかし、国広も正弘も山伏修業など流浪し、有為転変が身に染みている。国広が仕えた日向の伊東家も支援者であった下野の長尾家も没落した。今さら有力大名に取り入ろうとは思わなかった。

 

 

 七月も半ばを過ぎ、その日の仕事を終えて、正弘が台所を覗くと、妻の佳世が湯漬けの用意をしていた。この時代は朝と昼夕兼用の一日二食の習慣であるが、夏は陽が長いので、仕事も長くなるし、国広一門では一食追加していた。

 国広や弟子たちはそれぞれ食卓は別で、正弘は妻や村正親子と一緒の食卓である。といっても、台所の隅で簡単にすませてしまう。

 飯に漬け物をのせ、だし汁をかける。

「こんな湯漬けだが、織田右府が好んだそうだ」

 と、正弘。

 おいしい、と喜ぶあずさを村正は見守り、いった。

「織田なら、さぞかし注文がうるさいことだろうな。熱すぎてもぬるくても、ぶちまけそうだ」

「そういえば、織田が所持していたという噂の星鉄刀、本能寺で焼けたとも安土城と運命をともにしたともいわれているが、そんなものに霊力があるなら、織田が横死することもなかったろう。そうは思わぬか」

「刀の方が持ち主を選ぶこともある」

「何をいいたいのだ?」

「選ばれるより選ぶ。俺はそのような刀を作りたかった、ということだ」

 過去形である。この男の心はすでに刀作りにはない。

「あずさ」

 と、正弘は傍らの幼女に声をかけた。

「親父殿がもう刀を作らんというなら、お前が嫁入りの時には、守り刀を俺が作ってやろうか」

「自分で作る」

 と、あずさは湯漬けに箸を使いながら、いった。村正は渋い表情だが、正弘は微笑んだ。

「ほお。将来は刀鍛冶か」

「それはいい考えですね」

 給仕をしていた佳世がいった。

「女が手に職をつけるのは大変結構。亭主を持って、それで人生アガリではつまりませんからね」

「あれ。なんだか意味ありげな物言いだな」

 正弘は眉をゆるめて妻を見やった。

「出入りの商人から聞きましたが」

 と前置きして、佳世はいった。

「昨夜、大坂城内で火事があったそうです。玉造の細川屋敷が焼けたとか」

 昨夜とは、七月十七日である。

「細川越中(忠興)殿の屋敷か。あそこには名刀が多く所蔵されているらしいな。火事の跡地に名刀だけが無傷で残っていたという怪異話もよく聞くが、そんな与太話でも……」

 いいかけて、正弘は箸を止めた。

「石田治部少輔が挙兵したのか」

「商人は世の趨勢には聡いもの。いろいろ教えてくれます。石田様は大坂に残る諸大名の妻子を人質とするべく兵を動かしたとか……」

「火を放ったということは、越中殿の奥方は人質となることを拒んだか。武家の妻女も命がけよなあ。なるほど、運命は亭主次第というのはつまらんな」

 細川忠興の妻は美貌を謳われた細川ガラシャである。一介の鍛冶屋には知る由もない名前だった。そんなことより、目の前の仕事の方が優先だ。

「……で、星鉄刀が研ぎ上がったら、拵はどうする?」

 正弘の問いに、村正は無表情に答えた。

「出来合いでよかろう。新規に誂えている猶予はなさそうだ」

 この刀鍛冶はもう燃え尽きたのか。どこか他人事のようだ。

 拵は刀に合わせて作るものだが、時間と予算がない場合には既成品で間に合わせる。刀は長さ、身幅、重ね、反り、それに姿も一本一本違うとはいっても、およその形状は決まっているから、あらかじめ量産された数種類の拵の中から適当なものを刀身に合わせて調整するのである。今回、予算はともかく、時間が切迫している。戦いが始まれば、注文主の島左近がどうなるか、まったく予断を許さない。

 どんな拵を選ぶか、

「お前にまかせる」

 と村正はいった。

「俺はもう刀職者の間を歩き回りたくないからな」

「そういわれてもなあ。思い描いた拵と違う、とガッカリされても困るのでな。あずさに見てもらおうか。拵師のところへ連れていく」

「子供だぞ」

「ただの子供じゃない。刀が好きなんだろ」

 正弘はあずさに訊いた。五歳の少女はしっかりと頷いた。あずさは言葉は少ないが、目が明るく性根の強そうな輝きを放っている。

「村正の五代目は女刀工か。面白いじゃないか。親父の四代目が廃業したなら、わが国広門下で鍛えてやる」

 正弘の言葉は本気だった。