星光を継ぐ者ども 第四回

星光を継ぐ者ども 第4回 森 雅裕

 弘安合戦から七十二年後、西暦一三五三年は南朝の正平八年、北朝の文和二年である。得度して西蓮と称した国吉はむろん没しており、子の実阿、孫の安吉の代となっていた。

 博多の筥崎に彼らの鍛錬場があった。実阿はほとんど隠居状態で、ここの主は三十代の安吉である。秋も終わろうという頃、安吉を訪ねてきた男女があった。

 兄妹である。武家だが、徒者ならぬ気配を発している。兄は安吉と同じくらい、妹は二十代だろうが、女の年齢を見抜くのは安吉には苦手だ。

 同道した紹介者があった。九州探題の役人で、安吉とも親しい赤岩大蔵である。彼が、

「楠木兵衛尉(正成)殿のお血筋だ」

 と、二人を紹介した。

「息子と娘です。それがしは三郎」

 男が名乗った。楠木正成の三男である。諱は正儀。父の正成は延元元年/建武三年(一三三六)に湊川で戦死、長男正行と次男正時は正平三年/貞和四年(一三四八)に四条畷で戦死しており、正儀が楠木家の当主となっている。一見、頼りなさげだが、戦場ではこういう男が勇敢であったり、豪傑風を吹かせている男がだらしなかったりするから、見かけはアテにならない。

「これは妹の千早」

 そう紹介された妹は美女である。目には聡明な光が宿っている。これまた見かけはアテにならぬクチだろうか。

 紹介者の赤岩は、

「俺は仕事があるので失礼する。出歩いていると、戻る場所がなくなりそうなのでな」

 さっさと引き上げてしまった。九州は南北朝の勢力分布が混乱しており、統治機関である九州探題もどちらに属するか、変転を繰り返している。中国地方の守護たちの使者も頻繁に往来し、博多には不穏な空気が漂っていた。

 楠木正儀がにこやかに、いった。

「安吉殿は博多で随一の刀工と聞き、訪ねてまいった」

「九州で随一です。いや、西日本で随一かな」

「おや。日本一と自称するのは遠慮されますか」

「日本一となれば、もはや目指すものがなくなります」

「なるほど」

 正儀は頷いたが、傍らの千早は下を向いた。笑っている。正儀はそれにかまわず、用件を切り出した。

「安吉殿は、祖父殿の作だという星鉄刀を御存知か」

「祖父? 国吉のことですか」

 蒙古襲来の頃、博多談議所の国吉とサギリという二人の刀鍛冶が、星鉄を使って二本の太刀を打ち上げた。ともにしばらく行方不明だったが、突然、南北朝騒乱の舞台に登場する。

 元弘三年/正慶二年(一三三三)五月、鎌倉へと進撃する新田小太郎(義貞)は、幕府軍が守りを固める極楽寺坂切通しで苦戦していた。しかし、稲村ヶ崎の海へ太刀を投じて龍神に祈ると潮が引き、鎌倉突入を可能にしたという。

「それが星鉄刀だったと話に聞いています」

 と、正儀は語った。

「それには談議所サギリと銘があったそうです。しかし、星鉄刀は海の藻屑とは消えず、どういう経緯をたどったのか、鎌倉在住の刀鍛冶五郎入道正宗の所有するところとなった。その正宗には優秀な弟子が何人もいたが、特に可愛がっていた一人が故郷へ帰る折、別れ際に左袖を引きちぎって渡し、さらに星鉄刀をも守り刀として持たせたという。以来、その弟子は『左』と銘を切るそうな」

 安吉も「左」とのみ銘を切る。通称が左衛門三郎だからである。刀鍛冶としての通り名は「左文字」だ。

「正宗という刀鍛冶の名前は聞いたことがあります。しかし、私はその弟子ではない」

「では、星鉄刀も?」

「私の手元にはない。それが目当てですか」

「ぜひ、お譲りいただきたいと思い、はるばるやってきたのです」

「それは申し訳ない。しかし、何故、星鉄刀を求められる?」

「その神力、霊力に惹かれております」

「うわあ……」

 安吉は思わず苦笑した。

「神力を持つとお考えか」

「星鉄刀は二本。もう一本の国吉銘の星鉄刀について、御存知でしょうかな」

「う……む」

 安吉は唸った。彼が子供の頃には「談議所国吉」と銘を入れた星鉄刀が自宅にあった。蒙古襲来で戦火にまぎれたのち、いかなる流転を経たものか、古道具屋で見つかり、子孫である実阿、安吉のもとへ持ち込まれた。

 しかし、延元元年/建武三年(一三三六)年、

「都落ちして博多に逃げてきた武士が、言い値で買い取っていきました」

 家族に病人が出て、経済的に苦しい時だった。十七年前だ。安吉が父親に師事し、刀鍛冶の修業を始めた頃である。

「その武士が何者か、おわかりですな」

「足利又太郎と名乗っていました」

「又太郎は通称です」

「諱は……尊氏」

「左様。星鉄刀を手に入れた武士こそは足利尊氏」

 建武三年二月、摂津豊島河原の戦いで新田義貞に大敗を喫した足利尊氏は摂津兵庫から播磨室津に退き、京都制圧を断念して九州へ下った。筑前に至ると、宗像大社の大宮司である宗像氏範の支援を受けた。その折、安吉の師父・実阿を博多に訪ね、星鉄刀を入手したのである。

 南朝方が延元元年と改元したこの年の三月、筑前多々良浜の戦いで菊池武敏らを破り、天皇方勢力を圧倒して勢力を挽回した尊氏は、京に向かう途中の鞆で光厳上皇の院宣を獲得し、西国の武士を傘下に従えて東上。五月の湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を破り、六月には京都を制圧した。これが延元の乱である。

 ちなみに内戦を「役」と呼ぶのは天皇の命令という大義名分を持つ戦いであり、「乱」は逆賊による反乱を指す。つまり「延元の乱」とは南朝側の見解であり、結局はいつの時代も「勝てば官軍」なのであるが。

 正儀は悠然と胸を張り、いった。

「尊氏の復活こそ星鉄刀の神力。そういう声があがるのも、むべなるかな」

 一方、この正儀は正平一統後の正平七年/文和元年(一三五二)に北畠顕能、千種顕経らとともに足利義詮を駆逐して京都を南朝方に奪還したものの、反撃に転じた義詮に男山八幡で敗れ、わずか一月あまりで京都を追われている。

 その後も畿内において、南朝方随一の勢力を維持してはいるが、尊氏の前例にあやかり、正儀もまた星鉄刀の神力によって捲土重来を期そうというのである。

「尊氏めは征夷大将軍に任じられ、執事の高師直も副将軍の足利直義も抹殺し、権力を掌中にしている。彼奴の星鉄刀には星鉄刀をもって対抗するべし」

「はあ。星鉄刀を求めておられる理由はわかったが、刀なんぞにそんな御利益がありますかなあ」

 安吉が首をひねると、

「安吉殿は商売が下手ですね」

 千早がいった。柔らかで、心地よく響く声だ。

「新田義貞はサギリ銘、足利尊氏は国吉銘の星鉄刀で武名をあげた。刀には人智を超えた魂が宿る。所有する者はそう思いたいのです。なら、応えてやるのが刀鍛冶というものでは?」

「私は命のやりとりをする武器を作っている。霊験あらたか、などと売り込んで、戦に負けたら私は嘘つきになる」

 それを聞いて、正儀が膝を叩いた。

「なるほど。作刀そのもので評価されるべし、ということか。正宗という刀鍛冶も同様の心根を持つと聞き及びます。他に紛れずという自負から、銘を入れぬとか」

「そうです。その心根……」

 安吉はいいかけ、やめた。

「……ちょっと違うような気もするが」

「いやいや。感服いたした。もう一人の左文字もそのような気概を持つかどうか、会ってみることにします」

「もう一人の左文字?」

「安吉殿の他にも……筑前には『左』と銘を切る刀鍛冶がおりますな」

「太宰府のあたりにそんな者がいるという噂は聞いています。ごく最近、一色氏の庇護を受けて住み始めたようですが、筑前の出身というわけではないらしい」

 建武三年、多々良浜の戦いにおいて南朝方を下した足利尊氏は、九州の守りとして、一色範氏を他の足利一門とともに残している。

 安吉は唸った。

「ううむ。私はその左文字に会ったことはないし、師匠が誰なのかも知りませんが……。何故に『左』と銘を切るのか、疑問には思っていました。正宗の左袖がその由来ですかな」

 自分の作と世間に混同されることがあるので、迷惑には感じていた。しかし、著作権や商標の価値観などない時代である。偽作にも罪悪感は乏しい。

「太宰府の左文字は名を左馬亮とかいうらしい。父祖は馬寮の官人だったかも知れぬ。意図して安吉殿の偽物を作っているわけでもなかろうが……」

 正儀がそういったのに続いて、千早が、

「あちらはあちらで、安吉殿の方が偽者だといっているかも」

 真顔で、本気とも冗談ともつかない言葉を投げた。安吉は顔色も変えない。

「別にかまいません。偽者の方が腕がいいということもある」

「なるほど。失礼しました。むしろ私どもの方こそ、どこの馬の骨やら、胡散臭いですね」

「お二人を疑う気はありません。鉄も人も、見れば素姓はわかります」

 安吉と千早の間には見えない火花が散ったが、正儀は気づいているのかいないのか、能天気に微笑み、いった。

「そういわれると、私どもも安吉殿を疑うわけにはいきませんな」

「三郎(正儀)殿も正直というか、こだわりがないというか、権謀術数に長けていないというか、胸の内を隠せぬお人のようですな」

 と、安吉。これでも褒めている。

「かつて星鉄刀の一本を楠木様と敵対する足利尊氏に売り渡した、そんな鍛冶屋なんぞ信用してもよろしいのか」

「実阿、安吉のお二人が南北朝のいずれにも与せぬ刀鍛冶であることはすでに承知しております」

 訪問前に調べていたようだ。紹介者の赤岩大蔵にも聞いているだろう。

「しかし、太宰府の左文字については、一色範氏の庇護を受けているとすれば、北朝寄りの刀鍛冶なのかも知れませぬなア」

 正儀は屈託もなく、いった。敵かも知れぬ刀鍛冶を訪ねるつもりらしい。もっとも、各地の守護たちも昨日の敵は今日の友という時勢であるが。

「赤岩殿の紹介状もある。まあ、問答無用で殺されることもあるまい」

 正儀は軽薄なまでに陽気だ。行く先に何が待ち受けていようと、それはこの武将の宿命だ。乱世に生きる者は開き直っている。

 千早も何やら浮世離れしているが、兄とはまた別の方向を見ているような印象を受ける。

「では、安吉殿」

 と、彼女はまっすぐ安吉を見つめた。

「新田義貞佩用の星鉄刀が手に入らぬ場合、新たな星鉄刀の制作をあなたに依頼することはできますか」

「さて。国吉とサギリが使い残した星鉄はどこかに転がっていると思いますが……当家も移転などしておりますし、親父などは散らかし放題の性格ゆえ、見つけるのに一日かかるかも。ははは」

「では、一両日中にまた参ります」

 楠木正成の遺児たちはそういい残し、去った。

 見送ったその足で、安吉は父の実阿が居住するボロ屋敷へ向かった。実阿は息子とは別棟に住んでいる。体力を要する刀作りよりも刀子や小刀などの小物を気ままに手がけ、それらに凝った刀装をつけて悦に入っている。

「親父殿。星鉄はどこにある?」

「セイテツって、何だ?」

「空から落ちてきた鉄だよ。蒙古襲来の頃、御先祖が刀を作ったという……」

「ああ。庭だ」

「庭石にでも据えたのか」

「そんなに大きいもんかよ。庭の祠に納めてある」

 庭に金屋子神を祀った小さな祠がある。

「御神体がなくては格好がつかんからな。あれで間に合わせておいた。星鉄で作刀するのか。冴えない刀しかできやせんぞ」

「有り難がる人たちもいる」

「そういや、昔、足利なんとかいう男に売ったな。ほれ、国吉銘の星鉄刀だ」

「その御利益で足利尊氏は京の都を制圧して、天皇を吉野へ追い落とした。それより昔、新田義貞はサギリ銘の星鉄刀の御利益で、稲村ヶ崎の海を渡り、鎌倉の幕府を滅亡させたそうな。だが、刀を海に投じて失ったためか、尊氏と対立し、ついには越前藤島で討ち死にしている」

「サギリ銘の星鉄刀? 長く行方知れずだったが、そんなことになっていたのか」

「流れ流れて、今は太宰府の左文字が持っているかも知れぬそうだ」

「太宰府の左文字とはお前の偽者か」

「向こうは俺の方を偽者といっているかも知れない。楠木正成の子女がそいつを訪ねていくらしい。三男と娘だ」

「ほお。楠木様の娘は美人か」

「そうだな」

「太宰府の梅がこないだ倒れたらしい」

「え?」

「菅公(菅原道真)ゆかりの古木だ。小刀の柄や鞘に使える。梅の木は匂いもいい。お前、もらって来い」

「俺は彼らと一緒に太宰府なんぞへ行きはしない」

「何だ。美女を案内してやるくらいの気を利かせろ。俺の遺言だ」

「死ぬ気配なんかないじゃないか」

 祠の奧を探り、取り出した木箱に星鉄は納まっていた。表面は酸化鉄で真っ黒だが、内部まで朽ち込んではいないようだ。広げた掌にのるほどの大きさだが、これだけで作刀するのではなく、和鉄に混入するのだから、量的には充分だ。

 

 

 翌日、千早が一人で訪ねてきた。壺装束に指貫という外出着である。比較的身分の高い女の身なりだが、指貫は裾を紐でくくる袴で、機能的だ。

「いかがですか。星鉄刀、引き受けていただけますか」

「やりましょう。ただ、太宰府の左文字から入手できれば、私が作る必要はありませんな」

「その場合は、安吉殿には星鉄ではなく、和鉄でお作り願います」

「星鉄の御利益がお望みだったのでは?」

「私は安吉殿の本来の地鉄に面白味を覚えます」

 安吉の実力に興味があるというのか。この姫君は地鉄の良し悪しが判別できるのか。

「これより、太宰府へ向かいます」

「三郎(正儀)殿は?」

「足利直冬様、少弐頼尚様と同盟の相談に忙しく、太宰府へは私一人で参ります」

 足利直冬は尊氏の側室腹だが、父とは対立し、九州北部の守護である少弐頼尚の娘を娶り、上洛の機会を狙って雌伏している。楠木正儀にしてみれば、こうした武将たちとの会談こそが九州を訪れた目的だろう。星鉄刀などは、ついでにすぎない。しかし、千早はそんな兄の気まぐれに振り回されるだけの娘とも見えない。

「太宰府へ……女一人で歩いていかれるのか」

「はい。供など引き連れて歩くのは面倒ですから」

「馬は乗れますか」

「はい」

「私の友人から馬を借りましょう。それなら日帰りできる。安楽寺天満宮(太宰府天満宮)の神官に知人がいるから、案内も頼めます」

「え。安吉殿も同行してくださるのですか」

「太宰府の周辺では、北朝方と南朝方が腹の探り合いをしておりますぞ。楠木様の姫が一人歩きするような土地ではない」

 

 

 天満宮までの道のり、二人はそれぞれ馬を操っていたためもあり、ほとんど口をきかなかった。

 知人の神官は境内を掃除していたが、木の枝を拾い、地面に簡単な地図を描いた。

「刀鍛冶なら、遠くもない高雄山の麓にいるようだ。この天満宮に太刀奉納もしている。お前より世渡り上手だ」

 天満宮から南へしばらく歩くと、洞穴に祠を祀った小さな神社があり、そこから脇道に入った先が、目指す刀鍛冶の住処だった。周囲に他の人家はなく、鍛錬場は屋根に煙突が突き出ているので、すぐわかる。

「世渡り上手な刀鍛冶は仕事をせずとも人の出入りはあるようだ」

 鍛錬場には仕事をしている様子はないが、住居らしき家屋には人の姿があった。武士もいる。安吉と千早に怪訝そうな視線を投げ、誰何した。

「どなたかな」

「刀鍛冶の安吉という者ですが、左馬亮殿を訪ねてまいりました」

「同業者か。死んだ」

「え?」

「左馬亮は死んだ。これより裏山へ運んで埋める」

 庭先の荷車に菰がかけられている。武士はそれを指し、

「死骸だ」

 と、面倒そうに嘆息した。

 庶民に墓などない時代だ。死を悼んでも、弔うという感覚は薄く、死体は山に埋めるか川に流す。簡単なものである。

「何かの病でしたか」

「ふん。見るがいい」

 菰をめくると、着物などは貴重だから、死体は裸である。鍛冶屋らしく腕に火傷の跡がいくつもある。袈裟がけに深い斬り口が開いていた。斬殺である。