骨喰丸が笑う日 第四回

骨喰丸が笑う日 第4回 森 雅裕

 翌朝、陽が昇るのを待ちかね、鴨居海岸へ出た。

「凄いもんだなあ」

 宗次が感嘆の声をあげたのは、現在の湾内の様子である。巨大な蒸気船が二隻、煙突から煙をあげている。それに二隻の帆船が付き従っていた。蒸気船は外輪と帆走の併用なので、船上には長大なマストも屹立している。

 寅次郎が野次馬をかきわけながら、忌々しそうに、いった。

「あの墨夷舶(アメリカ艦)が何十門と積んだ大筒……大砲はこの陸へ届きますが、わが砲台の大筒は届かぬそうです。内海(江戸湾)へ入ってぶっ放されたら、お手上げですな」

 一隻はその江戸湾へ向けて動いていた。幕府が抗議しても、かまわず湾内の測量を続けているのである。

「日本もあのような軍艦を持たねば、列強に蹂躙された清国の二の舞ですね」

 寅次郎は思いつめた表情だが、宗次と信秀はのんきなものだ。

「南蛮鉄というものが払底して久しい。黒船が持ってきてくれたら、助広みたいな濤乱刃が焼けるかも知れんな」

「お。宗次さんは、助広は南蛮鉄を使っていたとお考えか」

「うむ。江戸と大坂では違う南蛮鉄が出回っていたようだが……」

 そんな話をしている。 

 こんな場所にも目端のきく奴はいるものだ。見物客を目当てに食い物の屋台まで出ている盛況ぶりで、「こっちに湾内を一望できるいい場所あるよ。お一人十文を頂戴します」と客引きも跋扈していた。

「小舟で黒船まで運んでくれる者はないか。乗船してみたい」

 寅次郎が地元の漁師らしい男をつかまえて尋ねると、

「とんでもねぇ。近づいて鉄砲撃たれた者もおりましてな。まあ、脅しでしょうが、そもそも、お上の番船が遠巻きにして目を光らせておりますから、まず無理でございますなあ」

 両手を振って拒否された。

 宗次は寝不足で頭が重かったが、この寅次郎には少々不気味なものを感じた。

「あれは軍艦だぞ。乗せてくれといって、乗れるものじゃない。物好きも度を過ぎると、主家に迷惑がかかりますぞ」

「私の士籍はどうせ削除されてますがね。勝手に諸国遊歴なんかしてるから」

「まさか次は外国遊歴というんじゃあるまいな。首が飛ぶぞ」

 この吉田寅次郎という男も清麿の仲間の例に漏れず、破天荒というか型破りというか、普通ではない人間だった。

 栗浜(久里浜)へと歩くと、警備の軍勢は人数だけは多いのだが、統制などとれておらず、野次馬とたいして変わらない。武士よりも会見場の準備に駆け回っている雑兵や人足の方が勤勉で有能そうだ。

 ペリーは大統領の名代としての格式にこだわっており、粗末な会見場では満足しない。日本側の体面もある。栗浜の浜辺に組立式の建物が急造されていた。浦賀は民家も多いが、栗浜は寒村である。双方の代表者は天幕の下で会見するようだが、兵員や軍楽隊は屋外に並ぶのだろう。壮観な光景となることが予想された。

 そうした日米会見の様子を見たいという寅次郎を浦賀に残し、宗次と信秀は帰路についた。

 途中、信秀は珍しくしみじみと語った。

「私はね、武具としての刀には見切りをつけています。鉄砲や大砲にかなうわけはないんだ。あの吉田寅次郎も佐久間象山もそれを承知で、魂のありかとしての刀に価値を見出してる。だからね、外国への贈答用として、重宝されるような刀を作るのが利口だと思いますね」

「まあ、それも刀鍛冶の生き方だろうな」

 しかし、師匠の清麿とは方向が異なる。あの男は土産として割り切ることなどできないだろう。

 六月七日に浦賀奉行所の与力たちは旗艦サスケハナ号を見学し、その折、アメリカ側も彼らの佩刀を検分している。侍の刀が権威の象徴であることは理解し、

「実用よりも見せびらかすのに向いているようだ。刃は良質な鋼鉄で、よく鍛えられ、研ぎ澄まされていたが、その形状といい柄といい、使いにくそうな造りだった。外装は純金で、鮫皮の鞘は実に見事な細工だった」

 と『日本遠征記』に記録している。日本を威圧したペリー艦隊は六月十二日、江戸湾を離れ、琉球で待機していた輸送船と合流して香港へ向かった。将軍家慶が没するのは、ペリーが去った十日後である。

 

 嘉永七年一月。日本側から国書の回答は一年待てと通告されたにもかかわらず、ペリー艦隊が再び江戸湾へ現れた。家慶の死を知り、この隙をついて開国を迫る目論見であった。ペリーにしてみれば、アヘン戦争以来、西洋列強は競って東洋進出しており、ロシア、フランスに出し抜かれることを危惧したのである。

 前回は大統領親書を幕府に押しつけただけだが、今回は電信機や蒸気機関車模型などを献上して欧米の文明を見せつけ、和親条約の締結を迫った。そんな騒然とした時期である。

「どうも清麿さんの様子がおかしい」

 と、宗一郎がいい出した。彼は清麿の弟子や職人仲間など周辺の人々と親しい。

「注文はあるのに刀を作らねぇから借金が増える一方だし、隣近所とはつまらねぇことで喧嘩が絶えないらしい」

「あいつは前々からおかしい」

 宗次はそういったものの、異変は感じている。清麿の腕が明らかに衰えているのである。清麿はこの年、四十二歳になる。厄年とはいえ、刀鍛冶なら心技体とも頂点にあるはずの年齢だが、職人の世界は結局、地道に努力を続けた者が生き残る。破滅型の天才は燃え尽きるのが早い。

「子供が生まれて、尊王やら攘夷やらにはさほど関心がなくなったようだが、酒と遊興は相変わらずだからなあ」

 昨年、黒船来航の頃に生まれたのは男子である。四十過ぎてからの子だから、清麿は可愛がっている。名は時太郎。葛飾北斎の幼名と同じだ。

「最近じゃあアサヒも清麿さんに酒を売るのを渋っているらしいです」

「ふうん。鮨でも手土産に様子を見てくるか」

 

 清麿宅を訪ねると、井戸端では弟子が赤ん坊の汚れ物を洗っていた。女房のキラは縁側で貸本屋と話し込んでおり、この女には所帯じみたところがない。宗次は土産を差し出した。

「時太郎に。うちの女房がサラシでおしめを作った。弟子が少し楽できるといいが」

 言葉に皮肉をこめたが、キラは気づかず、にこやかである。愛想はいい女だ。

「まあまあ。すみませんねぇ」

「それから白魚の鮨を買ってきた」

「アラ。こんなものいただくと、うちの旦那様の酒量がまた上がりますねぇ」

「旦那には見せず、お前さんが食えばいい。あいつは鍛錬所か」

「寝食も忘れて、悪戦苦闘してますのさ」

 気味悪そうに、キラは肩をすぼめた。

「このところ、弟子たちも何かと用事を見つけては、うちの旦那から離れちまう有様でね」

 なるほど、洗い物をしている者以外の弟子たちは使いにでも出ているのか、姿は見えなかった。

 鍛錬所を覗くと、火床では清麿が一人で作業している。源頼光に追いつめられた酒呑童子のような形相で、素延べした鉄棒を「すくめて」いた。フクレが出た部分を削り取ると薄くなるから、そこだけ赤め、金敷に立てて尻の方から叩き、また厚くするのである。その分、短くなるが。

 宗次の視線に気づくと、清麿は自嘲を唇の端に浮かべた。

「俺らしくないと思ってるだろう」

 フクレを出すなんて、というのである。腕がよくてもこうしたキズが出ることはあるものだが。

「以前の見る影もねぇや」

「自分でわかっているなら、何とかしろよ」

「肩や腰が思うように動かねぇんだ」

「俺もさ。お前より十歳も年長の年寄りだぞ。だが、お前はこの先、子供に親父の格好のよさを見せなきゃなるまい」

「俺の息子に生まれたのが不幸だな」

「親父の名人芸を仕込んでやれよ」

「俺の息子じゃあ、刀鍛冶になっても嫌がらせをされるだけさ。弟子たちだって、妨害されてる。悪評を流されて大名のお抱えになる話をぶちこわされたり……」

 すでに独立している清麿の弟子の中には、刀鍛冶らしからぬ「商売」に精を出し、業界でヒンシュクを買っている者がいるのは事実である。一人の不品行で、他の弟子も同類に見られてしまうのが世間の評価というものだ。

「それだけじゃねぇ。神社に泊まり込んで奉納刀を作れば、沸かしの大事なところで横から話しかけられたり、研師や鞘師はわざと仕事を遅れさせやがる」

 この男の被害妄想は息子を得て、さらにひどくなったようだ。守るべきものに対する責任と不安が大きいのだろう。

「それが何だ。嫌がらせをされるほどの刀鍛冶になってくれりゃあ、たいしたもんさ」

 宗次はいったが、清麿は道具を置き、嘆息とともに肩を落とした。

「だがな、俺にはもう息子に継がせるような技はねぇよ」

「人間、浮き沈みもあれば、目の前に広がる景色は山あり谷あり。今は調子が悪いだけだろう」

「ここぞという時に名刀を作れなきゃ名人とはいえないぜ」

「ここぞという時?」

「吉田寅次郎を覚えてるかい」

「むろん」

「あいつがまだガキだった頃から、俺は刀を作ってやると約束していた。凡刀しか持っていやがらねぇからな。寅次郎がただの攘夷論者ではなく、海の向こうに思いを馳せる若者に成長したと知って、俺はいよいよ作ってやることにした」

「そういや、寅さん、次にアメリカが来た時には切れ味を見せてやりたいとかいっていたな」

「魂のよりどころとしての刀だ。しかし、いまだにできねぇ」

「半年や一年待たせるくらいは普通だろう」

「悠長なことはいっておられんのだ」

「どういう理由だよ、そりゃあ」

「去年、浦賀で黒船を見た寅次郎は、幕府の弱腰外交やアメリカの横暴に憤りながらも、海外事情や西洋兵学に目を向けねば、わが国は危ういと実感したようだ」

 以来、寅次郎は長州藩の上層部に対し、西洋式兵制の採用、オランダからの軍艦購入、日本製軍艦の建造などを声高に訴えている。

「へええ。士籍を削られたといっていたが、家中でも一目置かれているわけか」

「殿様の覚えがめでたいから、いずれ士籍に戻るさ。今は諸国遊学を許されている結構な身分だ。それをいいことに、秋の終わりには長崎へ向かった。ロシア船に乗り込もうとしたんだが、一足違いで逃してしまった」

「おいおい。穏やかじゃねぇな」

「寅次郎は去年の暮れから江戸にいる。京橋桶町の蒼龍軒塾というところの居候だ。そして、またアメリカ艦隊が内海(江戸湾)に現れた」

「おい。まさか、あいつ、今度こそアメリカの黒船に乗ろうというんじゃあるまいな」

「かねてから、渡海の志を周囲に広言している奴だ」

「軽率な奴だなあ。真っ直ぐな奴ともいえるが……」

「俺としては、今こそあいつに名刀を作ってやる時だと考えてる。わかるだろ」

「そりゃわかるが、お前がムキにならずとも、刀鍛冶なら弟子が代作するのも珍しくないだろ」

「うちの弟子どもの腕は人並み以上ではあるが、寅次郎の魂を鍛えるにはまだまだ程遠いよ」

 鍛錬所に隣接して、仕上げ場が建っている。樋を掻いたり、鍛冶押しをする部屋である。清麿は宗次をそちらへ招き、棚から小さな拵を取り出した。

「見て、笑ってくれ。こんな玩具しか作れねぇのさ、今の俺は」

 刃長一寸半ほどの可愛らしい剣である。短いが身幅は広く、小さな虎の図柄が彫ってある。

「寅次郎の干支だ。お守りとして作ってやった」

「彫りは? 信秀か」

「アサヒだ。家紋や三鈷剣のような形の決まった彫刻は不得手だが、こうした絵的なものはうまい」

「このお守りと刀を一緒に渡してやりたいというわけか」

 宗次は清麿を外へ促した。

「ちょっと出よう。どうせここに終日籠もっても、名刀はできねぇんだろ」

「こんな身なりで出歩けませんや」

「見た目なんか気にするんじゃねぇよ。刀を作れない刀鍛冶が」

 洒落者の清麿には、汚れた仕事着で出歩くなどみっともない行為である。しかし、宗次の勢いに押された。手と顔だけ洗い、袷羽織をひっかけて、宗次に従った。

 二人はしばらく無言で歩いた。四谷の武家地の塀に囲まれて、稲荷社が建っている。その鳥居の前から、

「おお、刀鍛冶の先生」

 と、あまりガラのよくない男が清麿に声をかけた。

「うちで飲んでいかねぇかい。千住のいいネギが入ったから、今日はネギマ鍋だ」

「悪いな。ちょいと用事があるんだ」

 清麿は愛想のかけらもなく背を向けた。男は見送りながら宗次にも遠慮のない視線を投げてきたが、宗次は無視した。

「飲み仲間か」

「ありゃあ町方の手先さ。親しいふりして、俺のことを攘夷論者だと目ぇつけてやがるんだ」

「おや。そうなのか」

「あいつ、うちのキラに岡惚れしてやがるから、俺をお縄にしたくてしょうがねぇのさ」

「それは何か、証しがあるのか」

「そんなものなくたって、わかる」

 取りつく島もない。宗次にはもはや意見する気もなくなった。清麿を連れ歩いた先は宗次の自宅である。

「水茶屋にでも行くのかと思ったら、ここかよ」

「ここだよ。待ってろ」

 仕上げ場に上がらせ、奥に仕舞ってあった刀を引っ張り出した。定寸で、黒石目塗り、鉄金具の拵に入っている。

「見ろ」

「はいはい」

 清麿は仏頂面で手にしたが、三寸ほど抜くと目の色が変わり、鞘を払った時には食い入るような視線となった。窓の外は陽が傾き始めているが、部屋の中に光芒が増した。

「これは……」

「どうだい?」

「俺の作に見える。しかし、作った覚えはない」

「銘は入ってない。試作したものだ。五年ほど前になるかな」

「宗次さんの作か」

「以前、お前はいっただろ。自分にできることは宗次さんにもできる、とな」

「あんたもそう思っていただろう」

「思っていたが、見せびらかすつもりはねぇ」

 三枚で作り込み、皮鉄と刃鉄の合わせ目に太い金筋が流れ、固く感度が高すぎる皮鉄に足が入らず、炭素量が低い刃鉄には入る。そんな清麿の特徴を再現し、しかも清麿よりも地刃が冴えていた。

「これが固山宗次の実力か……」

「そうさ。だが、俺の看板はあくまでも備前伝だ。死蔵するつもりだったから、拵は出来合いの並品だ。だが、寅次郎のような若侍には充分だろ。持っていけ」

「え?」

「お前の銘を入れろ。姿も少しは直せる。寅次郎も喜ぶだろう」

「そんなことはできねぇ。俺にも鍛冶屋の矜持ってものがある」

「お前が矜持とやらにこだわっていると、寅次郎はさぞ落胆するだろうぜ。国禁を犯してでも海外へ雄飛しようとしている若者に、凡刀を持たせるのか」

「…………」

「もらうのが嫌だというなら、貸してやる。いずれ、自信の持てる刀ができたら、俺に寄こせ。それで貸し借りなしだ」

「自信の持てる刀か……」

「何十年も刀を作っていれば、一年や二年は失敗続きということもある。酒を控えて節制すれば、お前は当世随一の刀鍛冶だ」

「すまねぇ。俺の銘を入れさせてもらいますよ」

 清麿は押し頂く仕草を見せたが、表情から懊悩は消えなかった。

「帰るよ。ここんとこ、長く外に出ていられないんだ。腹の具合が落ち着かなくてな。小も大も一日の回数が同じになっちまった」

「ちゃんと寝てるのか」

「寝てもすぐ目が覚める。起きていると眠くなる。だが、またすぐに目が覚める。その繰り返しさ。それで酒の力を借りたくなる」

 そんなことは宗次にもある。身体の節々も痛む。刀鍛冶なんぞ健康的な仕事ではないのである。

 

 四月半ば、北町奉行所の与力が宗次を訪ねてきた。荒木田安太郎といい、宗次はこの男の娘の嫁入り短刀を作ったことがある。長く奉行所に勤めている与力は実務を心得ており、奉行からも一目置かれる存在である。

「確かめてぇことがあって来たんだがな……」

 荒木田は伝法な言葉遣いである。

「吉田松陰を知っているよなア」

「松陰? ああ、寅次郎さんですな」

「昨年、浦賀で一緒に黒船見物したそうじゃねぇか」

「はい。佐久間象山先生にもお目にかかりましたよ」

「おぬし、攘夷論者なのか」

「ただの物見遊山でさあ。寅次郎さんや象山先生が何か立派なことをおっしゃっても、私なんざ右の耳から左の耳へと素通りするような有様で……。あの時が初対面で、それきりです」

「どういう経緯で、初対面となったんだい」

「近所の清麿という同業者と間違えて、うちを訪ねてきたんで」

「そうか。ならば、よろしい」

「寅次郎さんがどうかしましたか」

「先月末、下田で捕らえられた」

「えっ」

 三月二十七日、吉田寅次郎とその門人であり友人でもある金子重之助は下田港近くの柿崎に上陸していたアメリカ士官を尾行し、「投夷書」を押しつけた。「五大洲を周遊して勉学に励みたいので、深夜に海岸へ迎えに来て欲しい」という能天気な内容であった。

 その計画の杜撰さを荒木田から知らされ、宗次は唖然とした。有り得ないことでも思い続けていると、人は実現可能だと錯覚してしまうのだ。それにしても、吉田寅次郎は人がいい。至誠は天に通ずと信じている。

 当然、アメリカ側が迎えに来るはずもなく、この日の深夜、寅次郎と金子の二人は柿崎海岸から漁舟で漕ぎ出し、アメリカ艦隊に渡航を懇願したが、日本と和親条約を結んだばかりのアメリカ側はこれを拒否した。旗艦ポーハタン号へ乗り込む際、漁舟は流されてしまい、二人はボートで海岸へ送り届けられたのだが、漁舟には彼らの刀や荷物が載ったままだった。これが下田奉行所に発見されれば捕縛されると観念した二人は、柿崎村の名主のもとへ出頭し、拘束されたのである。四月十五日、彼らの身柄は江戸の北町奉行所内の仮牢へ送られた。

 北町奉行は井戸対馬守覚弘。米国使節応接掛をも兼務し、下田へ赴いていた。

「吉田は今、伝馬町の牢へ移っている。かの佐久間象山も連座」

「おやまあ。象山先生も」

「吉田をそそのかした罪だ」

 漂着した漁舟の荷物が奉行所の手に落ち、象山が寅次郎へ与えた『吉田義卿を送る』と題する送別の詩が見つかったのである。ただし、この詩は今回のアメリカ密航ではなく昨年のロシア密航を企てた時の餞別だったが。

「それで、どのような処分となるのでしょうかな」

「密航は死罪と決まっている」

 荒木田は微笑みながら首を振った。うれしいのか、悲しいのか。

「吉田は覚悟を決めているよ。若いのになかなか肝が据わっている。しかし、象山は口から先に生まれてきたような男。奉行所できびしく糺問されても『鎖国はすでに死法。夷舶が近海を跋扈する国家存亡の折、海外事情を探究して祖国に尽くそうとした吉田と金子は嘉賞すべきである』と、逆に説教を垂れる有様だ。彼奴は幕閣に知己も多いようだなあ」

 ならば、寅次郎は極刑を免れるかも知れない。

「だが、裁決には時がかかろうよ」

「まあ、私としても、知っている男が死罪になるのは気持ちのいいものではありませんな」

「もうひとつ尋ねるが、清麿という刀鍛冶は吉田寅次郎とよほど親しいのかね」

「清麿が長州で駐鎚していた時からの知り合いのようですが、特に親しいというほどではないでしょう」

「吉田は清麿の作を持っていたぜ」

「寅次郎さんの差料は押収されたんですな。清麿でしたか」

「いや。持っていたのは刀じゃねぇ。玩具のような小さな剣だった。虎の絵柄が彫ってある。清麿の銘があった」

 以前、清麿の仕事場で見たお守りである。寅次郎のために作ったといっていたが。

「すると……彼の差料は?」

「何とかいう九州鍛冶の作だった」

「え……?」

 意外だった。宗次の作に清麿が銘を切り、寅次郎へ納めたはずだが、別の刀を帯びて、密航しようとしていたのか。

 実は、吉田松陰こと寅次郎はこれより一年後、獄中で記した『回顧録』に以下のごとく記録している。

「宮部、佩ぶる所の刀を脱し、強ひて予が刀と替ふ、また神鏡一面を贈る」

 決行前の三月五日、寅次郎はかねてより密航計画を打ち明けてあった仲間たちと別れを惜しみ、その際、肥後の宮部鼎蔵が強引に刀を交換し、彼は神鏡もくれたというのである。

 むろん、宗次はそんなことは知らない。刀の行方が気がかりだった。刀が作者の手を離れれば、どう流転しようと関知すべきではないのかも知れないが、ただの刀ではない。誇り高い清麿が刀鍛冶としての矜持を曲げてまでも、他者の作に自分の銘を入れた刀なのである。